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悠久の少女  作者: 小鈴 莉子
六章 変わりゆくもの
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変わりゆくもの

 ――レナータが同年代の男に口説かれている姿を目の当たりにし、初めて思い知らされた。

 同じ年頃の男どもからしてみれば、レナータは充分過ぎるほどに魅力的な異性として認識されても不思議ではないのだと、どうしてこれまで気づかなかったのか。もし、アレスセレナータとそれほど歳が変わらなければ、恋愛対象として見ていたに決まっている。


 そこまで思考が至った瞬間、考えるよりも先に身体が動いていた。レナータとカルロと呼ばれていたガキの間に割り入り、怒りと共に言葉を吐き出していた。言わなくてもいいことまで口走っていた自覚はあったものの、自分の意志だけでは止められなかったのだ。


 結局、レナータを引きずるようにして連れ帰り、感情のままに詰った。レナータは悪くないというのに、急に責められ、内心面白くなかっただろうに、透明感のある柔らかい声が紡いだのは、ひどく理性的な正論に近いものだった。

 しかし、言葉を交わしていくうちに、いつしかレナータにしては珍しく、声を荒げて反論してきたのだ。本人の主張通り、本当にレナータはアレスが思っていたよりも子供ではなかったのだという事実を、改めて突きつけられた心地がした。


 でも、その直後、何を思ったのか、昔のレナータと今のレナータ、どちらが大切なのかと訊ねられたのだ。今までの話の流れで、何故そんな疑問が生まれたのか、不思議で仕方がなかったが、問われた以上、答えなければならないと、思考を巡らせた。実際、アレス自身 生まれていた疑問だったため、改めて自分の心と向き合う絶好の機会だとも思った。


 だが、深く考えるまでもなく、予想以上にあっさりと答えは出た。むしろ、朝の段階で、どうして結論が出せなかったのか、自分自身に呆れ果ててしまいそうになったほどだ。


 レナータは、レナータだ。

 ずっと当たり前だと思っていたことを、何故忘れていたのか。どうして、かつてのレナータと今のレナータを、分けて考えようとしていたのか。


 答えは簡単だ。ロボットだった頃のレナータは、アレスの前で女の顔を見せたことなど、一度たりともなかった。幼い頃のレナータに関しては、言わずもがなだ。

 レナータはいつも天真爛漫で、純真無垢だった。現実世界に存在しているものだとは、到底思えないほど、身も心も美しかった。今はそうではなくなったというわけではないが、少なくとも女としての顔を覗かせるような、泥臭さは感じられなかったのだ。


 しかし、レナータは人間として生まれ変わり、日々成長しているのだ。変わりゆくものがあって、当然だ。アレスだって、自分ではよく分からないものの、幼い頃に比べると、良くも悪くも変わってしまった部分があるに違いない。


 そこまで考えたところで、心の奥底で眠っていた想いに、否応なく直面せざるを得なくなった。


 かつてのアレスは、かつてのレナータに恋をしていた。そして、ロボットとしてのレナータが死を迎えたことで、その恋は一度終わった。

 でも、今のアレスは、もう思い出の中にしか存在しないレナータも、今、目の前で懸命に生きているレナータも、愛している。アレスの知らない過去さえもひっくるめて、レナータの全てを愛しく思う。


(……って、昨日、思ったんだけどな)


 別に、一晩で心変わりしたわけではない。

 ただ、上機嫌に鼻歌を歌いながら隣を歩いているレナータを眺めていると、何だか気が抜けてしまうだけだ。アレスが、レナータはレナータだと答えてから、ずっと機嫌がいいが、今日も絶好調らしい。そして、そんなレナータの姿を見ていると、アレスが脱力してしまうのも、昨日の夕方から変わらない。


「アレス、どうかした?」


 アレスの視線に気づいたらしいレナータが、こちらへと振り向き、琥珀の眼差しと翡翠の眼差しが絡み合う。レナータは微笑みを浮かべたまま小首を傾げ、その拍子に艶やかなダークブロンドがさらりと揺れた。レナータへの想いを自覚した上で、そういう仕草を見せつけられると、小悪魔めいていると思わざるを得ない。


「……別に、何でもねえよ。……にしても、今日は一段と混んでいるな」


 今日は二人揃っての休日であるため、買い出しに来ているのだが、いつにも増して人通りが多い。スラム街だというのに、こんなにも多くの人間が暮らしていたのかと、軽く驚かされる。


