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コーヒーおばあちゃん  作者: 牧田紗矢乃


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上・コーヒーぬらりひょんババア事件

「ごめんください、冷たいコーヒーいただけます?」


 問いかけながら家の敷地に入ってきた見知らぬおばあさんに、僕は思わず硬直してしまった。


「す、すいません。ここ普通の民家なんで!」


 草むしりをしていた手を止めておばあさんの前に立ち塞がる。

 けれど、おばあさんはまるで意に介していない様子だった。


「若い店員さんねぇ。夏休みなの?」


 僕の話が聞こえていないのか、呑気なことを満面の笑みで問いかけてくる。

 冷静になるにつれて、おばあさんの異常さが目につき始めた。


 ピンクのリボンがついた白くつばの大きな帽子に、腰のところに大きなリボンの付いた淡いピンクの膝丈のワンピース。

 手提げ鞄まで白とピンクを基調とした似たデザインのもので揃えている。


 まるで一昔前のアニメに出てくるキャラクターのような服装だ。

 その奇抜な格好に目を取られていると、おばあさんは僕の腕をすり抜けて奥へ奥へと進もうとした。


「あの、うちは民家で……」

「そんな冗談やめて頂戴。私はねぇ、何十年も前からここへ来てるんだから」

「あっ、いや、その……」


 たしかに、ここ(・・)は三年前まで喫茶店だった。

 けれど店主だったじいちゃんは病気で他界し、一緒に店に立っていたばあちゃんも後を追うように病に倒れ、今は入院生活を送っている。

 放っておくと荒れ果ててしまうから、僕がこうして様子を見に来ているのだ。


 そのことを懇切丁寧に説明しても、おばあさんはなかなか納得してくれなかった。


「この歳になると知り合いが次々死んでいっちゃってねぇ」


 おばあさんは何度目かのそのセリフを口にした。

 人の話を聞かず、同じ話を繰り返す。おばあさんの様子を見ていると「認知症」の三文字が頭をよぎる。


 その間にも日差しはじりじりと照り付けていた。

 僕ですら眩暈がしてきそうな暑さだ。いくら帽子を被っているからと言って、ここに立たせておいて倒れられたらシャレにならない。


 僕はおばあさんを止めるのを諦め、とりあえず家の中へ入れることにした。


 ――警察に電話して来てもらおう。保護して家族のところに送り届けてもらうんだ。


 とはいえ、普段空き家になっている家なのでまともな冷房がない。

 あるのは調子が悪くてぬるい風しか出ないクーラーと、昭和の頃からあるような緑色の羽の扇風機くらいだ。

 冷蔵庫もばあちゃんが入院している間に中身が腐ってしまい、臭いが染み付いていたので車庫でオブジェと化している。


 喫茶店だった頃の名残であるカウンター席におばあさんを座らせて、家中の窓という窓を開けて回る。

 カラカラと音を立てながら回る扇風機を稼働させれば空気が循環して、辛うじて座っていられるような環境が整った。


「冷たいコーヒーをお願いね」

「はいはい。ちょっと待っててくださいね」


 僕は説明する気力もなくなって、タオルを頭に巻くと外へ飛び出した。

 目指す先は最寄りのコンビニだ。


 自分の分とおばあさんの分、ふたつのアイスコーヒーを受け取り、ポケットにガムシロップとミルクをねじ込む。ストローは尻ポケットにアンテナよろしく突き刺した。


 あとはこぼさないように気を付けながら小走りで家に戻るだけ。

 帰ったらアイスコーヒーを飲んでもらっている間に警察を呼ぶんだ。

 帰り道、僕は頭の中で何度もシミュレーションをした。




「お待たせしましたー」


 声を掛けながら部屋へ入る。

 熱中症にでもなって倒れていなければいいけれど。


 そんな僕の心配をよそに、おばあさんは部屋に飾ってあった風景画に見入っていた。


「それ、うちのおじいちゃんが描いたんですよ」


 隣に並んでようやく僕が帰ってきたことに気付いたようで、おばあさんは「あらあら」と小さく声を漏らした。


「グラスが変わったのね」

「昔のやつは汚いので……。買ってきてそのままで申し訳ないですけど我慢してください」


 申し訳程度に引き出しに残っていた比較的綺麗なコースターを差し出した。

 それを見てお婆さんは懐かしそうに目を細める。


「昔はね、常連のお客さんはコースターが決まってたの。懐かしいわねぇ」

「そうなんですね、はは……」


 愛想笑いをしながらスマホを取ってカウンターの奥に作られた厨房スペースに向かった。

 ここならおばあさんの相手をする必要もなく、それでいて様子を確認しながら電話ができるはずだ。


「あ、もしもし。今、認知症っぽいおばあさんがうちに来ていまして……――」


 僕がこれまでの経緯を説明すると、おばあさんを「保護」するためお巡りさんが来てくれるという。

 それを聞いてようやく一安心できる、と思った時だった。


「それじゃあね、お代はここに置いておきますから。ご馳走さま」


 そう言い残しておばあさんは外へ出てしまったのだ。

 慌ててカウンターを飛び出し、おばあさんの後を追う。


「ちょっと待ってください!」


 おばあさんは年齢の割に健脚らしく、サクサクと砂利を踏み鳴らしながら歩いていく。

 その肩を叩いて立ち止まらせる。


「あら、おつりはいらないのよ」


 それじゃあご馳走さま。

 そう言っておばあさんは再び歩き出そうとする。


「だーかーらーっ!!」


 僕が声を張り上げると、おばあさんは驚いたように目を丸くした。

 そこへゆっくりとパトカーが近付いて来た。


「電話をくれたのは君?」


 四半世紀生きてきて、ここまで警察に助けられたと思ったことはない。

 そのくらいの安心感で改めて軽く事情を説明し、おばあさんを引渡した。


 僕とお巡りさんが話をしている間、困ったように僕らの顔を交互に見るおばあさんは少し可哀想に見えた。


 パトカーの後部座席に乗せられて去っていくおばあさんを見送ると、どっと疲れが押し寄せてきた。

 草むしりは中断して少し休もう。


 家に入ると、自分用に買ったアイスコーヒーの氷は溶けて、とっくにぬるくなっていた。

 それでも汗をかいた体は極上の味に感じられる。


 おばあさんが座っていた席には千円札と間違えたのか、ゼロがもう一つ多い方のお札が置いてある。


「ま、お駄賃ってことで。おつりはいらないって言ってたしな」


 自然と緩みそうになる口元を引き締め直し、そのままカウンターの椅子に座った。

 その時、尻で何かを踏んだ。


「……あ」


 コンビニでもらったストローだった。

 それが引き金になって、こらえきれなくなった笑いが爆発する。


 ひとしきり笑って、今日の出来事をSNSに書き込んだ。

 怖さもなかったわけではないけれど、終わってしまえば笑い話だ。


【ぬらりひょんじゃん】


 友達からコメントが付いた。


「ぬっ、ぬらりひょ……ぶはははははっ」


 あまりに的確で、一度は治まった笑いがまたぶり返してきた。


【ぬらりひょんってお茶飲んでいなくなるじーさんだろ? てことはコーヒーぬらりひょんババアだなwww】


「こっ、コーヒーぬらりひょんっ……! ぷはっ」


 他の友人たちもその言葉に乗っかり、最終的にこの一件は「コーヒーぬらりひょんババア事件」というなんとも珍妙な名前が付けられた。

 ほどなくして僕の友人たちの中で拡散されたこの話は鉄板の「すべらない話」になり、「コーヒーぬらりひょんババア事件」は幕を閉じた……はずだった。

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