いばら姫は知らぬところで恨みをかう
ほのぼの明ける空の下、歌声流れし城の中。
ピュイピュイ、チチチ。小鳥は彼女と共に歌い、そよ吹く風は甘く混ざり暁の空へと運ぶ。花々に宿を取る虫達は、心地よい旋律に身を揺らす。
……、こういう物が視える様になるとは。魔女の弟子となったからですわね。痛くはありませんが、気持ちの良い物ではありません。
ローゼリアは、自身の左手首をぐるりと回る艷やかに黒く光る細い糸に目をやる。それはあやふやに繋がり空に浮かび、外に外へ伸びている。
放置された石の塔にはモヤモヤとした陰が蠢いている。それは少しばかり薄らとしながらそこに滞っている。糸はそこに繋がり、更に先へと伸びているソレ。
「塔の工事だけではなかったのかしらね。わたくしは一体、誰に恨まれ呪いをかけられているいるのかしら……、城奥深くに居ると、さっぱり視えませんわ」
さあ、どうやって城から出ようかしらね。チチチ、ピピ。彼女を慰める様に、その頭上を囀りながら舞い飛ぶ小鳥達にポツリとつぶやき、部屋へと戻った。
――、カーテンを開けぬよう言いつけた部屋で、ローゼリアを罵る者がいる。朝など来なければよいのに、枕を涙で濡らす令嬢。
「どうして!呪いをかけられた王女、それもまだ子供に負けなければならないの!悔しい!とっとと千年でも二千年でも、ええ!永遠に眠ればいいのに!」
寝具を頭から被り、昨夜、日付が変わってから戻ったあと、幾度も幾度も同じ事を喚いている。
……、どうして?わたくしが、まだ社交界もデビューしていない、あんな子供に負けなきゃいけないの?何か理由があるのよ!何か……理由が。
頭の中で繰り返す理由探しと、茶番劇の様な昨夜の記憶。
彼女は昨日のあの時迄、幸せの絶頂にいた。
「お嬢様、素敵で御座います」
そう?召使いに褒められ満更でもない、マリア・メアリア・ブラウン伯爵令嬢。艷やかに結い上げた髪には、豪華な金茶によく似合う、エメラルドの髪飾り、温室で育てられた珍しい大輪の白い花を合わせている。濃い青のドレスには金糸の刺繍。
「間に合いましてなりよりです。お嬢様」
裾を直しつつ主に媚びる召使い。
「ええ、ドレスの刺繍が間に合わないかと案じましたけど、あの者達はすぐサボる事に気を向けますから、しょうがないですわね」
メアリアは差し出された宝石箱から、星屑の湖から産出される、珍しい淡水真珠を連ねた首飾りを選ぶ。
……、きっとセドリック様は、きっと何時もの様に、ぶっきらぼうに褒めて下さいましてよ。うふふ。恥ずかしがり屋さんですからね。皆に言われますの。女性を褒めるのが苦手な殿方は駄目だと。でもわたくしはその様な事は気にもなりません。人には得手不得手がありますものね。相手を思いやる、淑女の心得でしてよ。
格上の公爵家と婚約を決めた事から、やっかむ周りの仲間達は彼女の扱いが雑だと、口をそろえて文句をつける。その度に彼女は少しばかり優越感に浸った。
「御忠告、感謝いたしますわ。皆様お優しいのね。公爵家に嫁いでも、これ迄通りに仲良くさせて頂きましてよ」
その様な事はありませんけれど……、格下の貴方とはこれで終わりですわ、腹の中で高笑いをしつつ、扇をチラチラ揺すりながら、メアリアは幸せを噛み締めていた。
「そうそう、お嬢様。レイチェル様のお話は本当ですの?」
首飾りを留めながら召使いが問う。この話はもう既に繰り返された話題なのだが、主のお気に入り。
「ええ、何をされたのかしらね、フフ。みっともない、今は修道院にて、ほとぼりをさましているそうよ。人の噂も何とやらと言いますからね」
「そうなのですか。では、その。上の王女様が、とっても変とは本当ですの?」
水を向ける。これも主の好きな話題。
「ええ、王女様なのにね。でも仕方ありませんわ、なんていったって、呪われているんですから。生前の行いがよっぽど悪かったに違いない、産まれた時からその魂は呪われているのだと、お城では噂ですのよ、ホホホ」
機嫌良く準備を整える伯爵令嬢。パカパカ、ガラガラ。馬車に揺られて向かった屋敷。そこで行われた、何時もの舞踏会。
