Battuta 5
石の階段に響く、軽やかなヒールの音。
遠ざかるその音を聞きながら、僕は机の端に置いてあった見合写真を、手に取る。
僕に、あれだけ言ってくるぐらいだ。
きっと、母上は…あいつにも、うるさく言っているのだろう。
今日だってきっと…病院の話だけじゃなくて。
『早く大人になりたいな』
小さい頃から、お医者さんになりたいと言っていたあいつの、ませた口調が脳裏を過ぎった。
『だって子供は、あれも駄目これも駄目って…駄目なことばっかりなんだもん』
厄介なのは…子供よりも大人って気がするな。
駄目なこと…儘ならないことは増える一方だ。
「咲良………」
言いたいこと言えて、すっきりしたなら…まあいいか。
やっぱり…
もう一回、あいつとちゃんと話をしよう。
………兄貴らしく。
・・・・・・・・・・・・
「どこから聞いてたの?」
ふふふ、と…背中で含み笑いが聞こえる。
「やはりばれたか」
「…そりゃ、ね」
大人しくおぶわれたまま、藍は愉しそうにくすくす笑っている。
「あのタイミングだもん…わかんなきゃ、馬鹿だよ」
そっかなぁ…と呟いたまま、黙ってしまった藍に。
俺はそっと…声を掛けた。
「ありがとね」
「…何が?」
「助けてくれたんでしょ」
「一夜だって、孝志郎のこと、助けてくれたじゃない」
藍は、ぽつりと言う。
「自分のことには怒らなかったのに、孝志郎のこと言われて、カッとなっちゃったんでしょ」
「………んー」
「でも、反論出来なくて…振り上げた拳、下ろせなくなっちゃったんだ」
藍のくすぐったそうな笑い声に、顔が熱くなるのを感じた。
「敷島くん、あれ…常盤のことも含めて言ってるでしょ」
「…そうだね」
「なんか…他人事とは思えなくってさ、私」
心臓が、どきりと…高鳴った。
「ねぇ、一夜」
柔らかな吐息が、ふわりと首筋にかかる。
「背負ってこうね、一緒に」
「………背負われてるでしょ、藍は」
「もう…そうじゃなくて」
………わかってるよ。
「私………ずっと一緒にいるから」
「…うん」
「だから、もう…どこにも行かないで」
「………うん」
・・・・・・・・・・・・
「くれはが…行方不明?」
『そうなんですって』
右京の心配そうな声が、無線から響く。
『さっきまで玲央を探してバタバタしてたんですけど、敷島伍長が見つけてくださったらしくて。でも、くれはがまだ帰ってないって…花蓮さまが』
こんな時間まで…一体、どこをほっつき歩いているのか。
『愁さん、何か心当たりないですか?』
「いや…けど」
大丈夫やろ、と僕が答えると、右京はでも…と言葉を濁した。
『くれはが強いのは、分かってますけど…それにしたって、女の子ですし』
「…女の子…ゆうても」
誰もいない朱雀隊舎に入り、奥の部屋の扉を開けながら。
「あいつ、韓紅一の能力者なんやろ?いくらまだ子供やいうても」
無線に向かって言いながら、灯りをつけ。
僕は………目を疑った。
『…愁さん?』
「………右京…はん」
『あの…何か…あったんですか?』
「見つけたわ」
『………ええっ!?本当ですか!?』
僕の椅子にどっかりと腰を下ろし、机に靴を履いたままの両足を乗っけて…くれはは、無言で僕を睨んでいた。
『一体どこに…』
「心配ない。どこもおかしなとこ、ないようやし」
何故だか………物凄く怒っているらしいことを除けば。
「後でちゃんと、朔月邸に届けるから…みんなに伝えてくれへん?」
『わ…わかりました』
無線がプツリと切れ。
恐る恐る…ご機嫌斜めの彼女に近づく…と。
ばっ、と何かが殴り書きされたノートが、目の前に突き出された。
『私は帰らない』
丸みのあるかわいらしい文字と裏腹に、くれはは人殺しのような目をして、僕を睨みつけている。
「…何や…ようわからん…けど」
何故ここにいるのか、という問いには、『ふーがが待ってていいと言った』と答え。
『もっと早く帰ってくると聞いていた』と、鬼のような顔で責める…くれは。
だが………
「お前…何で喋らへんの?」
紙にペンを走らせ、バン!と机に叩きつける。
『お前らとは口を聞きたくない』
「………何でやねん」
だいたい、彼女が使っているノートは、うちの備品ではないか。
尋ねると、彼女は一瞬不思議そうな顔をして、再びペンを手にとった。
『そのへんの書類の裏に書き散らしていたら ふーががくれた』
…なるほど。
その点については、懸命な判断だったと言える。
が。
「あの阿呆、なんで先帰っとんねん…子供一人残して」
『待たなくていいと私が言った』
頬を膨らませ、くれはがノートに殴るように書く。
『ふーがは悪くない ちゃんと時間通りに帰らないしゅうが悪い』
「…ああ、そうかい」
さすがにイラッとして、髪をかきむしりながら、思わず声を荒げてしまう。
「仕方ないやろ!?大事な会議で、阿呆な軍の連中が長々無為なことばっか喋って、途中で離席するわけにもいかへんし、うんざりしとんのはこっちやねん!」
『怒鳴るな それに意味がわからない』
びしりとつきつけられ…言葉を失う。
「…そやな。お前に愚痴ってもしゃあない」
『私が子供だからか?』
はみ出さんばかりの文字で、彼女は書き、僕に突き出す。
そして、もう一ページめくり、また…でかでかと書いた。
『私は子供じゃない!!!』
「………そうか」
『みんなだいきらいだ!人を子供扱いして』
はた、と…気づく。
『みんな』?
