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青い糸  作者: これ
10/11

【第10話】励ましのライン


 午後の四時頃にcafe coudreを後にし、暗くなる前に家に帰った能勢は自分の部屋に入ってからも、右袖を編むことを続けていた。cafe coudreでの集中や勢いは家に帰ってからも持続していて、能勢はミスもせずに着々と編むことができる。


 そして、能勢は夜の七時を回る前に、右袖を編み上げることができていた。最近はなかなか進まなかった分が今日で一気に進めることができて、達成感のようなものさえ抱ける。それは昼間宇高と話したからだとも、すぐに思い至る。


 気分を良くした能勢は一つ息を吐いてからスマートフォンを手に取っていた。ラインのアプリを立ち上げる。能勢が今この瞬間にメッセージを送りたい相手は、一人しかいなかった。


〝今、大丈夫か?〟


 能勢は三ツ谷に簡単なラインを送った。だけれど、数分待ってみても三ツ谷からの返信はなかった。既読すらついていない。


 三ツ谷が自分からのラインを未読スルーしたことは今までなかったから、能勢は今は家族で夕食を食べているのか、それとも風呂に入っているのかと想像する。もしかしたら、スマートフォンの電源を切ってまで勉強に取り組んでいるのかもしれない。


 もしそうだとしたら、能勢はそれを好ましいことだ感じる。三ツ谷が頑張って勉強をしている姿を思い浮かべると、能勢としても応援したくなる。


〝あのさ、これから書くことは別に返信してくれなくたって構わないんだけど〟と前置きをしてから、能勢は自らの思いを書き連ねた。


〝お前がさ、部活も勉強も頑張ってるのは知ってる。俺は部活も入ってないし、勉強もまだお前ほどにはしてないから、それってとても凄いことだと思う。だから、俺はお前に「頑張って」とは言わない。お前はもう十分頑張ってるからな。俺にできることと言ったら、お前を信じて陰ながら応援することしかないと思うんだ。お前ならきっとうまくいくって。部活でも良い成績を残して、受験勉強もやり切って志望校に合格できるって俺は信じてるから。だからさ、この調子で突っ走れよ。お前なら絶対にできるって俺は分かってるから〟


 何回かに分けて、能勢はそういったラインを三ツ谷に送る。


 最後の一文を送った途端、能勢は顔が急に赤くなるような思いがした。全て自分の本心に間違いないが、それでも少しくさすぎただろうか。今送ったラインを取り消したいとは思わないけれど、それでも恥ずかしさは否めない。


 そして、それはラインを送ってから一分も経たないうちに三ツ谷からの既読がついたことで、より膨らんでいってしまう。


〝プレッシャーだな笑〟


 三ツ谷が送ってきたごく短い返信は、能勢を少しバツが悪い気分にさせていた。「笑」がついている辺り茶化している雰囲気はあるが、三ツ谷が自分のラインを少しでも負担に思ったのは間違いなさそうに思えて、能勢には途端に申し訳なさが湧いてくる。


〝わりぃ。急にこんなこと言っちまって。やっぱ負担だよな〟


〝いや、そんなことはねぇけど。むしろお前に改めてそう言われて、俺も励みになったよ〟


 即座に送られた三ツ谷のその返信を、能勢は一〇〇パーセント額面通りに受け取ることはできなかった。三ツ谷が自分に気を遣っているような気がしてしまう。


 だから、能勢は必要ないのに思わず〝本当か?〟と尋ねてしまう。そんな能勢に対しても、三ツ谷は〝本当だって。おかげでこれからの勉強もまた頑張れそうな気がしてるよ〟と返してくれる。


 その文面に能勢は、もはや三ツ谷が気を遣っていると疑うことはしなかった。自分は三ツ谷を励ますことができた。その事実だけで心が満たされるようだ。〝ああ、ありがとな〟〝いや、「ありがとう」は俺の方だよ〟そんなやり取りに頬を緩めてしまう。


 すると、そのタイミングでリビングからは「海音、ご飯できたよー」という母親の声が聞こえてくる。能勢も「今、行くー」と返事をして、スマートフォンを持って自分の部屋を出る。不安に思う気持ちは、能勢の中ではいくらか軽くなっていた。





 クリスマスを目前に控えた最後の日曜日にも、能勢はcafe coudreにいた。宇高が側で見守るなか、能勢は棒針を動かす。既に左袖まで編めたセーターは、それぞれのパーツをすくい止めでつなぎ合わせ、最後に首元の襟を編む段階に入っている。


 能勢は集中しながら、宇高に教わった模様編みをしていく。一つ一つの編み目が出来上がっていく度に、能勢はいよいよだという思いを強くする。


 そして、最後の編み目を編んで、一目ゴム編み止めをして毛糸をハサミで切ると、能勢は深く息を吐いた。宇高が、そのときを待ちわびたように訊いてくる。


「能勢さん、完成ですか?」


「はい。これにて完成しました」


 そう能勢が答えると、宇高はささやかな拍手をしてくれた。たとえ音量は控えめでも、能勢には自分がセーターを一着編み上げることができたと、達成感と誇らしさが感じられる。


