第30話:敗北
第30話二週かかって投稿です。
楽しんで頂ければ。
マリアと静香は戦慄した。
マギスパイト北部に有る闘技場で、二人は双子の戦方士キリルとキリカと彼女らの召喚した魔剣士エルリックと戦っていた。
一頭の真っ白の一角馬にマリアと静香、対する双子も黒い一角馬に二人で乗っている。
エルリックだけが戦馬に一人で騎乗していた
一角馬“ホワイトミンクス”の緊迫した念話が伝わってくる。
“左からエルリック――右から双子が――”
静香は魔剣ストームブリンガーを“神殺し”で真っ向から受け止める。
マリアは右に防御の魔法を張ってキリルとキリカ――癖のあるプラチナブロンドを短く刈り込んだ弟キリルと長く伸ばした姉キリカの攻撃を――腕に剣様の黒い魔力を乗せた攻撃だ――を防ぐ。
マリアと静香は双子は後衛に徹すると思っていたのだが、予想を裏切って三人が一斉に白兵戦を挑んできたのだ。
静香は“神殺し”に触れた物を破壊する光の魔力を発生させたが、ストームブリンガーを破壊する事は出来なかった。
エルリックはニヤリと笑うと魔剣を平突きで突いてくる。
躱せばそのまま横薙ぎに剣を払ってくるだろう。
静香は“神殺し”で巻き込むように魔剣を受ける。
相手の剣を抑え込む、重心を抑え込み動きを封じた――はずだった。
魔剣の力を借りたのか、身体を震わせるように動かすとエルリックは力で抑え込みを外した。
観衆がどよめく。
体勢を崩されかかった静香はジュラールの指輪の魔力を左手首の小型円形盾に固定すると、魔剣の一撃を小型円形盾で受け流そうとする。
一撃を逸らして相手の体勢を崩すつもりだった。
エルリックは小型円形盾に当たる寸前でピタリと剣を止めた。
信じられなかった。
マリアはキリカの両腕の攻撃を捌くのに手一杯だった。
防御の魔法を更に重ね掛けする。
相手の呪文を封じる為、沈黙の魔法を二人に掛ける。
しかし相手は魔法を弾いた。
通じなかったのは魔法知覚を通じて分かった。
静香を見る余裕は無かったが苦戦しているのは見るまでもない。
マリアは静香を援護する余裕がなかった。
静香は牽制気味に突きを放つ。
エルリックは躱しざまに下から静香の腕目掛けて斬撃を放ってきた。
深緋の鎧の魔力で斬撃は止まったが静香の右腕は衝撃で軽く痺れた。
並みの魔法鎧では腕に深手を負っただろう。
“神殺し”を何とか握り直し次の攻撃に備える。
マリアは攻撃魔法を使う決心をした。
このまま押されていれば致命打を食らいかねない。
魔術杖でキリカの一撃を弾くと同時に呪文を唱える。
魔法の炎がエルリックとキリル、キリカに吹き付けた。
炎は防がれたが一瞬キリル達は怯んだ。
「マリア――跳んで!」
「――はい!」
マリアは転移の呪文を唱えた。
“ホワイトミンクス”ごと二人は10メートルほど離れた場所に姿を現す。
マリアは更に呪文を唱えだす。
一方静香は“神殺し”の刃に気を集中して刀を振った。
金色の刀気がエルリック、キリル、キリカの三人目掛けて飛ぶ。
危うい所で三人は飛んできた斬気を避けた。
マリアは一気にけりを付けようと爆裂魔法を放とうとした。
その時マリアと静香に異変が起こった。
身体が重い――
キリルが呪文を唱えたのだ。
脱力の魔法かと二人は思ったのだが、違った。
“重力魔法――”ミンクスの念話が途切れる。
一頭と二人を重力の増加が襲う。
――三倍――五倍――七倍――十倍――
ホワイトミンクス、静香、マリアは地面に倒れ伏した。
マリアは必死に解呪の呪文を唱えようとする。
腕が思うように動かせない。
瞼を開けている事すら出来なかった。
押しつぶされる様な感覚の中、黒い闇に二人は沈んだ――
* * *
マリアは目を覚ました。
石造りの寝台の様な場所だった。
マリアは深く息を吸って頭を軽く振った。
意識がはっきりしてくる。
「静香先輩――」
マリアは必死に静香を探す。
隣に深緋の稲妻の鎧を着たままの静香が居た。
「先輩――」マリアは安堵の溜め息をついた。
マリアも戦装束のままだ。
「先輩、先輩、大丈夫ですか?」マリアは静香を揺さぶる。
「……ん……」静香が目を覚ます。
「マリア――?」
静香はハッとした。
「私達――負けたの?」
「多分――」
少し離れた所に人影が有った。
「さすがの回復力だ」
人影はキリルとキリカだった。
「私達――グランサール皇国に強制送還させられるの――?」静香は自分に言い聞かせるかの様に尋ねた。
「心配しなくても良いわ」キリカが言った。
「俺と姉貴はお前達の敵じゃない」キリルが後を継いだ。
「ラウル司教に頼まれたんだ。ゾラス副帝殿下もアビゲイル魔導帝陛下も承知の上だ」
「ラウルは死んだんじゃ――」静香が疑問を口にする。
