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36話

 入山口と思われる道は、車一台通るのがやっと、というような細い砂利道だった。

 緩やかに右へカーブしながら上り坂になっているその道は、木々に囲まれていて、昼間だというのに薄暗く、先が見通せない。まるで来る者を拒絶するかのような薄気味悪さが漂っていた。


 電柱は一本もなく、脱輪を防ぐような路肩のコンクリートもなければ、ガードレールもない。明らかに長い間、人の手が入っていないようだった。そんな道を5分ほど走ったところに、赤い車が停まっているのが見えた。


「あれは…」


 おそらく沖山のものだろう。郷土資料博物館の駐車場に停まっているのを見た記憶がある。森繁は少し離れた位置で車を停めると、なるべく静かにドアを閉めた。忍び足で赤い車に近づいてみる。車内に人影はない。


「この先は、徒歩ってことか」


 道はよりいっそう狭くなり、木の根やツタが好き勝手に伸びている。車で進むのは、無理がありそうだった。

 森繁はいったん車まで戻ると、助手席のPCをリュックに放り込んで肩に掛けた。そのときだった。


「やめてっ、離して!」


 雑木林に志緒理の声が響いた。トンネルの奥から反響してくるようなくぐもった声だったが、確かに志緒理だった。


「こんなところ行くなんて無理よ! 一人で行けばいいじゃない!」


 すぐさま森繁が声の位置を特定しようと周囲を見渡す。しかし声は上の方から聞こえてくるのがわかるばかりで、方向は定まらない。


「うるさいっ。突き落としてもいいんだぞ! つべこべ言わずに進め!」


 沖山の声も聞こえてくる。


「ちょっと、やめてってば! 押さないで! きゃあ!」


 志緒理の悲鳴を最後に、二人の声は聞こえなくなった。


「志緒理くん! どこだい! 志緒理くん!」


 森繁がありったけの声で叫んだ。しかし声は木々の葉音に溶け込むばかりで、志緒理からの返事はない。

 近づいていることは間違いない。なのに、突然聞こえたり、聞こえなくなったりするのはどういうわけだろう。


「おーい、志緒理くん! どこだーい!」


 森繁は駆け足で山道を登り始めた。返事は期待していなかった。沖山に脅されて声を出せない可能性もあるからだ。けれどこちらからの声が聞こえていれば、少しは勇気づけられるはず。そう考えて、森繁は声を出し続けた。


「志緒理くん! ぼくだよ! いまに助けるからね!」


 すると50メートルほど登ったところで、再び声が聞こえた。


「…んせい! 先生……」


 やはり反響はしていたが、声の聞こえ方はさきほどよりもずっと明瞭だった。近くに、いる。


「志緒理くん! どこだい! 志緒理くん!」


 森繁は急いで周囲を見渡した。


「先生! ここです! 先生…!」


 さらに近くに聞こえる。森繁が目を皿のようにしてあたりを見回す。しかし志緒理の姿はまったく見えない。


「なにか合図をして! まったくわからない!」

「だから、ここです!」


 突然、土の中から森繁に向かってヌッと細い腕が伸びた。


「おわっ」


 森繁が驚いて尻餅をつく。


「な、なんだぁ!?」

「わたしです! ここにいるんです!」


 腕がスッと地面の中に戻っていく。森繁が這うようにして腕の出てきたあたりに近づくと、シダの葉に隠れて、人の頭部ほどの穴が空いているのがわかった。


「こ、これは…穴? 地下トンネルか! 入口はどこだい?!」


 穴の向こうに、志緒理が顔を覗かせる。


「そんなこといいから! 先生、引っ張って! あいつが来る!」

「よ、よし、わかった!」


 森繁が腕まくりをして穴の中に手を突っ込もうとした、そのときだった。


「どこへ行こうと言うんだい」


 という声とともに、オレンジ色の灯りが穴の中に見えた。


「きゃあ! 見つかった!」

「志緒理くん、早く手を!」


 森繁が急いで穴の中に手を差し込む。しかしその手に焼けるような痛みが走った。


「うお、あっつ!」


 反射的に森繁が手を引っ込める。その直後、穴の中からヌッと松明が突き出てきた。森繁が再び尻餅をつく形で穴から離れる。すると穴の中から沖山が顔を覗かせて言った。


「誰かと思えば森繁先生ですか。困るなぁ、邪魔をされたら」

「志緒理くんを離してください!」

「ははは。ま、そうはいきませんでね。ほら、こっちに来るんだ」

「先生…!」


 二人の声が遠ざかっていく。


「志緒理くん!」


 森繁は穴に飛びつくと、顔を突っ込んだ。中は真っ暗で、二人がどっちに向かったかもわからない。


「くそっ」


 森繁は顔を上げて立ち上がると、思いきり穴の周囲を蹴飛ばした。

 すると、ボコッと土が抜けて、穴が広がった。


「ん? これってもしかして」


 ──このまま穴を広げたら中に入れるんじゃ…?


