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短編小説

私の知らない景色

作者: 雨宮雨霧

春。桜の散るその日、一人教室に残ったあなたを見つけた。窓側の席に座っている彼女は長い髪を風になびかせ本を読んでいた。

「ねぇ、なにを読んでいるの?」

「…あなたには関係ないでしょう。」

睨みつけるような鋭い目がこちらを向いた。少しビクッと身体が震えたが、その目の奥は優しいものに見えた。きっとあなたは優しい人。きっとあなたは誰よりも美しい言葉を持っている。そう思うと彼女から目を離すことができなくなった。背筋をきちんと伸ばし本を読む眼差しが美しい。夕日の光が本に差し込んだ時、あなたは席を立って帰って行った。きっと彼女は私の知らない景色を教えてくれる、そう思った。

私は彼女に声をかけた日から教室に行けていない。元々身体が弱かったのだけど最近また体調を崩しやすくなってしまった。教室に行きたいのに保健室ばかりに居る。授業受けたいのにな。

「夏井さん居る?」

カーテン越しに聞こえる声。あの長い髪の子のものだとすぐに気付いた。彼女の影がゆらゆら揺れて見える。

「入っていいよ、おいで。」

声をかけないとずっとカーテンの前に立っていそうだった。話したこともない、教室にも来ない私の元に行かされるのも不安だっただろうな。

「えっと、ノートまとめておいたので…」

「え、ありがとう。助かる。」

わざわざノートを持ってきてくれたらしい。誰に頼まれたわけでもなさそうだ。いい子なんだなと思いながらノートを開く。綺麗な文字が並んでいて図も分かりやすく書かれている。私とは大違いだ。

「教室、来ないの?」

「行きたいんだけどね。体調がどうしても良くならなくて。」

あの鋭い目は今はない。真っすぐで意志のある目。真面目なんだろうな、この子。わざわざ保健室まで来てくれるくらいなんだから。

「…夕方また居るから。」

彼女はそう言って立ち去った。開かれたままのカーテンから見える後ろ姿はあっという間に見えなくなった。あの子の名前、聞いてないな。なんていう名前だろう?考えても分かるはずないけど。昼休みが終わるチャイムが鳴り、綺麗なノートを見ながら自分のノートに授業内容を書き写していく。先生が言ったことはちゃんと書き記しているようだ。すごいな、私にはできない。

「夏井さん、体調はどう?」

「さっきよりはマシに…」

保健室の先生が戻ってきた。さっきまで何とか保てていた姿勢が取れなくなってベッドから転げ落ちた。マシになったと言えば教室に行けるかと思ったのだけど。これでは行けそうにない。

「マシじゃなさそうね。」

先生に抱き上げられてベッドに戻される。教室行きたいのに。普通に授業を受けたいだけなのになんでこんな身体なんだろう。

「あら、誰か来てたの?綺麗にまとめられてる。」

「同じクラスの子が来てくれました。名前分からないけど…」

「書いてあるよ、ここに。」

真面目な彼女のノートなのだから名前が書かれていないはずもなかった。なんで気付かなかったんだろう、いくら学校に行けてないからといって流石に頭が悪い。

「白井雪さん、そっか。綺麗な名前だなぁ。」

「勉強もしたほうがいいけど安静にしてること。分かった?」

私以外に来ている生徒が居ないからと先生が仕切りのカーテンを開けてくれた。窓から見える体育の授業。私もやりたいな、いいな。周りの子たちは私のことを休めて羨ましい、とか言うけど私も周りの子たちが羨ましい。どうにもならないこともある、どうにもできないこともある。分かっているけど私も普通に、みんなと同じように過ごしたい。

ノートを書き写していると段々息ができなくなっていった。息の仕方が分からない。すぐに先生が飛んできて呼吸を整えてくれた。一人で息ができなくなるとそのまま酸欠になるから先生が居てくれてよかった。居ないときになったらどうなることやら。あっという間に6時間目が終わって部活の時間になってしまった。また今日も行けなかったな。

「じゃあまた明日。」

「明日こそ教室行きたいです。」

「それはあなた次第だ。」

保健室を出て教室に向かう。いつもなら帰ってまたベッド生活だけど今日は雪ちゃんが居るから。階段が長くてすぐに息が上がってしまう。休みながら登ると時間がかかるし、雪ちゃんを待たせるのも悪いし早く行かないと。

「夏井さん。」

階段の上から声が降ってきた。見上げると雪ちゃんが立っていた。待ちくたびれるくらい遅かったかな、と思いながら階段を登る。息が続かない、クラクラしてきた。

「ちょっと危ない、あなた落ちるわよ。おいで、背負ってあげる。」

手首を掴まれて階段から落ちずに済んだ。そして救世主におんぶされてしまった。ちょっと重いのでは…流石に気が引ける…

「重いでしょ、降りるよ。」

「人より小さくて人より軽い。そして細すぎる。夏井さんってお人形みたいね。」

なんと言ったらいいのか分からない。褒められていないことは確かだ。

「ほら、座りなさい。あなたの席私の隣だから。」

2人だけの教室に響き渡る青春の声。吹奏楽の音色、運動部のかけ声。どれも私には届かない世界。なんで彼女は教室に連れてきてくれたんだろう。私を背負ってまで。

「さて、前はごめんなさい。誰も居ないと思っていたからびっくりしちゃって。」

「私もごめんね。急に話しかけちゃって。全然学校来れていないし。」

椅子を向け合って視線を合わせて。なんだか恥ずかしいな、こうやって人と話したことがないから。それも同級生と、同じクラスの子と。

「まずは自己紹介ね。あなた居なかったから聞いてないでしょう?私は白井雪。本当にあの、人と話すのが苦手だからいつも前みたいな感じになっちゃって…でもあなたとなら話せる、気がする。」

