59.霧の四貴人
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クウとフェナは、警戒心と猜疑心に満ちた顔で、"藍蜘蛛ニニエラ"と名乗った女性の後ろをずっと歩いていた。ニニエラは女性としてはかなり大柄で、クウとフェナより頭一つ分ほど背が高い。
複雑に入り組んだフィエラルの路地をいくつも抜けた所で、霧に包まれた──巨大な屋敷が眼前に現れた。
「ここは、"霧の館"。さあ、中にどうぞ」
クウとフェナに建物の名前を告げ、ニニエラは屋敷の門の前に立つ。門はニニエラの来訪を歓迎するかのように、ゆっくりと開いた。
屋敷の内部は、とても豪華な内装だった。左右に絵画や調度品が立ち並び、床には赤い絨毯が敷かれている。
クウはフェナと共にその光景も観察しつつ、ニニエラの後に続いて歩く。
「ここは、どういう場所なんです?」
クウが、彼女の背中に向けて質問する。
「昔からこの場所にある、霧と魔力に満ちた建物。今は"中立都市フィエラル"を陰で支配する実力者──"霧の四貴人"の会合に使われてる屋敷よ」
「"霧の四貴人"……ですか?」
「フィエラルの土地にいる限りは、覚えておくべき言葉。フィエラルの土地は、その大部分が四貴人の誰かの縄張りなのよ。──もし、四貴人全員の機嫌を損ねたりすれば、フィエラルで生きていくのは、相当難しくなるかも」
「あなたも、その一人なのかしら? ──ニニエラさん」
クウの後ろにぴったりとくっついて歩くフェナが、ニニエラに質問する。ニニエラはフェナに微笑みで答えた。肯定と受け取っていいらしい。
「……フィエラルは表向き、都市を訪れる者達に──ここは種族間の差別意識を完全に廃した、平等な生活を提供するイルト最高の都市だ、という謳い文句を掲げてる。でも、フィエラルの実情は──その理念とはかけ離れてるわ」
「さっきの……"悪魔"の強盗三人組のことですか?」
クウの言葉に、ニニエラは肩をぴくつかせて反応する。
「多くの種族が共存する都市で、差別意識を完全に無くすなんて不可能。──ドワーフならチビは山に帰れと言われるし、エルフは長耳は森に帰れと言われるわ。マーフォークは魚が陸に上がるなと揶揄される。でも、一番ひどいのは──"悪魔"ね」
「イルトの侵略を止めろ、"黒の騎士団"──とでも言われるんですか?」
「言われるだけなら、かわいい方。──縛り上げられて水路に逆さ吊りにされたり、住んでる家を燃やされたり、最悪の場合は──広場に薪と一緒に括り付けられて、火炙りにされた事もあったから」
クウとフェナの表情が硬くなる。
「その犠牲者の中には……"黒の騎士団"の一員ではない者も含まれているんですか?」
「"黒の騎士団"に所属した事のない者達しか、いなかった。──フィエラルに来る"悪魔"達は、侵略行為なんてもっての外だと考える平和主義者ばかりよ。でも、他種族は"黒い騎士"とそうでない者達を区別しないし、できないのよ」
「じゃあ、僕達を襲おうとしたあの三人組は──」
「"黒の騎士団"に与する事を良しとせず、フィエラルの一般市民として生きる決意をしていた、善良な者達だったのでしょうね。──詳細を聞く機会はなかったけど、これまでにどんな差別や迫害を受けてきたか、想像がつくわ。きっと、かなり苦労したはずね」
クウは口を結んで下を向く。何か、小難しい事を考えている様子である。
「……僕は"イルト"の平和のために、ただ漠然と"十三魔将"を倒す、とだけ考えてました。それは無知から来る短絡的な考えでしたね。本当の意味で平和を願うなら、"黒の騎士団"と戦うだけじゃ、駄目だ」
「その考えが、悪い訳じゃない。"十三魔将"は、全員が悪逆非道な殺戮者。奴らを"黒の騎士団"と共に殲滅する事は、イルトに平和を齎すのに必要な行為よ」
ニニエラはそう言うと、急に体の向きを変える。その方向には、大きな両開きの扉があった。扉の把手に手を掛け、ニニエラは扉を押し開ける。
豪華な家具と調度品に溢れ──中央に巨大な卓子の鎮座した一室が、クウ達の眼前に現れた。
クウ達の正面には、椅子に座って筆記具を持ち、卓子の上で文字を速記する──紳士帽を被り、男物のベルベットを着た、小太りの男の姿があった。
「──伯爵」
