第三話 魔法チートで無双できない。
「――ゴブリン」
息をのむ貴也。これもゲームでは有名な雑魚モンスター。
身長1mくらいで小柄な子供くらい。
肌の色は茶褐色。枯れ枝のような節くれだった細い手足に少しポッコリしたお腹。
身に着けているのは腰蓑のみ。
とがった鼻と小さな目、鋭い歯を持つ大きな口。
そして、その手には棍棒が握られていた。
貴也の目はその手に持つ棍棒に釘付けになっていた。
太い枝を折って長さを調節しただけの棍棒。
だが、あんなもので殴られれば、痛いだけでは済まない。
骨折は勿論、当たり所が悪ければ死ぬことだってあるだろう。
ブルリと身体が震え、背筋に冷たい汗が垂れる。
ゲームではただの雑魚にしか見えなかったが、現実で見ると大違いだった。
恐怖しか湧いてこない。生理的嫌悪感が全身を駆け巡る。
最初は貴也を見て警戒していたゴブリンだったが、こちらが怯えているのを敏感に察したのか、醜悪に笑う。
口からよだれを垂らしながら手に持った棍棒を徐に振りかぶっていく。
「グゲェエエエエ!」
雄叫びを上げながらゴブリンが突っ込んできた。足捌きも何もない。ただバタバタと何も考えずに走ってくる。
それに対して貴也は……
なにも考えずに回れ右。
一目散に逃げだした。
「誰かたすけてええええええええ!」
恥も外聞もなく泣き叫ぶ。
戦う?
無理無理、無理無理。
冷静に考えれば戦うという選択肢はあったような気がする。
子供のような身長に枯れ枝のような手足。そんなに力があるようには見えない。
持っている棍棒は怖いが、それにさえ気を付ければ倒せるのではないだろうか。
まさか、あのスライム並みの打たれ強さはないだろう。
それならと後ろを振り返る貴也。
必死の形相で追っ駆けてくるゴブリン。
無理無理、無理無理。
怖いと思ってしまった貴也の負け。あの姿を見たら戦う気力が湧いてこない。
まるで台所の怪物Gに出くわした時と似た感覚が身体を駆け巡っている。
生理的な嫌悪感とはそういうものだ。
ヘタレと笑うなら笑え。
だったら、お前、蠅叩きだけ装備してGと戦ってみろというのだ。
それで戦える奴はスリッパでも新聞紙でも、もしかしたら、素手でも戦える勇者のはずだ。
悪いがバズーカを持っていてもGとは戦いたくない。
いま、貴也が感じているものはそういう根源的なものかも知れない。
そんな現実逃避をしながら、走り続ける貴也。
そろそろ、息が上がってきた。
そこでやっと『ギャア、ギャア』叫んでいるゴブリンの声が随分遠くにあることに気付いた。
振り返るとゴブリンは息も絶え絶えの様子でこちらを追っ駆けてきている。
なるほど、スライムと一緒で小柄なゴブリンは歩幅が小さい。
貴也の一歩は奴にとって2、3歩くらいになるだろう。
ストライドが違うのでスピードも変わってくる。
それに持久力もあまりないようだ。
まだ、1kmも走ってないのに完全に顎が上がっている。
現代人、引き籠り気味の中年手前にさえ勝てないゴブリンの体力はいっそ哀れなような気がする。
あっ、とうとう座り込んだ。棍棒を放り出して大の字なって仰向けに寝ている。どうやら体力の限界らしい。
これはもしかしてチャンスでは棍棒を取り上げて殴りかかれば倒せるんじゃないのか?
スライムとは引き分け(うっせえ、負けてない。誰が何と言おうが引き分け!)たが、今度こそ、初勝利が手に入るのでは……
そうと決まれば突貫だ!!!!!
なに? Gと比較して戦えないと言っていたのは、何だったんだって?
