【第6話】ストロベリームーン
ビルの中でも最上階の五階と六階にあるシネコンへと、二人はエスカレーターを上る。映画館に入ると休日だからか、ロビーは大勢の人で混雑していた。家族連れや友人同士で来ている人もいれば、一人客も見られ、観客層は幅広い。
それでも、二人は既にネットでチケットを買っていたから、券売機に並ばずにちょうど入場開始時間になったスクリーンに向かうことができた。
数人の後に並んだ後に、二人はスマートフォンのチケット画面を表示させて、入場口を通過する。入場者特典のポストカードを受け取りながら、二人は奥にある四番スクリーンを目指した。
四番スクリーンに入ると、既に多くの観客が席に着いて、映画の開始を今か今かと待っていた。二〇〇席以上のスクリーンの半分ほどが埋まっていて、一人で来ている観客もいれば女性同士で来ている観客もいる。全体的に自分たちと同じ一〇代や二〇代と思しき観客が多く見え、それはこれから上映される映画がどんな映画なのかを、早くも物語っていた。
全体的に女性客の方が多く、中にはカップルと思しき男女の姿も見えることに、能勢は軽く息を呑んでしまう。でも、男同士でこの映画を観てはいけない謂れはどこにもないはずだ。
だから、二人は階段を上がって、少し後方の通路側寄りの席に腰を下ろした。三ツ谷がすぐ隣に座っていると思うと能勢の鼓動は速まって、何かドリンクを買えばよかったと思うほどに喉も渇き始めていた。
映画が始まるまで、二人は軽く雑談をする。三ツ谷は映画館に来るのが今年では二回目らしく、四月にコナンの映画を一度観ただけらしい。それは能勢も似たようなものだったので、久しぶりに来る映画館の雰囲気にも改まった感じを覚えてしまう。
三ツ谷は友人同士で映画を観に来ているとしか思っていないだろうから、自分がことさらに意識すべきではない。だけれどこの状況でまったく意識しないことは、能勢には難しかった。
七、八割ほど観客席が埋まったところで、スクリーンでは時間通りに上映が開始された。まずはいくつかの企業のCMや他の映画の予告編を二人は眺める。
それでも、何本も流れる予告編に能勢は若干飽き飽きしてしまって、隣に座る三ツ谷からも「早く映画が始まってほしい」という雰囲気が漂っている。
そんな二人の、いや多くの観客の思いが伝わったのか、予告編の時間も過ぎ、最後にマナーCMを流してから、いよいよ映画は始まった。スクリーンに表示された配給会社のロゴに、能勢は軽く座り直す。
スクリーンに映されるファーストシーンに、観客たちの意識は一斉に向く。
それでも、能勢はスクリーンに目を向けながらも、隣に座る三ツ谷のことを意識せずにはいられない。
三ツ谷はこの映画を気に入ってくれるだろうか。観終わった後、会話は弾むだろうか。宇高が言ったように、自分たちの距離は縮まってくれるのだろうか。
そんなことばかりが頭を巡ってしまい、目の前で上映が始まった映画にも、最初はあまり入り込めなかった。
それでも、若手俳優の瑞々しい演技と地に足の着いたストーリーに、能勢は徐々に映画に入り込んでいく。二人が関係を深めていくシーンは気持ちよく観ることができたし、物語のターニングポイントとなる重要なシーンは思わず息を呑むほどだ。隣に三ツ谷が座っていることも、そこまで意識することなく、映画に夢中になっている感覚がある。
クライマックスでは、鼻をすする音がいくつも聞こえてきて、能勢も気を抜いていると泣いてしまいそうだ。目の前で上映されている映画は、能勢には間違いなく好きだと思えるもので、映画が終わった後も自分たちは微妙な空気にはならないと感じられる。
この映画を三ツ谷と観ることにした、自分の判断は間違っていなかった。そう能勢は流れ始めたエンドロールに実感できていた。
映 画の上映が終わってスクリーンに照明がついても、観客席はしばし映画の余韻に浸っていた。それが今観た映画にどんな感想を抱いたのかを、能勢にひしひしと感じさせる。能勢もすぐには席を立ちたくないと思う。
それは三ツ谷も同様だったようで、ちらりと見た横顔には少し涙が伝った跡が見える。二人は余韻に浸りつつ、席を立ってスクリーンを後にした。
スクリーンを出た瞬間、三ツ谷は「映画、良かったよな」と能勢に話しかけていて、そのことが能勢には思わずガッツポーズをしたくなるほど嬉しかった。
