季節を感じに行く日
誤字脱字が多いかもしれません……。
俺は微睡みから抜け出そうと静かに戦っている。これは毎朝のことで、戦いは長期戦になることが常だった。
激闘の末に勝利をおさめた俺は身体をゆっくりと起こし、何とはなく机の上を見る。そこには、昨日散々食い散らかした駄菓子のゴミが山を作っていた。
夢じゃなかったか。
ふと、そう胸の中でつぶやいた。
「信政、やっと起きたのね」
風華が明らかに「暇でした」と言いたげな表情で俺を見つめている。もちろん空中にプカプカと浮いた状態でだ。
「ずっと起きてたのか」
「寝る必要がないからね。それに昨日も言ったけど、私は長い間眠ってたの。寝溜めは十分よ」
ああ、そうだった。昨日駄菓子屋から帰って来た俺たちは色々な話をしたんだった。目の前にあるゴミの山は、話が長引いた証拠だ。
「すいませんでした」
俺は彼女に向かって頭を深く下げ、具体的には床のあたりまで下げ、膝をついて謝罪をしていた。
「どうしよっかなー。許そうかなー。許さないかなーー」
わざとらしく風華は頬杖をついて俺を見下ろしている。ムカムカくるが、全面的に俺が悪いので反論のしようがない。
「幻覚だなんて言われて、私すっごい傷ついたー。心に深い傷負ったー」
「ぐっ。本当に申し訳ありませんでした!」
俺はさらに床に頭をこすりながら謝罪を継続する。
事実、俺は深く負い目を感じていた。軽率な質問をしてしまったことや、駄菓子屋でのあのこと。全ては俺が幻覚なのではという疑念を持ったことが元凶だ。駄菓子屋でのことに関しては、風華自身が触れてこないほどデリケートな問題だ。自責の念は消えない。
「ま、そろそろ許してあげますか。元々大して怒ってないしね」
あっけらかんとそう言うと、風華はソファに腰を下ろした。
「本当にもういいから、駄菓子でも食べましょ、信政」
信政。帰り道で「私の名前教えたんだから、あんたも教えなさいよ」と言われ、教えた俺の名前。ずっと「あんた」と「君」で会話していたから、彼女の口から名前を呼ばれるとなんだかむず痒い。
そして、同じく帰り道で、お供えものとしてなら食べ物が食べられることを知った風華は、早く早くとソファを叩いて俺に座れと催促してくる。
俺はその催促に抗うことなく、ソファの風華が座る隣に座った。
「うまい棒食べましょうまい棒。流石にこれは知ってたんじゃない?」
「いや、全く」
「こわっ」
「怖がらないで」
自分の世間とのズレに、恥ずかしさがこみ上げてくる今日この頃だ。
世間知らずの自分を妄想の中でボコボコにしながら、彼女が指差すうまい棒とやらを手に取り、両手で彼女に差し出す。一応こうべを垂れることも忘れずに。
「はい。よきにはからえ」
そう言いながら風華がうまい棒を手に取る。手に取ると言っても、俺の手から浮かぶ感覚はない。
「よきにはからえって、別に貢物ってわけじゃないんだけど」
「大体同じでしょ。いいからあんたも食べなふぁいっへ」
途中からうまい棒を咥えていたことは言うまでもない。お供えしてから食べるまでのスピード感ときたら、もう。
御墓参りなどでのお供え物も、このぐらいスピーディーに食べられていると考えたらなんだかシュールだな。
「”うまい”でしょ?」
「うん。何これうまい。うますぎる棒じゃん」
「いやそこまでじゃないでしょ」
