第四十四話 掃除業者はスパイではないので無双できない
「さて、今日はどこの担当だったかなあ」
貴也は掃除業者の作業服を着て部屋を出た。
なんで執事服でなく作業服なんだ、と疑問に思う人もいるかもしれない。
決して、魔導アーマーにかまけて執事を首になったわけではないのだ。
うん。ホント。多分……。
たまにクロードには怒られるけど関係は良好だよ。
仕事はちゃんとやっているよ。
だったら、なんで作業服なんて来ているんだ、という話だが、答えは簡単。
現在、公爵家の家人以外のフロアで研修を行っているからだ。
タイタニウム城は四方を十階建てのビルのような建物が囲み、その中央に尖塔がそびえ立つ構造をしている。
そして、その建物ごとに仕事別で分けられている。
中央区画は公爵家の公なスペース。
ここには謁見の間やダンスホール、晩餐の間、公爵家の人間のプライベートスペース、来賓用の客室などがある。
普段はあまり使われることのない場所だ。
東側はタイタニウム城の玄関口、三階分をぶち抜いた立派なロビーがある。
その上のフロアは城で働く者のための福利厚生施設となる。
食堂や寮、大浴場にジム、クリーニングからマッサージ施設まで完備されている。
玄関の上になんでこのような施設があるのかと言うと内政担当と軍担当の仲が悪いからだ。
両方とも公爵領の顔と言える場所に陣取りたい。
だから、どちらにも関係ない施設がここに置かれている。
居住性を考えれば南側に置きたいところなんだけどね。
と言うわけで北には軍関係、南には領の内政部署が置かれている。
こちらの細かい話はまた後日。
そして、貴也の職場となるのは西側。
公爵家の私設部門だ。
寮などから一番遠い位置にあるのだが文句は言えない。
だって、派閥争いに巻き込まれるなんて嫌だから。
公爵家の家人はどちらとも仲が悪くない。
と言うよりどちらにも関係することが多いので仲が悪くては仕事にならない。
なので、職場が遠くなることぐらい目を瞑るのだ。
まあ、家人は中央棟に出入りできるので距離的な問題はあまり大きくないのだが……
話が逸れたが、これが城内の大まかな構成だ。
貴也が今まで掃除してきたのは中央棟と西側の公爵家の私設部門だ。
だから、掃除するのにも執事として参加してきた。
でも、最近は南側の内政部署での研修を行っているので作業服で行っている。
想像してくれ、
社長秘書が高級スーツに身を包んで自分の部署に掃除に着たら。
悪いがオレなら集中して仕事にならない。
それどころかゴマをすりに行くかもしれない。
だから、貴也は身分を偽って掃除業者に潜り込んで研修を行っている。
ここまでしているのには深い深い理由は――
ない。
特に理由はないのだ。
当初の目的通り、掃除研修は城の構造を知ること、働いている人の顔を覚えること。
執事にとって人の顔を覚えることはなかなか重要な業務なのだ。
昔から人の名前と顔がなかなか一致しない貴也にとってはなかなかの苦行である。
と言うわけで、今日もレッツお掃除だ。
「貴也さん。今日はこのフロア担当なんですか?」
貴也に声をかけてきたのはメアリー。
二十代半ばくらいの人懐っこい笑顔が似合う女の子。
歳を考えればもう女の子は失礼だと思うが、印象がそんな感じなので仕方がない。
彼女は掃除業者の正社員。
普段は民間業者が集まっているフロアで事務仕事をしている。
「あれ? メアリーさん。現場に来るなんて珍しいですね」
「ちょっと、課長に呼び出されちゃってね」
「ああ、ご愁傷さまです」
メアリーが溜め息を吐くのを見て、貴也は苦笑していた。
この掃除業者に潜り込んでまだ一週間もたってないのだが、メアリーが呼び出されているのを見るのは一度や二度では済まない。
本当ならただの事務員であるメアリーの仕事ではないのだが、クレームが嫌で上司は逃げ腰、人当たりの良いメアリーに丸投げしているのである。
本当に気の毒なことだ。
貴也が心配そうな顔で見ているとメアリーは笑顔で
「心配いりませんよ。別にクレームと言っても大したことありませんし、へこへこ謝っておけばすぐに解放されますから。相手も小娘に説教をしてストレス解消してるだけなんですよ。次は上司を連れてこいだの。何か預かってきてないかだの。外で食事しようとか言ってきますが。そんなの気にせず、話を聞き流すだけで給料もらえるんですから安いものです」
本当にこの娘は立派で強かな娘だ。
貴也も見習わないと、と思いながら
「良かったら、今度、愚痴に付き合いますよ。安いところならおごりますから」
「いいんですか。そんなこと言って。本気にしますよ」
「任せてくださいよ」
と胸をたたいて答えておく。
メアリーは笑いながらその場を去っていった。
貴也はメモ帳を取り出して今の一件を書き込んでおく。
『設備管理部 課長、下請け業者に対する対応に問題あり。セクハラ発言、何か預かって無いかの発言が気になる』
貴也は何事も無い顔でゴミの回収を続ける。
「あら? 貴也君。今日はこっちのフロアなの。たまにはわたしたちのところにも遊びに来てよ」
貴也が給湯室に向かうと三人の女性が井戸端会議を開いていた。
この世界でも給湯室では女性が色々な話で盛り上がっている。
うん。大半が悪気口だね。
話しかけてきたのは公爵領の公務員で事務をやっている、カタリナ。
確か、彼女は二階上の山岳環境部で事務員をしていたはずだ。
彼女は二十代後半の女性。