何時も様に出迎えられ、何時も様に大広間にエスコートされ、何時も様に羨む視線の中で過ごす、心地の良い時間が始まろうとした時。
「メアリー、君に告げたい事がある」
大広間の中央で、婚約者であるセドリックから、突然の言葉。何かしら。まさか人前で愛の告白?疑う事無く相対したメアリア。
「何かしら、セドリック様」
微笑む彼女は期待で顔が明るく弾けている。
「マリア・メアリア・ブラウン、ここで今、私は君との婚約を解消する!」
し……、ん。華やかに熱くざわめいた世界が、一瞬にして冷たく静かに色を無くし固まる。
「あ、の?」
言葉が出ない彼女を、嫌悪を表し見下げるセドリック。
「咄嗟に何も出ない。つまらないな君は」
……、どういう事ですの?何が起こりましたの?メアリアは理解が出来ない。そしてこういう時、やんごとなき淑女が取る行動はただひとつ。
ああ……、軽く声を上げると気絶するフリ。紳士を名乗る者たちが慌てて彼女を支える。
「そうやって何かあるとフリをして我らを欺く、陰口を叩く、調べもせず興味本位でね。清く正しく美しい、あのお方とは天と地の差」
清く正しく美しい……、そこに込められた声音はうっとりと甘い。耳にしたメアリアは、ギリリと耳が切られる気がした。
「あのお方とは?セドリック様、まさか新しい女が?酷いですわ……、ああ……」
本来ならば、強く詰め寄りたいところを、淑女として振る舞うならば、ここはぐっと堪え、ヨヨヨ、と白々しく抱きとめた紳士の腕の中で、泣かなければならない。その通りに振る舞う彼女。
「まだ、花開かぬ美姫だ。いずれ成人すれば、花も色褪せるお方だ。私はそのお方に、仲間と共に全てを捧げ様と思っている」
仲間……、ハンカチで顔を覆いつつ、セドリックの背後にたむろう、この国でも五本の指に入る、身分高き令息達の顔を盗み見た、メアリア。
……、どういう事ですの?レイチェルの元婚約者、それより先に、マチルダと婚約破棄をしたレイソン家の御方、その前に……、そしてセドリック様も、何故皆様、そんな非道な事を?
面々を見ながらメアリアは不審に思う。花開かぬ美姫。その様なお方が何処に?ぐるぐる巡る彼女の頭の中。
そして思いついた名を上げた。もし、そうであれば少しばかり救われる気がする彼女。
「その花開かぬお方とは。マリーローゼ様ですか?」
ククク……。抑えた嗤いが上がる。
「違うな」
「では……、どちらの?」
「君に言う必要は無いのだが、数分前迄は親が勝手に決めた婚約者だったからね。特別に教えてあげよう。ローゼリア様だ」
ローゼリア様?呪われている、奇妙奇天烈な行動をされる王女?メアリアの耳にこれ迄、彼女達が囁き流した噂の数々が蘇る。
「今迄は、父に言われて我等の気持ちは押し隠していた。そして苦痛な婚約に屈した!しかし!幾ら長命であるとはいえ、他国の貴族と御婚約とは!何たる事。我等が不甲斐ないばかりに。なので我々は立ち上がったのだ、メアリー。ローゼリア様をお守りする為に!『茨の光』を結成したのだ!」
あまりの事にそこから先の記憶は、よく覚えていないメアリア。どうやって馬車に乗り込んだのかも、覚えていない。
……、ああ!セドリック様、セドリック様。小娘に誑かされて。虫を手づかみにするわ、薄汚い本を何時も手にし、しかも何も書かれていないのにも関わらずブツブツ何やら読み込んでいらっしゃるとお聞きするのに……、あちこちで噂になっているのに!悪い魔女じゃないかって!そう!魔女なのよ!あの娘は!
「魔女に魔法をかけられたのよ!きっとそうに違いないわ!」
寝台の中で泣き叫ぶ、メアリア。彼女を案じもう既に、一部始終を知っている両親が、直にここに来る。
メアリアは、はたはたと涙を零しながら、切々と昨夜の出来事を話す。娘の手を取り涙を流す母親。
「お父様。お母様。セドリック様や、皆様には罪はございません。術をかけられてるのですわ。きっと!悪いのは王女様にも関わらず、悪い魔法に手を染めた、ローゼリア様でしてよ」
彼女の屋敷での話。
そして、セドリックは、父親である侯爵から呼び出しを受けていた。
 