いやいや、これはうますぎる。何がうますぎるって、値段のわりに。そこそこボリューム感もあるし、味も濃い。子供が好きなのも頷ける。
「あんた結構駄菓子にハマるんじゃない? 帰り道に食べてたのも全部美味しいって言ってたし」
「かもな」
駄菓子はめちゃくちゃ安いし作りも凝ってる。そしてうまい。もっと早くに知りたかったと後悔するほどだ。
と、駄菓子に感動しっぱなしで忘れるところだったが、彼女とは話し合わなければならないことがいくつかある。それをまず優先しなくてはいけない。
「あのさ、風華が本物の幽霊ってことはわかった。それで聞きたいことが色々あるんだけど」
「聞きたいこと?」
風華がまた一つの駄菓子を指差しているのでお供えをする。
「ああ。風華はどうしてこの部屋に居ついてるんだ?」
この質問に問題はないと思う。彼女の見た目は中学生か、できる限り贔屓目に見て高校生だ。この部屋で一人暮らしをしてましたって感じじゃない。つまり、この質問は彼女の過去や死因に関係してくることはないだろう。
「あー。端的に言うと譲り受けたって感じかな」
「譲り受けた?」
「そう。私がここに居つく前に他の幽霊が住処にしてたの。私より年上の女性の幽霊だったんだけど、その人からこの場所を譲り受けた。ここは長い間幽霊が住み着いてて”場”ができてるし、噂が流れて入居者もほぼ来なくて静かだからって。ほら、私幽霊界じゃ新米だから。お姉さんから手ほどきを受けたって感じね」
「なるほど……」
なるほど、と呟いてみるが色々ツッコミたいところはあった。幽霊って交流あるんだ、とか。幽霊界ってなんだよ、新米ってなんだよ、とか。”場”ってやつはニュアンスでなんとなくわかるけど、俺そんなとこに住んでんのかよとか。
だけど話の流れは理解できた。俺の質問には十二分の答えだろう。
「そういえば駄菓子屋に行く途中で『外に久しぶりに出た』って言ってたよな? 新米だから部屋で静かにしてたってこと?」
また風華は駄菓子を指差す。お供えをして、美味しそうだったから俺も食べた。
「まあそうとも言えるけど……。実際は、あれは、眠ってた」
なんだか歯切れの悪い言い方だった。あと幽霊が眠ることを初めて知った。
「あれが眠ってると言っていいのかわからないけど、眠るが一番近い状態だったと思う。とにかく私は微睡みの中にいたのよ。それを、あんたに叩き起こされたの」
ビシィ、と効果音が聞こえてきそうに鋭く俺を指差している。なんだか裁判で追い詰められたような圧迫感があるが、検察は駄菓子をもぐもぐと食べているのでやっぱり圧迫感などない。
「俺が入居してきて騒がしくなったってことか。でもここ賃貸だからね? お金払って住みに来てるわけだからね?」
そう、正義は俺にある。家賃を払っているのは俺なのだ。ここは、俺の部屋だ! ……のはずだ。
いや、ここの家賃が激安なのは風華がいるからであって、したがって元の家賃から引かれた差額の分だけ彼女が払っているようなものなのでは?
だとしたら、恐ろしくこちらが劣勢になる……!
「起こしてごめん」
劣勢なので俺はとりあえず謝っておくことにした。
「別に起きたくなかったわけじゃないし、謝ることじゃないわよ。どちらかと言うと私が勝手に住み着いてるんだし」
正義は俺にあった。ただ風華の聞き分けが良すぎて正義とか悪とか言ってる俺が性格悪い感じになってる。――正義とは一体、なんなのだろうか?
