1.迷子の兄妹と一匹
この世界の構成を解き明かし、その安寧を願ってきた古代の偉人達は様々なことを今の世に残している。
例えばそう、“自らの立ち位置に不安を覚えた時には我らを見守る柱の先を視よ、そこには夜空に輝く星々が己の道筋を照らすだろう”と。
「へぇ?夜空とはこれから8時間程経たないと見れないなぁ」
隣から見下ろされている冷ややかな視線を感じながらも続けてみる。
「でもここに丁度洞窟もある訳だからまぁ、待ってみるのもいいんじゃないかなぁ、と」
「待ってみたところで今日は一日中雨だろうがな」
ざぁあああ、と更に強くなった雨音が無情にも洞窟内に大きく響き渡る。
無言の圧力が体に悪い。お腹が空いている状態故に胃が更に痛い。
あぁ神様仏様12宮様、何故我々はこんな洞窟内に居る事になったのでしょうか。
「迷子だからな、いや遭難者だから?」
あっけらかんと髪や肩についた雨滴を無造作に払う隣に立つ男を恨めし気に見る。
優男の癖に無駄に身長がでかい故に視線を上げなければならないのが我が兄ながら憎らしい。その瞳には意地悪そうな光を湛えてこちらを見下ろしていた。
「だから俺に地図貸せ、って言っただろうが。方向音痴かつ迷子癖のお前に任せられない、って言ったのにずんずんずんずん先に進み腐って案の定この状況。ウラガンも腹が空いたって俺に訴えかけ、っておいこら何俺に噛みついてやがる痛い」
小さいながらも強靭な牙を男の頭蓋骨に突き立てる白い翼の生えたトカゲのような生き物、伝説と呼ばれた幼い竜に、かじられる兄ことソルは引きはがそうとやり合っている。あぁ、ウラガン私が苛められていると察知してくれたんだね……!と感慨にふけっている場合ではない。我々の腹からはいい感じの腹の虫が雄たけびを上げだしている。このままだと餓死してしまう、お腹が空いた。
はぁ、とウラガンを引きはがし抱き込むソルが珍しく溜息を付いた。その表情はさっきの意地悪さとは打って変わり、色白から青白くなっていっている気がする。
「……もしやエネルギー切れですか、お兄さん」
「低血糖で気持ち悪い。どうにかしろ馬鹿アルマ、視界が霞んでる」
え、本当にもう餓死寸前?
しかもずるずると壁に腰を下ろしたソルの腕にいるウラガンは、その指をがじがじと噛んでる辺りで流血する様が目にも悪い。このままでは仲間割れというよりも仲間食いというおぞましいことになってしまうやもしれない。ここ数日間まともな食事をしていない故の末路か、そうなのか。
「あー……お腹すいたなぁ…」
雨空を見上げながらぽつりと漏らした所で、その声は耳に届いた。
雨音に混じり助けを呼ぶ声と、獣の唸り声。
「アルマ」
「合点承知っ!」
ばしゃっ、とぬかるむ大地を蹴って私は駆け出す。恐らくソルも同じ考えだろう。
木々を走り抜け気配を辿る。雨粒が視界を遮るが、目標を補足するのには大した障害にはならない。気配は二つ。怯えるものと殺気を放つもの。対象的なその二つの気配を目に留めて、私は腰の得物を両の手に抜き放つ。そして振り下ろされようとしていた獣の剛腕の下に潜り込み両刀で防ぐと同時に全身の力でもって弾き飛ばした。
「グルォォォッ」
「ウルススが人を襲うとは、ねっ!」
弾き飛ばされた衝撃で数歩後ろに下がる獣は怒り狂ったように吠える。体躯は黒茶の毛に覆われた2mを超えた巨体。その腕には本来あるまじき肉を切り裂くような大爪が此方を切り裂こうと向けられ、口角からは鋭い牙と、凶悪さを増長させるかの如く唾液が滴り落ちていた。ウルススは本来大人しく、あのような凶悪面をすることもなく、人前に表れるような獣では無い筈なのに。と、僅かに思案した隙を付くように前方から勢いをつけて突進してくるウルススを認識すると横から炎の玉が爆発する。
「アルマ、久しぶりの御馳走だ」
ウルススが吹き飛ばされた方向の反対から涼やかな声が聞こえる。がさり、と草木を分けてきたのは遅れてきたソル。その目には御馳走を目の前に喜々としたものを感じた。しかしその次には訝しげな表情へと変わり、背後からは「っひぃ」と情けない声が耳に届く。なんだ?と訝しげに見つめる先に視線を戻せば、ぐぅぅぅ、と苦しそうにもがくウルススから黒い靄のようなものが立ち上がる。そしてその背筋と剛腕の毛皮下がごきごき鳴りだしたと思うと、皮膚を突き破り異形の突起物がむき出しになったのだ。
―――――――――グォォォォッ!
