第六話 転生者の本性
ガチャン
食器が割れる音とほぼ同時に、女性の悲鳴が聞こえた。
俺とガイさんは顔を見合わせ慌てて村長の家の中へ駆け込んだ。
酒と料理の匂いが染み付いた湿度の高い空気が顔にまとわりつく。
さっきまでは、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしていた宴会場は不自然な静寂に包まれている。
いや、静寂の奥で荒い息遣いの音が聞こえてきた。
俺とガイさんは、呆然と立ち尽くしている村人たちを掻き分けその音の元へと走った。
目に飛び込んできたのは二つの肌色だった。
一つは白くて眩しい艶のある肌色。
もう一つは、少し黒ずんみはりのない肌色。
前者の上に後者が覆いかぶさっていた。
それが、タナカが村長の孫娘を襲っている光景だと俺の脳が理解するのに数秒が必要だった。
「な……」
何をしてるんだ?なんで助けないんだ?
二つの思いがぶつかって、口に出る前に消えた。
言葉よりも、体の方が素直だった。
俺は考えるより先に手を伸ばしていた。
タナカの体を村長の孫の体から引き離すために。
俺の目に二人の顔が映った。
タナカに抑えられた村長の孫は涙を浮かべた目で何かを懇願しているようだ。
その上に馬乗りになったタナカは、今朝と同じ大きなクマの上の瞳の奥で狂気の光を発していた。
俺は、右手を伸ばす。
タナカも同じように右手を突き出す。
その瞬間、目の前から俺の右手だけが消えた。
同時に目の前が真っ暗になり、意識が途絶えた。
***
最初に感じたのは、暖かさ。
その次に激痛が右腕を襲った。
その痛みに耐えきれず、俺は目を開けた。
「やっと目覚めましたね」
知らない男が俺の顔を見下ろしていた。
ガイさんやり過ごし若いくらいの、ガッチリとした体格の男と幼く見える顔がアンバランスな男だった。
男の後ろの窓から太陽の光が漏れてきて顔を歪める。もう昼のようだ。
「俺は、何を……」
そう言いかけて、タナカの顔が頭に浮かび全てを思い出した。
タナカが裸になり村長の孫娘の上に覆いかぶさっていた光景も。
「あいつ!」
怒りが全身を駆け巡り、体温が上がるのを感じた。
急いで立ち上がろうとしたのだが、何故か立ち上がれない。
体に力が入らないのだ。
いや、それどころか、右手に関しては感覚すら無い。
「まさか……」
恐る恐る、首を動かす。
そこには、本来あるべきものが無いために、ぺたんこになった袖があった。
膨らみがあるのは、右肩からほんの少し先まで。
「驚くのも無理はない」
右腕がなくなっている現実を消化しきれていない俺に、見知らぬ男は同情の目を向けた。
「あの夜のことは覚えているかい?」
男の問いに、俺は小さく頷くことで返事をした。
村長の孫娘を助けようと俺は右手を伸ばした。
その右手に、タナカの拳がぶつかったのだ。
魔物を吹き飛ばしたあの拳が……。
そこまで思い返して、俺は今の会話の中に違和感を感じた。
「ちょっと待ってくれ、あの夜のことって言ったか?
あれは昨日のことだろ?」
昨夜の出来事を、「あの夜」なんて言い方は普通しない。
と言うことは、俺は数日眠り続けていたことになるのか?
右腕がなくなる大怪我をしたのだ、それくらいありそうな話ではあるが。
そう思っていた俺に、男は信じられない言葉を口にした。
「君の腕が無くなったのは昨夜のことではない。
半年前の事だ」
半年前。
そう言い放った男の目は、嘘をついているようには見えなかった。
俺は恐る恐る、左手を持ち上げ、自分の顎に触れた。
毎朝綺麗に剃っているはずの髭が指に触れる。
長く伸び柔らかくなった髭の感触が、過ぎた時間を教えてくれる。
「何から聞きたい?」
男が尋ねた。
「全部」
俺は答えた。
男は、「まぁそうだろうな」と言って少し笑って窓の外を見た。
その横顔はどこから話せばいいのか悩んでいるように見えた。
男は、
「長くなるよ」
と前置きしてゆっくりと話し始めた。
あの夜のあと、イザカの村で起こった悲劇を。