18
礼似は御子を背負いながら、由美に義足を外させ、良平に肩を貸そうとするが、やはり、思うようにはいかない。
こてつは、良平に肩を貸す由美の周りで甲高い声をあげながら、ぐるぐると駆けまわっている。視線は由美に注がれたままだ。ところがこてつの動きが急に止まった。一点を見つめる。
「こてつ、ダメよ、早く逃げなきゃ。おいで」
由美が声をかけた。
するとこてつは、出口に向かって駆け出していった。火と煙に追われて、本能で危険を察知したのだろうか?
ところがこてつはまたもや由美の元へと帰ってきた。今度は満面の笑みだ。
「ダメ! こてつ! 逃げて! 戻っちゃだめ!」
由美は必死にこてつに叫んだが……
「由美! そこにいるのか?」
意外な人物の声がした。
「あ……あなた?」
そこに、会長の姿があった。そうか、ハルオが言いかけたのは、この事だったのか。礼似は一人、合点がいった。会長は四人の姿を見ると
「良平は私が背負う。由美は義足を持ってこてつと逃げろ。急いでここを出るんだ。煙に巻かれてしまうぞ」
そう言って、良平を肩に背負った。
かなり煙が迫っている。五人と一匹は、なるべく煙を吸わないようにしながら、間一髪必死で外へと飛び出した。
外はすでに日が落ちて消火活動が始まっていた。野次馬の人だかりも出来ている。闇の中で建物は完全に火に包まれてしまったようだ。消防隊員が、何故か一緒に出て来た柴犬のこてつを見て、目を丸くしている。
「まったく、無事でよかったですよ。こっちの制止も聞かずに飛び込んで行ったんですから。まあ、奥さんが御無事でよかったですが。ところで、この犬は?」
隊員が会長に聞いてきた。
「うちの家族ですが。なにか?」
会長は真顔で言った。
御子と良平は待機していた救急車で運ばれていったが、後で、事情説明が面倒そうだ。全身打撲に、急性の薬品中毒。さらには火事場(しかもラブホテル!)で焼け出されたのだから。
「助かりました。ありがとうございます。でも、よく、私達がここにいるのが解りましたね?」
礼似は会長に礼を言いながらも、質問せずにはいられなかった。
「港に向かう車の中から、お前達の姿を見かけたのだよ。あのコンビニの前で、由美がこてつを追いかけるのが見えたのだ。何故、由美がここにいるんだ?」
会長に返された質問に、礼似は思わず青くなったが、今度は由美が会長に聞いた。
「あなたこそ、どうして北海道にいるの? お仕事中じゃなかったのかしら?」
「あ、いや、半分は仕事だ。こっちに急に用が出来たんだ。それに仕事が片付いたら、私もスキ―でも滑ろうかと思ったんだ。お前もこっちにいる事だし」
会長がオロオロ声で、そういうと、
「まあ! あなたと滑るなんて若い頃以来ね。楽しみだわ。早くお仕事、済ませちゃってね」
と、由美は嬉しそうにはしゃいだ。こてつもニコニコと、いつもの笑顔を振りまいている。
たった今、死にかけるような思いをしたばかりだって言うのに、何なんだろう? この、ホンワカとした空気は?
目の前で燃え盛っている建物とのギャップに、礼似はどっと疲れを覚えてしまった。
この夫婦、絶対、普通じゃないわ。こてつ組が、何があってもビクともしないのは、会長が、この家庭を持ってるせいじゃ、ないのかしら?
礼似は半ば、本気でそんな事を考えてしまっていた。