いばら姫と母親と内緒の話
ヒュウとした夜風が、コトカタカタコト。音を立てている。アンの著す文字を読む時間。油が切れ、ジジ、ホヤの中で火が落ちる。
さて、寝ましょう。ローゼリアはアンに手をかざし戻すと、パタリと琥珀色した装丁のフリをしている斑の本を閉じた。
心地よい疲れが眠りを誘う。弟子になる前は夜が怖かった彼女。数を数える事を覚えた頃から毎夜毎夜、こうしていられるのも、あとどれぐらいあるのかと、指折り数えていた。
先が見えない。大人になったら……、妹のマリーローゼは社交界に憧れる話をする。どんなドレスにするか、お相手の人は……、砂糖菓子の様な夢の話を膨らませ、花を開かせていた。
忙しい中でも時折出て来る様誘われる、個人的な家族のお茶の時間。そこで妹が母親に聞く社交界のあれこれ。
キラキラ目を輝かせ母親の話を聞き終えると、決まって姉さまは?と問うマリーローゼ。返事に困っていた彼女。
その頃は千年に幾年か足した先。どうなるのか。不安で押し潰されそうになっていた日々。
「大丈夫。大丈夫。ちゃんと魔女になりさえすれば……、心配なんてないはず」
口に出し、自分に言い聞かせるローゼリア。
……、それにまだ先、明日の朝が来たら、ちゃんと目が覚めるから。大丈夫、眠っても大丈夫よ、ロージィ……。
訪れた穏やかなる闇に身を任せ、瞼が自然におりたその時、隣の小部屋で控える侍女が報せを運んできた。
それに応じ、身体を起こすローゼリア。
「お母様が?ええ、よろしくてよ」
……、何事かしら。でもわたくしが小さい頃は、よくこうして来られてました。
小さな頃を思い出し懐かしむ彼女。
「そのままでよろしいとの事ですので、お身体が冷えぬ様、これを」
ふんわり薄い毛織物を肩に着せかけた侍女。就寝の為に解いていた髪をリボンで柔らかく括る。用意が整うと、ごく僅かな侍女を連れた王妃が入ってきた。
――、「もう休んでいた?」
そう問われたローゼリアは、いいえ、大丈夫ですわと答える。
寝台の端に座る母親。
「小さい頃は良くこうして来たものね。今日はね、貴方の将来についてお話しようと思うの」
「ええ、時々来られるのを、寝たフリをして待っていましたわ。うんと小さい頃でしたけど。その事ですけどわたくしもご相談があります」
「それは何よりね。ここ数年で背も伸びて、すっかり大人になられてますわね。お父様はこの先が心配で心配で、最近おつむりがお寒うなりつつあらされます」
娘の事だけでは無いのだが最近、心労が重なり些か薄くなりつつある父親。
「わたくしの他にもご心配事が?」
「国を護ると言う事は大変なのです。ですからひとつひとつ、軽くせねばなりません」
毅然と言う母親の言葉を受け、背を伸ばす娘。スッと手を振り、控えている侍女達に部屋から出る様、取り計らう母親。
ススス……、パタン。扉が閉められた。
「じゃぁ、先ずは貴方のお話を聞きましょう」
二人きりになるのを待ち、問いかける母親。どう話そうかと少しばかり思案する娘。
……、マリーの事もお聞きしたいのですが、この機会です。絶対駄目だと仰られますが、あの事を頼んでみましょう。
「お母様、お願い申し上げたい事があります」
「何かしら?」
「わたくし、ほんの少しで良いですから、外の世界でお勉強したいのです」
意を決して頼み込んだローゼリア。
「無理ですわ」
ニコニコ笑いつつ、はねのける母親。
「ちゃんと、十六迄に戻って来ますわ、お願いですからお許し下さいまし」
「ああ、ロージィ。何を考えていますの?貴方は婚礼を控えた身なのですよ。今更何を外にて学ぶというのです」
呆れた口調で諭されたローゼリア。
「その婚約の事ですが、お相手をわたくしから、マリーに変えて頂きとうございます。まだ正式に、教会からのお触れも出てませんから」
「あら?やっぱり異国の香りが気になりまして?」
「ええ、わたくしはどうにも苦手でございます。でも!マリーはとても良い香りとか。その、好ましく思っていますのよ、お母様!」
妹の売り込みを始めるローゼリア。
「まあ!マリーが。最近キャル語のお勉強を熱心にされてるのは、そのせいでしたの。確かに、まだ正式にではありません。でもお相手は貴方ですのよローゼリア。大丈夫、怖がらなくても。わたくしもお父様とは結婚式の夜に初めてお話をしたの。絵姿でしか知らなかったのよ、お互いに。愛とはね、ロージィ。結婚してから育てればいいの」
おぼこな娘が異国の男性に怯えていると思っている、母親。
「いえ、怖がっているのではなく、はっきり申し上げますと、あの臭い匂いが耐えきれないのです。一生、鼻に栓を詰めて暮らす事など不可能ですし、でもマリーはあの香りがとても好きだそうです」
娘は、なりふり構わず嫌悪を話す。
「ああ、その事なら、要はお慣れになられたら大丈夫と思いますの。そこで十六の満月迄に、あの香りを薬師達が再現し、貴方の寝具に染み込ませ、それに包まれ眠り続ければ」
任せておきなさい、抜かりはありません。と笑顔の母親。
『いやぁぁぁ!わたくしも、臭くなってしまいましてよ!お母様!』
そう心で叫んでいるがショックのあまり、あうあうとしか声が出ないローゼリア。
「それにマリーはまだ子供。この先相応しいお相手を探せばいい事」
娘の頭を愛しげに撫でると、おやすみなさいと立ち上がり、娘を襲った嵐はふわりと涼やかな香りを残し、去っていった。
――「ああ!どうしましょう!まさかお母様がそんな事を企んでいらっしゃったとは!」
嵐が混乱を残している。寝具を握りしめ、この先をどうするか。考えるローゼリア。
……、そうだ!ふわりと羽の様に何とか浮かんだら、風に乗って出れるかもしれない!ああ、箒が欲しいですわ。でもその前に、わたくしの『杖の木』を見つけないと。十三の時に、この世の何処かに芽吹いているそれを。
寝静まる時を狙い、窓から抜け出そうかしらと思い付く彼女だが、その様な事を王女たる自分がしでかせば。
「侍女や女官達、そしてなりより護衛の皆様が不始末をしでかしたと、罪に問われますわ。爵位剥奪、一族郎党国外追放、悪くすれば首が撥ねられてしまいます」
……、わたくしの振る舞いひとつが、仕える者達の運命を握っているのです。
魔女の鏡で、囲われた中だが何不自由なく暮らしている事を知っている彼女。国を背負う父親にもこれ以上負担をかけさせたくない。誰もいないのを伺いうと。
決して他者には見せぬ、大きなため息をついた。そして今更ながらに思う。
王女とは、何という不自由な生き物だと。