知るか、偉大なるG様とあんな雑魚モンスターを一緒にするな。あんなの瞬殺して、ビビッて逃げ出した恥ずかしい過去はなかったことにしてやる。
貴也は素早く引き返し、ゴブリンの放り出した棍棒を拾う。
そこでやっと貴也の存在に気付いたのかゴブリンは慌てて立ち上がり、こちらを睨み付けてきた。
「そんなに睨み付けても怖かねえよ! こっちには武器があるんだから」
右手に持つ棍棒を軽く振り回しながら、貴也はゴブリンを威圧する。
形勢は完全に逆転していた。ゴブリンの目に怯えの色が見える。
貴也は舌なめずりをしながら、ビビらされた分じっくりといたぶってやると棍棒を振り上げた。
だが、これがフラグだったらしい。
敵を前にして舌なめずりはもっともやってはいけないことだったのだ。
『『『ギャア、ギャ。ギャギャギャギャ』』』
前から二体、後ろから一体のゴブリンが現れた。
フラフラのゴブリンを入れると四対一である。
唯一の救いは前の一体しか武器を持っていないことだろう。
それも貴也が奪った棍棒より細い、木の棒みたいなものだ。
ここは戦うべきだ。きっと、殺れる。
武器がある今なら四対一ならギリギリいけるはずだ。
貴也は気合いを入れるために大声を上げる。
「この野郎! やってやんよ!!!!!」
前の三体のゴブリンに対して大ぶりの横薙ぎで牽制。
身を引くゴブリンを確認しながら、棍棒を振り回した勢いのまま半回転。
後ろにいるゴブリンへ向かって突っ込んでいく。
「喰らええええええええ!!!」
雄叫びを上げながら振りかぶった貴也。
ゴブリンは怯んで棒立ちになっている。
貴也はこのチャンスを逃さない。
素早く、ゴブリンの右脇をすり抜け、一目散に逃げだした。
『『『『……ギャギャ?』』』』
何が起こったのかわからないというように棒立ち状態のゴブリン達。
そんな彼らのことなどお構いなしに貴也は一気に逃げ出した。
100mくらい引き離したところで、ゴブリン達は我に返ったのか、ギャアギャア怒りの声を上げながら地団駄を踏んでいる。
「あははははは。バーカ、バーカ。こんだけ引き離したらもう追いつけないだろう」
こちらの挑発に怒り心頭という様子のゴブリン達。
何も考えずにこちらに向かって走ってくる。
よし、計算通りだ。追ってくる。追ってくる。
しばらくしたら、あいつ等、バテバテになってしまうに違いない。
そこで反撃すれば四匹くらい軽い、軽い。
見たか。これが人間様の知恵というやつだ。
貴也はバテないようにペースを落としてジョギング気分。
あちらがバテバテだったとしてもこちらが疲れていたら攻撃できない。
それにしてもうるさい奴らだ。
さっきから『ギャア、ギャア』ずっと叫んでいる。
あれ? なんかおかしくない。
こっちはペースを落としているのに差が縮まらない。
それどころかちょっと開いている気もする。
それにゴブリン達がバテる気配がない。
もしかして、あいつ等もバテないようにペース配分している?
でも、それじゃあ逃げられるではないか。
だったらなんで?
諦めた?
いや、あの騒ぎ方は諦めたようには思えない。あんな大声を出して……
「大声?」
いやな予感がした。そういえば最初の一匹もあんな感じで叫んでた気が……
『ギャギャギャ』
叫び声と共に、横の森の方からガサガサと木を掻き分ける音が。
貴也は視線を向けるとともに棍棒を横薙ぎにはらう。
運よく飛び出してきたゴブリンの顎にクリーンヒット。
後ろの方に転がっていく。
振り返って確認すると当たり所が悪かったのかピクピクと痙攣している。
致命傷まではないかもしれないが、すぐに戦える状態ではない。
それにしても
「まっ、拙いぞ。ゴブリンめ、仲間を呼んでやがる。なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだ」
貴也は再度、走り出した。自分のバカさ加減に涙が出てくる。
さっきは運が良かった。
不意打ち気味に振り回した棍棒が、たまたま当たったから撃退できた。
が、素人が闇雲に振り回すだけの攻撃がそうそう上手く当たるとは思えない。
なら、何か策を考えないと。
貴也は考えながら走り続ける。
ペースを落とすどころか若干、上げている。
全速力で逃げれば振り切れるんじゃないか、という誘惑に抗いながらなんとか息を切らさないようにペースを保つ。
だって、全速力で逃げてもし囲まれたらどうする。
前からゴブリンが現れないとは言いきれない。
息が切れた状態で複数を相手にする自信はない。
それにこのペースでもジワジワと引き離せている。
焦りは禁物だ。
貴也は走り続けながら、奴らを観察、考え続ける。
読み通り、ゴブリンに持久力はなさそうだ。
さっき飛び出してきたゴブリンの勢いを見るに瞬発力は十分あるがそれが長続きしないみたいだ。
一気に攻めて攻め切る。
攻め切れなければ殺される。
いかにもモンスター的ではないか。
それに防御力もあまりないようだ。
スライムにほとんどダメージを与えられなかった貴也の一撃で瀕死になった。
いくら棍棒を手に入れたからと言って、こんな棒切れにそんな攻撃力が備わっているとは思えない。
でも、あのスライム。なんであんなに怯えていたんだろう。
あいつの防御力は半端なかった。
ゴブリンに殴られたくらいじゃ負けないだろう。
となると……
あの歯か。
もしかして、スライムって打撃耐性はあるけど斬撃や刺突に弱いとか。
つまり噛みつかれるのが苦手とか?
