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悠久の少女  作者: 小鈴 莉子
七章 罪悪
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救いを求める声

 ――重い瞼を持ち上げると、レナータの穏やかな寝顔が視界に入った。すやすやと健やかな寝息を立て、未だに深い眠りに就いているらしい。レナータの意識が覚醒する気配は、今のところ砂粒ほどにもない。

 そのあどけない寝顔を眺めているうちに、そういえば昨晩はレナータにせがまれ、久しぶりに一緒に寝たのだと、若干微睡みに浸かったまま、ぼんやりと思い出す。


 アレスもレナータも、昔に比べると身体が大きくなったから、シングルベッドは二人で寝るには手狭だ。その上、レナータの身体に合わせて選んだベッドだから、成人男性であるアレスにとっては、窮屈なことこの上ない。

 だが、あの状況でレナータを突き放すほど、アレスは薄情ではない。それに、レナータはアレスの初恋の相手でもある。好きな相手の頼みは、できるだけ叶えてあげたい。


(レナータがまだ子供でよかったと、昨夜ほど思ったことはねえな……)


 生憎と、アレスは子供に欲情するような性癖を持ち合わせていない。レナータは年齢の割には、かなり発育のいい身体をしているが、それでもまだ子供であることには変わりがないからか、こうして密着していても、その手の欲求はそれほど刺激されない。さすがに不意打ちを食らった時は、その限りではないが、そうでなければ、割と平気だ。だから、おかげで昨夜はぐっすりと眠れた。

 もし、レナータが年齢的にも肉体的にも、もっと成熟していたら、軽い拷問になっていたに違いない。もちろん、レナータの同意もなく手を出すつもりは、さらさらないが、だからこその苦痛を味わう羽目になっていただろうと、つい遠い目をする。


 朝が苦手なアレスとは違い、レナータは朝から元気だ。だから、普段ならば、レナータが先に起きているものだが、昨晩あんな出来事があったからなのだろう。朝日を浴びても尚、レナータの意識は未だ夢の中だ。


 ふと、レナータが微かに身じろいだため、ダークブロンドが一房零れ落ち、薔薇色に染まった頬にかかった。乱れた髪を整えようと、手を伸ばそうとした矢先、不意にレナータが珍しく眉間に深い皺を刻んだ。少しふっくらとした柔らかい唇の隙間からは、呻き声が漏れてくる。


「……レナータ?」


 もしかして、嫌な夢でも見ているのだろうか。昨夜の出来事を振り返れば、その可能性は充分に高い。

 レナータを起こすべきかどうか迷い、手を宙に彷徨わせていたら、突然小さな手が強く掴んできた。まるで、縋りつくように手を握り締められ、驚きに目を見張る。そうしている間にも、閉じられた目からじわりと涙が滲み出し、眠るレナータの頬を濡らしていった。


「……け、て」


 今にも掻き消えてしまいそうな、透明感のある柔らかい声が耳朶を打つ。


「助けて、アレス……!」


 レナータがどれほどの悪夢にうなされていようとも、所詮、夢は夢だ。目覚めてしまえば、その苦痛はあっという間に霧散するに違いない。

 しかし、今は一刻でも早く、レナータを悪夢から解放したかった。


「――レナータ!」


 だから、大きな声でレナータの名を呼び、その小さな手を一度振り解く。そして、華奢な肩を掴んで強く揺さぶると、レナータがはっと目を覚ました。

 でも、眠りから目覚めたレナータの様子は、どこか尋常ではない。

 目は異様に見開かれている気がするし、目の縁からは大粒の涙が次から次へと零れ落ちてくる。それに何より、次第に呼吸が浅く速くなっていっている。過呼吸に陥っているのは、一目瞭然だ。


 きつく眉根を寄せて上体を起こし、横向きで寝ていたレナータの身体をうつ伏せにして、華奢な背を撫でる。


「レナータ、一旦息を止めろ。それで、俺が十数えるから、そうしたらゆっくり吐け。できるか?」


 身体を横にできる状態ならば、うつ伏せに寝かせた方が、腹式呼吸がしやすい。だから、過呼吸の対処に効果的だと、どこかで聞いたことがある。アレス自身は過呼吸になったことがないから、この際、とにかく何でも試していくしかない。

 背を撫でつつ声をかければ、レナータが僅かに顔を上げ、こちらへと振り向く。そして、相変わらず苦しそうではあったものの、微かに頷いた。


 そこからは、レナータの呼吸が落ち着くまで、ただひたすらに息を止め、深く長く細く吐き出すという動作を繰り返した。見ているこちらの方が、平静を失いそうになるほどの苦しみようだったが、ここでアレスが焦ったら、レナータがますますパニックに陥るのは、目に見えている。だから、辛抱強くレナータの様子を見守ることしかできなかった。