「いつから眠ってたんだ?」
今の自分の中での思考を全て投げ捨て、心機一転、質問の続きをする。
「えーっと、今って何月?」
「4月」
あっ、と思って付け足す。
「2030年の」
もしかしたら何年ってレベルで眠っていたかもしれないと思った。しかし、その予想は違ってたらしい。
「私が眠ったのが12月だから、4ヶ月以上眠っていたってことね。……そうなんだ、もう4月なのね。この身体だと暑さとか寒さって感じないから、季節感ないわね」
気温を感じないというのはどういう感覚なのだろうか。体温と同じ温度の水に入るとか、秋の小春日和、夏の夜などを想像したが、きっとどれとも違うのだろう。
4ヶ月という数字に関しては、年単位で考えていたからか一瞬短く感じたが、寝て起きたら4ヶ月経っている状況を想像すると恐ろしくなった。
だから風華の表情が曇るのも、不思議なこととは感じなかった。
その曇りを晴らしたいと無意識に思ったのか、俺は突然な提案をする。
「季節を感じたいなら、明日自然公園でも行ってみるか? 自然の中にいるのが一番季節感じられるだろ」
「え?」
風華の曇っていた表情は確かになくなっている。しかしその代わりにポカンとした間の抜けた表情が浮かび上がっていた。
言葉にした後で、突飛な提案だったかもしれないなんて思っても遅いのだ。そして、今日会ったばかりの女の子に「明日自然公園に遊びに行こうぜ」なんて提案はナンセンス極まりない。
俺は慌てて自分の発言をフォローしようと言葉を続ける。
「いややっぱ嫌だよな! 急に変なこと言ってごめん……」
「いいわよ。行きましょうか」
「え?」
今度は俺が間の抜けた表情になってしまう。え、今行くって言った?
「あら、嫌なの?」
「嫌じゃないって! でも、いいのか……? 昨日今日会ったようなやつと……」
風華はフゥーとため息を一つつき、腕を組んだままニヤリと笑う。
「駄菓子が好きな人に、悪い人はいないのよ」
「り、理由が駄菓子……!」
俺たちの、明日の予定が決まったらしい。
「混んでるわね」
「土曜だしな」
俺たちは家を出て、自然公園に向かうために最寄り駅に来ていた。休日でさえ混んでいる電車に乗らなくてはいけないことに嫌気がさすが、俺は免許も車も持ってないから仕方がない。
「風華、今はまだいいけど電車とかで話しかけるなよ? 周りから見たら独り言喋ってるように見られるからな」
「はいはい」
わかってるのかわかっていないのか、判断のつかない声の返事を聞きながら俺は改札を通る。風華はもちろんそんなことしなくていいから改札の上を飛んで通るだけだ。
ホームで少し待つと電車が来てそれに乗り込む。混み合うだろうと予想していたが、案外そうでもなく座ることができた。立っている人もまばらだ。飛んでいるのも一人いるが……。
電車に乗ってからは風華と話すことができないから、俺はスマートグラスで本を読み始める。これは3年前ほどに買ったものだが、買った当初は革命だと思ったものだ。今だにスマホを使っている人もたまに見るが、なぜ買い換えないのか不思議でしょうがない。目の前に座っているおばさんもスマホを使っている。
自分はどちらかというと紙の本が好きだ。しかし出かける時は荷物になるし、電車で読むならこのグラスでいい。それに本やスマホだと下を見なくてはならないからストレートネックの原因となるので問題視されてきたが、グラスならまっすぐ前を見ながら読めるのでその心配もない。目線を感知して自動で文章を進めてくれるからその点も楽だ。
医療の世界でもそうだが、一体人間の科学技術はどこまで発展するのだろうかと、たまに思う。その反面、なぜここは進化しないの? というものも多いが。
そして、発展しても解決しないこともある。医者を目指し学んでいる俺は、つくづくそう思う。誰かが言っていた、『神はどうしても、私たち人間を病から解放したくないらしい。壁を乗り越えるほど、またさらに高い壁を用意しているのだ』という言葉、それを思い知ることになる。誰が言ってたんだっけ、確かあの革新の後だから最近のことのはずだけど、思い出せないな。
本そっちのけで考え事をしていた俺だが、ふと前に座っている子供を見るとこちらをジッと見つめているのに気づいた。いや、俺よりもうちょい上に視線を注いでいる。
何かあるのかとチラッと上を見ると、風華が寝そべる態勢で浮かんでいた。
ま、まさかこの子供、見えているのか?
