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ハナコさん

作者: 水星

 あたしはハナコ。いわゆるトイレのハナコさんだ。

 学校のトイレの三番目で地道に活動していたうっすら怖い都市伝説。呼ばれたら返事をする。ときどき相手を引きずり込む。稀に子どもを助けたりする。

 そうやって構われたい子どもを構ってやったり、成長に必要な程度の恐怖心を刺激し、いじめられっ子に少しだけ優しくなんてしていたら善行を積んだことになったらしい。あたしは転生することになった。

 というわけで今のあたしは長谷川花子、前世がハナコさんだっただけの普通の……まあまあ普通の小学四年生だ。

 人から見ればおとなしくて無口で目立たないタイプだと思う。白っぽいブラウスとプリーツスカートの着用率が高く前髪を目の上で切りそろえたおかっぱ。あだ名は座敷わらしか麗子像、でも女子は、少なくとも面と向かってそんなこと言わないので普通に花子ちゃんと呼ばれることが多い。


 あたしには今気になるクラスメイトがいる。初恋なんかではない。トイレのハナコさんともあろうものが小学生男子に想いを寄せるなどあり得ない。あいつらまだ八割方お猿さんだよ。人間に近い猿よりも猿に近いよ。

 あたしが気になるのは山田花子、なんなら都市伝説として市役所あたりに棲息してそうな、あたしと同名の女の子だ。今のクラスではあたしと区別するためにヤマちゃんと呼ばれている。

 ヤマちゃんとは出席番号が近くて同じ班になったり、おとなしい子同士のグループに入って休み時間に遊んだり、親しい方だと思う。

 しかし最近のヤマちゃんは誰とも遊ばずポツンとしている。顔色が良くないし、服装もなんだろう、洗濯が行き届いていない感じ。

 極めつけは、手足のあざだ。

「大丈夫?」

あたしが尋ねるとおどおどと

「転んだの」

と答える。怪我の理由など聞いていないのに、だ。プールじゃないのにバスタオルで隠して体操服を着替える様子から、身体にも傷があるのが予想できた。


「ヤマちゃん家に遊びに行きたい」

 単刀直入にそう言うと、ヤマちゃんは驚いて、でも嬉しそうにいいよと言った。

 山田家はアパートの一階だった。中に入るとすごく散らかっていた。あらゆるものが床の上に堆積している。服の山は脱いだものも洗ったものもひとかたまりでそこから掘り出して着ているのだろう。あとペットボトルの残骸がすごく多い。分別と捨て方が分からないのかもしれない。

 それより問題なのは、炙られた銀紙とストローだ。何してたんだ。あかん。これアカンやつや。日本全国津々浦々、もちろん関西にもいたハナコさんであるあたしは、心のなかでそう呟いた。

「何して遊ぶ?」

 と聞かれたので、ゲームがしてみたいと答えるとヤマちゃんはテレビや本体の電源を入れて、コントローラを渡してくれた。

 マリオカート、というゲームを対戦モードで遊んだ。自動車を、というか自動車に乗ったキャラクターを操作してレースするのだ。全然歯が立たなかった。正直に言うとそもそもゴールできなかった。仕方ない、初めてだし。

「お家の人ゲームさせてくれないの?お母さん厳しいんだね」

 いいえ、一家揃って時代についていっていないだけです。

「もっと古いゲームない?」

 と聞くとテトリスを用意してくれた。これ知ってる!個室に隠れて小さい白黒の画面で遊んでるの見てたよー。……職員トイレで先生が、ね。

 一番ゆっくり落ちるモードで、

「回転!もっかい!左に行ってドロップ!」

 とか教えられながらブロックを積んで消していく。ヤバイ、これ癖になる。ハマる。

 テトリスに熱中してたら、無駄に大きな音を立てて大人が帰ってきた。ヤマちゃんの父親だろう。アラフォー、かな。でも老けて見えるだけかもしれない。弛んで張りのない皮膚、ギラギラしているが焦点の合わない眼、怒鳴っているが呂律が回らないので何を言っているかわからない口。その口の端から細く糸を引く涎。

