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13話

伊豆の島々に実在するヒイミさま伝承をもとにした、創作ホラーです。


 7月26日の朝10時。

 絵美は父親と隣町にある「プールランド」に遊びに来ていた。

 プールランドは、東京ドーム0.9個分という敷地すべてにアトラクションが展開されている大型のプール施設で《海はない! でもプールランドがある!》というキャッチコピーでよく知られている。

 人気ナンバーワンのアトラクションは、高低差20メートル、全長150メートルを誇るウォータースライダー。ほかにも、白い砂浜に人工的な波が押し寄せてくる《海プール》も人気がある。

 絵美は入場早々、ウォータースライダーに直行した。

 中学時代から何度も来ているとはいえ、スタート地点から下を見ると、さすがに少し足がすくんだ。

 そんな絵美の手を取り、係員が誘導する。


「じゃあ、次の方、いってらっしゃい!」


 絵美は勢いで水着が脱げないように肩ひもを確認しつつ、腰をかがめて足を伸ばした。

「スリー、ツー、ワン、ゴー!」

 係員が元気良くかけ声を発して、絵美の背中を押した。

 あっという間だった。

 プハアと水面から顔を出して手で拭う。いま滑ってきたコースを見上げると、驚くほど高く感じた。こんなところを安全装置もなく滑り降りてくるなんて、我ながらどうかしている。でもスピードが出ているときの高揚こうよう感。一度あれを体験してしまうと、不思議と恐怖心は薄れていくのだった。


 さ、もう一回やろうっと。


 クロールでプールサイドまで泳ぎ、勢いを付けてよじ上る。ウォータースライダーの階段へ向かおうとしたとき、事件が起きた。

 プールにいるのが似つかわしくないほどみすぼらしい姿の老婆が、突然絵美の肩をつかんだのだ。

 しかもその指が、鎖骨さこつくぼみにちょうど入っている。

 絵美は思わず「痛い」と叫んだ。

 それでも老婆は肩をつかむ手を離さないので絵美はむかむかして、

「ちょっと、なんですか?」

 と老婆をにらんだ。

 老婆は絵美の目をじっと見つめて、驚くほど低い声でこうつぶやいた。

「死相が見える」

「えっ?」

「あんた、死相が見える」

「し、死相?」

「ああ、水難の気が出ている。水回りに気をつけるんだね」

「どういうことですか? いきなりなんなんですか? 離してください!」

「警告はしたからね」

「…はい?」

 老婆は落ちくぼんだ目を静かに閉じると、やれやれとでも言うように首を横に振り、絵美に背中を向けた。

 絵美は釈然しゃくぜんとせず、

「いったい、なんなんですか?」

 と語気強めに老婆の背中へ声をかけた。

 しかし老婆はそれっきり二度と絵美を振り返ることはなく、人ごみの中に消えていった。


 なんなのよ、いったい。


 死相が出てるなんて、突然言われてもどうしたらいいのか。

 しかも水難の気って…。

 プールに遊びに来ている人にそんなこと言うなんて……。無神経もいいところだ。

 絵美は、ふんっと鼻を鳴らして、ウォータースライダーの階段へ向き直った。

 気にすることはない。ちょっと頭がおかしい人だったんだ。

 うん。きっとそうだ。

 絵美は自分を納得させて、昼までの間にウォータースライダーを計4回楽しんだ。


 13時になり、絵美はプールから上がって、ロッカールームへと向かう。

 あらかじめその時間にランチにしようと父親と約束していた。集合場所はエントランス脇のフードコート。でもそこへ行く前に、Tシャツを羽織はおり、スマホを取り出そうと思ったのだ。

 ロッカールームに入ると、腕に巻いたゴムのリングから鍵を取り出す。上中下の3段に、ずらっと並んだこげ茶色の扉。そのほとんどに「使用中」の赤いランプがともっている。


「111番…111番…」


 真ん中へんの下の段。

 ここに限らず、ロッカーを使うときは、なるべく並び目を選ぶようにしている。特に理由はないのだけれど、なんとなく縁起がいいような気がするから。

 本当は77番が良かったんだけど。

 しゃがんで111番の戸を開く。Tシャツを手に取り腕を通そうとしたとき、ロッカーの中のスマホがバイブした。

 奈央かな、と思った。

 いまごろ高速道路にいる頃だろう。母親との会話が退屈になって連絡してきたのかもしれない。

 しょうがないなぁ。ちょっと相手してあげるか。

 Tシャツに首を通してすそを腰の位置で整えると、絵美はロッカーの戸を閉めた。スマホのロックを解除しながら、ロッカールームを出る。

 画面上部のホットバーを下にスクロールしてLINEの通知を見た瞬間、足がピタッと止まった。


 ──野村朔太郎が動画を送信しました。


 そんなバカな。

 あり得ない、そんなこと。

 だって先輩は…もう亡くなっている。

 こめかみを押さえて、混乱する思考を整理する。


 ──とにかく、見てみよう。


 そうだ。内容を見ないことには、なにも断定できない。

 絵美は通知をタッチしてLINEのアプリを開いた。

 動画が送られたのは11時と出ている。

 2時間前だ。

 電波の悪いところにスマホを置いておいたから、受信が遅れたのだろう。

 動画のすぐ下に、結花がこんな投稿をしていた。


《見ちゃダメ》


 たった5文字の投稿が、なぜか、ひどく禍々しいものに思えて、絵美は背筋がぞっとした。

 こう書く以上、結花は見た、ということだろう。

 その上での警告…。

 いったい、なにが映ってるのだろう…?

 絵美はすかさず「見ちゃダメって、どうして?」と打ち込んで、再び歩き始めた。


 ロッカールームを出て、プールサイドを通り、エントランスへ向かう。きれいに掃除されたリノリウムの床が緑とオレンジで色分けされていて、緑へ向かえばフードコート。オレンジの方へ行けば駐車場へ出られる。

 緑の床をたどってフードコートの自動ドアをくぐる前に、絵美はもう一度画面を見た。

 しかし、既読がついていなかった。


 変だな、と思った。

 これはグループトークだ。なにか投稿すれば、最低でも1人か2人はすぐにリアクションを返してくれるのが、いつものことだった。

 なのに、2分経っても3分経っても返事どころか既読すらないなんて。

 じっと画面を見つめる絵美の目が、自然と結花の投稿に引き寄せられていく。


《見ちゃダメ》


 ダメと言われると余計に気になる。

 結花に限って、いたずらで書くことはあり得ない。

 たぶん、本当にそう思っている。

 だからこそ、気になる。

 なにが映っているのか。どうして先輩が送ってきたのか。


 ──見てしまおうか。


 このまま返事を待っていてもラチがあかない。

 絵美は再生ボタンを押そうと指を伸ばした。

 するとその指が、小刻みに震えている。

 自分でも驚いた。見ようと思えば思うほど、震えが強くなる。

 こわいのかもしれない。

 たしかに、死んだ人から送られてきた動画なんて、不気味だ。

 ふと、さきほどの老婆の言葉が蘇った。


 ──死相が出ている。


 いやいや。即座に否定する。

 死んだのは先輩で、わたしじゃない。

 そうよ。ばかばかしい。

 死相とか、水難とか、あんな頭のおかしい人の言うことを気にするのはやめよう。

 動画はたかが動画だ。見るくらいなんでもないはずだ。

 絵美は震える指に力を入れて、スッと画面を横に払った。

毎日23時ごろ更新

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