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Battuta 4

不意に吹いた強い風に、思わず首を竦め。

僕はざわつく木々に、視線を向けた。

「思ってたより…遅くなっちゃったな」

この時間じゃ、ちびはもう、寝てるだろうな。

『たまには、羽を伸ばしていらっしゃい』

そう言って僕を送り出した義母は、どこか嬉しそうだった。

『いつも、お仕事とこの子の世話で、なかなか時間がないでしょ?お友達と、楽しんできて』

義父は早くに亡くなっていたから…あれは、女手一つで彼女を育てた義母の、本音だったのだろう。

『私、ずっと憧れてたの』

彼女、娘を胸に抱いて…よく、言ってたっけ。

『お父さんがいて、お母さんがいて、かわいい子供たちがいて…私もあなたも、一人っ子だし、両親揃ってる記憶ってあんまりないでしょ?だから』

どうしてだろう。

今日に限って…こんなこと、思い出すなんて。

古泉には、悪いことしちゃったな。

………撤回する気は、無いけど。

ぎゅっと唇を噛んで、家路を急ぐ。

『敷島!』

あの日。

物凄い衝撃と、耳を劈くような轟音。

けど…驚いている暇は、なかった。

『お前の家…奥さんが』

青ざめた同僚の脇をすり抜け、家へ…家『のあった』場所へ。

彼女は………ひしゃげた屋根の下で、ちびを抱いて、うずくまっていた。

抱き上げると、信じられないくらいの血が、べっとりと手について。

弱々しく微笑んだ彼女は、かろうじて聞き取れるくらいの、か細い声で…言ったのだ。

『この子を…お願い』

そして。

『ごめんね』

しばらく、身動きが出来なかった。

震えが止まらず、呼吸も…ままならなかった。

何が起こったのか、理解出来ていない様子の娘は…きょとんとした目をして、僕に手を伸ばしてきた。

その小さな、崩れそうに柔らかい手を握った時。

一瞬でも、彼女と一緒に死ねたらと思っていた自分を…恥じた。

生きなければ。

この子のために。

そして…彼女のために。

引き裂かれそうな思いに苛まれながら…娘を義母に預け、僕は再び、戦いに身を投じたのだ。

けれど。

どうしても………思ってしまうのだ。

常盤の王族の、どうしようもない諍いのせいで…彼女は死んだんだ。

娘は彼女にそっくりで…義母にも、よく似ていて。

思わずには…いられないのだ。

彼女は、きっと幼い頃…こんなふうだったのだろうと。

彼女が生きていたら、きっと…こんなふうに年をとっていったのだろうと。

いつの間にか………僕は、涙を流していた。

『オンブラに惑わされた』…だと?