 ヤマちゃんが泣きそうな顔で

「帰って」とあたしを玄関に押し出した。一緒に連れ出そうとしたけどドアを閉められた。

 ドアに耳をつけて中の様子を伺う。物を投げたりひっくり返すような音とお父さんの怒鳴り声が聞こえるが、ヤマちゃんの声はしない。今日はまだ殴られていないのかも。

 いつの間にか降り出していた雨の中、アパートの反対側に回ると、ヤマちゃんは狭いベランダでしゃがんでいた。耳をふさいで目をギュッと閉じて。

 あたしは手すりの隙間から手を伸ばして、その耳をふさいでいる手をそっと外した。ヤマちゃんがビクッと身を震わせてあたしを見た。

「次はウチで遊ぼ。晩ごはんも」

「でも迷惑かけちゃう」

すがるような眼差しであたしをみながら、それでもヤマちゃんはそう言った。遊びに行くことやごちそうになることではなく、父親が押しかけるかもしれないことを、言っているのだと思った。

「大丈夫、ウチのお母さん超強ぇから。チートだから」

 ゲームはしないけどチートがゲームの言葉なのは知ってる、そんなわたし長谷川花子十歳。その母親は年中花粉症でマスクを欠かさない、美人で俊足で怪力で、ここだけの話刃物を振り回すことも厭わない、日本最凶最狂最強の女と言っても過言ではない存在だ。非合法薬物に依存している中年男性になど負ける要素がない。

 ヤマちゃんが手すりを乗り越えるのを手伝い、ベランダに置きっぱなしだったサンダルを履かせ、雨に濡れながら歩き出す。

 窓をガラッと開けてヤマちゃんちのオジさんが何か喚いた。勢い良く開けすぎた窓がサッシで跳ね返って手を挟みそうになっていた。

「行こう!」

 ヤマちゃんを急かすが、足元が大人用のつっかけなのでうまく走れないようだ。公園に差し掛かったところで、案の定追いかけてきたオジさんの姿が視界に入った。もうすぐ追いつかれる。ウチのお母さんでもあるまいに、手に包丁を持っている。

 誰か通報してくれればと思うが、雨足が強まったせいか通行人はいない。

「あそこに隠れよう」

公園のトイレを指す。ヤマちゃんは不安そうな表情で、しかし逆らわずについてきた。

 トイレはそこそこ清潔で、ひとが入っていてもいなくても扉が閉まるタイプの個室が並んでいた。錠前が青なのをちらっと確認して端の個室に入る。ここだけ赤になってしまうからカギはかけない。

「ごめんね、ごめんね」

ヤマちゃんはずぶ濡れで、青白い顔で、震えながら謝っている。あたしはその肩に両腕をそっと回して耳元に口を近づけ

「大丈夫」

と囁いた。

「あれはただの悪い大人」

 だから、ねえ、良いよね?あなたのお父さんだけど……。

「呼ばれてもヤマちゃんは返事しないでね?」

 小声でそう言い聞かせる。叩きつける雨の音に混じって足音が近づいてきた。マナーが悪いね、オジさん。ここ女子トイレなんですけど?

「花子!」

怒鳴りながら一番向こうのドアを力任せに開くのが聞こえる。ノックもなしですか?そんなに強く開けると反動で今度こそ指を挟むよ?

 ヤマちゃんはうまく息もできなくなっていて、あたしは強張っているその身体をそーっと抱きしめながら耳を澄ます。

「花子!!」

まあだだよ。あと一つ。

「花子!!!」

「は、あ、い」

 あたしがニヤリと唇の両端を引き上げながら、良いお返事をしてやるのと同時にすぐ近くで、本当に近くで雷が落ちた。

 閃光と轟音。

 開いたドアの向こうには、誰もいなかった。

 ヤマちゃんの震えが止まったので、あたしは抱きかかえていた腕をほどく。

「大丈夫?雷怖かった?」

尋ねると、ヤマちゃんは呆然として、本当に口を開けたまま、首を横に振った。

「雨、おさまってきたね」

 あたしは床に落ちた包丁を跨いで外へ出る。

 あたしはトイレのハナコさんだ。たいした力は持っていない。できるのはただ、あたしを呼んだ人間に返事をして、引きずり込んでやることだけ。

 この世じゃない側にも、ね?


 その日ヤマちゃんはウチで風呂に入りあたしの服を着て晩ごはんを食べオセロをしてあたしの布団で一緒に寝た。晩ごはんはアジフライだった。唐揚げかハンバーグなら良かったのに、とちょっと恥ずかしかった。

 その後ヤマちゃんは相変わらずおとなしくて目立たないけど前より綺麗な服を着て元気そうだ。噂ではお父さんがいなくなってお母さんが帰ってきたらしい。

 たまーにヤマちゃんがなんとも言えない目つきでじっとあたしを見てるけど、何も聞かれないしあたしも言わない。

 正しいことをしたとは思わないけど、とくに後悔もしていない。

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