話してみた日
どうやら、どうやらだ。話に聞く幽霊は実在したようだ。彼女を前にしても、いや彼女を前にしているからこそ現実味がない。だって、目の前にいるのは到底幽霊には見えず、今まさに心臓が動いて生きているただの少女に見えるのだから。
「もう一度聞くけど、君は幽霊なんだよね」
「何度目のもう一度よ。もう10回は超えてるっての……。そうよ、私は幽霊! いい加減認めなさい」
認めてなるものか。なぜなら認めてしまえば、俺の頭がおかしいことになる。
昔、どこかのサイトで見た話だ。投稿者の妹が、突如幽霊が見えるようになってしまったらしい。細かいことは省略して結論だけ言うと、その妹の脳には腫瘍があった。そのため、幽霊の幻覚を見てしまっていたという。
その話が現実にあったことなのか、それとも投稿者の作り話なのかは確認のしようがない。
だが、俺はその話を見て「ああ、そういうことだったんだ」とストンと腑に落ちたのだ。腫瘍はともかく、幻覚という方に。
人が世界と呼ぶものは、その人の知覚したものを脳が処理し、そう見せているものだ。つまり、脳が見せている幻覚は、その人の現実と全く違いはない。
俺の中で、幽霊とは人が見る幻覚。そう決まってしまっていた。
だから、俺が「幽霊はいる」と思ってしまっているこの状況は、非常にまずい。
「病院行かなきゃ……!」
「え、急にどうしたの」
彼女が心配そうにこちらを見ている。
「いや、君は俺の幻覚だから病院で検査を……」
説明しようとしたが、それが無意味なことに気づく。俺の脳が見せている幻覚に説明したってどうしようもない。ゲームのキャラクターに話しているようなものだ。
俺は説明をやめ、外出の準備をする。
「ちょっと! 幻覚ってなによ! 正真正銘の幽霊なんですけど!」
「はいはい」
無視して玄関へ向かおうとすると、彼女がその道を塞いだ。
「わかってないでしょ。幻覚なんて言われるのは癪だから、私がちゃんと実在してるってことを証明したげる」
「どうやって?」
問いかけると彼女はテレビに向かって手をかざす。するとテレビがピッと短い音を発して画面に映像を映し出す。この時間帯は女児アニメが放送されているらしく、キャラクターの甘ったるく高い声が今の部屋の雰囲気とはアンマッチだ。
「それも幻覚で説明がつくけど」
幽霊がテレビを遠隔操作でつける、という幻覚。実際は幽霊もいないし、テレビも付いていないのだろう。あのアニメは……、見覚えがないが、街や店で無意識に目にしていれば、脳が作り出せる。
「ぐぅ……。じゃあこれで!」
今度は俺に手をかざしてきた。肌がひりつくのを感じる。その直後、体が浮き上がる。
「ど、どう……? これでわかったでしょ?」
顔を真っ赤にして力む彼女がなんだかおかしい。毎晩そんなに頑張って俺を持ち上げていたのだろうか。しかし……。
「同じだよ。幻覚で片付く」
「じゃあどうやって証明すんのよ!」
体がドスンと床に落ちる。リアルな痛みに、俺は腰を抑えて転がりまわった。本当に、リアルな痛みだ。
「もっと丁寧に降ろしてくれよ!」
「幻覚なんでしょ? それなら痛くないわよね?」
めちゃくちゃ痛い。小学生の頃に自転車で派手に転んだ時が人生の最大の痛みだったが、それを凌ぐといっても過言ではない。幻覚のくせになぜここまで痛いのか。
「全然痛くない」
プルプル震えながらだが俺は強がりを見せた。それを彼女は鼻で笑っている。
「なんですぐバレる嘘をつくんだか。いいからさっきの話に戻るわよ。どうすればあんたは幻覚じゃないって信じるのかしら」
どうすれば、か。俺はとりあえず思いついた端から言っていく。
「例えば、君の姿が見える人を探す、とか。その人に君の特徴を言ってもらったり、それこそ会話をしてもらえたら尚確実か。あとは今すぐというなら俺が知らない知識を君から教えてもらうことかな。俺が知らないことを幻覚が話すわけがないから」
「なるほどね。あんたが知らないことか……。えーっと、カバはピンクの汗をかく」
