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勝つための作劇法

作者: 池部九郎

本題に入る前に、

創作の世界は三つに大別される。それはメジャー・マイナー・インディーズ〟である。

ただ最初に言っておくが、本論はメジャー>マイナー>インディーズという価値観に拠ってはいない。この三つはそれぞれ性質が異なる世界であり、どちらが優れているかという論点そのものがナンセンスだからだ。

例えばメジャーとマイナーは制作会社主導である。そして営利を求めるあまり二匹目のどじょうを追い画一的になりがちな傾向がある。それに比してインディーズは個人主体でバラエティに富み、シーン全体に活気がある。この点だけでも商業がインディーズよりも優れているとは言い難い。むしろインディーズの諸氏には商業へのアンチテーゼという意味も含めて頑張って欲しい。やりたい事をやりたい時にやりたい様にやるからこその面白さがこの世界にはあると思うし、あって欲しい。

そしてもう一つ‥‥多くの若者がインディーズで実力をつけマイナーで経験を積めばメジャーに至れると思っている様だが、これは間違いである。何故ならこの三つは基本的に分離した世界であり、ごく稀なケースを除いては橋渡しは行われない。ちなみにその稀なケースとは、ソーシャルゲームにおけるイラストレーター不足やCDの売り上げ不信に起因するpixivやニコ動からの引き抜きである。だがこれは社会情勢の変動に伴うあくまでも稀なケースで、基本的にメジャーに至る道筋は〝持ち込み〟が主である。勿論インディーズで万単位の支持を集めた者がメジャーからオファーを受ける事はある。だが忘れてはならない。例えば漫画の歴史上、インディーズからメジャーに上り詰め商業的成功を収めた者は士郎正宗や奈須きのこなどほんの数名である。その理由はメジャーとインディーズの性質の違いにある。

それではこの三つの世界の性質がどう違うかについてだが、ここでキーワードを二つ設定したい。それは〝マス受け〟と〝最大公約数〟である。最大公約数は算数の時間に習うのでいいとして、マス受けは大衆受け・一般受けの意である。

ここで頭の中で中学・高校のクラスを思い浮かべて頂きたい。仮に一クラスが五十人として、その中で小遣いの大半を漫画につぎ込んでいる者が何人いるだろうか? 恐らく一人か二人だろう。ではクラスの中で週刊少年ジャ○プを読んでいる者は何人いるのか? 更に小学校高学年でジャ○プ読者は全体の何割を占めていたのか?

私の時代、小学校高学年では男子の八割がジャ○プを回し読みしていた。これが中学になると激減する。ではジャ○プを読まなくなった男子は違う雑誌を読むのか? いや、その大半が漫画そのものを読まなくなったのだ。

つまりマス受けの本質がここにある。本来消費者になるはずでない人間を消費者に組み込む。そのためにメジャーはブランドイメージを確立し、巨額のプロモーション費用を掛ける。それがマス受けなのである。

話をクラスの構成に戻す。五十名中コアな漫画ファンが二名とするなら、コアなファンは四%という事になる。そして商業がメインターゲットとしている年代は十五歳から二十五歳。統計上この年齢の人口は約一千二百万人。単純計算でコアなファンは四十八万人となる。方やワン○ースの単行本の初版発行部数が四百万部。これでは計算が合わない。マス受けは残りの九十六%がターゲットだからだ。

ただこのマス受け狙いはある意味博打である。何故なら客層が客層だけに何が受けるか分からないからである。勿論各社ごとに編集方針という形で方法論は存在する。だがそれでマス受けが可能になるならジャ○プの十週打ち切りはあり得ない。方法論やマーケティングだけで云々できる世界ではないのだ。誰もが試行錯誤を繰り返し結果の出せない者から年齢順に切り捨てられる。それがメジャーの世界なのである。

それではここで四十八万人のコアなファンに目を向ける。勿論彼らもメジャーの作品を消費するが、マイナーとインディーズの消費者はほぼ彼らの中から生まれる。そして次世代の作り手も彼らの中から生まれる。現在この文章を読んでいるのも四十八万人の内の一人だろう。そしてコアなファンには一つの傾向がある。彼らは確固とした趣向を持ち、それに合わせて消費する作品を決める。当然その方向は多種多様だ。つまり四十八万人が細分化された嗜好を持っているのだ。これもまたマス受け同様に数字を出すのは難しい。だが完全に不可能なわけではない。細分化されてはいても〝最大公約数〟は存在する。最大公約数を導き出し四十八万人中十万人を動員出来ればヒット作となるのである。メジャーの一部とマイナーはこの戦略を取ることが多い。またインディーズでもこの戦略は有効だろう。

