いばら姫は異国殿方と出会う
十四歳になったローゼリア。その美しさは益々輝いている。柔らかな女性の魅力が躰に宿りかけた彼女。
スヤスヤ眠る猫はまだ夢の中。外では紗を掛け周りに聴こえぬ様にした冷たい囁き声が、チリチリ焦げが大きくなる様に広がっているのだが、十重二十重の中にはそれはまだ届いていない。
彼女は今、やんごとなき理由で両親と妹の、些か過保護過ぎる愛情に今更ながら気が付き、少しばかり辟易している。
――、「ローゼリア、謝る事がある」
ある日ローゼリア部屋でアンと共に魔法本を開いていると、父親に呼び出され、そう一言。
「どういう事ですの?」
「すまない!そなたの為の塔なのだが!少しばかり工事を取り止める事になってしまった。穀物における虫の害が酷くてな、収穫が減るのだ。これ以上、民に負担をかけるわけには……、お前にもやめるよう言われていた事だし……」
矢継ぎ早に各領主から届けられる虫の害の報告。家臣達により国の危機が進言される。王として果たすべく責務がある父親は、どちらを優先させるべきか、まだ王としての心得が残っていたのか、それを受け入れた。
心底、すまなさそうに娘に告げる。
対して、心の中で拍手喝采の娘。これでもしかすると呪いが解けるかしらと目論むローゼリア。
「お父様、とても良いご決断と思います」
しおらしく答えた彼女。そう言って貰えると嬉しいと応じた父親。
「そこで、だ!以前から色々考えておったのだか、ローゼリア、いい話がある。ようやくまとまったぞ!」
突然、王としての顔から娘に甘い父親の表情を浮かべた事に、少しばかり不安を感じる娘。
「まとまったとは、なんのお話なのでしょう」
問い掛けに同席していた母親が笑顔で引き継ぐ。
「貴方の結婚のお相手ですよ」
「結婚のお相手?」
唐突なソレにオウム返しの娘。
「そう、相手はダウニー大国の公爵家のお方だ!公爵家といえど、前王の弟君様を当主に頂く家柄だ。ようやく話がまとまったのだ」
嬉しそうな父親。
「ダウニーのお国はお勉強してますよね、ロージィ。長命で有名なお国です。大丈夫!愛など結婚してから育てて行くものです!この殿方なら、千年先に通り掛かりを装う事もできましてよ」
母親が諭すように話す。いきなりの話についていけない娘は、言葉も出ず、おまけに頭がクラクラしはじめた。
……、前に仰っておられた考えている事とは、この事でしたの?わたくしはどうにかして杖探しの為に、この城を出ようと企んでおりますのに……
「あの……、もう決まったお話ですの?」
恐る恐る問いかけるローゼリア。
「ええ、先様のお返事は頂いております。既にお国を立たれてますよ。ご子息ご本人が貴方に逢いに来たいと申されたら、何でも一日千里を駆ける神馬を王室よりお借りさせたとか」
笑顔の母親の言葉を受け、独り書物にて学んだ事を思い出し答える娘。
「その神馬とやらで、風が吹き荒れ波騒ぐ海と、燃える水出る黒の砂の地と、雪豹が吠える氷の山を越えて、ここ迄来られますの?」
「ああ、式の時に顔合わせでもよいと、こちらは申し入れたのだが、どうしても逢いに来たいと仰られてな」
さぁ、忙しくなるぞと溌剌とする父親。
「良かったわね、早速貴方のドレスを仕立てなくてはね。その日は園庭にて、おもてなしするのですよ」
喜ぶ母親は先の事を思案す。これはますます身動きが取れなくなると察知した娘は、お願い申し上げたい事があります。と口火を切った。
「なんだね?かわいいロージィや」
「お父様、お母様。わたくしの事を考えて頂きありがとうございます。他国の賓客を園庭にておもてなし、とのことですが、わたくしはこれ迄そういう場には出るのを控えておりました。ですから、マリーの様に少しばかり外に出てお勉強しとうございます。この国の事を聞かれても、何も知りませんもの」
妹のマリーは時折、取り巻き貴族の誘いを受け、街に遊びに出掛けている。すっかり虫愛でる風変わりな王女となっている彼女と親しくするのを嫌い、険しい顔をするお側仕えに、ここぞとばかりお土産を手渡すと言う、大義名分を大っぴらに使い、部屋に訪ねてくるマリー。
「城下にか……、確かにマリーはあちらこちら、護衛を付けてたが、勉強がてら出歩く事を許しているが、ロージィや、それは難しいやもしれん」
父親が険しい顔をする。なぜですの?わたくしも外をみとう御座います。と問う娘。
「ロージィ、ああ……、魔女の呪いさえなければ……、街に出たら色々辛い事を聞くやもしれません。お前にこれ以上負担をかけさせたくないのですよ、でもどうしても、ならわたくしと共に出かけましょう」
母親がそれとなく話し、娘の意に添う様取り計らう。
……、確かに。わたくしが出歩けば何かしら言われると思います。お母様と。推せば出れるかもしれませんか、恐らく護衛が山と付きます。彼等を放置し、お母様を振り払い、抜け出せば……。罪に問われますわね。きっと……。
別の手を考えましょうと諦めたローゼリア。
――、徒然と日々が過ぎる。城では賓客を迎え入れる準備に追われ、そして突然、塔の建築中止のお触れを知らされた、日々の糧に追われる人々。
先ずは安堵が広がり……。続いて困惑。今迄の暮らしがいきなり変わる。そして流れてくる噂話。
……、どうやら他国に嫁がれるらしい。
はあ?十六から千年の栄誉ある世界はどうなる?
