第9話 ダイナミック入店
私たちが向かったのは渓谷にあるナハペリという小さな街だった。そこは私が初回プレイで経験値集めの拠点にしていた宿場町で、宿に泊まって体力やMPの回復に使っていた場所だった。私たちはちょうどその街の上空に差し掛かっていた。
「じゃあ早速、落下耐性のスキルを試してみましょうか」
落下耐性スキルは高所から落ちた時のダメージを軽減してくれるものだった。何かの拍子に転落してもこのスキルがあれば安心だ。それに地上に降りる時は飛び降りた方が早いし、何よりもその方がかっこいいと思うのだ。
上空を旋回していると街の真ん中に広場があるのが見えた。私はそこを着地点にしようと狙いを定め、ヴォルフの背中から飛び出した。
「ひゃっほぉおおおおおおおお!!!!」
私は大の字になって空を舞った。空気抵抗を利用して進行方向を調節した。
だけど着地地点の広場がどんどん遠ざかっていくのがわかって、私は完全に目測を誤っていたことに気がついた。勢いをそのままにあらぬ方向へ流されていく。
「やばい、このままじゃ家にぶつかっちゃう。ひいぃいいいい!!」
必死にもがいてみたものの、まったく効果はなかった。ヒューっと吸い込まれるように、私は家の屋根に衝突した。
「はぎゃあぁああああああああ!!!!」
バーンと大きな音を立てて屋根を突き破った私は、その家の中に突入すると部屋の床にドスンと尻もちをついて止まった。あまりの苦痛にしばらく顔を歪めお尻をさすっていた。
「痛ててて……。しょっぱなから大失敗だよ……」
落下耐性のおかげで怪我はなかったけど、あと、もう2レベルくらい上げておかねばと私は反省した。
「あら、天井から女の子が落ちてきたかと思ったら、魔法使いときたもんだ。めずらしいお客さんだね」
カウンター越しにこの家の持ち主が目を丸くしていた。私はその人物の顔を見て思い出した。
「あっ、ブレナおばあちゃん……」
「あら、どうして私の名前を知っているの?」
ブレナおばあちゃんはナハペリで宿を営んでいる女主人だ。戦闘から帰って来るといつも笑顔で迎えてくれる癒し系キャラだった。
彼女とはモニターの画面越しでしか会ったことがないはずなのに、私は勝手に懐かしい気分になっていた。
運良くと言っていいか微妙だけど、私は今日泊まろうと思っていたこの宿にダイナミック入店したのだった。
「ここには何度か来たことがあるんだよ。今日も泊めてもらおうと思って来たんだ」
「私は一度来たお客の顔は絶対に忘れない自信があるけど、あなたの顔には見覚えがないのよ……。もしかしてボケちゃったのかしら……」
ブレナおばあちゃんの表情が険しくなるのを見て、私はあわてて取り繕った。
「ああ、気にしないで、私の勘違い。ごめんごめん。ここに来るのははじめてだった。あはは……」
初回プレイの出来事はすべてリセットされていた。この世界で登場するキャラクター達は、プレイヤーである私のことを憶えているはずがなかった。私は改めて自己紹介した。
「私はニーナ。よろしくね」
「ニーナさんね。こちらこそよろしく」
ブレナおばあちゃんはシワをぎゅっと寄せて微笑んでいた。私が天井を突き破って入店したというのに、ブレナおばあちゃんに気にする様子はなかった。私は申し訳ない顔を作って言った。
「あのう、これなんだけど……」
私は天井に開いた穴を指差した。見上げるとその穴から青い空に白い雲が流れていた。
「ああ、それね。別に気にしなくていいわよ」
「いいの!?」
「最近はいろんなことがあって、ちょっとしたことなら動じなくなっているからねえ。何が起こっても驚きはしないよ」
どこか諦めているようにも、開き直っているようにも聞こえた。私は気になって尋ねた。
「何かあったの?」
「それは、あの厄介な大岩だよ」
ため息まじりにブレナおばあちゃんが窓の外を見つめた。その視線の先には灰褐色の巨大な岩が見えていた。山の一部だったものが何かの拍子で倒れ込んだようだ。
「突然あの大岩が道を塞いだのよ。この街に入るのに不便でねえ。そのせいでお客さんがめっきり減っちゃったのよ」
山に挟まれたナハペリは南北に伸びる道ぞいに街を作っていた。その南側から入るルートを大岩が塞いでいたのだ。
この状況ではわざわざ北側へ迂回するか、山を越えるしか街に入ることはできない。
「これは大変だね」
「そうなの大変なのよ。最近新築の宿を建てたところだったのに……。ああそうだ!あなたにひとつ頼みたいことがあるのよ」
ブレナおばあちゃんは何かを思い出したようだ。
「頼みたいことってどんなこと?」
「実はこの宿は店じまいすることになっているのよ。ここは手狭だしもうだいぶ古くてくたびれているからね。新しい宿に引っ越そうと思ってるのよ」
「なるほど。引っ越しのお手伝いを頼みたいのね」
「そう。もしその手伝いをしてくれるなら今日の宿代はタダにするわ。どうかしら?」
ブレナおばあちゃんが話を持ちかけてくると、突然私の目の前にメインメニューが現れた。『ブレナおばあちゃんの引っ越しのお手伝い』と、サブクエストが表示されていた。
さすがに私のような貧弱なキャラでは、これをひとりでこなすなんてとてもできない。ここは魔法の力に頼ることにする。私は魔導書を取り出して調べてみた。
私の意志を読み取ってパラパラとめくられていくと、とあるページでピタリと止まった。
「おお、あるじゃん。ドンピシャの生活魔法が!」
開いたページには『引っ越し魔法(模様替えも可)』と書かれた生活魔法が載っていた。それは自動で荷造りするパッキング魔法と、物体の重量を軽減させる浮遊魔法、そして手を使わずに物を掴んで移動させる遠隔操作魔法を組み合わせた融合魔法だった。
しかもこの引っ越し魔法をひとつ取得するだけで、他の3つの魔法もついてくる一週間限定のお得パックになっていた。この魔法があれば私ひとりでもできるはず。
「私にまかせて、ブレナおばあちゃん!」
私は早速サブクエストを受けることにした。