ふざけるな。

そんなの………理由にならない。

お前らのわだかまりなぞ、知ったことじゃない。

年の離れた弟への嫉妬に狂った、愚かな兄も憎らしいが。

ぐ…と、握った拳に力が入る。

そんな思いをどこかで感じながら…紺青へ『逃げた』のだ。

あの………相馬玲央は。

嗚咽が漏れそうになるのを堪えていて、不意に…立ち止まる。

目の前に、小さな少年が、ぽつんと一人立っているのが見えたのだ。

月明かりに照らされた、短い金色の髪。

近づくと、僕の膝ほどの身長しかないその少年は、きらきらした青い瞳で、じっ…と、僕を見つめた。

褐色の頬を、息を詰めて見つめ返す僕に、彼は…破顔して、明るい声で言った。

「しきしまさん、こんばんわっ」

「………相馬…玲央」

きょとんとした目をして、相馬は…一生懸命に背伸びして、僕の方に手を伸ばして。

「どうしたんですか?」

僕の服の袖をぐい、と引き…心底悲しそうな声で、訊ねた。

「しきしまさん、なんだかすごく、かなしそうです」

はっ、と…息を呑む。

「なにか、かなしいことがあったんですか?」

しゃがみこんで彼と視線を合わせると、湧き上がる複雑な感情を押し殺して…答える。

「常盤で亡くした妻のこと…考えてたんだ」

「…そうでしたか」

彼は、瞳を潤ませ、僕の頬にそうっと触れた。

「それは…ぼくのせきにんですね」

月が雲間に隠れはじめたらしい。

浅黒い彼の顔が、宵闇にぼんやり霞んでいく。

…でも。

「ごめんなさい、しきしまさん」

幼い相馬の、か細くも澄んだ声は、僕の耳に確かに…響いていて。

「ぼくがいたらなかったせいで、ごめんなさい」

………いつの間にか。

彼の小さな手を握り、僕は…号泣していた。

「しきしまさん」

「それ以上言うな!」

怒鳴った僕に、一瞬驚いたような顔をして…でも、手を引っ込めようとはせず。

「こんなの…卑怯じゃないか」

彼はもう片方の手で、僕の髪をそっと撫でた。

そんな相馬の年格好は、うちの娘と同じくらいで。

「そんな姿で、そんなこと言われたって………謝られたって…」

声が掠れ、震えていた膝が、地面に触れる。

握りしめているのは、柔らかくて、力を込めたら難なく崩れてしまいそうな…小さな手。

彼もまた…犠牲者なのだ。

彼もまた、家族を失い、傷つき…そして、自分自身に責任を感じ…多くの人を守るために、我が身を投げ出したのだ。挙句…こんなに…小さくなってしまった。

僕の娘のように、自分で自分を守ることも出来ないくらい…か弱く。

それなのに………

「お前だって…苦しんだんだろ?」

「………しきしまさん」

「一度は死にかけたんだろ?だったら…なんで言い返さないんだよ!?『僕だって辛いんだ』って、どうして怒らないんだ!?」

「……………」

「幼い子供の姿で…大人みたいな物言いで…謝られたって………怒れる訳、ないじゃないか」

ぎゅっ…と、僕の手を握り返し。

「でも」

相馬は、ぽつりと呟いた。

「ぼくは、いきてます」

「……………」

「だからぼくは、ぎせいになった人たちのために、いきなきゃいけないんです」

「…相馬」

「それができるのは、ぼくだけなんですから」

彼の大きな瞳には、その年頃の子供とは思えないほど、大人びた決意の光が宿っていた。

そうか。

背負う気なのか…彼は。

まだ、ほんの子供なのに。

失った者たちの思いを、成長し、再び大人になって、年老い命の果てるまで…僕よりも何十年も長い間、ずっと一人きりで。

行き場のない怒りと、悲しみの黒い闇に…かすかだが確かな、一筋の光が射すように感じた。

「しきしまさん」

「…何?」

「ぼくにお手伝いできることがあったら、なんでもいってください」

さすがに呆れてしまって…僕は立ち上がって、彼を高々と持ち上げる。

きゃあ、と無邪気なはしゃぎ声をあげ、相馬が笑う。

本当………不思議な奴。

「こんなにちっちゃいくせに、何が出来るっていうんだよ」

「なんでもできますよっ」

「じゃあ………お願いしようかな」

地面にそっと彼を下ろし、僕はその柔らかい髪をぐりぐり撫でた。

「今度、うちのちびと遊んでやってくれないか。引っ込み思案で、うちの中に篭ってばかりいる子だから…友達になってやってくれると嬉しい」

はいっ、という相馬のはきはきした声が、静かな夜道に響いた。


・・・・・・・・・・・・


細い廊下を抜けて、赤絨毯敷きの踊場で…立ち止まり。

振り返って、霞さんも霧様も、そこにいないことを確認して。

僕は、まだばくばくいってる心臓に、手を当て…階段の手すりにもたれ、しゃがみ込んだ。

………ああ…びっくりした。

でも………

なんというか………複雑な気分。

うまく切り抜けられて、よかった………ような。

だいぶまずいことをやってしまった………ような。

これはかなりもったいないことをした………ような。

『据え膳食わぬは男の恥』…とも………言うし。

…けど。

確かなことが…一つだけ、ある。

ひんやりした石の階段を降りながら、ぐるりと周囲を見渡し…誰もいないのを確認して。

僕は…腹の底から、溜め息をついた。

「一体、霧様に何したんだよ………剣護さんっ」


・・・・・・・・・・・・


来斗と別れ、夜道を歩きながら…考える。

藍のやつ………何、怒ってたんだろ。

生ぬるい風に、ふわっと頬を撫でられ…ぞくっ、と鳥肌が立つ。

そんな………なあ。

いくら、霧ちゃんが…藍になついてるといっても…だ。

まさかそんな。

『今日、剣護さんとキスしちゃった!』………なーんてこと。

………言う…のかなぁ。

「よく…わかんねぇなー、女って」

だいたい、もし、仮に、そうだったとしても、だ。

藍が怒る筋合はねぇだろ。自分だって色々…いや、想像はしたくねぇけど。

こういうときは、人生の先輩らしく、『よかったじゃない!?頑張って!』とか…

そうでないにしても、だ。

大の大人が、そう…動揺するようなことか?

そりゃ、霧ちゃんにとっては一大事だと思う。だから、こっちとしても、慎重を期したというか…けど、あいつが、それに乗っかってあたふたするのは…お門違いというか、なんというか。

「………あれ?」

前方から近づいてくる人影に目を凝らす…と。

「けーんごさぁーんっ」

葵に肩車されて、上機嫌に手を振っているのは…

「玲央?」

「こらっ、危ないぞ」

苦笑しながら、今までに見たことのない…お父さんの顔をした葵が、玲央に向かって声をかけ。

気まずそうに笑って、俺の前で、立ち止まった。

「剣護、今帰るとこなんだ」

「お………おう」

さっきの来斗の話が脳裏をよぎり…動揺を悟られないように、笑って片手を上げてみせる。

「お前こそ…どうしたんだ?玲央なんか連れて」

「さっきそこで…ばったり会ってさ」

地面に着地した玲央は、にこにこと俺を見上げている。

「たぶん、城を抜け出して来ちゃったんじゃないかと思うんだ」

「…そうなのか」

しゃがんで、視線を合わせ…小さな玲央に笑いかける。

「お前、家出か?いっちょ前なことやるじゃねーか」

「まぁねっ」

ピースサインする玲央をちらりと見て、葵は少し困った顔で言う。

「剣護、これから何かある?」

「…いや、特に何も」

ちょうどよかった、と手を打って、にっこり微笑む…葵。

「じゃあ、申し訳ないんだけど剣護、この子城まで送ってやってくれないかな?」

「………え?」

「頼む。僕、なるだけ早く帰らなきゃいけないから」

そう言われると………何も、反論出来ない。

お願いね、と手を振って、歩き出す葵に、ばいばーい、と両手を振って。

玲央は、きょろっとした目で、俺をじっと見た。

ひゅう…と、また…風が吹いて、玲央の柔らかな金髪を揺らす。

「じゃ………あ。帰るか?玲央」

「んーんっ」

……………おい。

「敷島さんと…約束しただろ?」

「やーだっ」

ぶるぶると大きく首を振る玲央…だが。

なんだかすごく…楽しそうだ。

「なぁ………玲央」

俺は地面に膝をつき、小さな両肩を掴んで…静かに訊ねた。

「お前、もしかして……………怒ってんのか?」

「……………うんっ」

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