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青い糸  作者: これ
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【第2話】手編みのセーター



「どうでしたか? 能勢さん、今日のワークショップは。楽しかったですか?」


 宇高がそう能勢に話しかけてきたのは、一時間半にわたったワークショップが終わって少ししてからのことだった。他の参加者はもともと知り合いなのか、それともこの短時間で仲良くなったのか、会話に花を咲かせていて、性別も年代も違う能勢はそこに混ざりづらい。


 だから、もう帰ろうかとも思っていたのだが、わざわざ気を遣ったように話しかけてくる宇高を、能勢は無視できなかった。


「はい、楽しかったです。俺いや僕は、編み物をするのは初めてだったんですけど、ただ手を動かして物を作るだけのことが、こんなに楽しく感じられるなんて知りませんでした。思い切って来てみてよかったです」


「俺でいいですよ。でも、実際能勢さんは初めてとは思えないほどお上手でしたよ。ほら、こうして編み目も綺麗じゃないですか」


 そう言いながら、宇高はテーブルの上に視線を落としていた。そこには、能勢が作った青い一〇段のこま編みが置かれていた。こうして見てみると、簡単な物でも確かに編み物としての体裁を保っている。来る前からすれば、自分にこんなものが作られるとは能勢には想像できなかったほどだ。


「いやいや、そんなことないですよ。誰がどう作ってもこんな感じになりますって」


「いや、能勢さんのものは特別整ってますよ。手先がお器用なんですね」


「そんなこと、初めて言われました。でも、それはきっと宇高さんの教え方がよかったからですよ。一人で本や動画見ながら作ってても、こんなにうまくはいかなかったでしょうし」


「褒めてくださってありがとうございます。でも、やっぱり能勢さん、編み物上手いですよ。どうですか? これからも編み物を続けていきたい気分にはなりましたか?」


「はい、おかげさまで。編み物にもより興味が出てきました」


「それはよかったです。棒針編みなど、まだまだ今日やっていない編み方もあって、編み物の世界は奥が深いですから。能勢さんが興味を持ってくださって私も嬉しいです」


 宇高が微笑んでいたから、つられるようにして能勢も表情を緩めることができた。涼しい空気が流れる店内は、ワークショップが終わった達成感もあって居心地がいい。


 もう少しここにいたいなと、能勢は自然と思えていた。


「ところで、能勢さん。一つお訊きしたいことがあるんですけど、いいですか?」


「はい、何ですか?」


「どうして能勢さんは今回、このワークショップに参加しようと思ったのでしょうか?」


 きっと宇高は純粋な興味から訊いているのだろう。でも、能勢は答えるのに少しためらってしまう。「……それは、僕が男だからですか?」という言葉が口をつく。宇高はそういった意味で訊いているわけではなさそうなのに。


「いえ、私は他の参加者の方にも同じようなことを訊いていますし、能勢さんが特別ってわけじゃないですよ。もちろん嫌だったら答えなくてもいいんですけど」


 そう言われると、かえって答えないことは能勢には気が引けた。「……あの、笑わないで聞いてもらえますか?」と前置きをする。宇高は「当然です」と言うように頷いていた。


「実は、僕プレゼントを贈りたいと思ってるんです」


「プレゼントですか。素敵じゃないですか。ちなみにそれはどなたなんですか?」


「いや、そこまでは言えないですけど、でも僕のすごく大事な人です」


「そうですか。ちなみにどんなプレゼントを贈る予定なんですか?」


「あの、今は手編みのセーターを贈りたいと思っていて。今はまだ夏ですけど、これから少しずつ寒くなってきますし。クリスマスに渡せればちょうどいいかなと」


「それはいいですね。きっと相手の方もお喜びになると思いますよ」


「あの、宇高さん」


「何でしょうか?」


「今から編み物を始めて、クリスマスまでにセーターが作れますかね?」


「はい、十分可能です。セーターを編むには、かぎ針編みの他にも棒針編みを用いた方がより早く綺麗に仕上がりますし、能勢さんは筋がいいので、棒針編みもすぐマスターできると思いますよ。かぎ針編みと棒針編みを併用した場合、シンプルな無地のセーターを一枚作るのに必要な時間は二〇時間から三〇時間ほどですし、もっと凝ったものを作りたいのならさらに時間はかかりますけど、でも今から編み始めても間に合わないということはないと思いますよ」