 アレスが下手に騒ぎ立てなかったことが功を奏したみたいで、やがてレナータの呼吸は大分落ち着いてきた。相当息苦しい思いをしたからか、レナータの身体からはぐったりと力が抜けている。

 何度も深呼吸を繰り返すレナータの背から手を離し、今度はダークブロンドに覆われた小さな頭を撫でる。


「……レナータ。水、飲むか? 飲むなら、今、持ってくる」


 あれだけ息を乱していたのだから、きっと喉が渇きを覚えているだろう。

 レナータから返事はなかったものの、とりあえず持ってきておくかと、頭からも手を離した直後、いきなり小さな手に手首を掴まれた。レナータはもう一度横向きに寝そべり、アレスをじっと見上げてきた。


「レナータ?」

「……アレス……私は、生きていて、いいの?」


 少しふっくらとした柔らかい唇から、思いも寄らない問いが涙と共に零れ落ち、思わず息を呑む。だが、レナータはアレスに構わず、言葉を継いだ。


「私が……私がいたから、お父さんもお母さんも、あんなことになったんじゃないの?」


 そう疑問を口にした刹那、翡翠の瞳が瞬く間に涙の膜に覆われていく。そして、目尻から大粒の涙が溢れ出し、レナータの白い肌を伝い落ち、シーツを濡らしていく。


「アレスが、苦労しなきゃいけなくなったのも……昨日、アレスがその手を汚しそうになったのも……全部、全部、私がいたからなんじゃないの……? 私さえ……私さえ、いなければ……! あんなことには……!」


 血を吐くような叫びが、アレスの鼓膜を貫く。レナータの表情は、再び苦悶に歪んだ。


 エリーゼたちの件も、アレスがこの街で生活を送ることになったのも、昨日の一件も、レナータに責任はない。

 エリーゼたちの件に関しては、本人たちの選択の結果だ。アレスがこの街で生きているのもまた、自分の意志によるものだ。そして、昨夜の事件については、レナータは完全な被害者だ。誰に訊いても、おそらくレナータに非はないと答えるに違いない。


 しかし、レナータ本人からしてみれば、これらの出来事はどう見えるのか。

 レナータは、基本的に他者を責めない。それは、他人に期待を寄せていないことの裏返しでもあるのだが、レナータのそういう性質は、十中八九、人間への攻撃を禁じられていた人工知能だった頃の名残なのだろう。


 では、そんな人間が非難の矛先を求めている時、真っ先に誰に狙いを定めるのか。その答えを今、他ならないレナータ自身が提示しているのではないか。

 以前、ロボットは自身のボディを破壊できないと、レナータ自身が語っていた。自殺行為が禁じられているのであれば、自殺願望や希死念慮、そういった思考に繋がりかねない罪悪感を抱かぬよう、プログラムが構成されていたに違いない。つまり、かつてのレナータは、非難の矛先を自分自身にすら向けられなかったはずだ。

 でも、今のレナータは生身の人間だ。昔は禁じられていた思想を抱くことも、今は自由だ。

 だからこそ、自分さえいなければという発想に至ってしまったのではないか。いや、前からそういう考え自体は持っていたではないか。一度だけ、アレスの前でそういった不安を吐露したことがある。ただ、両親やアレスを想えばこそ、あまり口に出せなかっただけなのだろう。

 だが、昨晩の出来事が引き金となり、これまで抑えていた思いが溢れ出してしまったのではないか。


「私がっ……! 私のせい、で……私さえ、いなければ……!」


 次々と目の縁から零れ落ちてくる涙の粒を流しながら、レナータは悲痛な声で叫ぶ。

 レナータは、何も悪くない。レナータのせいではない。

 そう言い聞かせたところで、間違いなく今のレナータは聞き入れようとはしないだろう。頑なに、自分の存在そのものが悪だと思い込み、自らの手でその心にさらなる傷を作ろうとするに違いない。


 ――言葉では、今のレナータの心には届かない。

 ならば、どうすればレナータの心に届くのか。

 そこまで思考を巡らせたところで、涙を流すレナータを抱え起こし、強引にアレスに向き合わせる。アレスの突然の行動に驚いたらしく、レナータの目が一際大きく見開かれ、ますます頬が涙で濡れていく。

 そして、間髪入れずにレナータの後頭部に手を回し、ぐっと引き寄せると、少しふっくらとした柔らかい唇に、アレスの唇をそっと重ねた。

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