03
いつもは俺と深楽、二人で食べる昼食に珍しく蛍日を、交え三人で摂ったその後。恙なく授業を終え放課後になり、深楽は図書室に向かった。
図書委員の深楽は、今週・来週と、図書室のカウンター当番を担っている。深楽がカウンター当番をしている日は、女子の図書室利用室が高い。女子は深楽と話せてニコニコ、司書さんは利用生徒が増えてニコニコ、深楽がいるだけでみんなニコニコ、である。
ちなみに俺はというと、深楽がカウンターで女子に囲まれているのを横目に、図書室の一番端の席で本を開いている。深楽とは普段から一緒に行動しているが、深楽の周りにクラスメイトや女子がいるときは別だ。そういうとき、俺はそっと深楽の側から離れて、遠目に彼等を眺める。深楽を独占したい、みたいな子どもじみた考えはないし、深楽の交友の邪魔をしようとも思わない。
「……あ」
深楽と目が合った。深楽はふわりと優しく笑んで、こちらに向かって手を振ってきた。俺もそれに対して軽く手を振る。すると今度は、振っていた手で手招きをしてきた。
深楽の側にいた女子グループが、何事かと俺の方に目をやる。深楽は来いと言うが、俺はあの輪の中に入りたいとは思わない。だから俺は、深楽に一瞥くれてから、手元の本に視線を落とした。
女の子とは一対一でなら話せるが、ああいう風に固まってグループを作っていると途端に話しにくくなる。というか、少し怖い。人間というのは、集団になると何を仕出かすか分からない生き物なのだから。
それに、俺は知っている。クラスの女子は、目つきが悪く深楽以外の人間に対して愛想のない俺を怖がり、若干敬遠していることを。お互い関わらない方が身のためだ。
まだ図書室の閉館まで少しある。半分くらいは読み進めたいと本のページを捲った。
今読んでいる本は、人形、つまりハーティッドドールをモチーフにした作品だ。人間とハーティッドドールの恋愛物語。
この話は、ファンタジーである。常識的に考えて、人間とハーティッドドールが恋に落ちるなどあり得ない。いや、人間がハーティッドドールに片思いするならあり得るかもしれないが、その想いにハーティッドドールが応えるなどありえない。
ハーティッドドールが所有者に抱く感情は、忠誠心のみだ。
それはつまり、所有者が友を望めばハーティッドドールは友となるということだが、人形が友情を抱くことはない。あくまで、「主人が望んだ形だから友になる」だけなのである。
恋愛だって同様だ。所有者が求愛すれば、ハーティッドドールはそれに応えるだろう。「私も貴方が好きでした」、と。
だが、ハーティッドドールは所有者に恋をしたわけではないのだ。プログラミングされた台詞に、恋愛感情など篭っていない。主人の望む言葉を人口頭脳で割り出し、それを口にしただけなのである。
だから、この小説のように、人形が主人への想いに身を焦がす、なんて展開は現実には起こりえない。
『私はマスターが好きだ。この感情はきっと、人口的に作られたものなんかじゃない。マスターの愛情が私に起こしてくれたキセキなんだ。この身体は機械だけど、この心は生身の人間と同じだ。
マスターは私が好きだと言ってくれた。私もマスターが好き。私がこの気持ちを伝えればハッピーエンド。
でも、これで良いのかな?
だって、マスターには人間の婚約者がいるんだ。ちゃんとした、身体も生身の人間の婚約者。
あの人と一緒にいた方が、マスターは幸せなんじゃないの?
どうしよう。どうすればいいの。
もう、わかんないよ……』
かなり今更だが、これ、どう考えても女子向けライトノベルだよな。適当に選んで読み始めたとはいえ、これを読む俺ってどうなんだろう。段々恥ずかしくなってきたぞ。主人公のマスターへの想いに比例して、俺の背筋には鳥肌が増えていく。
思わずぱたん、と本を閉じた。改めて表紙を見てみると、タイトルは『LOVE☆ドール〜私とマスターの恋の歯車〜』……
取り敢えず、速攻で本棚に戻した。
おい俺。せめてタイトルくらい確認してから読み始めろよ。何だよLOVE☆ドールって。うわ、また鳥肌増えた。
一人本棚の前で腕を摩っていると、丁度チャイムが鳴り響いた。
「ノアー、帰るよー?」
気が付けば、図書室にいた生徒は皆いなくなり、俺と深楽の二人きりとなっている。
「あ、ああ。今行く」
「随分と集中して読んでたね。何を読んで、」
「何でもない」
「……へ?」
「何でもない。ただの下らない小説だ、気にするな」
「え、そう言われると気になるんだけど。ねえ、何読んで、」
「何でもない。深楽が気にするようなことじゃない。気にするな」
「ノア?」
「気にするな。ほら、帰るぞ」
頑なな俺にとうとう折れたらしい深楽は、渋々といった様子だったが、俺に背を押され図書室を後にした。
「……それはそうとさ、ノアって本読むの好きだよね」
廊下を歩きながら、深楽がふとそう言った。
「まあ、な」
本を読むことは嫌いじゃない。今まで知らなかったことを知れる。知識が満たされると、頭が良くなったような錯覚に陥る。テストの順位は後ろから数えた方が早い俺に言わせれば、錯覚でもいいからそんな気分に浸りたい。俺は物事をすぐに覚えることはできるが、容量は人より少ないらしい、すぐに忘れてしまう。
「結構、幅広く色んなジャンル読むしね。僕、日本文学以外はあんまり読まないんだけど、面白いの?」
「へっ……!?」
それはつまり、あれか。言外に、「『LOVE☆ドール〜私とマスターの恋の歯車〜』は面白かった?」と訊いているのか?見てたのか?見られてたのか?俺が『LOVE☆ドール〜私とマスターの恋の歯車〜』を読んでいたところを!
「……ノア?どうかした?」
「うえ!?いや、俺は別に、恋愛小説と知って手に取ったんじゃなくてだな、人形との恋も別に否定はしないし一種の愛の形だとって俺は何を言ってるんだあああああ」
「……何言ってるの?」
自滅している俺を、深楽は怪訝そうな顔で覗き込んできた。墓穴を掘るだなんて我ながら馬鹿すぎる、目も当てられない。
「人形との恋?何の話?」
「なっ、何でもない、何でもないんだ!」
「はいはい。もう、今日のノアってば変なの」
面白そうな口調で俺を揶揄しつつ、深楽は再び歩き出した。
「人間と人形の関係、ねえ……」