7 寒空の下で
季節は春分。つまり三月下旬の形式上の春。
山に積もった雪は徐々に溶け、残雪や湿った土がところどころに見られた。今日はおてんとさんが雲の後ろに隠れていて、一般的に言うと悪い天気だった。
とはいえ、寒さは冬そのもの。野生動物たちは未だに冬眠中だ。
そんな中、魔王の牢獄の入り口付近の壁に寄りかかる上半身裸の男がいた。
「ふふ、そろそろ時間か……。アイツはどこまで任務をこなせるかな……」
なにやらカッコつけてブツブツ呟いているが、半裸で腹ぷよなので誰かに魅かれるわけもなく、ただの変態として存在していた。もちろんこの半裸野郎は寒さのあまりいまにも凍えそうである。
シャリン。
ダンジョンの入り口の鈴が唐突に鳴った。
「おっ、そろそろ新しい帰還者が来るな」
半裸はズボンのポケットから果物ナイフを取り出して構えた。
この半裸の目的はひとつ。
「今度こそ身ぐるみ剥いでやる!!」
実際手がかじかんでブルブル震えている半裸。この機会を待っていたかのように嬉しそうに叫んだ。
しばらくすると、ワープリングが少し高い位置に出現し、二つの影が落下してきた。
「いやいや、そこは生クリーム明太子バナナスパゲッティだろ?」
突然の落下に動揺することなくスタッと着地する黒髪の少年。
『主こそおかしいやす! ゴブリンのケチャップハンバーグスパゲッティしかありえないやす!』
もはや落下などなかったかのように浮遊するボロウサギのホラー生首。
(……よりにもよって子供かよ⁉ しかも帰還して第一声がそれ? まぁそれはおいといて。生活のためなら子供だろうが関係ない。金目の物をバンバン盗む!)
半裸はこっそり少年の背後に回り込んだ。少年の首にナイフを当てて脅迫する予定だったが、半裸は”あること”に目を奪われてしまった。
(このガキ、血だらけだ!)
黒髪の少年はワイシャツというせっかくのしゃれた服を着ているのだが、全身に血が染み込んでいた。それも普通の人間では考えられないほどの量。
(まさか、コイツゾンビなのか⁉ 計画はまだ始まっていないはずなのに!)
半裸は不安を抱えていた。この少年の形の生物に手を出してもいいのだろうかと。
そんなこんなで半裸があわあわしていると、
「うぐっ!!」
ちょうど半裸の鳩尾に魔力弾と思われるボールがぶち当たり、
「で、後ろの変態は何がしたいんだ?」
少年がギロリと不機嫌な様子で睨みつけてきた。
ひどい痛みを感じながらしゃがみ込む半裸。上を見上げて少年の顔を見た瞬間、足がガクガクと震えだした。
「お、お前は……………………邪王龍!⁉」
「おー、あのクソ生意気な青年じゃないか。どうしたんだ? 『コイツの服汚ねーから盗んでも着れねーや』みたいな顔して。寒くないのか? 俺半袖でもチョー寒いけど」
『汚くて着れない以前に、このチビ主の服はサイズが違うやすから無理やすよ』
邪王龍は無言でボロウサギのちぎれた耳の中の綿を「ぶちっ」と抜く。
『うわわああぁぁ!! アッシの血肉がああぁぁ!!』
念力で必死の悲鳴を上げ、空中を転がりまわるボロウサギのランドル。邪王龍は無意識に両手で耳をふさいで無視した。
一方、半裸の青年は絶望したような目で尻もちをついていた。邪王龍はそれさえも無視して話を進めた。
「ちょうどいいところに人がいたな。質問だが、お前が帰還してからどれくらい経ったかわかるか?」
「俺を殺しに来たのか?」
「いや、そんなわけじゃー」
「帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ!!」
青年は腰を抜かしたまま、あの時のような狂った目でナイフを無鉄砲に振り回した。
「おいおい、落ち着けって。そんなことしてる暇ないんだからさ?」
無暴力の圧が精神を押しつぶす。
青年の手からはいつの間にかナイフが離れていた。怯えて動けなかったからか、悔しそうな表情で俯いて言った。
「……………………およそ一日」
もう制限時間は来てしまっていたようだ。これだけ時間が経てば普通の方法で記録晶石を探しに行くのは困難だろう。
「そうか。あーあ、誰かさんがスパゲッティ対決だなんて言うから」
『アッシのせいやすか⁉ それなら急にスパゲッティ食べたいって言いだした主に責任があるやすよ!』
