6 帰還
んん……足を延ばしたぁい……寝苦しい……お腹空いたかもぉ……揺れるなぁ……ここは何処ですかぁ⁇
「……ん……」
――――ん?――――ん?――――んん⁇
「ん? 目が覚めたようだな」
「はい――」
「どうかしたか?」
んん?私の状況がよく呑み込めません――きょろきょろと首を振ってみれば、あ、ロドルフ様発見。あれ?何故に殿下の御尊顔が目の前に⁇
「ここは、何処ですか?夢?そうですか、夢ですね、おやすみなさい――」
「ぷははははは‼」
目を閉じたら、突然聞こえた笑い声で完全に目が覚めました!な!何この状況!慌てて謝罪して飛び起きて、殿下の膝の上から飛び降りました!そしたら馬車の揺れでぐらりと体勢が崩れると、ロドルフ様側の空いている席にぽすんと座りました。
あぁ……穴があったら入りたい……突然腹の虫が……。
「くははははは!」「ぷははははは!」
ええ、ええ……存分にお笑いください……。
この光景……クルト様だけではなかったじゃないかぁぁ‼この世界の人間は、女性に気を遣えよ‼
馬車を止めてもらい、積んでいた荷物から食料を取り出し、再び馬車に乗るのを断固拒否して!馭者台に乗っていた聖女と代わってもらって、顔を真っ赤にしながら携帯食料を食しています。
「うさぎちゃん? 中で何があったのかな?」
「この世界の人は、デリカシーというものはないのですか!」
「ん? 何かな、そのデリカシーとは」
「心配りですよ! クルト様も、殿下も、ロドルフ様も人の腹の虫を笑ってぇ!」
「おやおや? 殿下の膝で眠ってたことじゃなくて?」
「ぶほっ‼」
私ははしたなくも、携帯食料をおもいっきり吐き飛ばしました……お馬さんに当たろうとしたよ!やばい!
相変わらず、隣ではヴォルター様が大笑いされています……笑い過ぎて酸素が足らないのか、ひーひー言ってますし、体がくの字に折れ曲がって、手綱を持つ手がふるふると震えてますよ……。
私は完全スルーして、残りの携帯食料を食します。
落ち着かれたヴォルター様から、あの後の事を教えてもらいました。
私が眠りに落ちた後、あの巨大クリスタルは姿を消していたそうです。きっと、あれを介して女神に祈りが届いたのだろうと推測したそうです。
で、森を抜けて馬車に到着した頃には日暮れ近くになったので、その場で野宿。翌朝になっても起きない私を運んで村に到着したら、そこで新事実が判明。
突然光が森の方から広がるように走ってきて、そこら一体を包み込んでさらに遠くまで広がていったそうです。再び出現していた魔物がその光で消え去った時は、奇跡を見ているようだったと村人が証言したそうです。
きっと――そこいらに散らばっていた魔物たちの声だったのでしょうね。人間世界に取り残された魔の力が一掃されたから、あのクリスタルが消滅したと考えればしっくりきます。
それからも私は目を覚まさず、皆さんは昼食休憩を取って、今は午後三時を回った頃とか。
「うさぎちゃん」
「はい」
その名前で呼ばれて返事するのは如何とし難い屈辱に感じますが――譲歩します。
「君のお陰で無事に帰れたよ――ありがとう、ハル殿」
「おお。ヴォルター様が、初対面の頃のきりっとした騎士様に戻ってます!」
「あははは! そうかい!」
「ええ。私だけじゃありません。皆さんの連携があったからこそですよ」
「ああ、そうかもね」
往路で一度泊まった宿に宿泊し、翌日いよいよ王宮へ帰ります。
――よかった。生き残れました。出発するときに願っていたことが実現して嬉しいです。王宮へ帰還する転移魔法陣に近づいていく度に、その実感が湧いてきますよ!
※ ※ ※
「お帰りなさいませ……ご無事でようございました……」
「ただいま、リンジーさん。また会えて嬉しいです」
「そうでございますね。本当に……」
王宮の一角に借りている一室に帰ってくると、リンジーさんと手を取り合って喜んでいます。他のメイドさん達も顔を出していただいて、皆さんがお帰りなさいと労ってくれました。
ああ!本当に帰ってこれました!