「おい、レナータ。はぐれるんじゃねえぞ」


 この状況でアレスとはぐれてしまったら、高確率でレナータが誘拐されそうだから、気を抜いている場合ではないと、自分に強く言い聞かせる。


「うん、分かった」


 了承の意を告げる言葉が鼓膜を震わせたかと思えば、レナータの白くて華奢な両腕が、アレスの左腕にするりと絡みついてきた。


「……レナータ、何のつもりだ?」

「アレスとはぐれないように、くっついていようかなあって思って。あ、暑苦しい?」


 確かに、今日も暑い。昨日と比べると、多少涼しい気もするが、それでも夏である以上、暑いものは暑い。そんな日に、こういうことをしているカップルを見かけたら、暑苦しいと不快に思っただろう。

 だが、今はそんなことよりも、見た目以上に発育がよかったのだと痛感させられるその胸を、腕に押しつけるのをやめて欲しい。あと、上目遣いでじっと見つめてくるのも、やめて欲しい。


「……暑苦しくはないが、動きにくい。だから、こっちで我慢しておけ」


 普段通りの口調を心がけ、アレスの腕からレナータの腕を引き剥がす。それから、即座にレナータの小さな手を握った。

 そういえば、アレスが幼い頃も、レナータが幼い頃も、こうやってよく手を繋いでいたというのに、一体いつから手を繋がなくなってしまったのだろう。いつの間にか、そうなっていたから、手を繋がなくなった時期をはっきりとは思い出せない。


 ちらりと見遣れば、はにかんだような微笑みを浮かべたレナータと目が合った。


「――うん」


 照れ臭そうにしつつも、嬉しそうに頷くレナータがあまりにも可愛らしく、咄嗟に目を逸らす。


 今はまだ、この胸の奥に秘めている想いを、レナータに伝えるつもりはない。別に、今すぐレナータとどうこうなりたいわけではないのだ。今はただ、レナータの成長を見守っていたい。

 それに、今伝えたところで、レナータを困らせてしまうだけに違いない。だから、アレスの想いを受け止められるくらい、レナータが大人になってから、この想いを言葉にして伝えよう。


(だから――)


 ――アレスが想いを伝えるその時までは、誰のものにもならないで欲しい。


 レナータにとっては理不尽極まりない願いを胸の内で呟きながら、小さな手を握る手に、先程よりもほんの少しだけ力を込めれば、きゅっと握り返された。



 ***



 ――アレスのレナータへと向ける想いの本質は、変わっていないはずだと思ってから、自分はどうしたいのかと熟考した。その結果、アレスに嫌がられない程度に、アプローチしていこうと決めたのだ。どうせ後悔するのならば、しない後悔よりもした後悔の方が、ずっとマシだ。


 手始めに、アレスと一緒に買い出しに出かけた際、腕を絡めてみたのだが、見上げた先にあった琥珀の瞳には、微かな動揺が走っていた。もしかして、アレスはこういうことを嫌うタイプで、早々に失敗してしまったのかと、不安に駆られた直後、すぐさま腕を解かれてしまった。

 しかし、レナータが落ち込む暇もなく、手を繋いでくれたのだから、結果は上々だ。随分と久しぶりだということも相まって、照れ臭いのと同じくらい、嬉しくてたまらない。


 隣を歩くアレスは、先刻少しだけ目を合わせただけで、それからはずっと前方を見据えたままだ。でも、これはこれで、アレスの横顔を心置きなく眺めていられるから、よしとする。


(……ねえ、アレス。私、この気持ちを伝えるのは、大人になってからにするよ)


 今、アレスにこの想いを告げたところで、間違いなく困らせてしまうだけだ。だから、レナータが大人になるまでは、アレスへの恋心は胸の奥に秘めておこう。


(だから――)


 ――アレスに想いを伝えるその時までは、誰のものにもならないで欲しい。


 アレスにとっては理不尽極まりない願いを胸の内で呟いた刹那、繋いだ手に先程よりもほんの少しだけ力を込められた。まるで、レナータの願いが伝わったみたいで、より一層笑みが深まっていく。そして、湧き上がる喜びを抑えきれぬまま、レナータの手を握るアレスの大きな手を、きゅっと握り返した。

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