 その説明に、能勢はほっと胸をなでおろす。今は九月になったところで、始めるには遅いのではないかと気を揉んでいたが、可能だと言われると自分にもできそうな気がしてくる。


「よかったです。正直もう間に合わないんじゃないかと思ってましたから」


「ええ。そのためには棒針編みや編み図の読み方を覚える必要がありますが、どちらもそこまで難しくはないので、能勢さんならきっと大丈夫だと思います。でも、何か困ったことがあったら、いつでも当店にいらしてくださいね。私もできる限りのアドバイスはしますし、家で一人黙々と編んでいるよりも、こういった手芸カフェという外の空間で編むのは、いい気分転換になりますから」


「はい。そうさせてもらいます」


 そう答えながら、能勢は俄然前向きな気分になっていた。家で一人で編むよりも、ここで編むことで作業が進むこともあるだろう。


 何より親身になって教えてくれる宇高がいることは、能勢に大きな安心感をもたらしていた。やったことのない棒針編みにも明るい展望を抱ける。


 さっそくワークショップで得た感覚を忘れないうちに、毛糸やかぎ針編みのセットを買ってまた練習してみたいと思えた。





 翌日も九月も中旬に入ったとは思えないほど、朝から蒸し暑い日となった。いったいいつ涼しくなるのかといううだるような暑さのもと、能勢は高校へと向かう。


 教室に入ると外の熱さとは打って変わって、涼しい風が肌に触れる。それは能勢を心から癒やし、エアコンがなかった小学校や中学校のときを思い出せないほどだ。


 心地よさを感じながら、能勢は自分の席に向かう。席に着くと、めいめいに話し声が飛び交う教室のなかで、一人の男子生徒が能勢のもとへと近づいてきた。


「おう、海音。おはよう」


 はっきりと日焼けした肌に、制汗剤の香りがかすかに漂ってくる。ぱっちりとした大きな目に、今日も一目見ただけで、能勢は吸い込まれそうになる。三ツ谷絵殿(みつやえでん)は、この日も変わらない微笑みを能勢に向けていた。


「ああ、絵殿。おはよう。見たぜ、昨日のインスタ」


「ああ、真っ先にいいね! してくれてありがとな。俺もいてもたってもいられなくなって、すぐに投稿しちまったから」


「そうだな。よかったじゃねぇか。Switch2が届いて。ようやくって感じだよな」


「ああ、本当ようやくだよ。発売前に予約したのに、届いたのが二ヶ月も経ってからの昨日なんて。どんだけ人気なんだよって感じだよな」


「いいよなぁ。俺のとこなんてまだ届いてすらないぜ。まあ発売された後にようやく注文したんだから、それも仕方ないんだけど」


「なぁ、海音。よかったら今日ウチ来て一緒にSwitch2やらねぇか? 一緒に買ったマリカーの最新作も、昨日同時に届いたことだし」


「えっ、いいのかよ」能勢は思わずすっとぼけたような声を出してしまう。ようやく自分たちのもとに届いたSwitch2を遊びたかったのもそうだが、それ以上に三ツ谷の家にまた行けることが信じられないほど嬉しかった。今まで何度も三ツ谷の家に行ったことはあるものの、能勢は未だに新鮮な喜びを覚えられる。


「もちろん。今日は部活もオフだし、お前だって予定ないだろ?」


「まあ、それもそうだな」と能勢は答える。昨日ネットショップで注文した毛糸やかぎ針編みのセットは、まだ届くまでに数日かかった。


「だったら別に遠慮する必要なんてねぇだろ。今まで何度も来てるんだし、気軽に来いよ」


「ああ、ありがとな。その言葉に甘えて行かせてもらうわ」


「そっか。じゃあ、また放課後な」


 そう三ツ谷が言ったところで朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴り、生徒は自分たちの席に戻っていく。担任も入ってきて、三ツ谷も能勢とは少し離れた席に戻る。


 出席状況を確認した担任のホームルームを始める声を聞きながら、能勢の気持ちは高ぶっていた。


 早く放課後になって、三ツ谷と一緒にゲームがしたい。能勢の頭には今その思いしかなく、担任が伝える連絡事項も耳をすり抜けていっていた。



(続く)

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