「知ってる」
カバは実は肌がデリケートで、乾燥や紫外線にめっぽう弱い。そのため粘性のあるピンク色の体液を出してそれらから身を守っているのだ。
「まあ有名だものね。んーっと、レオナルド・ダ・ヴィンチは言わずと知れた天才画家だが、その作品の数は極めて少ない。人によって主張する数は異なるが、だいたい数十枚程度と言われている」
「知ってる」
レオナルド・ダ・ヴィンチは実に多彩だった。絵画にとどまらず建築、彫刻、軍事開発、自然科学に解剖学などなど。あげればキリがない。それに加えて完璧主義者だったこともあり、なかなか完成とせず作品は極端に少ない。
「ちなみにピカソは約15万点の作品がある」
「詳しいわね……」
その情報は彼女は持ってないようだった。
「えっと、じゃあ、聖書の中で悪魔が殺した人間の数は10人。神が殺したのは……」
「2038344人」
「いや詳しすぎるでしょ!」
呆れ、辟易した彼女は俺を浮かせ、再び床に俺の腰を打ち付けた。
「俺の腰になんの恨みが……」
「腰じゃなくてあんたに恨みがあんのよ。どんな知識の幅? 聖書に関しては私20万人以上って言おうとしてたんだけど? 誰がそんな詳しい数字覚えてるのよ」
「俺だ」
「腰なくなるまで打ち付けるわよ」
俺はソファにしがみついて警戒する。しかし彼女も連続では疲れるらしく浮かせるそぶりはない。
「もう、ほんと、どうすればいいのよ。雑学のレパートリーにはちょっとだけ自信があったのに心折られたわ。もう私が見える人を探すしか……」
「じゃあ、すごくローカルな知識は? 君が住んでた土地の事、とか」
その提案に彼女は少し表情を曇らせた。それで、俺は配慮のない問いをしてしまったことに気づいた。
「あ……、ごめ……」
「いいわよ。てか、まだあんたの中で私は幻覚なんでしょ? なに幻覚に気使ってんの」
彼女の口調は変わらない。だけどやっぱり、雰囲気や表情が暗くなっているのは明らかで、申し訳なくなる。
「だからその顔やめなさいって。……まあいいわ」
諦めたように息を吐いた。次いで記憶を辿るように、左上を見ながらこめかみを指で叩いている。
「地元の人しかわからないこと、ってことよね? でも、私ここが地元なのよ。あんたもそうでしょ?」
「ああ」
「じゃあ殊更に難しいわね……。あんた地元のことなんて雑学以上に熟知してそうだし。ん〜……。ああ、ここからそう遠くないと思うんだけど、いっつも焼き鳥屋さんの屋台が駐車場にあるスーパーってわかる?」
近くのスーパーのいくつかを思い浮かべる。そしてすぐに彼女が言うスーパーが思い浮かんだ。屋台といっても、あれは車と屋台が一体になっているもので、あのまま走って移動できる代物だ。正直あれは最近初めて見たもので、その利便性に感動した覚えがある。だがその屋台はかなりの年きもので、最近は減っているのだろうと推測できた。
「あの赤い暖簾がかかってる屋台か」
「そうそうそれ。そのスーパーの裏らへんにすっごい古い駄菓子屋があるのよ。裏って言っても、大きく回って入り組んだ道を歩かなきゃいけないんだけど。どう? 知ってる?」
「だ、……ダガシヤ?」
「えっ、そこから?」
ダガシヤってなんだ? 木か? アカシアの親戚か何かなのか?
「駄菓子知らないの? なんで?」
「ダガシ?」
ヤをどこへやったんだ! ダガシってなんだ。舵蛾子? 名のある中国思想家か何かか?
「駄菓子食べたことないってどんな子供時代よ……」
食べる⁈ 中国思想家を食べるってどんな子供時代なんだ……! カニバリズムがこんな身近で行われていたなんて! こわい、こわいぞ我が地元……。
「なんか駄菓子を知らない時点で幻覚を否定できた気がするけど、一応行きましょうか、駄菓子屋。で駄菓子買って食べてみなさいよ。駄菓子食べたことないって最悪引かれるわよ」
「食べる⁈ やだよ!」
「な、なんで?」
この後、ダガシはお菓子のことだと聞いて、自分はすごく馬鹿なことを考えていたとわかった。