第20話 飛翔の門出 ― 航空隊本隊へ
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霞ヶ浦の空は、夏の終わりの光を淡く反射していた。騒がしかった滑走路も、今日ばかりは静寂に包まれている。
慎也は、格納庫の隅で整備兵たちが九六式艦戦のエンジンを点検しているのを見つめながら、ふと背筋を正した。霞ヶ浦航空隊に入ってからの数ヶ月は、まさに青春を削るような日々だった。講義、実技、空戦模擬演習、同期との切磋琢磨、そして己との葛藤。
それらすべてが、今日の「修了認定式」を迎えるための試練だった。
「候補生 相澤慎也、第十九期飛行訓練課程を修了。これを以て帝国海軍航空隊の一員と認める」
教官の厳かな声と共に、慎也は名簿から一人、独立した存在として読み上げられた。徽章を胸に付けたとき、背筋がぞくりと震えた。誇らしさと、同時に背負う責任の重さ。軍人として、航空兵として、これからは実戦の最前線に立つ者として見られる。
式が終わると、仲間たちは思い思いの場所に散っていった。笑いながら肩を叩く者、涙ぐむ者、静かに拳を握る者。誰もがこの訓練所での日々を胸に刻んでいた。
「なあ、慎也。お前、どこに配属されるんだ?」
そう声をかけてきたのは、訓練中に何度もペアを組んだ安西だった。快活な笑みはいつもの通りだが、どこか寂しげな色も滲んでいた。
「……漢口って通達が来た。支那戦線に配属予定らしい」
「そうか。おれは第二艦隊所属の内地防空部隊だ。しばらくは別々だな」
がっしりと手を取り合った。言葉は少なくても、心の奥で理解し合っていた。次に会うのが演習か、あるいは本土決戦か、それは誰にも分からなかった。
午後、霞ヶ浦航空隊の指導教官・秋山大尉が訓示のため講堂に立った。
「貴様らはもう訓練生ではない。帝国海軍航空隊の戦力である。空を飛ぶことは特権ではない。命を懸けて守る者として、空を使いこなす者であれ」
静まり返る教場に、秋山の言葉が凛として響いた。
「これより各員は所属部隊へ出立となる。戦場は遠くない。訓練所では味わえなかった現実がそこにはある。だが忘れるな。仲間は背後にいる。独りではない」
慎也は背筋を伸ばし、敬礼を返した。
その日の夕刻、荷物をまとめて隊舎を出る。視線の先にあるのは、滑走路と九六式艦戦――自分を空へ運んでくれる翼だった。
「相澤、最後に一緒に飛んでおくか?」
背後から聞こえた声に振り返ると、秋山大尉が自らの飛行服を着ながら、もう一組の装備を手にしていた。
「……はい、是非お願いします」
こうして二人は九六式艦戦に乗り込み、霞ヶ浦の空へと舞い上がった。薄紅色に染まる空の中、教官機と慎也の機体は、まるで舞うように編隊を組んで飛び交った。
空戦のように追尾し、回避し、急上昇と急降下を繰り返す。その技量はすでに教官にも引けを取らないほどに高められていた。
「悪くない飛びだ、慎也」
無線から聞こえたその声に、慎也はほんの少しだけ、緊張を緩めて微笑んだ。
「……ありがとうございました、大尉」
訓練所に戻ると、もう送迎車が滑走路脇で待っていた。機体から降りた慎也は、再び教官に敬礼する。
「お前なら、生き残れるかもしれんな」
その一言に、慎也は息を飲んだ。
「だが、慢心するな。空は、常に死と隣り合わせだ」
「肝に銘じます」
そうして彼は荷物を車に積み、後部座席に腰を下ろす。
霞ヶ浦の風が窓から入り、訓練所の建物が少しずつ遠ざかっていく。仲間たちとの日々、苦しかった訓練、教官たちの言葉――すべてが、彼の背中を支える記憶となった。
――次は、実戦の空だ。
そう心に言い聞かせたとき、慎也は静かに目を閉じた。
空へ飛ぶ意味。その答えは、これからの空に見つけるしかない。
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