異形の形へと変貌したウルススだった獣はゆらり、と立ち上がると獣の唸り声とは明らかに違う脳に直接響くような音波を辺りにまき散らす。ビリビリと周囲の空間が震え、魔物の放つ音そのものが武器となり辺りを僅かに切り裂いた。
「っ魔物化だと?」
魔法障壁を展開し、冷静にその状況を分析するソル。事実あの変貌ぶり、更に攻撃手段は唯の獣ではない、魔物化した証拠。この事がこのご時世で良からぬこと等十分承知はしている。だがしかし今はそんなことは問題ではない。
そう。あれではもう 食 べ 物 に な ら な い 。
「っ私のごはぁあああんっ!!!」
血の涙を流すかの如く、私はその魔物と化したウルスス目がけて跳躍し、頭部から下へ一閃したのだった。
魔物の断末魔が響き、その体液がまき散らされる。ばしゃん、と大地に降り立つと、その残骸は異臭を放ちながら空気に溶けて消えた。
あぁ、私のご飯、無くなってしまった・・・・・・
切なさに空を見上げても相変わらず雨が降り注ぐのみ。ぐぅぅー、と間抜けな音が響くのがなんとも物悲しい。視界の端ではソルも力尽きたように腰を落として顔を覆っていた。あれだけ弱りきった兄を見るのも久しぶりだ。少しばかり面白い。
「アルマ、顔がにやけてんぞ」
ごす、と頭部にウラガンが投げつけられる。ソルによって投げつけられたウラガンも遊んでもらってると思わないでほしい、地味に痛いのだ。そしてそのまま私の髪を食べようとするのも止めていただきたい。もう皆して飢えに死にそうだ。誰か食べ物プリーズ。出来れば温かい寝床も欲しい。旅に出たのがそもそも論間違いだったのだろうか。
思う所が多々ありすぎて思考がまとまらなくなってくると背後から恐る恐る声がかけられた。そういえば何か追いかけられてる人が居たなぁ。
「あ、あのぉ、お腹減ってるんですか……?」
「すんごく空いてる。お腹すいた。もう動けない。助けた礼になんかご馳走するのも礼儀かと思うんだけど」
「とりあえず肉。肉寄越せー」
思いつく事を適当に言い募るとそ、と背後から果物が差し出される。おぉ、久しぶりに食べれる物!思わずそのまま手に取り、綺麗に熟した赤い果実にかぶりついてしまった。甘い果汁と果肉が口一杯に広がり食の有難みが身に染みる。横からがしがしと一緒になって被りつくウラガンが居るが、彼も色々と我慢していたのだから今回は良しとしよう。そして振り返るとソルの方にも「お肉じゃなくてごめんなさい」と言いながら先程追いかけられていただろう人が蹲るソルにも同じ果物を差し出していた。
否、人、では無かった。頭には一対の獣の耳、そして尾が僅かに揺れているのが見える。その毛色は陽に当たれば白銀に輝くのではないだろうか、と思わせる白。
「猫族っ?!」
「獅子ですっ!!」
思わず獣耳に抱き付きたい衝動に駆られるが、実際体力の方が追いつかなかった。が、猫でなくて獅子?
「いやいや、獅子ならウルススから逃げんな。狩ろうよ、狩猟本能駆られるでしょ?!」
もぐもぐと頂いた果物のおかげで突っ込む程度の体力は回復した。しかしそれを言われた相手、獅子族という青年は恥ずかしそうに耳をかく。その様は誇り高く、闘争心が強いと言われている獅子族とはかけ離れた印象だ。
「や、その、僕そんなに強くないし、食料になる果物採りに来ただけで」
歯切れ悪く伝える様子はあれだ、草食動物。それに白羊宮領だろうこの地に獅子宮領に居るはずの獅子族が何故居るのだろう?ソルも訝しげにそのやりとりを見ていると、二つの視線に耐えきれなくなったかその青年、少しずつ後退し始める。獅子は肉食の頂点に立つ存在だろうに、もっとしっかりしろ。
「あ、あの、その、えーと、良ければうちに来るかい…?あまりもてなしはできないけど、見た所旅の途中……」
「「是非っ」」
皆まで聞かずに速攻願い出た我々二人と一匹に、獅子族の青年は狩られそうな思いをしたようだった。
見切り発車もいいところです。