「一応、人間の体なんだから生きるための生理的欲求が生まれるのは当然のことだろ」
『文句言う時いつもアッシが知らない異世界の専門用語っぽいの使わないでほしいやす! 反論できないじゃないやすか!』
「それは勉強不足なのが悪い」
「………………さっきから一人で何を言っている?」
青年の指摘で改めて気が付いたのだが、ランドルの声は念力なので普通の人間には補助加工しなければ聞こえないのだった。しかしランドルも邪王龍も加工しようとしないし、この男にする価値がないと思っていたため放っておいた。
気を取り直して「ゴホン」と咳払いする。
「それで、俺的に人生に関わるこの超危機的状況を回避するには、この半裸の尋問が最善策とみた。異論は?」
『なし!』
「ある!」
「よし! 異論なし! じゃあー」
「ちょ、ちょっと待て!!」
邪王龍が躊躇なしにもう一度同じ魔力弾を青年の鳩尾にぶつけようとしていたが、青年は手をクロスして鳩尾を完璧ガードしながら全力で抗議した。
「なんだ?」
「尋問せずとも話す」
青年は震えた両手を上げて言った。
『やけに素直やすね』
「何か企んでるのか? まぁいいや。お前が何しようが俺には関係ないし。邪魔したら鳩尾殺るし」
『穴空きやすねー』
ランドルは頭の中でその光景を思い浮かべたが、青年が可哀そうなほど痛い目に合っていたのでその時まで考えないようにした。
「単刀直入に聞く。俺の盗撮動画はどこに行った」
青年はきょとんとした。『そんなことが知りたかったの?』というような目だ。
「盗撮? 『幽囚中』のことかな? それならこの通り俺は持っていないわけだから他の三人が持ってると思う」
「そいつらはどこに行った?」
「あの山の上にある祠のほうへ行った」
山の山頂の方を指差した。
『そうとわかれば早速行きやしょう!』
ランドルは軽快に進んでいったが、邪王龍はそれに続かなかった。その握りしめた拳はどこか怒っているような雰囲気を思わせる。
いつの間にか邪王龍の声音が解放されていた。
「お前が何をしたいのかは知らないし、変なことに関わっているのはみえみえなんだが、俺に嘘の情報を流すなんていい根性してるな?」
邪王龍は表面上の作り笑いをした。もちろん、本人は一ミリも面白さを感じていない。青年に焦りが走る。何も言い返せず、立ち止まっていた。
『どういうことやすか? というかなんで主は気付いたんやすか?』
「簡単な話だ。あの三人の魔力の残り香を嗅ぎ取った」
『なんやすか⁉ そのチートは⁉』
邪王龍が調べた結果、魔力は山の麓へ向かっていた。それにダンジョン後にさらに山を登る理由がない。もともとあんな連中なので行動パターンとしては考えられなくもないが、そこは常人の考えをしているだろうと信じることにする。
それでは約束通り。
「嘘吐いたから鳩尾だぞ★」
「はぁ⁉ あれマジ話⁉ 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死…………………パタッ」
乱暴に扱われた魔力弾は限界を超えて、白目を向いて気絶させた。
「最後まで連呼とは……お前に”連呼青年”の名を与えよう」
『超要らないやす』
その時、ものすごい殺気と膨大で濃密な魔力が突然膨れ上がった。場所はやはり山の麓。
「おい、ランドル」
『はいやす。これはヤバいやす。下級の魔物が近づいたら気持ち悪くなって吐いちゃうくらいヤバいやす』
「お前みたいにか?」
『アッシのは違うやす!! あんな下品と一緒にして欲しくないやす!! そもそもアッシの生きる活力は魔力やすし、アッシは体が綿やすからあんなベトベトが出ないやす!!』
「ランドル、汚らしい」
『主がふったんやしょ⁉』
聞かなかったふりをする主。今の邪王龍はいつもよりもせっかちに先を急いでいるように見えた。
「こんなやり取りしてないで早く出発するぞ」
『って言ってなんでアッシの尻尾を掴んでいるんやすか?』
「だって俺動けないし。さっきの一撃で魔力弾に限度がきたし……」
必死に言い訳する主。使い魔は諦めて受け入れた。
『ああもう! わかったやすよ! どっちやすか?』
「きゃあああ!!」
ちょうど目的地の方から甲高い悲鳴が響いてきた。邪王龍は悲鳴があった方を指差した。
