第百六十四話 脳筋の相手は疲れるだけで無双できない
貴也は軍事施設が集まっている方へと足を向けた。
いままでいた居住区とは反対側なので行くだけで大変だ。
この城は公爵領の行政を一手に処理する施設なので本当に広い。
移動だけで疲れてしまう。
というか疲れているのは精神的な物が大きいのだが……
「あんまりここいい思い出がないんだけどな」
ここではクロードから受けた虐待――もとい、訓練のトラウマ、いや、思い出が脳裏に刻まれている。
「うん。やっぱり、引き返そうかな」
そんなことを呟きながら貴也は演習場の前で立ち止まった。
だってこの先には頭が痛くなる展開しか待っていないことが容易に想像できるから。
というか、漏れ聞こえてくる音で嫌な予感しか感じられない。
だが、このまま黙っていても仕方ない。
いや、待てよ。
アスカは連れて行かないといけないけど優紀に関しては別に言明されていない。
なら、あいつを置いてさっさと出発した方が良いのでは?
脳裏に過る甘い誘惑に貴也は思わず飛びつきそうになる。
だが、直ぐに思い直した。
まあ、あいつのことだからすぐに追いかけてくるし無駄だろうな。
手綱が握れなくなる分放置する方が危険だ。
貴也は大きく溜息を吐き重い頭を抱えながら入り口のノブを握る。
ただでさえ重い演習場の扉がさらに重く感じたのは気のせいではなかっただろう。
「ああ、貴也!」
貴也の気持ちなど全然気付いていないだろう能天気な声が演習場に木霊していた。
優紀は喜々としてこちらに駆け寄ってくる。
その向こう側には公爵領の精鋭騎士の屍が積み上がっていた。
うん。死んでないよ。一応。
いままで訓練に付き合ってくれてたのだろう。
騎士たちがそこら中に倒れている。
中には近衛の中隊長までいた。
あの人、かなりの強者なのに……
そんな中、息一つ乱さずにニコニコ顔の優紀を見て貴也はこいつ本当に強いんだなあ、と今更ながら感心していた。
そして
「痛っ! もう何するのよ」
とりあえず思いっきり頭を叩いておいた。
いきなりのことに文句を言う優紀だったが、そんなの関係ない。
貴也は首だけで後ろを指しながら怒鳴る。
「何するのよ、じゃねえよ。お前やりすぎ」
そう言われて振り向いた優紀は周りの惨状を確認した後、『えへへ』と笑って誤魔化そうとしている。
「笑って許されるのは十代までだかんな」
そう言ってもう一発殴っておいた。
優紀は不満気に頬を膨らませていたがそんな物は気にしない。
とりあえず、人睨みして黙らせておく。
そこに、脇を抑えながら近衛の中隊長さんが立ち上がってきた。
この人は日頃、エドの護衛をしていることが多いので良く顔を合わす。
任務に忠実だが普段は気さくで面白い人だ。
あと、同年代なのでプライベートでも親交がある。
「貴也。勇者様をそんなにいじめないで上げてくれ。訓練に付き合ってもらったのはこちらなのだから」
「シグルト。そうやってこいつを甘やかすのは止めてくれ。手加減が出来ないこいつが悪いんだから」
そう言ってもう一発頭に拳骨を落とす。
優紀は貴也の涙目で見上げていた。
そのやり取りにシグルトは苦笑を浮かべる。
貴也はそれを見て見ぬふりをして優紀に向き直った。
「それでお前はここで何してたんだ」
にじり寄る貴也に優紀は後退る。
「何って訓練だよ」
「何のために?」
「何のためにって……」
冷や汗を垂らしながら優紀はさらに一歩下がった。
貴也は優紀が下がった分、詰め寄る。
「お前、魔王と手合わせしようなんて考えてないよな」
「えっと――」
「考えてないよな!」
貴也がさらに大きな声を出して念押しする。
「でも」
「でも? でも、なんて回答は求めてないぞ。ここは『はい』だろ?」
「だって」
「だってもいらない」
「しかしながら」
「…………」
「えっと」
「…………」
「うう」
「…………」
こいつには無言で圧力をかけるのが一番効果的だ。
そろそろかなという所で貴也は諭しにかかる。
「今回の目的は魔王様の招待に応じることだ。オレは公爵家の執事でオレが問題を起こすとそれは公爵家の汚点となる。わかるな?」
「……はい」
「お前が問題を起こせばそれはオレが問題を起こしたのも同然だ」
「だけど……」
「だけど?」
声音は普通だが貴也の目は笑ってない。
優紀はビクリとしながらも反論してくる。
「ルビーアイはそんなこと気にしないよ。以前、あった時もフランクに対応してくれたし今度来たときはもっと強くなっていろって言われたんだもん」
「もんじゃない。それにルビーアイ様だ。あと、例えそんな約束があったとしても今回はオレのお供で行くんだから勝手な真似は許さない」
「でも、次あったら戦う約束したんだよ」
「お前はどこのサイ〇人だよ。強敵に会ってワクワクしてんなよ。拳でしか物事を語れないの? バカなの?」
「拳じゃなくて剣だよ。ルビーアイは魔法だけでなく剣の腕も一流なんだよ」
「そう言う問題じゃない! とりあえず、向こうに行ったら一切の戦闘は禁止だかんな」
「そんなあ」
悲痛な叫びをあげる優紀をさらに睨み付ける、貴也。
ただ、これぐらいでは折れる優紀ではなかった。
「でもさ、ルビーアイから戦闘を望まれたら断るのも非礼じゃないの?」
ぼそぼそと不満げに呟く。
その態度にイラッと来たのがいけなかった。
不用意なセリフがポロリとこぼれる。
「今回は目的が違う。そう言うことはオレの要件が済んでからにしてくれ」
その言葉に優紀の顔が輝く。
「じゃあ、貴也の用事が済んでから戦いを申し込むね。もう、それならそうと言ってよ」
「違う! そう言う意味じゃなくて別の機会にしろって……」
優紀は貴也の台詞は既に聞いていなかった。
喜々として演習場の真ん中に戻っていった優紀は訓練を再開している。
一人、また一人と宙を舞う兵士たち。
悲鳴と怒号、そして、金属音。
何かがつぶれたり折れたりする音が木霊している。
そんな表現し辛い惨状を見ながら貴也は大きな溜め息を吐いた。
「もう知らん。相手にケガはさせんなよ」
自分の失言に頭を抱えながら、どこか不貞腐れたように大声を上げて貴也は演習場を後にするのだった。
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