 やってみる価値はある。

 森繁は「よし」と気合いを入れると、繰り返し繰り返し穴の周囲を蹴り続けた。そのたびに土が穴の中に落ちていく。5分ほどもそうしていると、人の頭部ほどの大きさだった穴は、肩幅くらいの広さになっていた。


 ──これなら、入れる!


 森繁はリュックを穴の中に放り込むと、足から中に滑り込んだ。立ち上がってみると、意外に天井が高く、大人の男でも立って歩くことができそうだった。手探りでスマホを取り出して、フラッシュライトをオンにする。


「なんなんだ、この穴は」


 改めて周囲を見回すと、ほとんどは土壁で、ところどころ木材で支えられている。いつの時代に掘られたかはわからないが、かなり古い作りのようだった。


「…かなり興味を引かれるが…調査は後回しだな」


 誰に言うでもなくそうつぶやくと、森繁はLEDの青白い光を穴の奥へと向けた。三つ叉の分岐が見える。迷路のようになっているのだろうが、足跡が2つ、右の分岐へ向かっているのがはっきりと見て取れた。


「しめた」


 これをたどっていけば、二人のあとをつけるのは簡単だ。森繁はリュックを背負い直すと、物音を立てないように注意深く奥へと向かった。


 同じ頃、志緒理は目隠しをされた状態で、沖山に手を引かれていた。


「…しかし、油断も隙もあったもんじゃないな」


 くっくっく、と沖山が笑う。


「あの男をここまで導いたのも、君なんだろう? おそれいったよ、まったく」

「そう。だから、もうおしまいなんですよ、あなたは」


 志緒理が凜とした声で言った。


「この場所がわかってしまえば、警察に通報するなり、誰かを呼んで来るなりできるんですから」

「それは困ったねぇ」


 沖山はまったく困っていないという様子で言った。


「…ずいぶん余裕があるんですね」

「ははは。そりゃあ、ね。だって、この山にこんなトンネルがあるなんて、誰も知らないんだから」

「え?」

「…おっと、ここ下り坂になるよ。気をつけて」


 沖山が志緒理の背中に手を回してささやいた。


「この山は昔から神域でね。めったに人なんか入ってこなかった。と言うより、入ることを禁じられていた。入るとたたられるなんて言われてねぇ」

「…言っている意味がわかりません。入ることを禁じられていたのに、誰が穴を掘ったんですか?」


 志緒理がそう言うと、沖山は満足そうに「うん、うん」とうなずいた。


「もっともな質問だね。でもね、物事には表と裏があるんだ」

「裏? あなたが善良な博物館館長のふりをして、裏ではあこぎなビジネスをしていることとか?」

「突っかかるねぇ。まあ、でも否定はしませんよ。とにかく、今よりずっと昔…この山を立ち入り禁止にしておいて、人知れずトンネルを掘った人がいたってことだよ。…どうしてか気になるかい?」

「…まあ」

「古今東西、入ってはいけないと言われている山や、神域と言われる山には、金鉱があるんだよ」

「金?」

「そう。この山も例外じゃない。神が止まる山と書いて、神止山かんどやま。ピンときてね。この山の資料を片っ端から集めた。最初は山全体を調査して、残された鉱脈でも探すつもりだったんだ。でも、江戸時代中期の資料に、奇妙な記述があってね。この山の隧道──ああ、トンネルのことね。つまりこの穴の奥に、女陰陽師がなにかを埋めたというんだ。気になるだろ? それで調べていくうちに、ヒイミさまにたどりついた。何カ所か掘り返してみたが、なにしろ広いからね。見当もつかなかった。それが…いよいよ…。君たちのおかげだよ…。ふふふ。さあ、ここだ!」


