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ひまわりと、海

ひまわりと、海5 祈り

作者: 小山らいか

 ――もう一度、あの海が見たいな。

 風花の協力を得て、僕はアヤカさんを誘った。風花の学校が冬休みに入ったら、一緒に島に帰りませんか。彼女はなかなか首を縦に振らなかった。僕は必死に食い下がった。

 社長さんの許可をもらえたから、帰ります――ようやく、彼女から連絡がきた。

 僕は一足先に島に帰り、小屋の掃除をした。風花の描いた絵は、まだそのまま壁に飾ってあった。ひまわりと、海。二人が到着すると、僕は夕食を作った。

「ここは、全然変わってない。何か、落ち着くね」

 アヤカさんはそう言って微笑んだ。心なしか、表情が明るい。「ハルくんの料理も、やっぱりおいしいね」風花も嬉しそうだ。きっと、母親の変化を感じ取っているんだろう。

 夕食の後は、花火をした。「夏じゃないから、ちょっと寒いね」パーカーを着た風花は、こぼれ落ちる光に目を輝かせている。アヤカさんの風花を見る目は、いつものように優しかった。「誘ってくれて、ありがとう」彼女は、あの頃のように笑ってみせた。

 長旅で疲れていた風花が寝てしまった後、僕たちは隣の部屋で並んでコーヒーを飲んでいた。あの激しい雨の夜を思い出す。

「あの、アヤカさん」僕は彼女の目を見た。「僕と、一緒に暮らしませんか」

 ずっと考えていた。あのとき言えなかった言葉。今なら言える。どんなことがあっても、僕は二人を支えていく。「幸せにする」とまでは言えないけれど、寄り添って歩いていく。

「……ハルくん」アヤカさんは優しいまなざしで僕を見た。

「あの夏、すごく幸せだった。私も風花も。また、あんなふうに一緒にすごせるなら……」 

 アヤカさんは目を伏せた。僕は彼女を強く抱きしめた。

「僕は、あなたを愛しています」

 あの雨の夜のように、僕は彼女を求めた。あの別れの日から、ずっと求めていた。彼女もそれにこたえるように、優しく僕の背中に手を回した。「私も、ハルくんを愛してる」

 自分のどこに、こんなにも激しい感情があったんだろう。深海魚のように海の底に潜み、外の世界を恐れていた自分の中の、我を忘れるほどの思い。止めることはできない。

 どのくらい時間が経っただろう。頰にひんやりした明け方の空気を感じて、目が覚めた。まだぼんやりとした頭で、部屋の中を見わたした。

 アヤカさんの姿がない。

 胸騒ぎがした。ソファの上には、昨日アヤカさんに貸した毛布が、きれいに折り畳まれている。慌てて、隣の部屋を見た。風花はまだ眠っていた。小屋の外を見わたしても、彼女の姿はない。もう一度部屋に戻ると、折り畳まれた毛布の上に、一枚の小さなメモがあることに気づいた。

 ――風花を、よろしくお願いします。

 少し離れた海岸線で彼女が発見されたのは、翌朝だった。


 こんなにも早く発見されたのは潮の流れがよかったからだと、彼女を発見した漁師は言った。「ふつうは、この時期に飛び込んだら、もう見つからないんだよ」

 きれいな顔をしていた。不安や、痛みから解放された優しい顔だった。

「ママはもう、悲しい顔はしなくていいんだよね」

 唇をかみしめて、風花は僕の腕をぎゅっとつかんだ。強い痛みを感じた。小さな体のどこに、そんな力があったんだろう。「そうだね。ママは、天国に行ったんだから」

 八年後――。

 今年の夏もまた、この南の島に帰ってきた。毎年、学校が夏休みになると家族そろってここで過ごすことにしている。僕は絵を描き、妻はテレワークをする。

「ハルくん、お腹空いた。ご飯まだ?」

 高校生になった風花が、縁側からこちらに向かって大きな声を出した。風花は今でも僕を「ハルくん」と呼び、妻のことは「なっちゃん」と呼んでいる。なつみはそんな彼女にさも当たり前のように「だって、風花のママはアヤカさんだけでしょう」と言う。そのせいで、小学生の舞花も姉の真似をして、両親を「ハルくん」「なっちゃん」と呼ぶ。

「高校生なんだから、無理して親についてこなくてもいいんだよ」

 なつみは風花にそう言った。女子高生は友達付き合いだってあるだろうし、部活だってある。こんな田舎の島では遊ぶところもないし、退屈だろう。でも、風花はやっぱりここに来たいと言った。「ママが待ってるから」

 今でも、答えは見つかっていない。あのとき、僕はぎりぎりのところに立っていた彼女の背中を押してしまったんだろうか。もし僕が誘わなければ、彼女は今も生きて、娘の成長を見ることができたんだろうか。何度問いかけても、答えは出ない。

 縁側から見える海は、南の海特有の、透き通るような淡い青。今年も、春に家族で植えたひまわりが、気持ちよさそうに風に揺れている。

 少しずつ暮れていく海。波間に揺れる赤い夕日が、ふと彼女の笑顔のように見えた。

 僕は、生きていく。ひまわりと、海と、彼女のくれた痛みを抱えながら。  


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