長い金髪にメリハリボディを持つ色気漂うお姉さんタイプ。
揶揄っているのはわかっているがいつも貴也を蠱惑なボディで誘惑してくる。
もしかして本気なのじゃないかと思わせてくれる彼女の手腕は見事としか言いようがない。
彼女は官僚ではなく一般職の事務員さん。
難しい仕事はあまり与えられない。
事務処理やお茶くみ、コピー取りがメイン業務だ。
「仕事中ですよ。カタリナさんはサボリですか。また、上司に怒られますよ」
軽くカウンターをかましてみるがカタリナは涼しい顔だ。
他の二人も笑っている。
「サボリじゃないわよ。ちゃんと書類を持ってきた帰りなの。いまは休憩中」
「何言ってるのよ。休憩って言いながらもう三十分は経ってるじゃない」
女性陣の裏切りに軽く頬を膨らませるカタリナ。
でも、形勢が不利なのはわかっているのか言い訳を始める。
「だって、いま、課長のところに外の人が来てるんだもん。あの人、目つきがいやらしくて嫌いなのよ。お茶出しに行くと胸とかチラチラ見てくんのよ。あれで気付かれてないと思ってるのかしら。貴也君みたいに堂々と見て欲しい物ね」
「別に見てませんよ。もう、からかうのは止めてください」
ニヤリと笑うカタリナに憮然と言い返す。
その対応に「カワイイ」と後の二人が笑っていた。
どうやら不利なのは貴也のようなので話題を変える。
「外の業者を上にあげて話すなんて珍しいですね。普通、ロビーで済ませるんじゃないですか?」
「ああ、あそこは特別なの。領内では一、二を争う土建業者の部長さんで課長の奥さんの親戚らしいわ」
「年中暇な山岳環境部に大手土建業者ですか? これは危険な匂いがしますね。ドラマなら秘密を知ってしまったカタリナさんが全裸で湖に浮かぶところから始まりますね」
「なんでわたしが殺されなくちゃいけないのよ」
「ええ、サスペンスの王道じゃないですか。それとも温泉で全裸死体の方がいいですか? 美人職員湯煙殺人事件ですよ」
「もう、なんで毎回全裸で殺されないといけないのよ。貴也君のH」
「それは視聴率のためと言うことで脱いでください」
「嫌よ。知らない人の前で脱ぐなんて。貴也君の前でならいいわよ」
ウィンクするカタリナに軽くクラっとくるが何とか受け流す。
他の二人が堪え切れないと笑い出した。
偶然通りかかった男性職員が怪訝な顔で通り過ぎていく。
「まあ、冗談は置いときましょう。でも、不倫相手の奥さんの親戚が登場とは心中穏やかではいられませんよねえ」
「何言ってるのよ。そういう噂はあるけど課長の相手は別の人よ」
この一週間ですっかりゴシップ通となった貴也が軽くツッコむ。
だけど、カタリナに動揺はない。
まあ、デマだって知ってたからこんな反応になるとは思ってたけどね。
「そうなの? 誰々?」
しかし、別方向が引っ掛かってきた。
他の二人が興味津々で食いついてきたのだ。
女性はこういう話が好きなのかグイグイ来る。
カタリナは貴也に恨むわよと言う表情を向けてから大きく溜息を吐いていた。
「もう絶対ここだけの話にしてよね。わたし、噂話ってあまり好きじゃないのよ」
と言いおいて諦めたように話し始めた。
最初の躊躇いはどこにいったのか話し出すと止まらない。
うん。嫌だと口では言ってるけど好きなのね。
結論
道路整備事業部の女性官僚さんとお付き合い中だそうだ。
たまに現地視察の名目で不倫旅行をしているらしい。
領収書の内容から二人で言ってるのは間違いないし、
スケジュールを見れば、課長の視察日程と彼女の有給が一致するのがよくわかる。
他にもいろいろ会計担当の事務員には見えてくるのだ。
うんうん。あとでメモしておこう。
しばらく、話して貴也は仕事中だったのを思い出して慌ててゴミ回収を再開する。
予定外に時間を食ってしまったが、ここの仕事はあまり細かいことを言われないので問題はない。
時間はある程度決まっているが、ちゃんとノルマを果たせば文句は言われないのだ。
昼休み時間にちょちょいと済ませば問題ないだろう。
そんなことを考えながら次の給湯室へと向かう。
仕事はちゃんとしてますよ。
「執事長、今日の業務報告です。置いときますね」
「わかりました。ちょっと待っていてください…………」
貴也が退出しようとするとクロードはその場で待つように言って報告書に目を通す。
そして、目頭を押さえながら
「あなたの仕事は何でしたっけ」
「掃除の研修ですが?」
不思議そうに首を傾ける貴也。
それを見ながらクロードは天を仰ぐ。
「この報告書は内部監察官だとかスパイとかの物ですよ」
「そんな大げさな物じゃないですよ。噂程度の話で裏は取ってないんですから」
「それをわたしにやらそうというんですか?」
軽く睨まれて貴也の背中に冷や汗が伝った。
「嫌だなあ。そんなこと執事長がやる仕事じゃないですよ。それこそ内部監察官やスパイに情報提供すればいいんじゃないんですか?」
「もういいです。明日からも職務に励んでください」
クロードは大きな溜め息を吐いて貴也を追い払った。
そして、出ていく直前に
「先ほどは励んでくださいと言いましたがほどほどにお願いしますね」
「はい」
素直に返事をして退出した。
実録、掃除業者は見た。
と言うわけで掃除研修を楽しむ貴也だった。
今日は何とか間に合いました。
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