「ハル様。こちらを飲んでお寛ぎください、お疲れでございましょう」
「ありがとうございます。もう、ブーツが蒸れ蒸れなんですよぉ。いつも着ていた服の方が楽です!」
「ふふふ。ええ、あちらにご用意しておりますので、お着換えください」
「やった! そうします!」
ひとしきり帰還を喜び合うと、リンジーさんは戻っていかれました。私は早速蒸れ蒸れのブーツを脱ぎ放ち、騎士服のパンツを脱ぎ、上着を脱いで下着一丁になった時、ノックもなしに扉が開け放たれました。
「戻って来たよう――」
「――――出て行け」
珍しく大人しく引き下がったクルト様は、ぱたりと扉を閉められました。羞恥がふつふつと湧いてきます――。
急いで着替えて、据わった目をして扉を開けてみれば――いましたよ。
扉をすこ~しだけ開けて。
「乙女の部屋にノックもなしに入るとは、どういう了見で?」
「――悪かった」
素直に認めましたか。じゃあ、許そう。扉を開いて久しぶりのクルト様を招き入れました。勝手知ったる自分の部屋のように、いつものようにソファで寛がれます。
「無事に戻ってこれました。いろいろご配慮いただきありがとうございました」
ぺこりと頭を下げれば、口元が笑っていらっしゃいます。
「知っているか? 其方が起こした奇跡が王宮まで届いていた」
「光みたいなのがここにも来たんですね! 残念ながら見てなかったんですよねぇ。目を閉じてたんです。勿体なかったなぁ」
「――だがな、其方の功績だと知っている者は少数だ。あの聖女の功績と誰もが信じて疑わぬ」
「ああ、そんなことどうでもいいですよ。魔物がいなくなって安全に暮らせれば」
「其方は、自分の功績と主張せぬか」
「ええ。誰もがあの聖女と信じていれば、それで安泰じゃないですか。私は張り合いたいわけじゃありませんし。あ、でも、生活の保障を上乗せしていただけませんか。名誉より実利が欲しいです!」
「くははは! 其方はっ、本当に面白いな!」
「いや~、クルト様のお姿を見てほっとしました。本当に生きて帰れたんだなぁって実感しますよ。大変だったんですからね! 貴方は居残りましたけど!」
「ああ。話は聞いている。あの聖女には腹立たしいがな」
「おこちゃまですからね」
「それだけではなかろう。あの者は、其方の命を害しようと企んでいた節がある」
「ああ、それなら私も考えましたよ。あれだけあからさまに睨んできたり、まるで同行者の方を自分の所有物のように見せびらかしたり。何がしたいんだろうと最初は理解に苦しみましたけどね。でもいいんです。これから関わることもないでしょうから。殿下も大変だったんでしょう。あ、そうです。私を恨んでないかと仰ったことがありましたけど、気にされる必要ないのに。殿下は、聖女の機嫌を損ねないように配慮されたんでしょうから。この部屋と勉強の時間をくださったから、相殺ですよ。そうでした。ヴォルター様が言ってましたけど、どなたが最後まで私の同行を反対してくださったのですか?」
あれ?どうかしました?いきなり立ち上がって、こちらに来られましたけど?
「クルト、様?」
「其方が無事でよかった」
手を引かれたと思ったら突然の抱擁で‼
「え! どうしたんですか!」
「ハル」
「はい!」
「――俺と共に暮らさぬか?」
「へ?」
「嫌か?」
「……そ、じゃなく……突然で、驚いて……」
「では、よいのだな?」
「……いいのですか?」
「ああ」
急に安堵感が心の底から噴き出してきて、涙が止まらなくなっていました。この世界に手違いで連れて来られてからずっと不安で堪らなかったから。
抱き締めてくる腕の力がきゅっと更に籠りました。
「泣くな」
「……だって……ずっと、不安だったから……」
「ああ、そうだな。お前には悪いと思っていた。討伐前で立て込んでいて、お前の処遇も決まっておらず、確実なことが言えなかった――最後まで、同行させるのを反対したのは俺だ」
「やっぱり、そうだったんですね……」
「ん? 気づいていたのか?」
「だって、言いにくそうに、してたから……本意じゃないのかなって……」
「ああ、そうだ。だが、お前が同行したことで、皆が無事に帰還できた。我々は、お前のお陰だと思っている」
「ありがとうございます……でも、皆の力ですよ。誰が欠けても成し得なかった」
「本当にお前は、欲がないのだな。俺はそんなお前が愛おしい」
「ぁぅ……あの……こういうの、慣れてなくて……その」
抱き締められていることを再認識して、急に恥ずかしくなってきました!涙が引っ込んだはいいけど!絶対顔がぐしゃぐしゃに‼
うわぁぁ!思わずクルト様のローブをひっしと握りしめて、離れるのを拒んでしまいました!
