13.ベッドの上の朝
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七色の色彩に満ちた、歪んだ空間。その空間の中央に、ぽつんと一脚だけ置かれた椅子の上で、クウは意識を取り戻した。
「ここは……?」
小さく独り言を言った後、クウは辺りを見回した。
呻き声を上げる恐竜の骨格標本、グラスからボトルに注がれるワイン。非現実的な映像が、現れては消えてゆく。
「気分はどうだ──人間よ」
クウは声の方向に、素早く顔を向ける。
もう一人の、クウがいた。正確に言えば──クウと全く同じ姿をした何者かが、座るクウを見下ろしている。
「僕と同じ姿? 誰だ……?」
「これは、貴様の姿を借りているに過ぎぬ。私は、貴様ら人間にとっての絶対的な存在──神だ」
「か、神様?」
「そうとも。愛しき、我が人間よ」
不遜な口調の神が、自分と同じ姿で目の前に立っている。この違和感からくる気持ち悪さに、クウは表情を硬くする。
「大いに気に入ったぞ、人間よ。貴様はもう、病に絶え果てた迷える御霊にあらず。確かな一つの命として、貴様の偉大なる存在は──このイルトに刻み込まれたのだ。その身に宿りし二つの"輪"こそ、その証左よ」
クウの姿をした神は、笑いながらクウに賞賛の拍手を送った。クウは不機嫌そうに、それをただ見ている。
「今の貴様は文字通り、この世界──イルトの一部だ。その"輪"の力にかけて、貴様の思うがままに、この世界を生きよ。それこそ私が人間に求める──全てなのだから」
神のその言葉の後、クウの身体が急に透き通り始める。
「うわっ──。な、何だ──?」
「人間よ。幸運を祈るぞ」
薄れたクウの身体が、完全に消えた。
◇◇
ゆっくりと、クウは目を開けた。クウにとって見覚えのある、木目の天井が見えた。瞬時にクウは思い出す。この天井は──ナリアの家である。
クウの身体は、上半身に隙間なく包帯が巻かれ、例のナリア家の巨大ベッドに大の字に横たえられていた。クウはゆっくりと上体を起こす。
「うっ、痛っ──!」
クウの背中に、痺れと激痛が同時に走った。堪らずクウは、再びベッドに倒れ込んでしまう。
「あの時に受けた、雷か……。我ながら、よく生きてたなあ……」
クウの脳裏に、あの時の状況がまざまざと浮かぶ。ゴーバの渾身の一撃から、フェナを庇い──。
──フェナは、あの後どうなったのだろう?
「クウ……!」
震える声がした。いつの間にか開いていた扉から──籠を持ったナリアが現れた。ナリアの目元は泣き出しそうに潤んでいる。
「ナリア、どうしたの? 目がウルウルしてるけど。花粉症?」
「……無理に、元気そうに見せなくていいです」
ナリアはクウの真横に腰を落とし、籠の中を手で探る。取り出したのは、木の葉の上に乗った、灰色のクリーム状の物体だった。
「背中を、上に向けて下さい」
「えっ、何する気? ──妙なこと考えてないよね?」
「早くして」
「はい、すいません……」
クウは痛みに顔を顰めながら、体の前後の向きを逆にする。
ナリアはクウの包帯を丁寧に外すと、木の葉に乗った謎のクリームをクウの傷に塗り込んでいく。どうやら、膏薬の類だったようだ。
「ソウさんから聞きましたよ、クウ達がした事」
「えっ? 僕達って何か変な事したっけ?」
「変どころか、大変な事をしましたよ。まさか──"十三魔将"の一人を討ち果たすなんて……」
「あの敵味方の区別がつかない大男、倒したの?」
ナリアは頷く。クウにとっては初耳である。ゴーバをソウが討伐したまさにその時、クウはフェナと共に意識を失っていた。
「"十三魔将"の一人を倒した。──この事実は私達エルフのみならず、イルト全土に影響を及ぼす大事件です。これから先、地図における黒の領域の版図は書き換えられ、それに代わる別の勢力が力を増すでしょう。いいですか? これは、大変な事なんです」
「そうなんだ。でも、僕に言われても困るね。僕はあのゴーバとかいう悪魔の雷を受けて、倒れただけだ。あの悪魔を追い詰めたのは、フェナだよ。倒したのは──あの状況だと、多分ソウだと思うけど」
「──そう言われると、俺が困るな。お前がいなかったら、あの状況で"紫雷のゴーバ"を倒せたとは絶対に思えねえ。手柄の一部は、確実にお前のモノだろ」
急にクウの隣の空間に黒い亜空間が出現し、ソウがその言葉と共に現れた。ナリアが驚いてクウの方に体を寄せる。
「よお、お目覚めかい? 村を救った英雄さんよ」
「びっくりさせないでよ、ソウ。──英雄って何?」
「お前の事に決まってんだろ。──村を襲った黒の騎士団を撃退、連れ去られた村人を牢獄まで赴いて救助、オマケに敵の大幹部を撃破。まあ、トドメを刺したのは俺だがな。だが、どうだ? 村からしてみれば、控えめに言っても英雄だろ?」
「トドメはやっぱり君か。でも、どの道その称号に僕は相応しくないでしょ。今回の事は、君の力があってこそだった」
「謙遜は度が過ぎると、自慢と変わらねえぜ。素直に褒められろっての。──その背中の傷だけは余計だったな。完治には、ちょっと時間が掛かるかもしれねえ……」
ナリアが丹念に膏薬を塗る様子を見て、ソウの声は低くなる。
「クウ。"ホス・ゴートス"から帰還して来て、どれぐらい時間が経ったの?」
「丸二日だ。今日は、三日目の朝だな」
「じゃあ、僕は二晩も寝てたんだ。──そうだ、フェナは? 彼女はどうしてるの?」
「あの吸血鬼なら──消えちまった」
ソウの言葉に、クウは目を見開く。
「他の連中と一緒にこの村まで連れ帰って、エルフ達に面倒見てもらってたんだ。だが、気が付いたら──消えてたよ。あの吸血鬼が寝てたベッドは、蛻の殻だった。俺もそれに気付いたのは、ついさっきの事でな」
クウは、フェナの姿を思い出す。何故かフェナの事がやけに気になってしまう。クウ自身にも、理由は判然としなかった。
「何か残念そうだな、クウ。だが、お前が気にするべきは隣の可愛いエルフだろ。お前に水を飲ませたり、包帯を取り替えたり、朝から晩までお前の世話をしてくれてたのは──何処のナリアちゃんだろうな?」
「余計な事を言わないで下さい。クウは私達の恩人ですし、私の同居人でもある。ただ、それだけの事です」
「おっ、余計な事だったかい? 悪かったな」
ナリアはソウを一睨みしてから、籠を持ってベッドから離れた。作業は終わったらしい。
「──ふむ。クウ君のお見舞いに来たが、先客がおったようだね」
クウとソウ、ナリアの顔が扉に向けられる。
盲目の賢者ウィルノデルが立っていた。