風華も俺が見上げたことで何かあったことを察し、そしてすぐ子供の視線に気づいた。
どうするのかと見ていると、風華は子供に手を振り始めた。すると子供も恐る恐るといった感じて手を振り返す。
ああ、やっぱりこの子にも見えているのだ! なんだか同士を見つけたようで抱きしめたくなるがそんなことをすると捕まってしまう。ただでさえ最近輪をかけて不審者の定義が拡大しつつあるのだ。まあ、子供に急に抱きつくのは不審者の定義ど真ん中の行動だが。
風華の方もなんだが嬉しげだ。手を振ったあとは子供を笑わせようと、微妙な変顔をしている。そういう行動をするイメージがなかったから見入っていると、それに気づいた風華が恥ずかしそうにそっぽを向いてやめてしまった。
悪いことをしたと風華から目線を外して本の続きを読み始めると、目の前の子供が笑顔でまた俺の頭上を見つめている。それでまた風華が変顔をしているんだろうとわかった。意外と子供好きなんだと、そんな一面を見つける。
次が目的の駅だとアナウンスが告げる。俺は本を閉じ、立って出口付近に移動した。風華はまだ子供の向かい側に残っている。
駅に到着し、ドアが開く。俺は風華に目線を送った。風華は名残惜しそうな顔をしながら子供に手を振ってお別れをし、俺と一緒に電車を降りた。
降りた後もあの子供は窓の外の風華に手を振り続けていた。それに答えるように風華も振り続ける。電車が発車し、見えなくなるまで風華は手を振り続けた。
「人懐っこそうな、可愛い子だったな」
「うん」
寂しそうな横顔を見ていると、こちらまで寂しさが伝染してくるようだった。
普段人からは”ないもの”として扱われる風華にとって、自分を見てくれる存在は思っているより大きな存在なのかもしれない。俺はその中で一番身近な人であることを、もっと自覚しなくてはいけないのかもしれない。
「行こうか、風華」
頭でも撫でてやりたくなる。しかし、俺が彼女に触れることは決してできない。だから、俺たちが触れ合える唯一の『言葉』に、目一杯の優しさをのせる。
「うん。行きましょ」
優しさは伝わってくれただろうか。確認することなんてできないから、望むことしかできない。でも彼女が笑みを浮かべていることで、伝わっただろうかなんて心配は消えてしまう。ただ、俺も笑うだけだ。
自然公園に着くと、自分たちと同じく春を感じようとしてか、人もそれなりに多かった。しかし息が詰まるほどではなく、むしろ安心するぐらいの混み具合だ。
「気温とかは感じないけど、空気が澄んだ感じはするわね。なんか気持ちいい」
「そうか。確かに気持ちいいな。花とか土の匂いもして、春って感じだ」
風華が仰け反りながらこれでもかと深呼吸する。普通なら後ろに倒れている角度だが、浮けるからこそのダイナミックな深呼吸だ。
「花と土の匂い、しないーー!」
「匂いは感じないんかい」
冷静にツッコむ俺だが、この匂いがわからないのはなんだか不憫に感じた。この草花が芽吹く季節、草木の匂いがあってこそ春を実感するというものだ。
そして俺はひらめく。そうだ、お供えだと。
俺は、芝生にたくさん無造作に咲いている花を一つだけ摘み、風華に差し出す。
「これでどう?」
風華が花を受け取り、それを顔に近ずける。
「するーー! 信政! 匂いするよ!」
思った以上にはしゃぐ風華にちょっとだけ吃驚したが、驚き以上に匂いを感じてもらえてよかったと嬉しさが込み上げてくる。
「すごいわね、お供えパワー!」
「お供えパワー」
口に出して言ってみたくなる日本語一位に輝きそうな単語だ。事実俺は流れるようにその単語を口にしてしまっている。
「信政、草もお供えして!」
草をお供えってすごく変な気がするが、言われた通り草を数本むしって差し出す。それを風華が嗅ぐ。
「草の匂いする! すごい! 信政、次は土よ!」
「いや土は無理だろ! 芝生だぞここ!」
「……、掘り返す?」
「めちゃくちゃに怒られそう!」