「どうした?」
「あ、あのですね! きっと顔がぐしゃぐしゃです! 顔を見ないでください!」
「今更だ。ここへ来た初日に、盛大に泣いたであろう。俺を睨みつけてきたではないか」
「それはそれ! これはこれ!」
「くくっ、ああ、わかった。後ろを向いているから行ってこい」
「ぅぅ……」
腕の中から解放され、私は一目散に湯殿に逃げ込みました。鼻水やら腫れた目やら大惨事の顔を洗って、ほっと一息。さっきの出来事を思い出すと、羞恥がぶり返してきて膝を抱えてしゃがみ込んでしまいます。
「……ど、どうしよう……どんな顔して出ていけば……」
恋の経験値が皆無な私は、これからどう接していいのかわかりません!が!いつまでもここにはいられません。すっくと立ちあがって、まだ赤い鼻と目元をした自分の顔を鏡で見て、よし!と腹を括ります。わからなくても、何とかなるさ‼
湯殿から出ていくと、扉のすぐ横に佇んでいたクルト様に驚いて素っ頓狂な声を出してしまいましたよ……。
そしたら、再びクルト様の腕の中にぃ!
「ハル。お前にもう一つ話がある」
「はい」
「実はな――」
話の腰を折るように、扉からノック音が聞こえてきました。
「ハル殿~、ここにクルト殿来ていないかい? 探してるんだけど~」
暢気な声はヴォルター様でした。
「いらっしゃいますよ~」
「お前は……」
「え?」
「何故答える」
「え、だって、探しているって」
「はぁぁ……」
渋々といった風にクルト様が扉へ向かいます。後をついて行くと、扉の向こうに見えたヴォルター様が、なんでかクルト様を呆れた顔で見てらっしゃいます。
「えぇ~~、クルト殿……えぇ~~」
「――ヴォル――其方が邪魔をしたのだが?」
「――伝授しましょうか?」
「いらぬ!」
「――人の部屋で何の言い合いですか……」
「あ、うさぎちゃん、騎士服着替えちゃったんだね。似合ってたのに」
「ああ、はい。こっちが楽だなって」
「クルト殿が用意したのが何故騎士服か聞いてたね、そういえば」
「あ、そうですそうです。何故ですか? クルト様」
「ぶふっ! 男色家だったっけ?」
「なはは………だって、騎士服が好みとか言われたら、そうかなって疑うじゃないですか! もう、ヴォルター様、暴露しないでくださいよ!」
いきなりクルト様が扉を閉めて、ヴォルター様を締め出しました。ん?
「ごめんなさい! もう言いません! 本当に陛下がお呼びなんです、クルト殿!」
扉の向こうから、ヴォルター様の悲しげな声が聞こえてきます。
「本当にお二人って仲がいいんですね」
「――本気で思っているのか?」
「はい! だって、気心が知れた相手じゃなきゃ言えませんよ!」
何故か、ふかぁ~い息をついて、扉を開け放たれました。すると、扉の向こうではヴォルター様がびしっと敬礼をしてお待ちです。ヴォルター様って切り替えうまいですよね。きっと誑しだから、女性の扱いも上手いんでしょう。
お二人がいなくなった部屋で、私は再び湧き上がってきた安堵と嬉しさと恥ずかしさとで、ソファでクッションを抱えてごろごろしていました。
と、再びノック音が。
「はい、どちら様ですか?」
扉を開けてみれば――――おおおお‼
「失礼してよろしくて?」
「ど、どうぞっ、あの、はいっ」
優雅に入室してこられたのは、映画の世界から飛び出してきたかのような美女さんです!豪華そうな衣装に身を包み!好奇心がむくむくと掻き立てられるような容姿をされています‼
おおお!鳥肌が立つくらい優雅にソファへ腰かけた美女さん!
