竜を撃て! ライラ・グリンガム
私の名前は、ライラ・グリンガム。
十八歳。
職業、冒険者。
得意なことは、魔法、値切り、早食い、逃げ足、そして敵の心をへし折ること!
苦手なことは、説教、我慢、安い報酬、あと子ども扱いしてくる大人全般!
赤橙色の髪に、黒と金の軽装鎧。紫のマントをひらめかせ、宝石飾りの魔導具を片手に今日も元気に稼働中。
世間では私をこう呼ぶ。
天才魔導師。
火吹き娘。
歩く爆心地。
ギルドの胃痛。
最後のやつだけは納得してない。
「で、そんな私に喧嘩を売った感想は?」
森道のど真ん中で、私は腰に手を当てて笑った。
目の前には盗賊。
正確には、さっきまで盗賊だったけど、今は地面でぴくぴくしている炭焼き未満の人たち。
「ぐ、ぐええ……!」
「熱い! 尻が熱い!」
「なんで火の玉が横から曲がってくんだよ!?」
「私に聞くな! 曲げたの私だけど!」
私は胸を張った。
「ファイヤーボールが真っ直ぐ飛ぶだけだと思った? 残念! 私のファイヤーボールは曲がる! 追う! 逃がさない! つまり性格が悪い!」
「自分で言うな!」
「魔法は使い手に似るのよ!」
「じゃあ最悪じゃねえか!」
「いま気づいたの? 遅い!」
盗賊頭らしき大男が、木の陰からこそこそ逃げようとしていた。
私は当然、見逃さない。
「はい、そこの筋肉だるま! 逃げ足だけ妙に可愛い動きしてんじゃないわよ!」
「うるせえ! 誰が筋肉だるまだ!」
「訂正するわ! 借金まみれの筋肉だるま!」
「なんで分かるんだよ!?」
「腰袋の中身が銅貨三枚と借用書だったからよ! あと字が汚い!」
「見たのか!?」
「見たわよ! 盗賊から奪ったものを確認して何が悪いの!? 私が奪った時点でそれは戦利品! 法律は知らん! あとでギルドに聞く!」
盗賊頭は、震える手で斧を構えた。
「小娘ぇ……! 調子に乗るなよ……!」
私の笑顔が、ぴたりと止まった。
「小娘?」
盗賊たちの顔から血の気が引いた。
「お、お頭……! それ地雷だぞ!」
「黙れ! 俺は地雷を踏み抜く男だ!」
「じゃあ吹っ飛びなさい」
私は指を鳴らした。
「フレイムチェーン!」
足元から赤い炎の鎖が立ち上がり、盗賊頭の身体をぐるぐる巻きにした。
「ぬおおおおおっ!? 熱い! 熱いけど燃えてない! なんだこれ気持ち悪い!」
「加減してるのよ! 感謝しなさい! 本気なら今ごろ肉汁が出てたわ!」
「それ感謝できる言い方じゃねえ!」
「盗賊のくせに注文が多い!」
さらに私は片手を掲げた。
指先に小さな炎が灯る。
炎は花びらのように分かれ、鳥の形になって空を舞った。
「フレアバード!」
炎の鳥たちは盗賊たちの周囲を飛び回り、剣や短刀だけを器用に焼き落とした。
「ぎゃああ! 俺の剣が飴みたいに!」
「高かったのに!」
「盗んだ剣でしょ!? 持ち主に謝れ! あと私にも謝れ! 襲う相手を間違えた手間賃として!」
盗賊たちは一斉に土下座した。
「すみませんでしたあああっ!」
「声が小さい!」
「すみませんでしたああああああっ!!」
「よろしい!」
私は満足げに頷いた。
それから盗賊頭の腰袋を拾い、馬車の荷台から宝箱を二つ引っ張り出す。
「さて。被害者の商人さん、これはあなたの?」
木の陰で震えていた太った商人が、涙目で飛び出してきた。
「そ、それです! ありがとうございます! あなたは命の恩人です!」
「命の恩人? いい響きね! で、謝礼は?」
「えっ?」
「えっ、じゃないわよ! 命の恩人でしょ!? 命って安くないでしょ!? 私の昼ご飯、肉が三枚から五枚になるかどうかの瀬戸際なのよ!」
「は、はい! もちろんお支払いします!」
「話が早い商人は好きよ! 値切る商人は焼くほど嫌いだけど!」
「焼かないでください!」
「値切らなきゃ焼かないわ!」
その後、私は盗賊を縄で縛り、商人の護衛と一緒に町まで引きずって行った。
盗賊たちは口々に泣き言を漏らした。
「なんで俺たち、こんな目に……!」
「真面目に働けってことよ!」
「お前にだけは言われたくねえ!」
