下・コーヒーおばあちゃん
奇妙なおばあさんが現れてから1ヶ月半月過ぎた頃だった。
空き家の様子を見に行った僕に声を掛けてくる人がいた。
十代後半か二十代前半くらいの若い女性二人組だ。片方は背が高く茶髪で、もう一人は地味な眼鏡の子。
「あのーこの辺に喫茶店があるってネットで見たんですけど。ここで合ってます?」
「あー、いや。うちはただの民家なんで」
あの日の出来事が頭をよぎる。
僕の返答でなぜか女性たちはパッと笑顔になった。
「やっぱここだよ!」
「私たち、『コーヒーおばあちゃん』のブログを見て来たんです!」
「コーヒー……おばあちゃん?」
彼女たちが何を言っているのかさっぱりわからなかった。
コーヒーと言えば、あの「コーヒーぬらりひょんババア事件」のことだろうが……僕が投稿したSNSはリア友だけにしか見れないように鍵をかけたアカウントだ。それを誰かがブログにまとめたのか?
首をかしげる僕に、茶髪の女性が教えてくれた。
「『コーヒーおばあちゃん』って喫茶店巡りしてるおばあちゃんがいて。そのブログにここの店のことが載ってたんです」
「ここ、『あさひ』ってお店ですよね?」
「『あさひ』はもう閉店しました。ほら、看板も外してますし」
看板の形に残った日焼け跡を指し示すと、女性たちはがっくりと肩を落とす。
「『コーヒーおばあちゃん』のブログではここのアイスコーヒーがめっちゃ美味しいって書いてたのに……」
「おばあちゃんには出してウチらに出さないのは不公平じゃない?」
急に詰め寄られて僕はたじろいだ。
コーヒーぬらりひょんババアめ、とんでもないことをしてくれやがったな。
「おばあさんが絶賛してたアイスコーヒー? あれはすぐそこのコンビニで売ってるやつなんですよ。だから気になるなら行って買ってきてください」
納得してもらえないだろうと思いながら説明したが、案の定茶髪の方の目つきが悪くなる。
「馬鹿にしないでもらえます? コンビニのアイスコーヒーなんて……」
「買ったことある?」
「……ない」
「たぶん君たちが想像してるよりは美味しいからさ。今日はそれで我慢してくれないですか」
また買い出しに行く流れにならなければいいけど。
こう何回も草むしりの邪魔をされたらこの家が草に埋もれてしまう。
「……って! ブログに載ってたって言いましたよね!?
そのブログ見せてください」
なんとかしてそのブログからこの家の記事を消してもらわなければ。
下手をするとこの先何年も同じようなことが続くんじゃないか?
眼鏡の子がスマホの画面を見せてくれたので、同じブログを急いで検索した。
【コーヒーおばあちゃんの今日の一杯】
そう題されたブログには様々な喫茶店の名前がずらりと並ぶ。
その中には「喫茶 あさひ」の文字もあった。
【昔何度かお世話になった喫茶店「あさひ」さん。近くまで行く用事があったので寄ってみることにしました。
十年ぶりくらいでしょうか。外観は当時と変わらず、店先には若い青年が。
マスターは不在のようで、その青年が対応してくれました。
お店の中にはマスターが描いた風景画が飾ってあります。私のお気に入りはお店の名前にもなっている朝日が差し込む庭の絵。
絵を見ていると店員さんが冷たいコーヒーを運んできてくれました。
店員さんは無愛想だけど味は絶品。でも昔とは変わってるようね。
常連さん用のコースターを用意してくれるお店です。あなたもぜひコースターをもらえるくらい通ってね。】
ブログの全文を読んでその場に崩れ落ちそうになった。
めちゃくちゃだ。
あまりにも酷すぎる。
しかもこの記事には五十件近いコメントが付いていた。
とりあえず、一刻も早く説明して誤解をとかなければいけない。
僕は二人を追い返し、ブログの主に連絡した。
返信があったのはその翌日だった。
ブログを書いているのはおばあさんの孫らしく、日記帳に書いた紹介文をそのまま掲載しているのだという。
僕はこれまでの経緯を全て説明し、記事の削除を願い出た。
ブログの主は大変驚いたようで、謝罪と訂正文の掲載を約束してくれたが、喫茶店の近所の人曰くしばらくは店の様子を見に来る人がちらほらいたようだ。
その後しばらくやり取りしてわかったのだが、あの日おばあさんは補聴器を忘れて僕の声がほとんど聞こえていない状態だったらしい。
家族も警察から保護の連絡を受けて非常に驚いたと言うが、不法侵入で通報しなかっただけマシだと思っていただきたい。
そしておばあさんのおかしな服装は、コスプレが趣味のブログ主の衣装だという。
「たまに着て出かけるんですよ」と嬉しそうに教えてくれた。
ブログ主の方からおばあさんに「あさひ」は閉店したと改めて伝えてもらうことをお願いして僕らのやり取りは終了した。
あれから一年近く経つが、ブログはまだ更新が続いているようだ。
「喫茶 あさひ」の跡地である家は一度取り壊し、今度は僕が住むための家を建てる準備をしている。
こうして、ついに、「コーヒーぬらりひょんババア事件」は本当の解決を迎えたのだった。