「あ、ここには茶器もなく、何のお構いもできませんが」
「ええ。気にされなくてよろしくてよ」
きっと、貴族のご令嬢でしょう!凄く世界が違う方です‼
「私は、イーヴァル殿下の正妃、ルイーゼと申しますの」
「初めまして、ハル・クメと申します。お見知りおきください」
おおお!王太子妃様でしたか‼
「異世界の方とは、黒髪が多いんですの?」
「ああ、いいえ。私が住んでいた国はそうですが、外国は様々です。茶髪や金髪もあります。こちらの世界の方々は、私から見たら色鮮やかです。それにしてもお美しい方ですねぇ……」
女性の私から見ても、惚れ惚れする美しさですよ。
「ふふ。ありがとう。それと、話は聞いていましてよ。貴女の能力が、この討伐の成功の要だったのだと」
「畏れ入ります。能力がお役に立てたことは幸いです。皆さんと連携ができたから成し遂げられたのだと思います」
「謙虚な方なのね。あちらの聖女様は、自分の手柄のようなお顔をしていたけれど」
「そうですか……まだ子どもですから、仕方がないのかもしれません」
「あの方は十七歳なのでしょう? 私達は十八歳が成人ですのに、幼過ぎますわ」
「へ~、そうなのですね。あちらの国は二十歳が成人とされているんです。きっと、王太子妃なられる方は教育も厳しく、色々覚悟もおありなのでしょうね。私みたいな平民には分からないご苦労も」
「ふふふ。聞いていた通り、貴女は利発な方なのね」
「畏れ入ります。あの子より数年長く生きていますから。私は今年二十二になります」
「あら、そうでしたの。もっと若いかと。私は二十歳ですのよ」
「そう見えるのは仕方がありませんね。私が住んでいた国の民族は他の国から見たら若く見えるそうですから」
「そうなのね。貴女と話して理解したわ。だから、たっての頼みがありますの!」
おおお⁉いきなり人が変わりましたよ!
「た、頼みとは?」
何⁉いきなり立ち上がって、私の手を握り締めてこられたのですが!思わず私も立ち上がったのですが!
「お願いを聞いてちょうだい! 切実なの!」
「は、はい」
「私には王子が産まれたから大丈夫ですわ! だから後は、貴女がお慰めしてさしあげて頂戴。私にはもう無理ですの。あんな体がだるくなるような思いはもう嫌! お腹を痛めた我が子は可愛いけれど、二人目なんてとてもとても。あんな痛い思いをして産むのはもうこりごりなの。だから後は、貴女に任せたわ!」
は?
「え? 一体、何のお話を? え、出産? 私が誰の⁇」
「え?」
「え?」
二人で首を傾げあいます。
「え? ですから、貴女は殿下の側妃に」
「は? 私は先程、クルト様が一緒に暮らそうと仰ってくださって――え? 殿下の側妃?」
ん?ルイーゼ様のお顔色がだんだん悪くなられていきますが!
「だ、大丈夫ですか? お顔色が……」
「し、しまった……ごにょごにょ……」
ん?語尾が聞こえなかった。何がしまった?
「おほほほ! 何でもありませんわ! お邪魔しましたわね! ちょっと所用を思い出しましたの! これで失礼しますわ!」
「は、はい。お話しできて嬉しかったです」
「ええ。私もですわ。では、ご機嫌よう」
「はい」
慌ただしく出ていかれたルイーゼ様を見送り、私は首を傾げながらまたソファで寛ぎます。旅は旅で大変だったけど、帰ってからも、何かドタバタしているし。
でも、一番嬉しかったのはクルト様が。きゃぁぁ!私の!初青春です‼
そうこうしている内に夕食時になり、慰労のための超豪華な夕食が部屋に用意されました!すんごいですよ!何これ!七面鳥丸ごと!食べきれませんよ!