「お前…何か…あったのか?」
首が千切れんばかりに頷くくれはに、何があった?と、尋ねると。
また一ページめくり、カリカリと何か書き始め…すぐに大きなバッテンでそれを消し、彼女は僕に向かって怒鳴った。
「みんな私のこと、子供子供って言うんだ!」
「…ようやく…口、きいたな」
「まどろっこしいのだ!」
んなこと、最初から気づけよ、と…思ったが。
ぶんぶん両手を振り回し、怒りを爆発させるくれはには…何も言えず。
「仕方ないから、勘の鈍い愁にも分かるように説明してやる!」
「…おー…おおきに」
思わず冷ややかに答えてしまった僕に、びしり、と人差し指を突きつけ。
「お前、また私のこと、馬鹿にしただろ!?」
「…い…や………してへんよ?」
これは………大人しく従うに限るかもしれない。
ぎゅっと両拳を握りしめ、俯いたくれはは、低い声で呟く。
「秋風が、学校に行けというのだ」
「…ああ、士官学校か」
「『ああ』じゃない!」
怒鳴る彼女に…しまった、と口を噤む。
「『お前はまだ知らないことが沢山あるのだから、他の子供達と同じように教育を受けなければ』って言うんだぞ!私は『神器』だって遣えるし、何でも出来るのに!」
「………けど…僕も、行ってよかったと思ってるけど?」
「むかついたから、朔月邸を飛び出したんだ」
どうやら、怒り心頭のくれはに、僕のフォローは届いていないらしい。
「で、咲良のところに愚痴りに行ったんだ」
「…ほう」
「そしたらあいつ、何て言ったと思う!?」
不意にくれはは、さらさらの髪を手で束ね、もう片方の手で前髪を掻き上げながら、澄ました声を出す。
「『まあ、くれはちゃんもじきわかるわ。大人には色々とあるのよ』」
源隊長の真似か…うまいもんやな。
また、元の怒りの表情に戻ると、くれははまた、せきを切ったように喋り出す。
「色々って何だ!?私にだって色々あるぞ!?」
「………そ…やなぁ」
「腹がたってしょうがなかったから、気晴らしに玲央とでも遊ぼうと思って城に行ったら」
「お前…活動的やなぁ」
「話の腰を折るな」
「………悪い」
「霞と霧江と藍が三人で、何やらこそこそ話してて、『何だ?』って訊いたら」
今度は、髪をポニーテールに束ねてみせ、ぐっと目を吊り上げ、彼女はぴしゃりと言い放つ。
「『くれはにはまだ早い!』って、藍が…それに」
髪をはらりと下ろし、うなだれて見せ。
「霞はこーんなになってて、何も答えてくれないし、霧江は」
くれはは最後に両手で目尻をぐい、と下げて、猫撫で声で言った。
「『そうねー、もう少し大人になったら、くれはにも教えてあげるわ』…って」
はあ、と溜息をついて、くれはは怒りに声を震わせる。
「なんなんだ、みんなして子供子供って…」
「…百面相…終わったん?」
「………は?」
「いっ…いや…何でもない」
「だいたいなぁ」
腕を組んで、くれははきっぱりと言い放つ。
「私だって、れっきとした大人なのだ」
「…大人…か」
「だって、こないだ花蓮が『くれはちゃんも大人の仲間入りね』って言って」
「おっ…おい、くれは!?」
赤面して叫ぶ僕を不思議そうに見て、彼女は、何だ?と…首を傾げる。
「だっ…だいたい分かったから………みなまで言うな」
「…変な奴」
変なのは…お前だ。
………それにしても。
「お前、僕とおんなじやなぁ」
「…何が?」
「僕も、早く大人になりたかった」
天井を見上げ、ゆっくりと息を吐く。
「大人になったら、何でも出来るて…そんな風に思ってた」
大人になったら、母さんも、舞のことも守ってやれるって。
大人になったら、孝志郎みたいに強くなれるって。
