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第64話 新たな一歩

 どうやら私が怒りを爆発させたことでチルは観念したようだ。それでも私の怒りは収まらなかった。私は突き刺すような鋭い視線を彼に投げかけていた。


そんなふたりの間に立ったのはアウラだった。


「ねえチルくん、何かわけがあるなら話してくれない? 家のことで何か悩んでいるのかな? それとも個人的なことかな?」


 アウラはチルと目線を合わせやさしく問いかける。


「もし家族の間で問題が起こっていて自分ひとりで解決できないのなら、私たちが力になってあげられると思うんだ。本当はチルくんも誰かに打ち明けたいんじゃないのかな?」


 やさしく語りかけるアウラは何かに気づいていたようだ。今までのチルの問題行動が彼なりのSOS信号なのだとアウラは察していた。


 私にはもどかしい時間だったけど、しばらくしてチルが重い口を開いた。


「ぼ、僕は……、僕は……、商売人になんてなりたくない……」


「商売人? それってお父さんが君に期待してることだよね」


「うん……」


「そっか、その事がチルくんを苦しめているんだね?」


 ジヌが息子を立派な商売人にしたいと言っていた。彼は息子にオイデユスを任せるつもりだった。そのことがチルを精神的に追い詰めていた。


「チルくんはそのことをお父さんに伝えたの?」


 チルは力なく首を横に振った。


「僕には他になりたいものがあるんだ……。けど、そんな事を言ったら否定されるだけだから……」


「なりたいものって何なの?」


「僕は画家になりたんだ……」


 半魚人の口から出た意外な言葉に私もアウラも驚いた。


「ずっと前から絵を描くのが好きで、部屋でこっそり練習していたんだ……、でもまだ上手く描けなくて、打ち明ける勇気がなくて……」


「そうだったの……」


「僕にはどうすることもできないんだ……。絶対認めてもらえないのはわかってる……。こんな僕の気持ちをお母さんだけはわかってくれていたんだけど……」


 母親は病死だった。彼にとって唯一の理解者だった。もともと大人しい子だとは聞いていたけど、だからこそ彼は思い詰めてしまったのだ。


 アウラとのやり取りでだいたいの事情はわかったけど、画家になるには才能が必要だ。私はチルに尋ねた。


「じゃあ、その努力の成果を私たちに見せてはくれないかな」


「えっ、でも、今まで誰にも見せた事ないし、怖いし……」


「絵で食っていこうって半魚人が、いつまでも他人の評価を恐れていたらはじまらないでしょ」


「私も見せてほしいな」


「ううっ……」


 チルはしばらく目を泳がせたあと、おずおずと机の引き出しに手をかけた。そこから数枚の紙を取り出すと床の上に並べて見せた。私とアウラはチルの画力の高さに驚いた。


「す、すごいじゃん……」


 イワシや、タイや、タコ。それにサザエも。どの絵も繊細なタッチで描かれたデッサンだった。形はもとより、その質感がまるで写真のようにリアルに描かれていた。


「全部魚介類かよ……」


 私は思わずツッコミを入れたけど、絵の腕前はプロ並みだった。


「まだ、うまく描けないんだ……。この程度じゃダメなんだ……」


 絵に向けるチルは眼差しは、ずっと先にある目標を見据えていた。彼の真剣さと静かに燃える情熱を感じた私はこの時、自分のやるべきことがわかった。


「そうか、私にも見えたよ」


「ニーナ、どういうこと?」


「このサブクエストの意味がわかったんだ」


 私の言葉にアウラもチルも釈然としないようだ。私はそんな彼らに告げた。


「それはこの家に足りないものだよ。その穴を埋めるのは、チル、君自身にかかっているんだ」





 それから数時間後。もうすぐジヌが仕事から帰って来る頃だった。私たち三人は彼の帰りを玄関の前で待っていた。すると向こうの浮島から橋を渡って来るジヌの姿が見えた。


「チルくん、お父さん帰って来たよ」


「ううっ……、僕、怖いよ……」


「まだそんなこと言ってるの? ここでガツンと決めないでいつ決めるんだよ。君は今人生の岐路に立っているんだよ」


