Battuta 2
「そういえば」
来斗の講釈めいた長話を、大人しく聞いていた風だった葵が、杯を干して、口を開く。
何か言うぞ…と、身構えたが。
「今日…一ノ瀬は、誘わなかったんだね」
意外に普通の言葉で、ちょっと…拍子抜けしてしまい。
ああ…と、一夜も、きょとんとした目をして答える。
「誘ったんだけど、断られちゃったんだ」
あ…そうだったのか。
「なんか、『遠慮しとく』とかなんとか言われちゃって」
「そうだな」
来斗が、険しい表情で呟く。
「あいつはあいつで、気にしてるんだろう」
「…何を?」
「士官学校時代のこと、孝志郎は一切覚えていないようだからな」
「あ………そっか」
最近は、話していてもまったく普通で、すっかり忘れてたけど…あの、ベルゼブの一件以前の記憶を、孝志郎さんは失ってしまっているのだ。
「可哀想だな…なんか」
俺が言うと、一夜が藍をちらりと見て、苦笑しながら呟いた。
「けど…藍も藍で、可哀想だよ」
確かに、と頷いて、来斗もすやすや眠る藍に目をやる。
「ショックといえば、俺達もそうだったが…あれほど慕っていた孝志郎が、自分のことを何も覚えていないというのはさすがに…堪えただろうな」
『すみません』
孝志郎さんが昏睡状態で紺青に戻ってきてから、毎日のように病室を見舞っていた、藍。
意識の戻った孝志郎さんに、そんな他人行儀な言葉を向けられ…呆然としていた彼女の姿は、今でも目に焼き付いている。
「でもさ」
頬杖をついた葵が、口を挟む。
さっきのがあったから、油断していたのもあるかもしれない。けど。
彼の次の言葉は………俺の想像を、遥かに超えていた。
「何も覚えてないなんて…無責任な話だよね」
場の空気が凍りつくのが…わかった。
「………え?」
聞き返す俺に、葵は笑顔で答える。
「だって、あんなに沢山人死なせといて、沢山の国に損害与えといて、一切記憶にございませんなんてさ。それで、お咎め無しって」
「……………」
「僕なら耐えられないな。どんな顔して生きていけばいいのか、まるでわからない」
「………あ…の…なあ」
腹の底が煮えたぎるような思いがしたが、なんとか堪えて言葉を発する。
「たしかに…それは一理あるけど…孝志郎さんは、ベルゼブを倒した最大の貢献者なんだぞ?命を賭けて、自分の罪を償おうとしたんだ。だから」
「そっか。そういや、古泉もそうやって許してもらったんだっけ」
はっとして、一夜を見るが…やや俯きがちなその表情は、長い前髪に隠れて、よくわからなかった。
重苦しい空気を何とも思っていない風に、葵はにこにこと話し続けている。
「でもそれって、自分で掘った穴、自分で埋めたってだけでしょ」
ぞっ、と…頭から血が引く感覚。
「古泉はどっちかと言うと、巻き込まれた側に入るのかな」
来斗も一夜も何も言わないので、ぐわんぐわん目眩はするが、俺が訊かざるをえなくて。
「………どういう意味だ?」
なんとか絞り出した声は、掠れて…責めるみたいな色を帯びてしまって。
それなのに、杯を煽り、平然と笑っている葵は…どうかしてる、と…思った。
彼は、船を漕いでいる藍に目を向け…にやりと口の端を上げる。
「結局は、王族の内輪もめに、みんなが巻き込まれたってことでしょ」
「………おい」
「違うの?あの悪人は、陛下の弟だったんだよね?一ノ瀬は、陛下の息子だったわけでさ…それって煎じ詰めれば、兄弟喧嘩、親子喧嘩じゃないか」
「……………」
「いつだって、王族の横暴に庶民が犠牲になるんだ…本当に、勘弁してほしい」
何も…言い返せなかった。
葵の言ってることは、ある意味…正しいのかもしれない。
でも………