私となら話せるってなんかすごくない?なんか運命みたいだね。長い髪が本当に綺麗。どうやったらこんなストレートになるんだろう、見惚れるくらい綺麗だ。

「私は夏井鈴。ずっと身体弱くて学校に行っても保健室ばかりなの、本当は行きたいんだけど。よろしくね、雪ちゃん。」

「…ちゃん付けなんて初めて。よろしく、鈴。」

手を取り合った夕暮れ。初めての友達が雪ちゃんでよかった。こんなに綺麗な、美しい子と友達になれるだなんて夢のようだ。

「ねぇ、鈴はいつも車椅子よね?階段で来なくてもエレベーター使ったらいいのに。」

「たまには歩かないと体力落ちちゃうから。」

笑って誤魔化す。私も普通に階段を登って教室に行きたいし普通に授業を受けたい。でも私には無理らしい。雪ちゃんに見つけてもらえなかったら、運んでもらえなかったら教室には辿り着けなかっただろう。

「そろそろ帰ろうか、私もエレベーター乗るよ。行こ。」

手を差し出してくれる彼女の優しさを手を重ねて返した。夕焼けの色に染まった廊下を歩きながら彼女は口を開く。

「鈴、一緒に来てほしいところがあるの。」

「うん、行くよ。雪ちゃんと行けるならどこでも。」

雪ちゃんに手を引かれながら校内の隅にある人気のない場所へ行く。そこには綺麗なバラの花がたくさん咲いていた。雪ちゃんによく似合う場所だ。

「ここ、綺麗でしょう?」

「とても綺麗。でもなんでここを見つけられたの?」

「…迷子になって見つけたの。」

話を聞くと入学式が終わったあとに校内で迷子になって彷徨っていたら見つけたらしい。雪ちゃんも迷子なんかなるんだな、かわいい。バラの香りに包まれるととても落ち着いてふわっと飛べるような気がした。

「あっ、鈴ごめんね、歩かせちゃったから…」

ふわっと飛べるような気がしたのは香りじゃなくて体調の問題だったらしい。雪ちゃんに支えてもらって姿勢を保つ。危うくバラに突っ込むところだった、トゲが刺さったら痛いだろうな。

「雪ちゃんに連れてきてもらえなかったらこんなに素敵な場所知らないままだったよ、ありがとう。」

「私こそありがとうだよ。また見に来ようね。」

今日はとても楽しかった。雪ちゃんと話せて、友達になれて。やっぱりあなたはきっと私の知らない景色をたくさん知っている。そしてきっと教えてくれる。明日こそ教室に行こう、そう思いながら目を閉じた。明日もいい日になりますように。

「鈴、居る?」

「雪ちゃんだ〜」

結局保健室に居る私。そんな私のもとに来てくれる彼女。女神様かと思うくらいに優しい。今日もノートを持ってきてくれたらしい。なにも返せないのにここまでしてもらっていいのだろうか。流石にだめだよね、だってもうこの生活を1ヶ月もしているのだから。雪ちゃんは私がしたくてしていると言ってくれているがそうもいかない。彼女にもやるべきことがあるだろうし。私ももうこの生活を送れないかもしれないし。

「雪ちゃん、いつもありがとう。」

「いいの、私がしたいから。今日も時間ある?あったら行きたいところがあるんだけど。」

「大丈夫だよ、どこでも行く。」

放課後、あのバラが咲いていた場所で合流して外に遊びに行くことになった。ちゃんと伝えないといけない。ちゃんと、ちゃんと。彼女にはたくさんの景色を見せてもらったからこのまま離れるのは心苦しい。でも仕方がない。

「わー、綺麗。」

「でしょう?鈴ならきっと喜んでくれると思った。」

今日の景色は海。毎日色々な景色を見せてくれる彼女には感謝だ。昨日は藤の花だったっけ、綺麗だったな。早く彼女に言わないといけない。でも言えるわけがない。明日も彼女の景色を見ていたいから。願いが叶うなら、望みが届くなら。いつまでも彼女の見る景色を見ていたい。

「鈴?」

「雪ちゃん、ありがとう。」

そう言うと彼女は笑って「こちらこそ」と言った。ずっとこのままで居てね、大好きなあなたで居てね。太陽の光が当たる海はきらきらと宝石のように輝いていた。彼女の目も輝いていた。海よりも綺麗で美しいものだった。それが最後の思い出だ。別れ際、私は彼女にロケットペンダントを手渡した。私からあげられる最後の品だ。あなたと過ごせて幸せだったよ。ありがとう。

「先生、鈴は。」

「あの子はしばらくお休みすることになったの、でも大丈夫。すぐに来るから。」

保健室の先生には彼女に事実を言ってはならない、と伝えていた。それをちゃんと守ってくれるとは思っていなかったが実行してくれているのを見て一安心。でももう来てるんだけどな、ここに居るんだけどな。雪ちゃん、あのバラの咲いていた場所にまた来てよ。きっとあなたが喜んでくれるものを用意してあるから。ありがとう、綺麗な景色を見せてくれて。次は私があなたに綺麗な景色を見せてあげるからね。

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