第2話 決意の朝焼け
第2話です
記憶を取り戻してから数日経ち、再び相澤慎也としての生活が始まった。家は海軍軍人の家系で、両親と妹がいた。父は厳格な人物だが誠実で、母は温和で働き者。妹は年が離れており、まだ赤子だ。
大正6年(1917年)瀬戸内海を望む軍港都市、呉に慎也は生を受けた。そこは、鋼鉄の獣たち——すなわち艦艇がひしめく港と、軍人たちの威風堂々たる姿が日常風景の一部であった。街を歩けば、士官の白い制服が視界を横切り、子供たちは艦隊の動きを語り合って育つ。そんな環境の中で、慎也は育ったのだ。
幼い体ではあるが、彼の中には熟練のパイロットとしての記憶と精神が宿っている。目の前の風景、時代の空気、家の作りや人々の言葉——それらから、恐らく大正11~12年頃の時代だと判断できた。
彼は密かに、成長とともにこの時代のあらゆる情報を吸収し、将来を見据えて行動を開始した。新聞に目を通し、学校では歴史と地理に力を入れ、近所の神社では体術を学び、早朝には田畑で身体を鍛える。
再び大空へ飛び立つその日までに、自らを鍛え直す。
——次は、もっと多くを守るために。
そしてある日のこと、近所の旧軍人だった老人が、竹とんぼを飛ばして遊ぶタケルを見てこう言った。
「お前のその目つき……何か、空を見据えているようだな」
慎也は静かに微笑んだ。
「ええ、俺は……空を知っていますから」
少年の中に宿る、大空を駆けた記憶。 それは、これから始まる新たな運命への第一歩に過ぎなかった——。
◇ ◇ ◇ 転生してから一年が経った。 大正13年、相澤慎也は六歳になっていた。 まだ乳歯が残るその口元に、不釣り合いなほど冷静な表情を浮かべるときがある。戦争の記憶を引きずる少年は、早くも世の中の仕組みと空気を理解しようとしていた。
父・相澤義隆は帝国海軍の軍人で、階級は大佐。現在は横須賀鎮守府の航空戦備部に所属し、航空母艦の運用と航空隊の再編を任されている。海軍航空隊の黎明期からの関係者であり、その影響もあって慎也の家には航空関係の資料や模型が所狭しと並んでいた。
慎也は、それらを眺めながら、静かに知識を取り戻していく。 ——いや、取り戻すというよりも「再構築」と言った方が正確だ。 前世の記憶と今の情報が交差し、彼の中に「未来を知る少年」という危うい存在が生まれつつあった。
(俺が知っている未来……それは、やがてこの国が焼け野原になる未来だ) そして、その中心にあるのが航空戦力の衰退と技術的限界だった。 (零戦が無敵だった時代は、もうすぐ終わる) それを知っているのに、何もできない歯がゆさ。
慎也は決意していた。 ——もう一度、飛ぶのだ。だが、ただのパイロットではなく、航空の未来を変える者として。
そんな彼を、周囲はただの「利発な少年」と見ていた。 ときおり難しい本を読んでいたり、軍港の艦船を見ては黙考にふけったりするが、それも軍人の息子ならではだろうと周囲は納得していた。
「おい慎也、艦載機ってさ、どれが一番強いと思う?」 ある日、近所の子供にそう尋ねられたとき、慎也は少しだけ考えて、こう答えた。 「強いだけじゃだめだよ。帰ってこれなきゃ、意味がない」 その言葉に、他の子供たちは「なんだそれ」と笑ったが、慎也は微笑んだままだった。 ——自分が、かつて空から帰れなかった者だから。
夜、父が帰宅すると、慎也は玄関で正座して出迎えた。 「父上、お願いがあります」 「……どうした、急に改まって」 「私を、海軍に入れてください」 義隆は苦笑した。 「お前はまだ小学生にもなっておらんぞ」 「でも、私は……絶対に、空を守る人間になります」
その瞳の真剣さに、義隆はふと息を呑んだ。 まだ幼いはずの息子が、まるで戦地帰りの兵士のような目をしていたからだ。
慎也は知っていた。 未来を変えるには、早く動かなければならない。知識も、立場も、覚悟も。 そのためには、この時代で「最も空に近い場所」に行くしかなかった。
——海軍兵学校。そこが、最初の目標だった。
夜、天窓の外に星が瞬いていた。 慎也はそのひとつひとつに、仲間たちの顔を重ねながら、そっと呟いた。 「もう一度、この空を……正しい未来に導いてみせる」
六歳の少年が、静かに空を見上げる。 その瞳に宿るのは、絶望から生まれた希望と、未来への覚悟だった。
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