 嬉しそうにそう言うと、沖山は志緒理の目隠しを外した。

 20畳ほどの空間だった。

 入ってきた道以外に通路はなく、完全に行き止まりのようだ。


「さあ、一番奥に立つんだ」


 沖山が志緒理の肩を押し、強い口調で言った。


「断ったら?」


 志緒理が沖山を振り返って尋ねる。

 すると沖山は、ナイフを志緒理の首元にグッと押し当てた。


「怪我、したいの?」

「…それは、困ります」


 志緒理がしぶしぶ奥の壁に向かうのを見届けると、沖山は方位磁石を取り出した。


「ここはすでに調査済みのつもりだった…。木手良がこんな仕掛けをしていたとは考えもしなかったよ…。おい。壁に背中をつけてこっちを見るんだ」


 志緒理が沖山に言われるまま、壁に背中をつける。

「よし。そこから動くんじゃないぞ」

 沖山がナイフを右手に、方位磁石を左手に持ちつつ、部屋の中央へと歩いていく。

「中央がここだから…申の方角がこっちで…辰がこっち」

 言いながら、足で土に印を付けていく。

「よし。じゃあこっちへ来い」


 沖山は方位磁石をポケットにしまうと、ナイフで志緒理を手招いた。


「な、なにをする気?」

「くくく。好奇心が強いのはあの先生譲りかな。…まあ、いい。特別に教えてあげよう。《魔術記》にはこう書いてあった。この部屋の真ん中から申と辰の方角にそれぞれ3歩。その下にスイッチがあるってね」

「スイッチ? 申と辰の方角に…?」


 そこまで言うと、志緒理は目を見開いて沖山を見た。


「だから、わたしを連れてきたのね」

「そう。スイッチは2つ。それを同時に押す必要があるんだとさ。なかなか面倒な仕掛けを考えてくれるよ。でもわかっただろ。君の協力が必要なのさ」


 言いながら、沖山が志緒理に近づいてくる。


「だから…さっさとそこに立って、スイッチを探せ!」

「いやよ! それをしたら、あなたが円筒鏡を手に入れちゃう」

「いまさらなにを言っているんだ!」


 沖山は憤怒の表情で志緒理の髪をつかむと、ぐいっと引き上げて顎にナイフを当てた。じんわりと血の筋が浮かび上がり、喉を伝って鎖骨の方へ流れていく。志緒理は思わず顔をしかめて「うう」と呻いた。


「優しくしてればつけあがりやがって。言うことを聞きたくなるまで痛めつけてもいいんだぞ!」

「わ、わかりました…」

「本当にわかったのか? ここには誰も来ないんだ。おまえの頼りの先生だって、この部屋まで来るにはまだまだ時間がかかる。たどり着ける保証もない。わかるか? 私に絶対服従しなければ、おまえはこの部屋で人知れずひからびて虫に食われる運命になる。そんな終わり方はいやだろう?」


 沖山は荒々しく髪を離すと、志緒理に向かってナイフを振った。


「さあ。早く。スイッチを探せ」


 志緒理がよろよろと辰の方角へ歩み寄る。


「そこから3歩。そう。そこを掘れ」


 沖山は荒々しく指示すると、自分は申の方角に3歩進んでしゃがみ込んだ。そして指で土を掘り返していく。すると、すぐに出っ張りのようなものを見つけたらしく、飛び上がって喜んだ。


「…あった。あった! これか。これが…! おい、そっちはどうだ」


 沖山が志緒理を見て叫ぶ。


「これ、ですかね…」


 志緒理が手についた土を払いながら足で地面を指し示した。沖山は満足そうにうなずくと「合図をしたら、同時にそこに乗るんだぞ、いいな」と興奮した様子で言った。


 ──この仕掛けが動いたら。


 不意に、志緒理の胸中に不安がよぎった。

 この仕掛けが動いたら、円筒鏡は沖山のものになる。そうしたら、もうヒイミさまの呪いを解くことはできない…。多くの人が死ぬのだ。止めるならいましかない。わたしがスイッチを押さなければ、やつは円筒鏡を手に入れられない。でも…。このスイッチを押さなかったら、わたしが殺される。


「いくぞ、3!」


 沖山のカウントが飛んでくる。

 ああ、押さなければ。押さなければ本当に殺されてしまう。

 でもそしたら呪いが…!


「2!」


 やっぱりいや。死にたくない。こんな形で死ぬなんてあり得ない。


「1!」


 ここは押すべきよ。

 沖山が円筒鏡を手に入れたあとのことは、いま考えても仕方ない。

 ──本当にそれでいいの?