それにゴブリンの爪、なんかちょっと鋭かった気がする。
ああ、そういえばあいつ貴也が食べようとしたらすぐに逃げ出したな。
なんか解った気がする。
となると、ゴブリンは簡単な武器以外にも爪や噛みつき攻撃があって近接攻撃力はそれなりにあると。
う~~ん。接近戦は無しだな。
相手がバテていたり、一対一だったりすれば考えるけど、複数相手はリスクが高い。
ならどうする。このままではジリ貧だ。
何か遠距離攻撃ができればいいんだけど。
なにかを投げる。
小学校の時にキャッチボール(幼馴染が投げる豪速球を一方的にぶつけられる。こちらが投げる球は楽勝で取られる)で挫折した貴也に何を期待するんだ。
それにここには手頃な石もない。エプロンの中にボールペンや予備のナイフとフォークが数組あるにはあるが、ナイフをまっすぐ投げるのは石を投げることなんかより難しい。
伊達に厨二をやってない。試したことはあるのだ。
なら、弓とか弩とかは?
だから、そんなものないって言うの。
そんな便利なものがあったら最初から使ってる。
それに石投げるより、絶対、技術がいる。
だったら、魔法でどうだ!
ここはファンタジーな異世界だ。
スライムに、ゴブリン。
モンスターがいるなら魔法があってもいいはずだ。
「そうだよ。そうだよ。ファンタジーといえば魔法じゃないか!!」
なんで今まで気付かなかったんだ。
異世界ものといえば、剣と魔法のファンタジーではないか。
貴也の身体能力から言って、どうやら、剣の才能はなさそうだ。
しかし、魔法の才能はあるのかもしれない。
「そうだよ。俺って知性派じゃん。頭脳労働担当、魔法職だよ」
妙に納得がいった。
物理チートが無理そうでがっくりきていたが、やっぱりファンタジーなら魔法だよ。
転移する時、この世界の神様が魔法の才能を与えてくれているなんて良くある話じゃないか。どちらかというと、剣でバッサバッサ活躍するより、最近は魔法チートの方が多い気がする。
いや、今のトレンドは魔法チートだよ。
紅蓮の炎で全ての物を焼き払う。
「やはり、ここは俺の右手の何かが疼いている、力が暴走する! という奴だろうか?」
切羽詰まって妄想に縋りつく貴也。
でも、一応はアラサー。すぐに現実的なことに思い当たる。
「でも、魔法ってどうやって使うの?」
至極、当たり前な結論。
日本の学校では魔法の授業などなかった。
貴也も習ったことしかできない応用力に弱いマニュアル世代だ。
「だがしかし、魔法は習っていないがラノベや漫画で知識はある。それにマニュアル世代といっても俺は技術屋。応用ができなくて社長業やロボットが作れるか!!!」
やけくそになった貴也の叫びが響き渡る。
貴也は立ち止まり、振り返って両手を天にかざす。
そして、気合いを入れながら
「魔法はイメージだ。発動する魔法をイメージして魔力を練り上げ……。あれ? 魔力ってなに? うおおおおおお、わからないものは気合いでカバーだ」
イマジネーション。
貴也は天にかざした両手、掌の上に赤黒く燃え盛る炎を想像する。
とぐろを巻くように渦巻く炎。
それは生き物のように胎動する。
貴也の只ならぬようすにゴブリン達は立ち止まり、呑まれ、及び腰になっている。
そのうちの一匹が逃げ出そうとしている。
「誰が逃がすか! お前ら、一網打尽だ! ファイアボール!!!!!」
…………
「ファイアボール!!!!!」
………………
「……ファイアボール!」
……………………
「ファイアボール?」
…………………………
「うん。逃げよう」
貴也は踵を返して逃げ出した。
どうやら、魔法チートで無双はできないようだ。
ゴブリン達は顔を真っ赤にして追いかけてくる。
あまりの怒りで体力のことなどもう完全に頭の中にない。
それどころか疲れると言う言葉さえ忘れているようだ。
「げえええ。あいつ等、さっきより足が速くなってるじゃん」
こっちは既に全速力。なのに差がはっきりと縮まっている。
こうなりゃ、やけだ、と貴也は後ろに手を伸ばし叫び続ける。
「ウインドカッター」
「ストーンバレッド」
「ウォーターカッター」
「サンダーブレイク」
「ライトニングボルト」
「ダークボール」
適当な呪文名を叫び続けるが虚しく声が響くのみ。
そんな中、ゴブリンはもう目と鼻の先まで迫っている。
しかも、いつの間にか数が増えて八匹になっていた。
「もう、いやああああああ! エクスプロージョン!!!!!」
後ろで光が爆発した。
熱風が貴也を襲い。
背中を押されてバランスを崩す。
ゴロゴロと前に転がって土埃が晴れてきたところでやっと止まった。
素早く身を起こして後ろの様子を伺う。
「うそ? ゴブリンは?」
道の真ん中に黒く焦げた跡が、その中心に八匹のゴブリンの焼死体がある。
うん。リアルはグロイ。
貴也はその場で胃の中の物をすべて吐き出した。
そして、口元を脱ぐうと。
「おっしゃあああああ。爆裂魔法で初勝利だあああああ!」
歓喜の雄叫びを上げて、今生きている喜びをかみしめる。
「おまん。さっきからなに言ってんだ?」
「ふえ?」
突然、後ろから話しかけられた。