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鶏卵

作者: ねこ

「未来を見ることは出来ない」

 彼は私にそう言って、満足そうに笑うとゆっくりと目を閉じた。そして、その瞼はもう二度と上がることはなかったのだ。


  母方の伯父がいた。大学で心理学の講師をしていた。母の実家は私達の家から近く、彼の家にはよく遊びに行っていた。物腰が柔らかく、口調や仕草は丁寧で、いつも「ちわー」なんてぞんざいに挨拶を言いお邪魔する私を、「いらっしゃい」と優しく迎えてくれた。そんな彼には口癖のように言っていた言葉があった。

「未来のことを、きちんと見なさい」

 勉強を教えてくれた時も進路の相談をした時も、最後に必ずそう言ってどこか遠くを指をさした。

 それは命令口調であったけれど、彼の言葉として発されると、柔らかく耳に届いた。

 勉強をして入試に受かり、また勉強して、大学を卒業してすぐに就職した。そして就職を機会に、私は初めて実家を出た。

 初めての仕事は多忙で、一人暮らしに戸惑うことも多く、実家に帰る暇も考える余裕もなかった。況してや伯父のことなど、そしてその言葉も、思い返すこともなく何時しか忘れてしまっていた。

 それからまたしばらくして仕事にも慣れ、生活が落ち着くと、1度実家に帰った。父と母はあいも変わらずのんびりと暮らしていた。元気そうで安堵する。周りを見回す。実家は何も変わっておらず、安心と同時に少しだけ落胆した。

 次の日、ふと思い立って叔父の家に行ってみた。チャイムを鳴らす。何度鳴らしても反応がない。叔父はいないようだった。仕方なく家に戻り、そのことを母親に話したところ、どうやら叔父は暫く前から体調を崩し入院していると聞いた。不安を胸に抱いたまま、休みは終わり、私はまた実家を離れた。

  不安はすぐに現実となった。うちに帰ると「叔父が危篤みたい」と、母からの留守電が残っていた。母は私が彼を慕っていたことを覚えていたのだろう。それとも先日聞いたからだらうか。とにかく、今は仕事はそう忙しくない。次の休みに会いに行くことにした。彼には聞きたいことがある。

  病院に着いたとき、伯父は母と一緒にいた。危篤の原因は衰弱で、このまま亡くなっても大往生だ、と叔父は笑っていた。色々話をした。私の仕事のことや今の暮らしぶり、日常のつまらないこと、面白かったこと。そして、昔のこと。

「未来。見えてる?」私はそう尋ねた。

「未来を見ることは出来ない」彼はそう答えた。

 彼はゆっくりと目を閉じて、2度と開けることはなかった。


 目を閉じる前、彼は続けてこうも言った。

「未来を見ることは出来ない。でもお前は見えるのだろう?きちんと見なさい。お前の未来は、今のお前が決めた未来だ」

 そういって枯れ木のような、でもしっかりと年月の詰まった指を伸ばし、「私」を指した。


 私には『未来視』がある。見たくもない未来もはっきり見える。時期の対象もバラバラのそれは、漫画や小説に出てくるような便利なものではない。なにより、見た未来を変えることは決して出来なかった。怖かったし嫌だった。誰にも言えなかった。自分でも受け入れられなかった。だから逃げていた。時折眼に映る、「正しい」未来を追ってそれに従った。失敗した未来なんて見たくもなかった。

 叔父はきっと知っていた。いつからかは分からない。ずっと私に「未来」を教えてくれていた。

 本当は「未来」は作れるものなんだって。

 従うだけの「未来」なんてないんだって。

 未来視は、信じる未来を見るための力だ。

 口下手な彼は、はっきりと言えなかったのだろう。ただ、今際の言葉は、私にきちんと届いた。彼に感謝する。きっとこれは言葉では足りない。

 本当にありがとう。


 私は大っ嫌いだった仕事を辞めた。今は心理学の勉強をしている。伯父に憧れていたけどずっと前から諦めていた勉強を最初からやり直している。出来れば、未来視について解明できたらいいかもしれない。まだまだ勉強は途上で、実際何になるかなんて分からない。未来だって曖昧だ。ほら、単位を落とし俯く私がトボトボと歩いている未来が見えた。でも、諦めてやらない。そう強く思うと、俯く私はきえ、しっかりと前を見て図書館に向かう私が見えた。

 いつか、伯父と同じ研究を続けるのだ。


『私には未来視がある』

 明日は雲ひとつ無い、快晴だ。



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