「能勢さん、やりましたね」


「はい。一時期はその進捗にヤバいなと思うこともあったんですけど、なんとかクリスマスまでには間に合って。今はとてもホッとしています」


「ええ、私から見ても素晴らしい出来栄えだと思いますよ。きっと相手の方も満足してくれるはずです」


 宇高にそう言われて、能勢は改めて自分が編んだセーターを見やる。三ツ谷が好きな色である青い毛糸で編んだそのセーターは、寒色系の見た目にも関わらず能勢には確かな暖かさを感じられた。


「はい。僕も自分で編んだから手ごたえを感じています。あとはこれを相手が気に入ってくれればいいんですけど」


「そうですね。でも、能勢さんが心を込めて編んだからにはきっと相手の方も気に入ってくれると思いますよ。堂々とプレゼントしてあげてください」


 宇高の言葉は能勢にとっては心強く、本当に大丈夫かもしれないという気にさせる。これを贈ったときの三ツ谷の驚きながらも、それでも微笑んでくれている表情が目に浮かぶようだ。


 能勢にとって懸念事項は何一つない、はずなのに能勢は胸に何かつかえるような思いを感じてしまう。そして、その訳は少し考えただけで思い至った。


 自分はまだ宇高に三ツ谷のことを話せていない。編み方を一から教えてくれて、こんなにも協力的に励ましてくれた宇高に、黙ったままというのはきまりが悪いだろう。


 だから、能勢は「あの、宇高さん、一ついいですか?」と再び口を開く。「はい、何でしょうか」と自然に応じている宇高の前では、思い切る必要はないはずだったけれど、能勢はそのことを両親くらいにしか話していなかったから、その言葉を口にするのは少なからず決心が必要だった。


「僕がこのセーターを贈ろうとしている相手のことなんですけど、そいつ男なんです」


 能勢の思い切った言葉にも、宇高は別段表情を変えていなかった。ただ、平然とした顔で「そうなんですか。その方は何というお名前なんですか?」と訊き返していて、能勢は少し拍子抜けする感じがしてしまう。


「あの、三ツ谷絵殿っていって、俺のクラスメイトなんです」


「なるほど。そうだったんですね。素敵じゃないですか」


「宇高さん」


「何でしょうか?」


「あまり驚かないんですね。普通こんなこと言ったら、もっとびっくりすると思うのに」


「能勢さん、今を何年だと思ってるんですか? 男性が男性に思いを寄せることなんて、何ら珍しいことじゃないじゃないですか。それこそ普通のことですよ」


「本当にそう思ってます……? 心のどこかで気持ち悪く感じていたりはしませんよね……?」


「だから、そんなこと思ってないですよ。もしかしたら私は、大学時代に同じサークルに能勢さんと同じような方がいて、その方と接していたからかもしれないんですけど、それでも能勢さんの性的指向が気持ち悪いなんてことは断じてないですよ。だって、能勢さんはその三ツ谷さんに本当に思いを寄せていらっしゃるんですよね?」


「はい。心の底から三ツ谷のことを大切に思ってます。じゃなきゃ、こんな時間をかけてセーターを手編みしないですよ」


「だったら、それでいいじゃないですか。能勢さんのその思いは私もとても素敵なことだと思いますよ。能勢さんの気持ちがちゃんと三ツ谷さんに伝わるように、私も陰ながら応援してますから」


 なかなか他人には言い出せなかった自分の性的指向を肯定されて、能勢は心から安堵する思いだった。


 確かに今は二〇二五年なのだ。たとえ全員ではなくても、自分の性的指向に理解を示してくれる人間はきっと多くいることだろう。


 そう考えると、能勢には俄然勇気が湧いてくる。適切な言葉で伝えれば、三ツ谷もきっと理解してくれるはずだと思えた。


「それと、能勢さん。私からも一ついいでしょうか?」


 今度は宇高から同じように訊かれて、能勢は一瞬虚を突かれるような思いがした。それでも、努めていつも通りに「何でしょうか?」と返事をする。


 すると、宇高の表情がほんのわずかに緩んだような気が能勢にはした。


「これからも、cafe coudreに来てくれますか?」


「ええ。いいですけど、どうしてですか?」


「いえ、能勢さんは三ツ谷さんに手編みのセーターを贈りたくて、ウチに通い始めたんですよね。となると、三ツ谷さんにそのセーターを贈ったら、能勢さんがもうウチに来る理由はなくなってしまうような気がしまして。私としても能勢さんが集中して編み物に取り組んでいる様子は見ていて好ましかったので、よければこれからも来てくれるとありがたいのですが」


「ええ、それだったら全然大丈夫ですよ。僕も手を動かして編んでいる間は心が落ち着くような感じがしてましたし、何よりここの雰囲気も好きなので。ぜひまた来たいと思っています」


「本当ですか?」


「ええ、本当です。お世辞なんかじゃありません」


「そうですか。ありがとうございます」という宇高はさらに表情を緩めていて、能勢としても自分が間違ったことを言ったわけではないと思えた。実際、今自分が口にした言葉に嘘は一つもないと能勢は感じていて、落ち着いた雰囲気のもとで編み物ができるcafe coudreの環境はなかなか離れたくないと思える。


 能勢は小さく頭を下げ返す。少し照れくさいような気もしたけれど、それも決して悪い感覚ではなかった。


(続く)

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