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第8話 雛の巣立ち


昭和十三年——第1号生徒つまり最上級生となった。相澤慎也は、入学以来、変わらぬ規律と精励を胸に、さらなる高みを目指していた。兵学校生活も折り返しを過ぎ、いよいよ実務的な訓練と専門性の深化が求められる時期に入った。彼の表情には、かつて尋常小学校に入学したあの少年の面影はほとんどなく、代わりに、練度の高い海軍士官としての自負と覚悟が滲んでいた。

 この年の夏、4年生の課程は一気に難度を増した。航海術、戦術、信号学、兵器学、天文学、海図の読解に至るまで、実践的な内容が増え、講義も演習も一層過酷なものとなった。特に慎也が意識を強く持ったのは、航空に関わる科目である。兵学校において航空科そのものは存在しなかったが、成績優秀者には卒業後、海軍航空隊へ進む道が開かれる。彼はその道を、前世の死を越えるための運命と定めていた。

 ある日、慎也は友人の葛城義人と、夜の演習からの帰りにふと口を開いた。

 「義人、お前は卒業後、どこへ行きたい?」

 「俺は艦隊勤務が本望だ。戦艦に乗って、堂々と敵艦を沈めたい。慎也、お前は……やっぱり空か?」

 「うん。空こそ、未来の戦場だ。敵の動きを上から見て、先に叩く。それが、これからの戦い方だと思う」

 義人は感心したようにうなずきながら、なおも問いかけた。

 「怖くはないのか? 空で死ぬってのは、落ちれば終わりだろ」

 「怖いよ。でも、それ以上に……守りたいものがある。自分の命よりも、大切なものが、な」

 慎也の目に宿る光を見て、義人はそれ以上何も言わなかった。ただ静かにうなずき、共に歩みを進めた。

 昭和十三年。四年生へと進級する年。慎也たち上級生には、下級生の指導という役目も課せられた。鬼のように厳しい上下関係の中、慎也は決して感情的に怒鳴りつけることはなかったが、誤りには徹底して向き合い、時に無言で圧をかけた。その姿は「静かなる鬼」とも称され、一目置かれる存在となった。

 一方で、彼は後輩たちの素質や心の動きにも敏感だった。ある日、訓練中に失敗ばかり繰り返す一年生の一人が、夜中に独り泣いているのを見かけた。

 「泣く暇があったら、何が足りないか考えろ。お前が落ちれば、仲間が死ぬ。それが現場だ」

 その言葉には優しさよりも、鋭い現実があった。しかしその後、その一年生が驚くほどの成長を見せたことから、慎也の言葉の重みが語り継がれるようになる。

 その年の冬、彼らは近海での実習航海に出た。艦上での勤務、上陸演習、対空訓練などが行われる中で、慎也は初めて艦載機の発艦と着艦を目の当たりにした。空母「蒼龍」から飛び立つ艦上機の姿に、彼は心を奪われる。

 (この目で見るのは初めてだ……だが、あの振動、あの風、知っている……俺は、あの中にいた)

 身体の奥底から、血が沸き立つような感覚が湧き上がった。あの機体に乗り込み、空を駆け抜ける日のために、自分はここにいるのだ。彼の決意は、さらに揺るぎないものとなった。

 昭和十四年。最終学年。卒業を目前に控え、将校としての資質が本格的に問われる時期となった。卒業論文、幹部講習、最終演習。そして、各人が進路希望を提出する時が来た。

 慎也は、希望進路にこう書いた——「航空隊勤務を希望す」

 その希望は、当然ながら成績上位でなければ認められない狭き門だった。しかし、慎也の成績は常に上位五番以内、体力・精神力・指導力、いずれにも欠けるものはなく、教官たちの間でも異口同音に「将来の海軍航空隊の柱」と評価されていた。

 そして迎えた卒業式。昭和十五年三月、海軍兵学校第六十期生として、相澤慎也は名簿の上位にその名を刻んだ。壇上にて、海軍大将から手渡された卒業証書を胸に、彼は天を仰いだ。

 (これが、始まりだ。次は、空だ)

 卒業と同時に彼は、少尉候補生として海軍航空隊予備教育部に配属される。いよいよ、空への扉が開かれたのである。

 この物語は、ここで終わらない。むしろ、始まりにすぎない。出雲の空を、世界の空を翔けるために——慎也は再び、大空に挑む。

 それは、決して一人の夢ではない。過去に失った仲間たちの思い、未来を守るすべての人々の祈りを背負っての、飛翔だった。


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