「けどなぁ」
くれはは、怪訝そうな顔をして、僕をじっと見つめていた。
「大人になったからって…何でも出来るわけやあらへん。出来へんことばっかりやし、わからへんことばっかりや」
「………うん」
「でもなぁ…そんなんでも、『大人やし』って…悩んで、足掻いて、精一杯背伸びして…大人ぶってんねん」
「………そういうものか」
真剣な顔で聞き返すくれはに、僕は笑顔で首を振ってみせる。
「…僕もこんなやし、わからへんわ」
「………そっか」
彼女の顔に、微かに安堵の表情が浮かんだ。
「みんな、色々悩んだり、考えこんだり、立ち止まったりしてるのかな」
「…たぶんな」
「そっかぁ」
大きな机に頬杖をついて、笑みを浮かべるくれはに、そっと言ってみる。
「学校行けよ、くれは」
「………うん」
素直な返事にほっとして、僕は机の端に腰掛けた。
「なんや…しんどいこと我慢して、ちゃんと他人と足並み揃えれて…お前、大人やなぁ」
「…そうかな」
くすぐったそうに、でもどこか誇らしげに…くれははそう、呟いた。
・・・・・・・・・・・・
「宇治原くん!」
急に呼び止められて、ぎょ…っとして、立ち止まると。
不思議そうな顔をした咲良が、こっちを見つめて立っていた。
「何してるの?」
「え?いや、帰るとこですけど」
「何かあった?」
「いえ、なんも…終始平和というか。あ、でも」
玲央とくれはが行方不明になって、見つかったそうです、と言うと…彼女は怪訝そうな顔をして、首を捻る。
「なあに?それ」
「さあ…けど、一応ご報告まで」
ありがと、と呟いて。
挑むような目をして、俺を見据える…咲良。
「で、なにかないの?私に聞きたいこと」
「………は?」
ほらほら、と急かすように手を振って、彼女は妙なことを喋りつづける。
「だからねー、『急いで帰ってたのに、今まで何してはったんですか?』とかぁ」
「…特に興味ないっすわ」
むっとした顔をして、何か言いかけ。
「…あら?」
彼女は、不思議そうな声を出した。
「何してるの?お酒の瓶なんか持って」
肩に担いだ瓶を指差し、首を傾げる咲良。
墓参りです、と答えると…更に怪訝そうな顔をする。
「こんな時間に?お墓参り?」
「はい」
「…出るわよ?」
「あんた、医者やろ」
『なにせ上司がとっとと帰ってまいましたから』という、喉まで出かかった言葉を…慌てて飲み込む。
「誰の?」
「えっと………今日、久門先生の命日なんすわ」
彼女は目を丸くして、一瞬黙り込み。
そうなんだ、と…か細い声で呟いた。
「もう…何年くらい経つのかしら」
「さぁ…ついこないだのような気もするし、だいぶなるような気も…けど、ベルゼブのあの頃はぴんぴんしてはりましたからねぇ、『お前らもっとしっかりせんかい、わしら庶民はどうすることも出来へんねんぞ』って、怒鳴られたの覚えてますわ」
「………そっか」
ねぇ、と…咲良は不意に目を細め、微笑んだ。
「私も一緒に、行ってもいい?」
「会ったこと、ありましたっけ?隊長」
「一度だけ。まだ士官生の頃にね」
そういえば…そんなこともあったかもしれない。
まぁ、ただでさえ、めったに参る者のいない墓だ。
先生も、案外喜ぶかもしれない。
「出ても知りませんよ」
笑う俺に、彼女はすまし顔で答える。
「大丈夫よ、そんな時のための宇治原くんじゃない」
「…なんで俺が、そんなことまで」
「いいからいいから!行こっ」
咲良と二人、こんな夜更けに、恩師の墓参り…か。
何から何まで、妙な夜だな。
どこからかぬるい風が吹きつけて、俺の腕を掴んで愉しそうに笑う咲良の、柔らかな栗色の髪が、ふわりと舞った。




