1.プロローグ
作者の趣味として書いております。
読んでいただければ幸いです。
ハァハァハァ……
女性は髪を振り乱しつつ、足元さえも確認できない暗闇を走っていく。
けれど自分の想いとは裏腹に、脚は痛み、縺れ、思うように動いてはくれない。
それでも脚を止めることはできない。止めてしまえば、また、地獄が、絶望が、襲ってくるのだ。だから逃げなくてはならない。
服はすでにはだけており、半裸という状態に等しい。
それでも逃げなくてはならない。
自分を襲い、痛めつけ、嬲りものにした男たちから逃れるために、この脚を止めることは絶対に許されない。
恐怖や絶望や悲しみ、痛み憎しみ怒りといった感情が濁流のごとく記憶とともに押し寄せてくる。それらを振り払うように、振り切るように、彼女は闇の中を疾走していく。
首が痛む。
途中、二度三度と後ろを振り返る。
闇の中でハッキリとは判らないが、追手の姿はおそらくない。
だけどそれでも安心はできない。
もっと遠く、もっと速く、もっと明るい場所へ逃げなければ……。
息が上がってくる。
脚も思うように動かなくなってくる。
背後から絶望が押し寄せてくるような、そんな気配を感じつつ、疲労が溜まって思うように動かないもどかしい脚を、それでも必死に動かそうとするが、足元から絶望の黒い何かが侵食してくるかのように、もしくは死神の手に自分の足を握られたように、女性の脚は自らの意思とは関係なく、動くことをやめた。
その場にへたり込んだ女性は必死に立ち上がろうとするが、すでに精魂尽き果てたのか、その場から立ち上がることができなくなった。
ズキズキと首が痛む。
これでもう終わりなのか。
ここであの男たちに再び捕まれば、今度は殺されてしまうかもしれない。
殺されるだけならばまだいいかもしれない。
見せしめのため、慰み者にされた挙句、惨たらしく殺されてしまうのだろう、今度こそ……。
それならばいっそのこと――と女性がそこまで考えたとき、暗闇の先にある小さい光が目に留まった。
先ほどまでもう動くことのできなかった脚が、ゆっくりと、そしてしっかりと地を踏みして光のほうへ自然と向かっていった。
光は少しずつ大きくなり、やがてあたり一帯が、まるで発光しているような、そんな不思議な錯覚さえ覚えるような、不思議な場所へとたどり着いた。
新緑の森に差し込む木漏れ日、澄んだ小川から聞こえるせせらぎの音、美しい鳥たちの囀り。
まるで聖域と呼ばれる場所のようだ。女性はふとそんなことを考えた。
先ほどまで走ってきた薄暗い纏わりつくような闇とは違い、どこか心休まる木漏れ日が女性を包み込んだ。
女性はゆっくりと木漏れ日の中を歩いていく。
まるで光の中心へと導かれるようにして。
いくばくか歩いたとき新緑の森を抜けた。
視界が開ける。その視界の中に、童話に出てくる森の中の小さな教会のようなものがあった。
ズキン、首が痛む。
安らぎの中にあっても、あの恐怖を忘れるな。痛みはそう警告する。
女性はブルリと身震いをした。
それからゆっくり教会に近づき、扉の前に立ち尽くす。
扉を開けてよいものかどうか迷っていると、中から女性の声が聞こえてきた。
「どうぞ~、開いてますよ~」
聖域っぽい場所にそぐわない、どこかのほほんとした女性の、間延びしたような声が教会の中から聞こえてきた。
教会の主が女性だと解ると、少しだけ警戒感が解けた。ドアノブに手をかけゆっくりと扉を開けた。
教会の中は質素……というよりは丸テーブルに二組の椅子だけが存在する簡素なものだった。
扉を入って左右の窓が明り取りになっている。窓は開け放たれており、レースのカーテンが風に揺られていた。
声の主は中央に置かれた椅子に腰を掛けていた。窓から差し込む光のせいか、女の顔をうまく認識することができない。
ただ、教会の修道女のような修道服ではなく、どこかの村の祭事で見たようなゆったりとしたローブを羽織っているのは分かった。
女が女性を手招きし、椅子に座らせた。
目の前にはいつの間にかお茶も用意されている。
「お待ちしておりましたよ~。道中大変でしたねぇ~。あっ、お茶をどうぞ、気分が落ち着きますよぉ」
ニコニコと、やはりどこか間延びしたような声で話しかけてくる。
その声に抗うことがなぜかできず、女性はお茶を一口啜る。
少し気分が落ち着いた。ふぅっと息を吐き、ふと疑問に思ったことを告げる。
「あ、あの、ここは、教会……でしょうか……?」
「教会とは少し違いますよ~。そうですねぇ、う~ん、精霊たちを祀る場といいますか。う~ん、ちょっと違うかなぁ、ここは。うーん、適当な言葉が見つかりませんねぇ。でも、悪い場所じゃないんですよ~」
「そ、そうですか」
出されたお茶に口をつける。
「それで、どうしてこんなところに来たんですかぁ?」
そう問われて、女性はズキンと首筋の痛みを認識した。
その痛みが恐怖や憎しみや絶望、怒りに悲しみを思い出せと記憶を揺さぶってくる。
ここに来た安堵からか、そこからは感情の溢れ出すままに激情を言葉に乗せ、ここまでのことを話した。
「なるほどぉ。ずいぶんと非道な……」
女のやんわりとした口調は変わらないが、それでも同情を含んだ口調だった。
女が手にしたカップをテーブルに置き、女性に正対した。
女性は息を飲む。
女の顔を見て驚いたから。いや、正確には女が奇妙な仮面を付けていたから驚いたのだ。
なんの特徴もない銀製の仮面。視界や息をするための穴があけられただけの、シンプルな仮面を付けた女がそこにいた。
女性の驚きを無視し、女は問いかけてくる。
「それであなたはどうしたいですかぁ?」
そう問われ女性は首筋に手を当てる。
痛みはない。けれども――。
「わたしは――」
とりあえず、最後までお読みいただきありがとうございました。