でも!うまぁ~い‼‼
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『今宵は、聖女殿及び同行者達の偉業を称えての晩餐会だ。皆、心ゆくまで楽しんでくれ』
功労者達の紹介が終わり、陛下の挨拶で晩餐会の開幕が告げられた。国内の貴族が勢揃いしている中、正面中央には陛下や王妃ら王族が並び、聖女をはじめ同行者達は中央列に居並んでいる。聖女姫香は皆からちやほやされて、上機嫌で食していた。
酒も進み、晩餐会も終盤に差し掛かった頃、陛下の合図で会場は静寂に包まれた。
王族が居並ぶテーブル近くに宰相が進み出てきた。
『此度の魔族討伐の立役者でもある聖女殿に感謝の意を込め、また、異世界という場所からおいでいただいた故、ご帰還叶わない境遇に誠意を尽くし、聖女殿が望まれる未来を可能な限り準備したいと陛下からの褒美にございます。聖女殿、何か希望はございますかな?』
『あ、はい。では、殿下の妻になりたいです』
会場の貴族達から歓声が上がった。
『殿下、いかがですかな?』
『ああ、それなら断る。私には既に正妃もいるし、王子も授かることができているからな。可能な限りと申した故、それは承服できぬ』
『相分かった』
『え?』
陛下がすぐに了承したので、貴族達の中には困惑の表情を浮かべる者もいるが、声を上げる者はいなかった。
『聖女殿。妻になることをご所望ならば、他に可能な者をご指名いただくか、推薦いたしますが?』
『え、あの』
陛下が片膝をテーブルについて姫香に視線を送る。
『ならば、其方に相応しい場所がある。世界の中心ともいえる大神殿の聖女という座だ。其方ほどの光魔法の使い手を大主教達が望んでいるそうだ。其方の魔力は、世界中の神官達の中でも頂点であるからな。この世界の要となる聖女を送り出せることは誇らしい』
会場から大歓声が沸き上がった。
『あのっ、ではっ、一緒に同行してくださった方のどなたかとっ』
『諸君。どうだ』
『私は既婚の身ですのでご除外を』
ロドルフが陛下に一礼して口上する。
『相分かった』
『畏れながら、私は、些か年が離れているようですのでご遠慮します』
『相分かった』
『私は魔法研究に専念したい。家庭を持つ気はないのでご容赦願いたい』
『相分かった』
『私は婚約者がいる身でございますのでご除外を』
『相分かった』
エルンストが辞退したことで全ての者が終了した。
『聖女殿。他にご希望はございますか?』
悉く断られた姫香は顔色が悪くなっている。
『なんで……これじゃ、褒美でもなんでもないわっ』
『大神殿の聖女とは、稀にない名誉なことでございますよ。異世界からお越しなので実感がないのは無理もありません。我が世界の誰もが知る聖女とは、女神に選ばれた尊き存在なのです』
『世界中の者達があの”光”を目にしているのだ。其方の功績は皆が知るところ』
『あ、あれは私じゃない! 私が使った魔法じゃないもの! あれは別の人がしたことだもの! 神殿なんかに行きたくない‼』
イーヴァルたちが秘かにほくそ笑む――。
会場の貴族達から困惑の声が上がり始めている。誰もが聖女の功績だと思っていたあの光を、聖女本人が否定しているのだから。
『あの光は、其方の功績ではないのか?』
『はい! あれは私と一緒に召喚されて来た女の人! 同行したハル・クメという女の人がしたことです! 私じゃない! あの光が聖女の証というなら、あの人が神殿に行くべきです!』
貴族達の動揺と困惑が膨れ上がっている。陛下が片腕を掲げると、再び会場に静寂が戻った。
『私が経緯を説明しよう』
王族席に座っていたイーヴァルが立ち上がると、食い入るように貴族達の視線が集中している。
『此度の魔族討伐には、実はもう一人の功労者がいる。この会場に来ていない経緯は後で話すが、確かに聖女殿と共に召喚された者がいた。我々が聖女と認めたのは、紛れもなくその場に座っている者だ。もう一人の者は、魔法を使えると言っても基本程度。女性の身であり、戦闘能力も低い彼女を討伐に同行させるつもりはなかった。他の同行者の危険が増すのは必至だからな。だが、聖女殿が寂しい、同じ世界から召喚されてきた者がいた方が心強いと、自分の身の回りの世話をして欲しいと強く所望してな。我々は、やむなく同行を命じた』
王妃と妃殿下が眉根を顰めて姫香に対し不快を示すと、貴族達からざわめきが起こった。