ただ、インディーズにはこれとは別の要素が絡む。インディーズ特有の傾向‥‥それはインディーズの特殊な客層に起因する。コアなファンがマイナーとインディーズの消費者となり次世代の作り手もここから生まれる事は前述した。別の要素とはこの〝次世代の作り手〟の部分である。特にインディーズではこの作り手が消費者になるのである。作り手が見て評価するからこそ、技術的に優れた作品や奇抜な作品が好まれる傾向が強い。自分より上手い作品や自分には思いつかない様な作品が支持されるのだ。イラストで言うなら塗りや背景が精密な作品が好まれる。五年後のスタンダードはこういう作品になる可能性もあるのでそれはそれでいいのだが‥‥現状メジャーのラノベの表紙に背景が無かったりアニメ塗なのは何故なのだろうか?

インディーズの覇者が必ずしもメジャーの覇者たり得ない事は先にも書いた。それは各世界が別々の傾向を持つ異質な世界だからなのだが、もう一歩踏み込めばこうも言える。作り手の嗜好を押し付ける限り新しい客層を開拓する事は出来ない。音楽で言えばビートルズはミュージシャンの共通言語だが、一般客の中でビートルズファンはどのくらいいるのか? そういう人たちにビートルズは最高だと叫ぶ事に意味はあるのか?

しかしもう一度だけ言う。インディーズとはやりたい事をやりたい時にやりたい様にやる場である。本来はこういう話を云々することさえ疑問なのだが‥‥pixivでは結構な頻度で@お仕事募集中とあるので論じる事にした。


さて、以上の様な各世界の性質の違いと〝マス受け〟〝最大公約数〟のキーワードを頭に入れてもらった上で本題に入る。勝つための~と銘打ってある以上どうやれば勝てるか?という話なのだが‥‥そんなことが分かるなら私だって苦労はしない。ただ勝つ方法は分からなくても負けない方法は分かる。理屈は簡単だ。受けない作品は書かない。書いてもいいが見せない。それだけである。

しかしそのためには受けると思われる根拠を自分の中で明文化する必要がある。そのために提案する‥‥企画書ぐらいは書いてみようよ、と。

以下は企画書のフォーマットである。本当の企画書はいろいろなデータが数値として示されグラフや表の形で提示されている。だがそういったマーケティングの部分は一般には難しいので割愛。それでも頭の中を整理する役には立つだろう。各世界ごとに傾向を読み、面白い面白くないだけではなく、誰にとって面白いかを確認するのだ。



企画書


1・タイトル

2・アウトライン

3・ジャンル

4・テーマ

5・キャッチコピー

6・ターゲットとなる年齢層

7・セールスポイント

8・予想出来得るメディアミックスの展開

9・キャラクター一覧

10・世界観(舞台設定の事)

11・あらすじ


以上が書くべき項目である。

このうち②のアウトラインは説明の必要があるだろう。アウトラインとはあらすじを数行にまとめたもので、「どんなキャラがどんな世界で何を目標にどんな活躍をするか」を書いたものである。そして売れる売れないはほぼこの部分‥‥つまり〝企画力〟で決まるのである。

⑥の部分では先述のクラスの構成を思い出して欲しい。年齢層と書いてはあるが、マス受けで行くのか最大公約数で行くのか、奇抜なアイデアで博打に出るのかまで含めて勝算はあるのか考えて欲しい。

以上が私からの提案である。


ここから先は若干対象を絞る。インディーズの中にはプロを目指す者も多いと思う。その将来メジャーを夢見る若者たちにアドバイスをしたい。

第一に‥‥メジャーには年齢制限がある。出版なら三十歳、音楽なら二十五歳がリミットである。理由は単純である。後から後から若者が持ち込みに来るのに、伸びしろの少ない年寄りを抱えていては編集者もプロデューサーも身体がもたないのだ。