ニニエラが、ベルベットの男に呼びかけた。男の手が止まり、青白い顔がクウの方を向く。
「──珍しいな、ニニエラ。お前が、"霧の館"に客人を招き入れるとは」
「どうしても連れて来たかったから、来ちゃった。──予告も無しに連れと来たこと、怒ってない?」
「怒る理由などないからな。俺達は縄張りを区別し、互いの諸事情や稼業には干渉せず、それぞれの利益のためだけに動く。──お前が何処で何をしようとも、俺には関係ない。俺の邪魔をしない限りはな」
「そのつもりは無いわ。むしろ、その逆よ。──この二人を、よく見て」
「もう見たさ。その二人が誰なのかは、分かっているとも。──現状でお前が"霧の館"連れてくる者など、かなり限られているからな」
伯爵と呼ばれた男は、椅子から難儀そうに立ち上がると──紳士帽を取り、クウとフェナに恭しい一礼をする。
"伯爵"の、頭髪の無い頭が露わになる。そして、その額には──大きく曲がった角が二本生えていた。
「お初にお目にかかる、"人間"殿。そして、"上位吸血鬼"のお嬢さん。俺はこの館を所有する四人の資産家──"霧の四貴人"の一人で、"マルトシャール伯爵"と呼ばれる男だ」
「ぼ、僕は──蔵王空介と申します。通称"クウ"と呼ばれる男です」
「……私はフェナ。イルトの一部では、"蝮鱗のフェナ"という二つ名で呼ばれているわ」
クウとフェナがそれぞれ名乗る。クウは一礼をしたが、フェナはただ腕組みをしながら"伯爵"を見ている。
「"人間"──いや、クウ君か。俺の角を見て顔が変わったな? "大悪魔"の角を見たのは、何もこれが初めてでもないだろう」
「ええ……あなたで、四人目です。──"中立都市フィエラル"という言葉を、本当の意味で理解しましたよ。ソウの思わせぶりなセリフは、こういう事だったんだ……」
「前の三人は──"紫雷のゴーバ"、"舞踊千刃シェスパー"、"煤の伯爵ケペルム"だろう。──まあ、もう奴らの角を見る機会など、二度とないのだろうがな」
「ご存じだったんですか? 一体、"青の領域"の何処でその情報を?」
「たった今、入手した情報だ。君の顔色が変わったのを見て、な。──予想はしていたが、確証はなかった。だが……勘が当たったようだ」
クウの頬を一筋の汗が流れ落ちる。珍しく動揺するクウを横目で見たフェナにも、やや焦燥の色が見て取れた。
「俺の情報屋によれば、"赤の領域"で"十三魔将"の消息が相次いで途絶えたという情報は、つい先日の出来事だったはずだ。だが、君達はこうして"青の領域"、俺の眼前に立っている。普通の交通手段を使ったのなら、"フィエラル"に到着するには早すぎる。──考えられる可能性は一つだな、ニニエラ」
「ソウの"輪"──"浸洞"による瞬間移動。あの時ソウが安否確認に行った相棒っていうのが、彼なんでしょ。それなら、筋が通るかも」
部屋の壁に凭れかかっていたニニエラが、伯爵の言葉に答えた。
「ソウめ……。近頃は"黒の騎士団"の雑兵狩りばかりで、"十三魔将"と対峙する気概など、とっくに失ったものと思っていたのだがな。一度は敗北を喫したしたとはいえ、まだ心折れてはいなかったという事か」
「敗北……。何の事ですか、マルトシャール伯爵?」
クウの質問に、マルトシャールが静かに口を開く。
「聞かされていないのか? ソウはかつて、当時の相棒である"輪"の魔術師と共に、ある"十三魔将"へ戦いを挑んだのだ。結果として奴は負けて深手を負い、相棒の魔術師も殺されてしまった。──その一件以来、ソウは騎士団の雑兵とばかり戦うようになり、すっかり"黒の騎士団"と戦う事に消極的になってしまったのさ。かつては、『"十三魔将"を全員打ち倒し、イルトを救う勇者になる』と、会うたびに意気込んでいたのだがな」
「ソウが、そんな事を言ってたんですか……?」
「今も言っているかは分からん。だが、"十三魔将"に挑んで生きて帰っただけでも英雄的だ。──クウ君。ソウはもしかしたら、自分と同じ"人間"である君と出会ったことで、再びその目的を果たそうと考えているのかも知れんな」
クウは、ソウの顔を脳裏に思い描く。クウがイルトを旅する目的──"十三魔将"全員の討伐は、その最初の手助けをしてくれたソウの、かつての目的であったのだ。
ソウは、クウをどういう心境で見ていたのだろう。クウには、想像がつかなかった。