『だが、その者を同行させたことは聖女殿の勧めが正しかったと言える。何故なら、彼女が持つ知識と努力が功を奏し、類稀なる能力が判明したからだ。我々の旅は、彼女によって支えられた。我が国で一番被害を被った先の村では、彼女の心根の優しさが一人の少女を救った。魔物から襲われたその少女は体だけでなく、心にも深い傷を負っていた。婚姻を控えていた矢先の悲劇だったからだ。その少女は神官が来ていると知っても、男だからと入室を拒んだ。魔の力の影響を受け、傷には痛ましい痣が蔓延っていたからだ』
女性貴族達から同情の声が上がっていく。
『そこで彼女が提案した。女の身である自分も基本治癒ができるから、先に治療を施し治療に前向きになれるようにと申し出た。少女はその提案を受け入れ、彼女ができる最大限の魔法で少女の心を救い、神官エルンストの手によって少女の体の傷は完全に癒すことができた』
わっと会場から拍手が沸き起こった。女性だけでなく、男性貴族からも。
『そして彼女は、我々同行者達の身を案じ、己ができる範囲でいかに自分の身を守れるかと必死に魔法を学んでいた。そして、己が編み出した魔法で、その努力で我々が目を見張るほどの功績を上げていった。なんと、知能高い妖魔たちを一人で撃退できるほどにな。それには、彼女が持つ稀有なる能力が裏付けされていた。彼女は聖女の様な魔力を持たずとも、魔物にされた動物たちの悲しみの声を聞くことができたからだ』
貴族達から驚きの声が上がっていく。
『更に、彼女の能力は他にもあった。敵の急所がその目に見えていたのだ。その二つの能力が我々の戦力を最大限にまで引き上げてくれた。その危険を察知する能力にはどれほどの恩恵を受けたかわからない。考えてみてくれ。敵がどこに潜んでいるかわからない森を分け入るとき、敵の位置をいち早く察知できることがどれだけ希望となるか』
イーヴァルの問いかけに、会場を警備している騎士達は目を輝かせて頷いている。騎士だけではない。貴族達も真剣に耳を傾けて考えている。
『そして、魔物と戦った騎士達が言っていた。どこを切りつけても獰猛な魔物はすぐに立ち上がって人間や家畜を襲って来ると。敵の急所がわかる彼女がいれば、一撃で倒すことができたのだ。それがどれだけの恩恵か、諸君らもわかるであろう』
貴族達も一斉に頷いている。騎士達の目は、更に輝いている。
『瘴気に侵された聖地では、女性の身でありながら臆せずに妖魔と対峙していた。魔物たちをその能力を以って一撃で倒し、普通では考えられない妖魔の急所を見事探り当て、我々は連携を以って討伐に成功したのだ』
会場は更に盛り上がりを見せている。
『彼女の功績はそれだけに終わらなかった。先程も言っていた光だ。穢れの根源が消滅した後、巨大なクリスタルと思われる物が出現した。そして、彼女が言ったのだ。そのクリスタルから動物たちの苦しみの声が聞こえると。私は聖女に浄化を願い出たが拒まれた。得体のしれないものに近づきたくないと。魔力が底をついてきたからできないと。すると、誰に言われるまでもなく、彼女は躊躇いも見せずに手を触れた。彼女の勇気には感服するものがあるな。そして、ここで我々は奇跡を目にした。そのクリスタルを中心に、光が四方へと広がっていったのだ』
会場から割れんばかりの拍手が沸き起こる。
『更に、彼女の知識には我々も舌を巻いた。神官たちが始めた試みがある。治癒を施すとき、患部に手を当てると、その効果が増幅されることが分かった。それを教えてくれたのも彼女だ。そして、その知識を以って我々の危険を防いでくれた。妖魔に名を知られると、精神を乗っ取られ操られるとな。彼女がいた異世界には、我々に有用な知識が溢れているようだ』
操られると聞いて、女性貴族達が震えあがっている。
『貴族の諸君らにとって、あまり関心のない事柄ではあるだろうが、我々の生活を支える使用人にとってはとても有用な発明をも彼女は授けてくれた。諸君らも後々その商品を広めて欲しい。これは、使用人達だけでなく、我が国の民達の生活も潤すものだ。女性ならではの発明でな。水を使うことなく、寒い日に手を痛めることなく掃除ができる様々な道具だ。これは、メイドたちが行っていることを大変だと思った彼女ならではの発明だな』
誰もが頷いている。