「いや、本当映画良かったよな。俺、めっちゃ感動したもん」
映画を観終えて、一階にあるカフェチェーンに腰を下ろすと、三ツ谷はしみじみと口を開いていた。三ツ谷に「良かった」と改めて言われると、能勢も大きな安堵を抱く。頷くのにもためらいはいらなかった。
「ああ。俺も凄く良かったと思う。事前にあらすじを見た限りでは、よくある余命ものなのかなって思ってたけれど、まさかああいう展開になるとはな」
「それな。俺もあの展開は映画が始まった頃には予測してなかったけど、でもちゃんと丁寧に伏線が張られててさ。考えてみればそれしかないって展開なのに、不意打ちで来たから驚いちゃって。でも、真相を知ると感動したなぁ」
「俺もあの展開は、少しズルいなとさえ思ったよ。あんなの感動しないわけがないだろ。俺も萌のひたむきな思いにはぐっと来たし、もう少しで泣いちゃうところだった」
「ああ。俺も涙を堪えるのに必死だったよ」
「そうか? 映画終わった後にちらっと見たら、お前の顔にはうっすらと泣いた跡が見えたんだけど」
「ちょっと、あんまそういうこと言うなよなー。俺みたいな奴が映画で泣いてたら、ちょっと恥ずかしいだろー」
「いや、そんなことはないと思うけどな。別に良い映画を観たら、素直に泣けばいいだろ。その方がきっと映画を作った人たちも嬉しく感じるだろうし」
「そっか。それもそうだな」
そう言って三ツ谷は微笑んでいたから、能勢も釣られて小さく笑うことができた。
多くの人が行き交う商業ビルの中で、カフェチェーンの店内は落ち着いた雰囲気を醸し出していて、能勢としても心穏やかでいられる。三ツ谷と向かい合って座って話していると、日々の少し嫌なことも泡となって溶けていくようだ。
生クリームがたっぷり乗ったチョコレート味のドリンクも美味しくて、理想的な休日の過ごし方ができているようにさえ能勢には感じられていた。
「なあ、海音。今日は映画を観に連れていってくれてありがとな」
三ツ谷がそう言ってきたのは、能勢たちがそれからも映画のこのシーンが良かった、あの俳優の演技が良かったと映画の話題でひとしきり盛り上がった後のことだった。
確認するようにそう言われると、能勢は照れくささを感じてしまう。
「どうしたんだよ、急に改まって」
「いや、今日お前が映画を観ようって言ってくれたこと、俺は本当に感謝してるんだ。だって最近の俺はさ、ちょっと思うことがあったから」
「思うこと?」
「ああ。最近部活でポジションが同じ後輩が、めきめき力をつけてきててさ。今は俺がそのポジションで試合に出られてるけど、もしかしたらそう遠くないうちにその後輩にポジションを奪われるんじゃないかって、最近ちょっと不安だったんだ」
「そっか。悪いな。そんなことも知らずに誘っちゃって」
「いや、いいよ。確かにポジションを奪われないようにするためには練習するしかないんだけど、それが今の俺には正直少し息苦しく感じられて。少し煮詰まってた部分もあったから、こうやってお前が映画に連れ出してくれて、良い気分転換になったよ。映画自体も良かったし、おかげで明日からもまた頑張れそうだ」
三ツ谷は実感を込めて言っていて、能勢は好ましく思う。
正直、三ツ谷が部活のことで悩んでいたとは、そんな素振りは少しも見せていなかったから、能勢は気づいていなかった。
それでも、自分は三ツ谷が前を向く手助けができたらしい。そう思うと、能勢は自分が誇らしくなってくる。一緒に出かけることを勧めてくれた宇高にも、内心で感謝をした。
「ああ。俺も今日お前と映画を観れて良かったよ。映画自体が良かったことを差し引いても、お前と映画を観れて楽しかった。俺もまた週明けから、学校とか勉強とか色々頑張れそうだよ」
「そうだな。なぁ、海音。よかったらまた一緒に映画観に行こうぜ。たぶん次は年末とか正月とかになりそうだけど」
「ああ、絶対行こうな。俺もそれまでに調べといて、面白そうな映画見つけとくから」
「ああ、頼むぜ」
能勢たちは再び微笑み合う。夕方の六時を過ぎて、外はだんだんと暗くなり始めているだろう。
それでも、能勢はまだ帰りたくないと感じていた。店内に他にも客はいるにせよ、今自分は三ツ谷と実質的に二人きりの時間を過ごせている。それが能勢にはかけがえなく感じられていた。
(続く)