「押せ!」


 ──ええい!志緒理は強く目をつむって、震える足でスイッチを踏みつけた。その瞬間、部屋の奥の方でカチリ、と音がした。


 そして──


 ──ボコンッ


 大きな音とともに、部屋の右奥の土壁が落ち、横穴が空いた。


「おお…おお…」


 沖山が興奮しながら穴に近づいていく。志緒理もよろよろと立ち上がると、穴に歩み寄った。いまなら逃げることもできそうだったが、スイッチを押した者として、最後まで見届ける責任があるように思えたのだ。


「おお…隠し部屋か」


 沖山が穴の中に松明をかざして唸った。

 志緒理が沖山の後ろから覗き込むと、穴の向こうは6畳ほどの小部屋になっていた。密閉されていた空間とは思えないほどの清らかな空気に満ちていて、四隅には、西洋のものと思われる古びた甲冑の騎士の置物が仰々しく剣を構えている。その剣の先…小部屋の中央に丸い台座があった。台座の上には黒い筒。


「あれだ…あれが円筒鏡だ…」


 沖山は、松明を土の上に放ると、なにかに取り憑かれたかのように、ふらふらと台座に近づいた。


「ついに…ついにヒイミの本体が手に入るんだ…!」


 うはは、うははと気味の悪い笑い声を上げながら、沖山が両手を筒に伸ばしていく。そしてついに円筒鏡を手に取った、その瞬間。

 四隅に立った甲冑の騎士が、一気に沖山へ詰め寄った。


「あっ」


 志緒理が声を上げるより少し早く、騎士の剣が沖山を四方向から斬りつけた。


 ──バシュッ


 血が噴水のようにあふれでて、騎士たちの鎧を赤く染め上げる。騎士たちはゆっくり剣を元の位置に構え直すと、ぎしぎしとぎこちない動きで、部屋の四隅へ戻っていった。剣という支えを失い、沖山の身体は肉塊になって、べろんと倒れていく。


「が…が…が…」


 もはや人の形をとどめていないにもかかわらず、沖山はそんなうめき声を上げながら、4つに分かれた。その拍子に、沖山の手から、円筒鏡がこぼれ落ちた。


***


沖山と志緒理の足跡を追って穴の中を歩いていた森繁の耳に、甲高い悲鳴が聞こえた。なんだ、と思って立ち止まった次の瞬間、目を開けているのが辛いほどの強風が吹き突けてくる。


「な、なんだ、この風は!」


思わずうずくまって手で頭を守る。


──おおおおお、おおおおおお


何者かの雄叫びのような音とともに、風は穴の中を駆け巡り、やがて何事もなかったかのように静まりかえった。


「なんだったんだ、いまのは? それにさっきの悲鳴…」


森繁の胸に嫌な予感がこみ上げる。居ても立ってもいられなくなり、森繁は足を速めて穴の奥へと急いだ。すると…。


ヒタ、ヒタ、ヒタ…


穴の奥から、ゆっくりとした足取りで、誰かが歩いてくる音が聞こえた。

足音の感じからすると…女性のようだ。森繁はフラッシュライトをかざして、穴の奥へと光を向けた。

やがて薄ぼんやりした暗がりの中から、よく知った顔が見えてくる。志緒理だった。


「志緒理くん!」


森繁が心底ホッとした様子で駆け寄る。


「よかったぁ。無事だったんだね。ってかさ、いまの悲鳴、なに? 君の? 沖山はどうしたんだい? 円筒鏡は?」


続けざまにそう言うと、森繁は志緒理の顔を覗き込んだ。その瞬間、妙なことに気づいた。つんとした磯の香りがしたのだ。


「ねえ、志緒理くん。この臭いは…なんだい?」


森繁が志緒理の肩をつかんで尋ねる。するとまた妙なことに気づいた。志緒理の身体になぜかネバネバとしたヌメリ気がある。森繁は思わず志緒理から手を離すと、一歩後退った。


「きみ、志緒理くん…だよね?」


志緒理はメガネの奥の瞳をぎらりと光らせてにんまり笑うと、森繁の身体をぐいっと横へ追いやり、すたすたと先へ進んだ。


「いや、え? どういうことだい? ってか、よくそんな暗がりを歩けるね? 志緒理くん?」


志緒理が森繁の声をまったく無視して、真っ暗な闇の中へ消えていく。森繁は、このまま志緒理を行かせてはいけないような気がした。けれど、どういうわけか、その場から一歩も動けなかった。


あとちょっとです…

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