『我々が何気なく使っている便利な道具は、歴代の魔法士達が考えてきたものだ。彼女は道具を発明しそれを形にできる者達を褒め称えていた。我々は、今こそ再び見直そう。彼女の心に恥じないように、我々の生活は、多くの人間たちによって支えられていると』
賛同の拍手が会場中から沸き起こる。
『そして、彼女は謙虚でな。自分だけの功績ではなく、誰か一人でも欠けたら成し得なかったと言っていた。この場へ来ていないのは、彼女が遠慮したからだ。自分は偶然召喚されただけで、主役は聖女殿だからだと。私はこのような稀なる人材を捨ておくにはしのびないのでな――我が側妃に迎えることにした――』
会場から、割れんばかりに拍手と大歓声が沸き起こり、陛下ら皆も手を叩き歓迎を示している。盛り上がりも最高潮を迎えた。
蒼褪め驚愕しているのは姫香唯一人――。
イーヴァルが椅子に腰を下ろすと、沸きに沸いていた会場が静けさを取り戻していった。
『聖女殿、いかがなさいますかな? 貴女の意思を尊重しましょう。これはご考慮しやすいように先に申し上げておきます。もし、貴族の妻をご所望であれば、一から貴族教育をお受けいただき、習得した後に婚約となりましょう。また、魔法士をご所望されたとしても、聖女殿にはその適正がございません。更に、王宮に留まる者はその役目を負う者ですので、何もせずに留まることは民にとって示しがつきません。召喚されたもう一人の方は、自分の立場をきちんと理解され、この世界の一般常識を学ばれ、それを習得した暁には王宮を去る準備をされていた。貴女の様に恵まれた境遇ではありませんからな。それに、講義を受ける合間に自ら買って出て、メイドたちと共に掃除や洗濯をされていました。誰に言われるもなく、ご自分で決めてですな。貴女はそれを、お偉方の点数稼ぎのつもりかと仰っていたようですが、彼女の方が至極当然なことなのですよ。誰もがその役目を全うし、その対価を得るのですからな』
宰相の言葉に、給仕として働いている従者やメイド達はこっそり微笑んでいる。ハルの人柄を知るものばかりだ。
最後の浄化の役目を拒んだ聖女に幻滅している貴族もいる。
『も、もう少し考えさせてください――』
『相分かった。心ゆくまで考えよ。其方の将来だからの』
+++
『教えて。あの人がいる部屋は何処なの』
『あの人と申されますと?』
姫香から尋ねられたメイドがきょとんとしている。
『――ハルという人よ』
『申し訳ございません。私めは担当でございませんので訪れたことがなく、場所はわかりかねます。では、これで失礼いたします』
『あ、ちょっと! 待ちなさいよ!』
『聖女殿、どちらへ?』
通路で警護にあたる騎士が姫香に声を掛けた。
『ハルという人の部屋を探しているの。どこか知らない?』
『ああ。側妃様のお部屋は王族方がお住まいになられる王族居住区にいらっしゃいますので、お目通りの許しがないと誰も行くことは叶いません』
『え。じゃあ、誰に許可を貰えばいいの?』
『王太子殿下にございますが?』
『――』
『殿下、ご報告がございます』
『何かあったのか?』
王太子執務室で着替え中のイーヴァルが振り返ると、一人の騎士が立っていた。
『はい。殿下の予測通りでございました。あの者があの御方の部屋を探しまわっておりました』
『わかった。なるべく早く部屋を移すから警戒を厳重に――あの様子では、我が側妃を害されかねぬ』
『は!』
『ルイーゼ』
『何ですの?』
『――気を付けろ。あれがハルを害そうと機を窺っているようだ』
『何ですって。どうしようもない子ね、本当に』
『ああ』
『本物の聖女はハル様に間違いありませんわね。そのような輩が神の使命を受けた聖女とは認められませんわ。同行させたのも、やはり害するためでしたのね』
『そうだな。で、もしやハルと話をしたのか?』
『何をやってますの、あなた! てっきりもう話したかと思って側妃の事を言ってしまいましたわ!』
『あ、何だと!』
『何をぐずぐずしてますの! 本人に話さずに貴族の前で側妃を迎えるなどとよく言えましたわね!』
『……お前は……』
『口が滑ったのは悪かったですわ』
『仕方ない……部屋も早急に移さねばな』
『ええ、そうですわ。こちらへ来れば、しっかりと守れますもの。ほら、早く行ってらっしゃいまし。こういうことは早い方が得策でしてよ』
『ああ』
(なんで聖女の私がこんな目に遭うのよ‼ なんであのばばあが側妃なわけ‼ そんなの認められないわ‼)
+++