この国では無いのだろうな、嫁ぎ先やもしれぬ。イナゴが襲い収穫がどうなるやもしれぬ時に、他国との婚礼話とは。
ポソリポソリと、街で村で、石が放置されたぬかるむ街道で、愚痴が生まれて蠢いている。
――、わたくしの呪いが感染るかのようにこれ迄、わたくしの事をアレコレ言っておられた皆様のお顔をこうしてお近くで見るとは、よく覚えておきましょう。その面影のお方に出会いましたら、剃りこみ型か、ツルツル型か、あるいは頭頂部に丸い皿型、魔法が使える様になったら、どれにしましょうかしら!
魔法書に書かれてある出来事やら黒き歴史、様々な呪文を読み込んでいるせいか、すっかり下世話になった彼女。
しかし賢明なる王女は内心を巧みに隠している。呪いも地口も思うだけであり、それを表立って行使した事は一度もない。
「マリー様に、ご機嫌伺い。ロッド侯爵家、前に出よ」
儀礼係のもったいぶった声が響く花咲き誇る園庭。一段高く設えた玉座で座る王家の人々。賓客が来るまでの僅かな時間、抜け目の無い貴族達のご機嫌伺いが始まっていた。
「皆様におかれてはご機嫌麗しゅう御座います」
ローゼリアと同じ年位の息子を連れた、小太りの侯爵が、帽子を手にし礼に乗っ取り口上を述べる。
「ベンジャミン!マリー様ご挨拶を!」
息子の名前とマリーローゼの名を、殊更大きく呼ぶ父親。ベンジャミンと呼ばれる子息は、目元涼しく鼻筋通った顔立ちの少年。父親に言われるままに動く。
「あふ……、お姉さま退屈です」
大きく扇を広げて顔を隠し、手には宝物のハンカチを握り締め、欠伸を噛み殺すマリーローゼ。隣に座るローゼリアにコソリと話す。
「貴方にご挨拶でしてよ、ちゃんとしなさいな」
「フン!お姉さまに、優しくしてこなかったお人は嫌い!見てなさい!わたくしが女王になったらどうなるか!」
妹を諭したローゼリア。しかしプイッと、そっぽを向く、姉大好きマリーローゼ。
「ねぇ、お姉さま。わたくしこういうお時間は、大嫌いでしたの。でも今日はお姉さまと、こうして近くで親しくいれるからとても好き」
いたずらっぽく扇に隠れて笑う妹に、少しばかり国の将来を憂いた姉。
「ダウリー大国からのお客様のご用意が整ったと。こちらに向かっています」
「ああ、陛下。いよいよですわ、ローゼリア、分かっていますね」
「うむ。失礼の無いようにしなくては」
両親の話を聞き、仄かに眉間にシワ寄せ姉に問いかける妹。
「お姉さまのご婚約者候補とか。しっかり検分しましてよ!ご存知なの?異国の方でしょう、公用語であるキャル語ですわよね、わたくしはあんまり上手くないのです。そもそもダウリー大国って、どのようなお国なの?」
「ええ。そうよ、大陸が違いますからね、公用語でないと。真紅の火の湖の水を飲み、漆黒の洞窟から採取される『魔石』を食する事で、お力を持たれたお人達のお国なの。だから長命と書物に書かれてありました。国の主な産業は他の鉱石の発掘と加工、とても裕福なお国ですわね」
スラスラと述べる姉娘の声を聞き、満足そうに頷く父親。そろそろ此方に。ひそと王に耳打ちをした儀礼係が、静かに持ち場へ戻る。
……、全くの異国のお方は初めてでしてよ。どのようなお方なのかしら……、少しばかり胸をときめかしたローゼリアと、こちらも退屈から抜け出し、姉に相応しいかどうか見極めようと、目を光らすマリーローゼ。
下の持ち場に立つ儀礼係が微かに眉を潜めた時、ローゼリアは香水を染み込ませたハンケチを、猛烈に取り出したくなった。心なしかさり気なさを装い、遠くに散らばるこの場に招待された貴族達。