「……今悲鳴がした方」
『大雑把やすね……』
「というか今叫んだ奴が盗撮動画持ってる可能性が高い。アノ石の魔力っぽいのがする」
『さすが主! これで自分で歩いていたら一人前だったんやすけどね!』
「うるさい! 早く行けって!」
『わかったやす……』
なぜ邪王龍がこんなに急かしているかと言うと、実は山の山頂の方から麓の比ではない魔力を感じ取っていた。しかし大規模な魔法によってその魔力をまるごと隠されているため、邪王龍並みの限られた魔力の天才しか感じ取れないだろう。
邪王龍はめんどくさい奴らがでてくる前に離れたかったのだ。
ランドルはどこかノリの悪い主を気がかりに思いつつ、面白くないとへそを曲げた。その腹いせとして邪王龍はこの後、百キロ地獄に逝くのだった。
…………………………
急に静まり返ったダンジョンの入り口に蜃気楼のようにぼうっと長身の人影が現れた。どうしても寒いのかコートにマフラーにゴーグルに長靴という雪山から来たかのような完全防寒の格好をしていた。
防寒長身は倒れ伏している半裸青年をツンツン突いた。杖……というかスキーのストックで。
「おーい、おーい。大丈夫かーい」
「……………………そ、その声は……」
青年は仰向けのままぼんやりと防寒長身を見上げた。
「意識はあるようだね。それにしてもよかったね、邪王龍が手加減してくれて」
「悪いことしかなかったですけど……」
「邪王龍を前にして生き残れたこと自体が奇跡なんだよ。あ、でも今は”元”か」
本人がいない前でも強調される”元”。本人がいたら即ツッコまれるやつだろう。生憎、本人はもういなかった。
防寒長身はすべてを知っているかのように声で笑っていた。
「それにしても君はいい仕事をしてくれた。特別に私の上着を貸してやろう」
「ありがとうございます!!」
一気に元気になる半裸青年改めコート青年。防寒長身のほうはコートを脱いだはずなのにその下にも同じコートを着込んでいた。一体何枚来ているかは謎である。
「それにしても……これは面白い実験結果が出そうだ。世界を覆すほどのね」
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「きゃああ!!」
森中に一人の少女の悲鳴が木霊する。
この赤茶色の髪の少女ーカタリは”巨大牛人間”に追いかけられていた。本人はそう呼んでいるが要は妖怪の一種の”件”である。牛の頭に人間の胴体。身長は4メートルと普通の人間に比べれば大きかった。それが四つん這いで追いかけてきていた。
カタリにはその理由が分からなかった。カタリは何もしていないはずなのにいつの間にか故郷の村は亡び、こうして追われていた。
その時、カタリは真正面に一人の黒髪の少年を見つけた。年はカタリと同じくらいかそれ以下に見える。
「早く、逃げて下さい!!」
全速力で走りながら大声で少年に呼びかける。
しかし、少年は逃げも隠れも怯えもせず、ただじっとこちらを見ているだけだった。
すると、彼は急に頭からぶっ倒れた。
「だ、大丈夫ですか!」
ただでさえ体力を消費しているカタリだったが、少年に駆け寄ろうと若干加速し始めた。
パキパキッ。
走っているカタリのちょうど隣で音がした。それはまるで、木が折れたような……。
「えっ? ええええええ??」
カタリは疑問符を浮かべながら突如倒れてきた枯れ木の下敷きになり、地面に突っ伏した。鼻や頬がひどく痛む。足や腕からは血が出たような滴りを感じた。
この時”牛人間”はというと、カタリと同じように木の下敷きになって動けなくなっていた。しかしあまり目立った傷はなかった。
「ようやく見つけたぞ。盗撮野郎」
痛みにこらえながら見上げると、急に倒れた黒髪の少年が何やら怒った表情でカタリを睨みつけていた。
(なんですか? この状況は? どういうことですかぁぁ!!)
カタリは不幸にも”牛人間”よりもヤバイ奴に遭遇してしまったのだった。
ありがとうございます!
長くなりそうなのでここで切ってみました。
予告通り気合い入れて書いているので、次回は2週間後ではなく……明日、12月2日の21:00ごろ投稿予定です。
1月から2月にかけてお休みをいただきたいのでその分を今から稼ぎます。