魔法使いに杖は必要なのか?
お気に入りの小説で魔法使いの杖の不要論を見かけました。面白いなぁと思う反面、違うんじゃないのって突っこんでもみました。
「今日の論客は、大魔法使いにして偉大なる鍛治師でもある伴・ドルフさんに来て頂きました」
パチ、パチと疎らな拍手が降りかかるが意に介さずと悠然と座する不死者。
身の丈は六フィートを大きく超える魔法衣姿の男。齢は四十ほどであろうか。白金に波うつ長髪、琥珀色の双眸が司会者を鋭く射抜く。
「よい。お座なりな歓待など不要」
「お忙しいなか足を運んで頂きありがとうございます。早速ですが、質問に入りたいと思いますが」
「よい」
「とある識者が魔法使いに杖など不要などと言っていますが本当ですか?」
「魔法を唱えるにあたり、杖なくして成立つ者は少ないであろう。故に杖は必要と言う者は多かろうな」
「つまり? どちらですか?」
「急くものではない。魔道を探究する者にとって、浅慮は忌むべきもの」
「なるほど、それは素晴らしい心掛けですね。それで?」
「うむ。必須とは言えぬ。魔道を極める者にとって常識の範疇。語るにあたらず」
「いえいえ。それではお話しになりません。どうか語ってくださいよ」
「ふむ。そうであるか。ならば語ろう。今は杖の可否などどうでもよい。魔道を極めんとする術者の成り立ちから語るべきであろうな。心して聞くがよい」
「ええ、心して聞きましょう」
「魔法などと言うものは自然に身につくものではない。当然ではあるな。でなければ、世の中は魔法使いの巣窟と化す。つまり後天的に身につくものなのだ」
「後天的? 魔法の用語ですか?」
「特別な修練により身につくものなのだ。精神の修行。人の中に出ずる魔力と呼ぶものを呪文により具現化する作業とも呼べる」
「なかなか杖にはつながりませんねぇ」
「逸るでない。具現化するにあたり大切なことは心像。想像の産物を形なすものとする確たる集中力が必要なのだ。常人には並大抵のことではない。その精神を集中するために使われるものが杖にして呪文なのだ」
「ようやく杖ですね。では疑問ですが、なぜ杖が使われているんですか?」
「言語だけでは伝えることが困難であるためだ。文字を習うにしても書物や筆記具を用いるように、魔法を備わるためには映像という手法が最も有効なのだ。それに杖は焦点具でもある。杖の先端から持ち手まで1キュビト。視点から杖の先端まで2キュビトが焦点を合わせ易いとされる。意識ある精神の発露が魔法ならば、より集中力の増す方法を伝授することが効率的なのだ」
「つまり、ご飯を食べるのに箸の使い方を見せて教えるのと一緒ですね。確かに言葉だけじゃ解らないです」
「如何にも。呪文とて然もありなん。心像鍛練においても言葉を発すること自体に意味があるのだ。頭のなかの思考だけでは身につかぬが、言葉や所作を繰り返し刷り込むことによって記憶や心像をより鮮明に捉えることが可能となる。魔法についても然り」
「じゃあ、杖は必要ではないのですか? それから呪文も」
「いらぬ。無論、初心者には無理だろう。要は集中を高め魔法を行使するに支障がない方法であればよいのだ。現に指環を焦点具とする者や短杖で魔法を唱える者もいる。だが、よく見分すれば分かるが2キュビトに近しい間合いを取っていることが察せられることだろう。かの偉大なる白の大魔法使いも杖に長剣と魔法使いの基礎を大きく違えてはおらぬ。杖が要らぬと申す者は我流につけ慢心するが故に、魔道の探究を怠る実力が伴わぬ者。実に嘆かわしいことなのだ」
「なるほど。なるほど」
「さらに申せば、魔法は強力な武器でもある。話は変わるが、汝は抜き身の剣を抱いて寝たいかね?」
「まさか! 怪我をするに決まっています。知った上でする人はただの変態でしょう!」
「無論である。魔法とは意識ある精神の集中による賜物。だが、考えてくれたまえ。寝ている間は身体は動かぬだろうか? 否。意識なく意思なくとも身体は動くのだ。それは夢を見ていることもあるだろう。では、魔法はどうであろうか。意識なく精神の集中は? 意思なく魔法の行使は? 夢を現実と即座に判断できるかな? そして魔法だけは大丈夫と言い切れるかね?」
「つまり、安全措置だと?」
「よし! 杖なく呪文もなく魔法を使えるこの危険が解るな? 我知らず汝の隣人を消し炭と変え、最愛にして寝床の伴侶を肉塊に? 知らぬ存ぜぬでは通らぬであろうな」
「お忙しいところ、ありがとうございました」
次回は、なぜゾンビは人を襲うのか? について、考察したいなぁ~と思っています。なんちゃって!