流石に土のお供えは諦めてもらった。
芝生の脇を通る道を進んでいくと色々なスポットに行けた。石畳の道の左右に、力強い緑の葉をつけた木々がずっと遠くまで続いているところや、葉が屋根のようになっていてまるで別世界に来たように感じる迷路のような作りの場所、さながら森に迷い込んでしまったかと錯覚しそうな大自然な場所。
それら全てに違った面の春を感じられた。風華のために来たのだが、俺も十分楽しんでいた。風華も終始笑顔で、来てよかったと思えた。
芝生の場所に戻ってくると、さっきは真反対にあった池の周りに出る。何とは言わなくても、俺と風華は池の方に歩いていく。
池には睡蓮が浮かんでいた。風が吹いてたくさんの睡蓮がゆらゆらと揺れているのをみると、一つの生き物みたいに見える。
「あ、カモさんがいるわよ!」
カモにさん付けするあたり、すごく子供っぽい。それに風華は全く気づいていないのだろう。無邪気にカモさんカモさんと連呼している。
カモは水辺から遠いところで泳いでいて、残念ながら近づくことはできない。
「遠いな。まあしょうがな……」
しょうがない、そう言おうとした瞬間に、風華はものすごい勢いでカモに向かって飛んで行った。
「ちょ、風華⁈」
別に言っているわけじゃないだろうけど、「うおおおおお」って言ってそうな勢いでまっすぐにぶっ飛んでいく。
しかし、野生の勘というやつだろうか。風華がもう少しでカモのところに着くというところでカモたちは一斉にに飛び立ってしまった。遠目でも風華が「ガーーーン」とショックを受けているであろうことがわかる。
帰ってくる時の風華は、飛び出して行った時とは違いトボトボと帰ってきた。
「ざ、残念だったな」
「うう、カモさん」
そんなやりとりをしている後ろで、カモはちゃっかり同じ場所に戻ってきていて、また風華が「ガーーーン」となっている。
飛び疲れたらしく、風華の提案で近くのベンチに座る。
ちょうど周りに人が少なく、とても静かだ。聞こえるのは微かな水の音と、後ろで風に揺れる木々の音だけ。ベンチは日陰になっており、俺たちに降ってくる陽光は葉の隙間を抜けてきたわずかなものだけ。しかし座っていると、次第に光が落ちている場所がポーッと暖かくなってきて、またここでも春の訪れを感じる。
隣に座っている風華はまだ池のカモを見ているらしい。水面に反射する光に目を細めている。
風が吹くと体の表面の熱をさらう。それがとても心地いいことを風華と共有しようとするが、風華の髪が揺れていないのを見て、口に出すのをやめた。
「眩しいな。今日は一段と日差しが強い」
「確かに。眩しくて目が痛いわ」
痛みを感じるのか、と驚いたがこれもまた痛みに似たようなもの、なのだろう。
「でも、嫌いじゃないかな」
「ああ、そうだな。春の証だ。そのうち、すぐ夏がくる」
風華は一層眩しそうに、目を細めた。
「そうね」
池のカモをボーッと目で追っていたのだが、なんだか視界の端にチラチラとこちらを見ている人たちがいることに気づいた。
どうやら、うちの大学生らしい。
三人で俺を見てコソコソと話しながらベタついた笑みを浮かべている。話し声も、聞こえないようにしようというのは雰囲気だけで、明らかに俺に聞こえるように話している。
「有名人の柊さんが、こんなとこで一人で何してんだろ?」
「さあ。一人なのは友達がいないから、ってのは確かだな」
そこでまた彼らは大きく笑う。
無意識にため息をついてしまった。人間っていうものは平和を叫びながら、なぜこういう日常の場面での平和は平気で無視をするのだろう。考えてもしょうがないのはわかる。人は決して理性的ではない。しない方がいいことを、物事を恣意的に感情で判断し、深く考えずに実行する。考えるのは事が大きくなった後。ほとんどの人間はそれが普通なのだ。
彼らも、僻みという感情で、理性的ではないことをしている。
ハッと俺は気づく。今は隣に風華がいることを。彼らの声が彼女の耳にも届いていることを。