……、ふぐ!なんなの?この香りは!お姉さま!助けてと小声で言う妹に、駄目でしてよ!賓客の前です。頑張りなさいと自身もぐらつく心を立て直す。
隣に座る両親をちらりと見るローゼリア、どうやら知っているらしく、父親は小さく開いた口で息をしている様子。母親は香を染み込ませた扇をパサリと開くと、チララと揺らしている。妹に至っては、握り締めていた、イザベル色と化している古いハンカチを鼻に当てている。
「どういうことですの?」
たまらず小声で聞くローゼリア。まだお客人の姿は見えてない、緑生い茂る木々の向こうに、気配があるだけなのだが、匂いがふわふわと漂って来ていた。
その香りは、例えると掃除の行き届いていない雨降りの厩舎の香り。
「ん?ああ、魔石を食らうと体臭が獣並みになるらひい」
「れもお城のお庭で飼われている皆は、そんらに臭わなくてよ」
マリーローゼが父親に唇を尖らせ話す。口で息をしながら目にも染みて来ましたわ、涙が膨れるのが判るローゼリア。母を習い扇を開いた。
「アレたちは庭番が時折ブラッシングひたり、暑い盛りは洗っておるひゃらの……、先ふは大きく息を取り込み溜める。少しずつ吐き出し、なるえく鼻で吸ひ込まぬ様注意をしつつ、息継ぎをするのだ、耐えるのだ!」
国王が胆力を込め娘達に教える。外交ではよくあること故、お前もいい機会だ学ぶ様に、と諭す。
……、えぇ!知りませんでした。大丈夫かしらわたくし。でも!王室の名にかけ!王女として、失礼の無いように、耐えてみせますわ!お父様。
こくんと頷くローゼリア。匂いがこちらに向けて来ることが判る。儀礼係が大きく息を吸い込んだ。彼も知っている対応策、彼女もそれに習う。
「ダウリー王国、シノゼンヌ公爵家御子息、ジェリファ様」
流石の能力を発揮する儀礼係。淀みなく朗々とした声が響く。目に力を込め、父親の教えを必死で守る王女の眼の前には、その強烈な匂いの元が儀礼に乗っ取り、優雅な所作で顔を上げた。
……、まあ!なんて素敵な……、ふぐ!息が漏れてしましました。いけません。耐えるのです!わたくし!
自身に叱咤激励をするローゼリア。眼下に控える異国の装束に身を包んだ賓客。神馬で駆けて来たからであろう、従者の姿は居ない。
黄金色の髪に褐色の肌、透き通った切れ長の翠の瞳は爽やかで、鍛えられているのが服の上からでも判る体躯。見惚れる様な異国の美丈夫が、目に染む体臭を放ちつつ、とろける笑みを彼女達に向けていた。
「美しきローゼリア様、並びにマリーローゼ様。ご機嫌麗しゅう御座います。お二人はまだ、硬い蕾のご様子。しかし姫のその花開く時、この世に咲く全ての花はその美しさに負け、顔を隠す事であろう……、できる事ならば、その薔薇の唇に触れる栄誉は我にあらん事をここに願う」
耳に甘く届く優雅な社交辞令。くすぐるバリトンボイスが、リズミカルに彼女に届く……。それはまだまだ幼い二人の乙女心には、些か大人の世界。気を許せば大変に事になる。必死に女神の微笑みを高貴なる客に向け続けるローゼリアと、
……、ほえ……、しゅてき。おへえさま、しゅてき。どうひよう、おれえさまの『婚約者候補』れしゅのに。
恋の魔法にかかったマリーローゼが、ほう……、と頬を薔薇色に染めて異国の殿方を、隣で座り潤む瞳で眺めていた。
宝物である、イザベル色の古ぼけたハンカチをしっかりと握り締めて。