「表面上は、だ」
「表面上――?幽霊にでもなって私達を助けているんですか?ラウルさんの死体は間違いなく――」マリアも尋ねる。
「その質問は後だ。一緒に来てくれ」
キリルが転移の呪文を唱えた。
4人が跳んだのはラウルの遺体が安置された部屋だった。
ラウルの遺体の前に一人の黒衣の女性が居た。
長い黒髪の――宝石を編み込んだ高価そうな装飾の入ったドレスの女性だった。
振り返ったその姿にマリアと静香は驚きを隠せなかった。
「貴女――」
マリアに言い寄った女官だった。
「マリア様に静香様――」笑いを込めながら女性が言う。
「申し遅れましたね。私の名はアレトゥーサ=エイリス=シュメイザル=シュナイデル=オンディーヌ=ゼノンヴェリア。フェングラース君主国の権力を司る三十六魔導士の一人」
口から犬歯様の歯が覗いている。
指からは真っ赤に長い爪が伸びていた。
「吸血鬼――だったんですか?」
「そう。大魔術師ワードナに仕える古吸血鬼でもあるわ」
「カーラム=エルデバインの“姉”でもあるの――ワードナには吸血鬼君主ユーリ様が仕えているから、私も手助け位はしているわけ」
「どうしてここにいるの――?」
「私がラウル司教の血を吸って仮死状態にしたからよ」
「本当なら私の眷属に加えたい所なのだけど」アレトゥーサは妖しく微笑んで言った「貴女方の血を少し吸わせてもらうなら、今すぐラウル司教を蘇らせてあげる」
「吸血鬼になれって事ですか――?」マリアが慄いた様に言う。
「ちょっと血を吸った位で吸血鬼にはならないわ。吸血鬼になるには血を完全に吸われた上に、血を吸った吸血鬼の静脈の血を体内に注がれて、その上で新たに別の人間の血を吸わせて初めて吸血鬼になるの。噛まれただけで吸血鬼になるというのは迷信よ」
「ぞっとしない話ね――」静香が言う「私達の血が絶体に必要なの?」
アレトゥーサは妖しい微笑みを崩さなかった。
「分かったわ――ホークウィンド達の試合まで間もないだろうし、今回だけは許してあげる」
「マリアの血も飲まなければいけないのね」静香は確認する。
アレトゥーサは当然だと言わんばかりだった。
マリアは顔を真っ青にしていたが、ようやくの事で頷いた。
アレトゥーサはマリアの背後に回ると首筋に牙を押し当てた。
「――あ――」首筋に架かる冷たい吐息と牙にマリアが悲鳴に似た喘ぎ声を漏らす。
マリアはアレトゥーサを押し返そうというように手を彼女の体に当てたが、力がこもっていない。
アレトゥーサは優しくと言っていい程ゆっくりと牙をマリアに突き立てた。
牙を突き立てられた首筋から妖しく甘美な、背骨が抜き取られる様な感覚がマリアの全身に拡がった。
マリアは目を閉じた。
血を吸われる感覚と共に、身体から力が抜けていく。
涙が滲んでマリアはすすり泣くような声が出るのを抑えられなかった。
「――もういいでしょ――」静香が堪らず割って入る。
「この子はもう少しこうしていたいみたいよ」
「――先輩――」マリアが恨めしそうな声でか細く息を吐き出す。
「これ位で良いかしらね――こんな美味しい血は久しぶり――」アレトゥーサは口を離した。
くずおれそうになるマリアを静香が抱き止める。
「次は貴女の番よ、澄川静香」アレトゥーサが熱のこもった視線を向けてくる。
静香は背筋が凍るような慄きを覚えた。
「良いわ、来て」精一杯の虚勢を張って静香はアレトゥーサを見据えた。
アレトゥーサが背後に回って静香の首を撫でる。
静香は声が出そうになるのを辛うじて抑えた。
「――早く――して」
アレトゥーサの冷たい息がかかり静香は思わず身震いした。
アレトゥーサは一気に首筋に噛み付いてきた。
「あッ――!!」静香は思わず声を漏らしてしまう。
冷たい氷水を脊髄に注ぎ込まれた様な感覚が静香を襲った。
「やっ――」身を振って抵抗しようとするがアレトゥーサの力は強かった。
両の腕をしっかりと掴まれて身動きが取れない。
じわじわと身体が冷えていくような、身体の芯から少しずつ凍り付いていくような、そんな感じだった。
「んっ――」身体から血が抜けていくのと同時に力が入らなくなっていく。
「まだ――なの――?」半ば陶然とした口調で静香が精一杯の声で尋ねる。
「そんな余裕が有るの」アレトゥーサは血を吸う力を強める。
静香はいやいやをするように首を振ろうとしたが牙は増々食い込んでくる。
「――お願い――もう」静香は泣いて懇願した。
永遠に続くかの如き苦痛の様な悦楽に静香は意識を失いかけた。
いつの間にかアレトゥーサは牙を外していた。
アレトゥーサの手で倒れこむのを免れた静香は大粒の涙を零してしまう。
アレトゥーサが同性だったのがまだ救いだった。
男性にこんな感覚を味合わされたら屈辱感で死んでしまうかもしれない。