「ごめんな、風華。嫌な気分……、ってあれ?」
隣を見ても風華はいなかった。思考が刹那的に止まったが、すぐにまた再開する。再開のきっかけは、先ほどの彼らの焦ったような声だった。
「え? え? ちょっ、なになになに⁉︎」
「おい! お前どこいくんだよ!」
彼らの方に顔を上げると、一人が池の方に向かって転びそうになりながら走っているようだった。そう、普通の人には見えるのだろう。しかし俺には見えていた。風華が彼に両手を向けているのを。
「止まんねーんだけど!」
「なに言ってんだよ! そっち池だぞ!」
他の二人も、ふざけてやっているのではないと気づいているのだろう。風華はきっと彼が走っているように見えるように操っている気なのだろうが、何かに押されているのは誰の目を見ても明らかだ。彼らの焦りは理解できる。
「おわっ!」
ついに池の中に落ちてしまった。それも派手な水しぶきをあげて。
「大丈夫か……うわ!」
手を貸そうとした仲間も、風華は容赦なく池に突き落とす。もちろん、残りの一人もだ。
彼らは何が起こったのかわからず呆然としてる。だが周りの人たちは若者がふざけて遊んでいると思ったようで、大声で笑う人や写真を撮っている人までいた。それに気づいた彼らの顔はここから見てもハッキリとわかるくらい赤く染まっていた。
手をパンパン、と払いながら風華が戻ってくる。それを俺は苦笑いで迎えた。
「過激派だな」
「ムカついたし、ちょうど今幽霊だしね」
乾いた笑い声しか出なかった。
「ありがとう、風華。嫌な気分にして悪い」
「別に。てかあんた、有名人、なわけ?」
「まあ、ちょっとね……。あっと、そろそろ行こうか」
池に落ちた彼らが這い上がってきたのを見て、俺たちはベンチから離れ、自然公園を出るため入り口に向かって歩く。
「で、有名人って何? あんた大学生でしょ? モデルか何か?」
モデルかと聞かれて、ちょっと吹き出して笑った。モデルはないだろ、嫌味と受け取れそうな質問だが、そんな気が彼女にサラサラないのはこの真顔からもわかる。
「いや、違うよ」
「あら、身長高いし、顔も悪くないからそうかなと思ったのに」
年頃の女子に褒められるのは、悪い気分じゃない。どころか有頂天に近い。顔には出さないけど。
「父さんが有名な会社の社長で、医者でもあるんだよ。バラエティ番組とかによく出ててさ、んで俺もおまけ的な感じで有名というか」
あれは確か、バラエティの企画で父さんの自宅を見に来る時、だったな。家族として出演させられて、それでなぜか俺がネットで騒がれて。高校に取材に来たこともあったし、父さんの会社で仕事に参加させてもらえてるからその取材にも来たし。
いまだに、なぜ俺が有名になっちゃったのかわかんないんだよな。
「お父さんテレビ出ててるんだ」
あれ、思ったより反応が薄いな。これ話すと大体大げさなほど驚かれるんだけど。
「まあ色々あって、大学では友達ゼロだよ。ゼロってだけならいいんだけど、あんな奴らもいる始末だ」
風華は返答しなかった。自虐話しだから、反応がないと気まずい。
次は何を話そうかと考えていると、風華が口を開いた。
「じゃあ、今あんたの近くにいる友達は私だけってことね」
「え? まあ、そうなるか」
風華は突然、俺の腕に抱きついて来た。
「うおう」
力のない声が出てしまう。抱きついていると言ってももちろん触れることはできないから、そういう態勢というだけだ。だけど、なんとなく右腕には圧迫感と、温かさがあるような気がした。
「じゃあ、しょうがないから、あんたが寂しくないように私が元気付けてあげる。幽霊で悪いけど」
何が、悪いもんか。
昨日彼女に出会う以前の俺は、平気な顔をしながらも結局心の奥では寂しさを感じていたし、悲しみもあった。でも、今は楽しい。
「ああ、頼んだ」
「任せなさい」
風華は駅に着くまで、俺の腕に抱きついていた。春だっていうのに、なんだか暑い。