その時だ。
ガタン、と椅子が倒れる音。
ほぼ同時…胸倉を掴まれて、葵の体が宙に浮いた。
そんな状況でも、葵は…笑っている。
「何?」
笑みを含んだ声で、挑発的に。
「さすがに怒った?………古泉」
・・・・・・・・・・・・
心臓…止まるかと思った。
そう思った次の瞬間。
「………あぁ」
ため息と共に発した言葉に、霞さんは…更に表情を険しくした。
「『あぁ』って…どういう意味ですか!?」
……………しまった。
「『あぁそんなことか』っていうことですか!?それとも!?」
「いえっ…その」
「そうでしょうね!右京さまにとってはそんなことなのかもしれません!でも、私…本当に初めてだったんですから!女性にとってこれは、とってもとっても大事な問題なんですから!」
「…すみません」
「また謝った!もうっ」
………困ったなぁ。
それにしても…何で忘れてたんだろう。
「それ…たしか、一昨年ですよね?」
必死に記憶の糸を手繰り寄せ、決死の賭けに出る…と。
きょとん、と目を丸くした霞さんの顔から…すっと赤みが引いた。
「なんだ…覚えてらっしゃるじゃないですか」
………よ…よかった。
「去年もそれ…おっしゃいました…っけ?」
「…申し上げなかったかもしれません」
「………今日は、どうしてまた」
いけませんか?と、視線が鋭くなり…また、地雷を踏んでしまったことに気づく。
「いけなく…ないです」
これ、何だか…一昨年のシチュエーションに、似てるなぁ。
あの日………
『右京さまとお付き合いするようになって、そろそろ半年ほど経ちます』
霞さんは、責めるような眼差しで、僕をじっと見つめたのだ。
『何か、おっしゃりたいことはありません?』
『………何でしょうか?』
『…ないんですね』
『…すみません』
『どうして謝るんですか!?』
顔を真っ赤にした霞さんが、ところどころ詰まりながら…発した一言。
「右京さま?」
『どうして右京さまは…普通の恋人同士みたいに………その…き………キス…とか…そういうこと…おっしゃらないんですか!?』
「何、にやにやしてらっしゃるんですか?」
……………あ。
体が熱くなるのを感じつつ、天井に視線を向ける。
「もうっ、何がおかしいんですか!?」
「…おかしく…は…ないんですが」
まともに…顔が、見れないだけです。
と。
細い腕が、すうっと…首に回され。
霞さんの温もりと、どこか甘い香りに…思考が麻痺する。
「…あの」
「…そろそろ」
「………はい」
「…いいのでは…ないかと」
「……………はい???」
「…右京さま!?」
あの時より、真っ赤な顔で…潤んだ瞳の霞さんが、信じられないくらい近くにいて。
心臓の拍動が、信じられないくらいの速さになっている。
そして。
霞さんの密やかで柔らかい声が…耳をくすぐった。
「女性に…これ以上、言わせないでください」
・・・・・・・・・・・・
窓際に立ち、ぼんやりした表情で外を眺めている咲良。
その、どこか危なっかしい表情は…昔とちっとも変わらない。
ふと…背中の辺りに視線が止まる。
あの時負った大怪我…もう大丈夫なのだろうか。
「私があの…玉屑って奴にやられた時」
どきりと心臓が高鳴る。
「…ああ」
やっぱ…血を分けた兄妹なんだな。
同じことを考えてるなんて…
「どう思った?」
「…どうって…そりゃ、びっくりしたけど」
「…泣いた?」
「なっ…泣くわけないだろ!?急に何言って」
「お母様は、泣いたらしいわ」
「………そうか」
そういえば…そんな話を後で聞いたな。
あの時は、僕も天一隊の指揮を執らねばならず、駆けつけることが出来なかったのだが。
