【第7話】好きな色
「能勢さん、どうかされたんですか?」
三ツ谷と映画を観に行った翌日も、能勢はcafe coudreを訪れていた。一〇月も半ばを過ぎてようやく涼しくなってきて、温かいカフェラテを飲みながら棒針編みに勤しむ。
すると、他に数人いる客も編み物に集中していて手持ち無沙汰だったのか、この日も宇高が話しかけてきていた。
「どういう意味ですか?」
「いえ、能勢さん。心なしか今日はいつもよりも少し表情が明るい気がして。何かいいことでもあったんですか?」
能勢としてはそのつもりはなかったのだが、どうやら表情には滲み出てしまっていたらしい。別に否定するようなことでもなかったので、能勢は「そうですね」と素直に認めた。
「実は昨日、クリスマスにセーターをプレゼントする予定の相手と映画を観に行ったんです」
そう能勢が言うと、宇高は「えっ、そうなんですか!?」と少し驚いた様子を見せていた。その分かりやすい反応に、能勢の口調も乗ってくるようだ。
「はい。邦画を観に行ったんですけど、相手も凄く楽しんでくれたみたいで。僕としても映画自体が良かったのはもちろん、その相手と一緒に映画を観れて、終わった後にはスタバで感想とかを話せて。とても充実した時間になりました」
「それはよかったですね。となると、その方との距離も少し縮まったんじゃないですか?」
「はい。一緒に映画を観たことで、あくまで僕はですけど、その相手とより親密になれた気がします。これも宇高さんが『一緒に出かけてみてはどうですか?』と、提案してくれたおかげです」
「いえいえ、私はそんな大したことはしてないですよ。でも、少しでも能勢さんたちが楽しい時間を過ごすことに役立てたのなら、私としてもよかったと思います。あの、ちなみになんですけど、能勢さんたちは何の映画を観たんですか?」
「『ストロベリームーン』っていう映画なんですけど、宇高さんご存知ですか?」
「そうですね……。そういえばそんな名前の映画のCMをテレビで見たような気がします。でも、面白いんですよね?」
「はい。面白いというか、僕はとても感動しました。きっと宇高さんも気に入るはずですよ」
「そうですか。そう言われると、少し気になってきますね」
「はい。TOHOシネマズをはじめとして多くのシネコンで上映されているみたいなので、よかったら観に行ってみてください」
「はい。ぜひそうさせていただきます」
宇高ははっきりとそう口にしていて、きっと実際にその映画を観に行ってくれるのだろうと能勢は感じる。映画を勧める自分はまるで宣伝マンみたいだったけれど、それでも宇高にも同じ感動を味わってほしかったし、何より同じ映画を観たという話ができるだろう。
そう思うと、能勢の心は弾んでいくようだ。ここにいて居心地がいいと思える。だから、次の話題にもスムーズに移れていた。
「それと、宇高さん。今日は宇高さんに一つお伺いしたいことがあるのですが」
「はい。何でしょうか?」
「僕、そろそろセーターを編み始めてもいいですかね?」
その言葉を能勢が口にすると、宇高はさらに表情を華やがせていた。心なしか姿勢も前のめりになっているように見える。
「もちろんですよ。能勢さんはマグラグやスマホポーチなど、簡単な小物ならもう編めるようになっていますし、セーターに挑戦しても大丈夫だと思います」
「ありがとうございます。実はそう言っていただけると思っていて、今日は編み図を持ってきてるんですけど、一緒に見ていただけますか?」
「はい、ぜひ」
宇高の返事を受けて、能勢はリュックサックから一枚のクリアファイルを取り出した。そこには数枚のプリントが入っていて、全体の寸法や四角や特徴的な記号が印刷されている。
それはまさに、能勢がこれから編もうとしているセーターの編み図に違いなかった。
「なるほど。完成形はこのようになるんですね。良いと思います」
能勢がネットで見つけた編み図を見ながら、宇高が言う。後押しとなるような言葉に、能勢としても良い手ごたえが感じられた。
「はい。基本的にはこの図の通り編んでいきたいと思うんですけど、一つ相談していいですか?」
「何でしょうか?」
「この編み図よりも少し大きいサイズのセーターを編みたいときには、どうしたらいいんでしょうか?」
「そうですね……。このセーターは結構余裕があるようにデザインされているように思いますが」
「ええ、でも僕がこれをプレゼントしようと思っている相手はちょっと身長が高いので。一応念のためと思いまして」
「そうなんですか。でしたら、前身頃と後身頃を縦に五段、横に五目多めに編んでおけば、大体の場合大丈夫だと思いますよ」
編み物に関しては当然自分よりも宇高の方が詳しいから、そのアドバイスは能勢にもとても有用なものになった。三ツ谷は筋肉がついているとはいえ、横にはさほど大きくないから縦に五段多めに編んでおけば大丈夫だと思える。
「分かりました」と能勢が答えると、宇高は「はい。困ったことがあったらまた何でも相談してくださいね」と言い残して、カウンターの向こうへと戻っていった。
能勢は一つ息を吐いてから、リュックサックから新品の青い毛糸を取り出した。青にした理由はシンプルで、三ツ谷が一番好きな色だからだ。大きな編み物をするとき用に使う輪針も、能勢は用意してきている。
だから、「よし」と自分に言い聞かせて気合いを入れると、能勢は毛糸を取って指で最初の作り目を作り始めた。まずは編み図に書かれている通り七九目、一段目の編み目を作っていく。心の中で編み目を数えながら編んでいく。
七九目編めたら二段目、そして三段目へと能勢は手を動かし続ける。頭の中ではこれをもらったときの三ツ谷の表情を思い浮かべながら、能勢は時間が経つのも忘れて編み続けた。
能勢がセーターを編み始めてから、三週間ほどが経った。最初に宇高に言われた限りでは「二~三〇時間あればセーターを編むことができる」から、毎日欠かさず編み続けているならば、もうセーターを編み上げていてもおかしくはない。
だけれど、能勢はまだようやく前身頃を編めたところだった。編むのをサボっていたり、飽きたわけではない。毎日欠かさず編んでいても、ふとしたときに編み目の数を間違えてしまったり、慣れているはずの目を拾う行為に手間取ってしまっていたのだ。
間違えたことに気づくと、その時点からやり直しせざるを得ず、おかげで余計に時間はかかる。それでも毎日へこたれずに輪針を手に取り、気分を変えるために行ったcafe coudreでも宇高に励まされながら編んでいると、どうにか前身頃は完成させられる。まだ道半ばでも最後にとじ針を通したときには、能勢は少しでも達成感を覚えずにはいられない。
まだクリスマスまでには一ヶ月以上もあるし、この調子で編んでいけばセーターの完成は十分に間に合いそうだ。
能勢がさらに後身頃まで編めたのは、そこからさらに二週間ほど経ってからのことだった。どうにか全体の工程の半分まで到達できたことに、自分で編んだ編み地を見ながら能勢は感心する。
毎日編み続けているうちに、いつの間にか季節は移り変わり、能勢たちが住んでいる街でも木枯らしが吹くようになった。出かけるにも一枚羽織るものは欠かせず、三ツ谷と話す話題も少しずつ進路の話が増えてきて、能勢は自分が高校二年生の二学期の終わりを過ごしていると、日に日に思い知らされるようだった。
(続く)