静香は本能的に半ば飛びかけた意識を何とか戻そうと足掻いていた。
「貴女の血――七瀬真理愛に負けず劣らず美味しかったわ――」アレトゥーサは満足を隠さなかった。
「約束は守るわ――軍師にして賢者、ラウル司教、目覚めなさい」アレトゥーサが呪文を唱える。
アレトゥーサの手から魔法の光がラウルの身体に吸い込まれた。
さほども経たない内にラウルの瞳が開いた。
ラウルが話し出した――普段よりゆっくりとした声だった――。
「約束は守ってくれていた様だね、古吸血鬼アレトゥーサさん」ラウルは力無く寝台に寄りかかっているマリアと静香を見て状況を把握した様だった。
「貴女って女性は――」ラウルの諦念の混じった軽い憤りの言葉をアレトゥーサは遮った。
「文句は無いでしょう――貴方も彼女達も吸血鬼にはなってない」
「それに貴方が“死んで”いた間、証拠集めもしていたのは私よ」アレトゥーサは有無を言わせない口調で言った
「少しくらいの役得は有っても良い筈よ」すねた少女みたいな話し方だった。
「はいはい」ラウルはこれ以上は言っても無駄だと悟った。
「キリルさん、澄川静香と七瀬真理愛に回復魔法を頼めるかい」
「分かりました」
「あと僕にも回復魔法を――4日も死体だと身体の硬直がすぐには解けない――」ラウルは屍衣を脱ごうとしたが身体が言う事を聞かない。
口も上手く回らなかった。
4日死んでいたラウルは魔法も直ぐには使えない。
キリカが下に着ているラウルの日常衣を傷つけないように屍衣を切り裂く。
キリルは先ずラウルに回復魔法を掛けた。
「――有難う」ラウルは立ち上がろうとして少しよろめいた。
キリルはマリアと静香に体力と魔力を回復させる魔法を掛ける。
「――ん」先に目覚めたのはマリアだった。
マリアは血を吸われる静香の姿も見てはいたのだが、夢見心地だったので現実味が乏しかった。
意識がハッキリしてきたマリアは思わず首筋に手をやった。
傷跡も残ってはいない。
静香の首元も見た。
首筋はあくまで滑らかで、血を吸われたとは到底思えない。
「――先輩――大丈夫ですか?」マリアが思わず大声で静香を揺さぶる――答える様に静香が目を覚ます。
「――マリア――」静香もまだ夢を見ているかの様だった。
「先輩――」マリアが静香に抱きつく。
マリアと静香は受けた辱めにまだ放心状態だった。
二人にアレトゥーサが近づく。
身を寄せ合ってマリアと静香は息を吞む。
抵抗しようという意思も呼び起こせない。
アレトゥーサはまるで幼子に語り掛けるかの様な優し気な口調で言った。
その口調にマリアと静香は恐怖の絶頂に達しそうになった。
「時間が無いわ――私の目を見なさい――澄川静香と七瀬真理愛――異世界から召喚された勇者達――」
アレトゥーサの目が妖しい光を帯びる「――貴女達は純潔を汚された訳じゃない――」
マリアと静香は目を逸らす事も出来なかった。
ありとあらゆる色を含んだかの様な瞳の煌めきを見ている内に恐怖心が消えていく。
「――純潔を汚された訳じゃない――」マリアと静香が呼応した。
「――貴女達は何も傷ついていない――」
「――傷ついていない――」
「――貴女達はどんな事にも負けない――」
「――負けない――」
「――貴女達は今日の出来事を思い出しても影響が無いくらいに強くなるまでは思い出さない――」
「――思い出さない――」
吸血鬼の催眠術だ。
ラウルは良い顔をしなかったが、時間がないのも事実だった。
一時的とはいえ精神的な敗北を隠す事は好ましくない――ラウルはそう考えていた。
二人には正面から負けた事実を認めて、そこから強くなって欲しかった。
その方が結果的にはより強くなれる。
アレトゥーサは催眠を終えた。
「――目覚めなさい――」
“正面突破だけが答えじゃないわ。手助けを得て目的を達成する事も必要よ、ラウル司教”アレトゥーサが念話でラウルに伝える。“何が何でも強くならなければいけないというのは男性原理が過ぎるというものよ――”
その時部屋に遠くからのどよめきが聞こえてきた。
ホークウィンドとアリーナの試合が始まるのだ。
マリアと静香は先程までの恐怖が嘘のように消えている事に気付いた。
血を吸われた事も覚えているが、他人事の様にさえ感じられる。
「血を吸う為に使うものを、こんな形で使うなんてね――」アレトゥーサは嘆息した様に言った。
「先に行きなさい――私に日の光は大敵なの」
マリアと静香、それにラウル、キリル、キリカはマリアの転移の呪文でホークウィンド達の戦いを監視するべく――最悪の場合干渉すべく――飛んだのだった。
あれーおかしい。
今回予定ではアブナイ話にならないつもりだったんですが。
 




