第21話「初の翼、遥か洋上へ——そして漢口へ」
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昭和十五年三月
霞ヶ浦航空隊。
春霞のかかる朝、滑走路に並ぶ九三式中間練習機。その銀色の胴体が陽を弾き、慎也の胸の奥を静かに熱くした。
「お前が飛ぶ番だ、相澤。今日は外洋へ出るぞ」
教官の一言に、慎也は無言で敬礼した。初の洋上飛行訓練。霞ヶ浦から銚子沖を経て太平洋上を旋回し、帰還する約三時間の飛行だった。
風が吹き抜ける。機体に這いつくばるように点検を終えると、慎也はコックピットに滑り込んだ。双翼機のプロペラが唸りを上げ、訓練生の鼓動と共鳴する。
(……これが、本当の空だ)
地上訓練とはまるで違う。離陸の瞬間、車輪が地を離れ、ふわりと浮かぶと、視界が一変した。霞ヶ浦の湖面が後方に遠ざかり、広がる空が、彼を包み込む。
機体が沖へ向けて進むにつれ、下にはただひたすらに広がる青。水平線さえ霞むほどの海原が、永遠に続いているかのようだった。
(もしエンジンが止まったら……着水しても、生きては帰れまい)
慎也は操縦桿を握る手に力をこめた。心臓が高鳴る。だがそれ以上に、胸の奥に沸き起こるのは、かつての記憶——前世で乗った零戦、洋上空戦、そして墜落の瞬間に見た海の色だった。
あのとき死を見た場所に、今また立ち向かっている。
「報われねばならぬ。今度こそ——」
慎也の眼差しは、空の彼方を見据えていた。
訓練飛行は成功裏に終わった。地上に戻った瞬間、教官の口元がわずかに緩む。
「まあまあだな。相澤、来週には中国戦線への配属が決まるぞ。覚悟しておけ」
地上の感触を取り戻す間もなく、運命は次の段階へと彼を押し出していく。
■同年三月下旬 中華民国・漢口飛行場
黄河に近い大都市・武漢の一角。蒸し暑い空気と赤茶けた大地。そこで慎也は、九六式艦戦を配備する航空隊に実戦要員として加わることになった。
「貴様、霞ヶ浦上がりだそうだな。空戦は初めてか?」
迎えてくれたのは、階級章こそ中尉だが、顔に深い疲労の刻まれたベテラン士官だった。
「相澤慎也、少尉候補生です。よろしくお願いいたします!」
「……やる気だけはあるようだな」
彼は苦笑して帽子を被り直すと、すぐに格納庫の奥を指さした。
「すぐに慣れろ。ここでは昨日いた者が、今日いない。戦争はそういうもんだ」
その言葉の重さが、地面よりもずしりと慎也の肩にのしかかる。
初任務は索敵飛行だった。敵航空機の有無を確認し、敵地の拠点を偵察する。高度三千米、燃料制限あり、無線通信は雑音混じり——油断一つで命を落とす。
「慎也、緊張してる?」
同じく新任の少尉候補生・井坂が隣で苦笑する。
「してないと言ったら嘘になる。でも、飛べることが……嬉しい」
「前向きだなあ。俺はもう腹が冷えてる」
初の実戦飛行——九六式艦戦のエンジン音が轟き、二機の機体が赤土の滑走路を駆け抜ける。
青空は容赦なく輝き、下には戦場が広がる。
慎也の目は、その空のすべてを焼き付けるかのように真っ直ぐ前を見ていた。
(あの日と同じ……いや、違う。今度は死にに来たんじゃない。守るために、飛ぶんだ)
漢口の空は、これから彼に、仲間との絆、命の重み、そして真の戦争を教えることになる
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