ただしこれは育てる事を前提とした話である。もし貴方の作品が無加工でヒット作になると確信したら全ての条件は無視される。もし貴方が年齢制限を超えているならこれを狙うしかない。もちろんこれは難しい。企画力・技術力を含めてパーフェクトでなければならないからだ。

第二に‥‥現在巷に流布されているアーティスト論やプロフェッショナル論、これは嘘だと思った方がいい。

例えば「アーティストは好きな事だけやるもの」「商業主義に乗る奴はアーティストではない」などの理屈だが‥‥これは貴方の夢をを無にしかねないトラップである。実際に飛び込んでみれば分かる事だが、メジャーの制作会社が私たちに求める事はただ一つ「売れる作品を作ってくれ」だけである。好きな事をやって売れる人間は天才である。では天才以外はメジャーを目指す資格が無いのだろうか? メッシー以外はピッチに立つ資格が無いのだろうか? 答えは否である。メジャーの住人の大多数が試行錯誤を繰り返しアーティストを名乗る権利を手にする。人気を得るためにどうすればいいかを模索するのは当然の事。それを否定するならメジャーを目指す資格そのものが無い。

また職業=プロと考えるのも危ない。制作会社はアーティストに百万円払うために、穴埋めの仕事では手軽なプロを一万円で百回こき使う傾向がある。若いうちは身体も無理が利く。だがそのまま歳を重ね無理が利かなくなり、病気をする様になれば即廃業である。そんな話は嫌になるぐらい転がっている。

では何故このような理屈がまかり通っているのか? この理屈を口にする者の真意は「俺は商業主義に乗っていないから売れてなくてもアーティストだ」である。そんな理屈に耳を貸せば、貴方も彼らの二の舞である。人気のないアーティストなんていないし要らない。プロとは最低限、売れるために必死になれる人間である。

以前じん(自然の敵P)氏がツイッターでこう呟いていた。彼はカゲプロ以前は別名義でテクノを投稿していたようだが、その時の曲について「これを作っていた時の俺に夕景イエスタディをぶつけてやりたい」と書いていたのだ。ちなみにその曲は充分カッコイイ曲だった。それでも作品を聴いてもらえる喜びの方が強かったのだと思う。

この気持ちは私にも分かる。私は以前、旧知のプロデューサーに仕事をもらいながら映画のシナリオコンテストに応募していた。だが脚色では評価は高いのにコンテストでは惨敗。私は思った「書きたいものを書くと売れないんだから才能無いんだな」 やがて公募からは撤退し、私は夢を諦めた。そしてある日遺伝性の眼病を発症し失明を宣告された。その時思った事はただ一つ「もう一度書きたい」だけだった。時間は限られている、どうせ書くなら皆に面白いと思ってもらえるシナリオを書こう、と思った‥‥途端に周囲が変わった。旧知のプロデューサーだけではなくアニメ制作会社のプロデューサーまでが私の作品を面白いと言い始めた。「こういう事だったのか」と思った。そして自分の書きたいものだけに執着していた自分を恥じた。残念ながらその企画は日の目を見る事は無かった。現在私は小説に転向して試行錯誤中である。年齢制限を超えているので門戸は狭い。アニメと出版の傾向の違いにも戸惑っている。それでもまだ書き続けていられる事が嬉しい。

以上の様な私の失敗を踏まえた上で若者たちに言いたい事は、

○出来るだけ早い時期に持ち込みを始める事。

○先ず最初は自分のやりたい事を試し、それで駄目ならマーケティングをする事。

○常に上を目指し続け、負けても下らない理屈で自分自身に言い訳しない事。

○技術は当然必要だが、それ以上に重要なのは企画力。

○他人と作品を共有出来る喜びを忘れない事。

である。そしてタイムリミットまで必死にやって頂きたい。必死になれば答えは必ず見つかるし、よしんば諦める時も笑って「負けました」と言えるだろう。その時は外聞など気にせずインディーズで好きなことをやればいい。文句を言う奴には「好きでやってるんだ、ガタガタ言うな」と言えばいい。そしてもし才能がありそうな若者に出会ったら、貴方の失敗談を話せばいい。その出会いが彼の中で実のなる種となるなら、貴方の人生は意味のあるものになるだろう‥‥今の私はそれでいいと思っている。


最後に、全ての若者たちにこの言葉を贈る。これは晩年の黒澤明が北野武に充てた書簡の中の一節である。


日本の映画をよろしく頼む。

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