何故こんなに近くにいるのに、様子を見に行かなかったのだ、と…後で父上に怒鳴られた。
『あいつがいるから大丈夫だろう』と………思ったのも事実だし。
くるりとこちらを振り返った咲良は、不機嫌そうに眉を顰める。
「『危険だからもう軍医なんかお辞めなさい』って…言われちゃってね」
今日久々に実家へ帰ってみたら、いきなりそんな話を吹っかけられたのだという。
「お父様づてで転職先まで見つけてきちゃってて…王立病院に空きが出来るからどうかって。何なのかしら、一体」
「そりゃ…母上はお前が心配なんだろ」
「…そうなんでしょうけど」
…まさかとは思うが。
「お前行くのか?その…」
「行くわけないでしょ?あんなお高くとまった病院、息苦しくって私には無理」
…そうか。
「お兄様は…どうするの?いつまでこの仕事続けるつもり?」
「…僕?」
養子に入ったことも、単純に『名前を継ぐ』ということだけで、継がねばならない家業があるわけでもない。
急に…妙なことを聞く奴だな。
「大学校に戻りたいんだと思ってたけど…私」
そりゃ…そう思ってた時期もあったけど。
「跡継ぎに頼りにしてた鈴音ちゃんが出てっちゃって…計画狂っちゃった?」
「いや…別に」
我が妹ながら…鋭い。
「この何年か…目まぐるしく色々なことが起きて、色々なことが変わって…何か不思議」
「…そうだな」
お前は?と尋ねると…私?と目を丸くして聞き返す。
「ずっとこの仕事続けるのか?それとも…王立病院は嫌だって言ったか…じゃあお前も研究機関とか…」
「お兄様、知ってる?」
窓が開くと、生ぬるい風が部屋の中に流れこんできた。
淡々とした口調のまま…咲良はまた、妙なことを口にする。
「天后隊の病院、今じゃ割と街の人も利用しやすくなってきたって話だけど…やっぱり『敷居が高い』って避けてる人達もいるらしいの」
「…でも、それじゃあ、その人達は病気や怪我をしたとき、どうしてるんだ?」
「街で売ってる薬草で誤魔化すか…あと、『花街』の辺りには無認可の医者がいるでしょ」
どうしようもない時は、法外な治療費を払って、その医者にかかるのだという。
と…いうことは。
『敷居が高いと敬遠する人々』というのは…その方面の人達のことか。
「けど、そういう闇医者って、あんまり腕は良くないらしいわ」
「そりゃ…そうだろう。ちゃんとやってけるような医者なら、わざわざ…」
「昔はいたらしいけど…『花街の名医』って呼ばれた人。でも…やくざの喧嘩に巻き込まれて…何年も前に亡くなったんですって」
そんな話…初めて聞いた。
「へえ…お前、よくそんな話」
『知ってるな』と言いかけて…はっとして飲み込む。
僕の動揺をよそに、咲良は今日一番の笑顔で僕を見る。
「私ね、街に病院を開きたいの」
「…病院?」
「そう!小さくてもいいから、かたぎだとかやくざだとか、お金があるとかないとか気にせずに、誰でも安心してかかれるお医者さん。紺青には今までそういうこと考えた医師はいなかったみたいだけど…だって今いるのって、貴族とか、それなりの階級出身の人ばっかりでしょ?」
士官学校に入る人間には、宗谷隊長や…内海や藤堂や平原のように…幼い頃から苦労をしてきた人間も多々いるが。
そういう人間は、往々にして『のし上がろう』という意思が強いらしく…軍の中でも前線に近い職を望むのだった。
例外も…たまにはいるようだが。
「それ………お前一人でやるつもりなのか?」
不意な僕の言葉に、彼女は目を丸くする。
僕自身、言ってしまって実は…既に後悔し始めていた。
だが。
ここまで言っといて…引き下がるのもなんだ。
「あいつのこと…どうするんだ?」