「わ、わかってるよ……」


 こっちに向かってくるジヌの動きが一瞬止まった。私たちが表で待っている事に気づいたようだ。その顔にはためらいの表情が滲んでいて足取りが重そうに見えた。


「お父さんも悩んでいたんだよ。チルくんといっしょなんだよ」


「そ、そうなの……」


「チルが手にしているそれを見せれば、君の想いはきっと伝わるはずだよ」


 のそのそとジヌが近づいてきたけど、チルとは距離を置いて立ち止まってしまった。すると申し訳なさそうにジヌは言葉を発した。


「チル、ワシはお前に謝らなあかん。ワシはチルに父親らしいことをしてこうへんかった。仕事ばかりで家のことはお母さんに任せっぱなし。お前といっしょに遊びに行ったことさえあれへんかったなあ。ほんま情けない親で本当に申しわけない……」


 そこに不動産王と呼ばれた男の姿はなかった。ただ許しを請う父親の姿だった。


「ほら、何してるの。今度は君がいく番だよ」


「ううっ……」


 戸惑うチルは一歩を踏み出せずにいた。


「こういう似なくてもいい不器用なところは親子なんだなあ。仕方がない、私が手伝ってあげるよ。ほいっ!」


「うわあっ!」


 私はスマートムービングを発動してチルを空中に持ち上げた。そしてジヌのもとへ運び、彼の前に立たせた。


「ほら、早く!」


「がんばれ!」


 私たちは後ろからチルに声をかけた。でもお互いよそよそしくて顔を合わせる事も出来ない有様だった。


 言葉もなくもどかしい時間が過ぎていったけど、先に動いたのはチルだった。彼は勇気を振り絞って手にしていた紙をジヌに渡した。


「ええんか……」


 チルはこくりと頷いた。ジヌは軽く折りたたまれていた紙をゆっくりと開いた。


「ああ……、ああああ……」


 ジヌが嗚咽を漏らした。その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「これは……、ワシが欲しかったもんや……。ずっと手に入れたかったもんや……」


 その紙には家族いっしょの肖像画が描かれていた。父と母と息子がひとつの紙に収まっていた。


「もしかして、これ、チルが描いたんか?」


「うん……」


「チルはこんなに絵が上手かったんか……。よう描けてる。立派な才能や……」


「お父さん、僕は……。僕は画家になりたいんだ。お父さんみたいに立派にはなれないけど、絵を描き続けたいんだ……」


 ジヌはそれを聞いてはっとした表情を見せた。


「そうか、そうやったんか。ワシがチルを追い詰めていたんやな。無理言うてすまんかった」


「じゃあ、画家になってもいいの?」


「もちろんや。こんな立派な絵を描けるんや。画家にならんでどないする。こうなったら父さんもチルを応援するで。チルが夢を叶えてくれることが父さんの夢や」


 ジヌは膝をつきチルを抱き寄せた。お互いわだかまりが解けたようだ。ふたりは笑顔を取り戻していた。


「ねえ、ニーナ。どうしてあの絵が鍵だと思ったの?」


「それはね、私たちがこの家に来た時、ジヌにロケットペンダントを見せてもらったでしょ」


「うん、そうだったね」


「私はその時に気づいたんだ。どうして別々のロケットペンダントをふたつ持ってたんだろうって。そしてそれが今の家族の状態を表している気がしたんだ。本当はひとつの肖像画の中に家族みんなで収まっていたいんじゃないかなって」


「なるほど」


 私の目の前にメインメニューのパネルが開いた。サブクエスト完了の通知だった。

空中からゴールドとジェム降ってきて私のリュックに吸い込まれた。


 そして光る鉱石が私の手元に降りてきた。その石はレンガ一つ分くらいの大きさで、ほんのりと淡い光をはなっていた。


「ニーナ、これでサブクエスト完了だね」


「そうだね。じゃあ、私たちはヴォルフのところに帰ろうか」


「うん」


 私たちは抱き合う親子を見届けてからオイデユスをあとにした。

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