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第6話 練習航海・アジア編 — 揺れる海の先に

遅れましたすいません

昭和13年5月、海軍兵学校を卒業した慎也は、少尉候補生として「鹿島」に乗り込み、練習航海へと出発した。練習艦隊はまず東シナ海を抜け、台湾、香港、シンガポール、そしてインドネシアのスラバヤへと進んでいく。

船が基隆港に入る頃、慎也はデッキの上で潮風を感じながら、心の中に広がる奇妙な感慨を押さえきれずにいた。

(これが、“帝国”の外にある世界か……)

基隆では、現地の日本人居留民や台湾原住民たちとの交流会が催され、慎也は初めて「植民地」としての日本を目の当たりにした。歓迎の中に滲む違和感——笑顔の裏にある沈黙。それは、前世で教科書では知りえなかった“現場”の空気だった。

香港では、イギリス海軍の士官候補生たちと短い交流会が開かれた。

「君たちは実に規律正しいな。だが、それだけでは戦争には勝てない」

英国士官候補生の一言に、慎也の胸の奥がざらりとした痛みで満たされる。確かに帝国海軍は伝統と規律に満ちていたが、それは時に柔軟性を欠いていた——前世での敗北の記憶がその言葉に共鳴していた。

シンガポールでは熱帯の陽光と植民地支配の現実が慎也を打った。現地の市場に足を運んだとき、少年兵のように細い現地人が、英語で物乞いをしてきた。同行していた先任将校が無表情に手を振って追い払ったその姿に、慎也は胸の奥で何かが鈍く崩れ落ちる音を聞いた。

(「大東亜共栄圏」……あれは理想か、それとも欺瞞だったのか?)

彼の中で、国家というものの姿が、少しずつ現実を伴って変質していくのが分かった。

スラバヤではオランダ海軍との非公式な交流もあり、慎也は一人の若いオランダ人士官候補生と会話を交わした。

「君たちの船はとても清潔で整っている。だが、君はどう思う? 君の国がここにいる理由を」

慎也は言葉を失った。それは軍人としての忠誠心と、人間としての良心が交錯する瞬間だった。

帰路につく途中の南シナ海で、練習艦隊は突然のスコールに見舞われた。波が砕け、船体が大きく揺れた中、機関室で故障が発生し、見習士官たちは点検と修理に追われた。慎也も工具を手に、先任機関士の指示に従いながら汗と油にまみれて働いた。

「これが……現場の重みか」

書籍や訓練だけでは得られぬ、海軍将校としての“地に足のついた経験”——それが、海の中でようやく慎也の体と心に根を張り始めた瞬間だった。

艦上では夜な夜な、同じ候補生同士で議論が交わされた。日本の未来、帝国の拡張、そして戦争の是非——それらは少年ではなく、青年としての言葉で語られ、やがて彼らの信念となっていった。

慎也は、その夜、一人艦橋の上で星空を見上げながら、前世の死の瞬間を思い出していた。マリアナの空。機体が火を吹き、空中で弾け飛んだ記憶。そしてその死が、果たして意味のあるものだったのかという問い。

(今度こそ、意味ある生と死を選びたい)

そう、慎也は静かに決意を強めていった。

艦隊が日本へ戻る頃、彼はすでに“知識”だけではない“覚悟”を携えた将校の卵となっていた。


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