「はあ!? 私は真面目に盗賊を燃やしてるでしょ!」
「それ仕事なのか!?」
「ギルドに登録してるから仕事よ!」
町の門番は、縄で数珠つなぎにされた盗賊たちと、得意顔の私を見て、ため息をついた。
「またお前か、ライラ」
「またとは何よ! 人聞き悪いわね!」
「先週は野盗の馬車を三台燃やしただろ」
「燃やしたんじゃないわ! 車輪だけを温めすぎたの!」
「それを世間では燃やしたと言う」
「世間の語彙が狭いのよ!」
門番はもう一度ため息をついた。
「まあいい。盗賊捕縛ならギルドへ持っていけ。報奨金が出る」
「来た! 報奨金! その言葉、甘い焼き菓子より好き!」
「お前、もう少し善意で動けないのか?」
「善意だけで宿代が払えるなら考えてあげる!」
私はマントを翻し、冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドの換金窓口には、今日も疲れた顔の職員たちが並んでいた。
その中で、私を見るなり頭を抱えたのは、受付係のエルナだった。
薄茶色の髪を後ろでまとめ、丸眼鏡をかけた真面目そうな女性である。
「ライラさん……また何か燃やしましたね?」
「失礼ね! 今日は控えめよ!」
「控えめの定義を教えてください」
「森は燃えてない!」
「最低限ですね!」
私はカウンターに盗賊頭の賞金札、回収した宝飾品、商人からもらった謝礼袋を並べた。
ちゃりん。
どさっ。
きらん。
エルナの目が細くなる。
「これは?」
「盗賊から取り返したもののうち、持ち主不明だったやつ! あと盗賊の隠し財産! あと謝礼!」
「持ち主不明品はギルド預かりです」
「えっ!?」
「規則です」
「規則って、いつも私のお財布にだけ厳しくない!?」
「ライラさんのお財布が規則の隙間を全力疾走するからです!」
「褒めてる?」
「違います!」
エルナは手早く査定を始めた。
私はカウンターに頬杖をつきながら、ぶつぶつ文句を言う。
「宝石一個くらいくれてもよくない? 私、頑張ったし!」
「だめです!」
「じゃあ二個?」
「増やさないでください!」
「融通が利かない女ねえ!」
「ライラさんに融通を利かせると、翌日ギルドの金庫が空になります!」
「私を何だと思ってるの!?」
「高火力で口が悪くて金貨の匂いに敏感な災害です!」
「災害に報奨金を払う職場、だいぶ終わってるわね!」
「自覚してください!」
数分後、エルナは袋に銀貨と金貨を詰めてカウンターに置いた。
「盗賊捕縛報酬、商人護衛への臨時加算、回収協力金。合計で金貨三枚、銀貨八枚です」
「ほほう!」
私の目が輝いた。
「金貨三枚! 銀貨八枚! これは肉! 肉とパンとスープと焼き菓子! あと宿代! いや宿代は明日の私が何とかする!」
「先に宿代を確保してください!」
「エルナって母親みたいなこと言うわね!」
「あなたが子どもみたいな金銭感覚だからです!」
「私は十八歳!」
「十八歳ならなおさら計画性を持ってください!」
「計画ならあるわ!」
「聞くだけ聞きます!」
「まず肉を食べる!」
「終わりましたね!」
私は報酬袋をひったくるように受け取り、ギルド併設の食堂へ向かった。
ギルド食堂は、昼時を少し過ぎても賑わっていた。
木の卓。
鉄の皿。
肉を焼く匂い。
酒の泡。
冒険者たちの笑い声。
その中央に、私はどかっと座った。
「おばちゃーん! 今日のおすすめ、肉多めで! あとパン! あとスープ! あと甘いの!」
食堂のおばちゃんこと、料理長マルタが厨房から顔を出す。
「金はあるんだろうね!?」
「あるわよ! 今日の私は裕福!」
「昨日もそう言ってツケにしただろ!」
「昨日の私は昨日の私! 今日の私は金貨持ち!」
「その理屈で生きてると早死にするよ!」
「早死にする前に肉を食べる!」
「はいはい! 肉増し一丁!」
私は満足げに椅子へもたれた。
そこへ、エルナが書類束を抱えてやってくる。
「食事中に失礼します」
「失礼だと分かってるなら、肉が来てからにして!」
「肉が来たら聞かないでしょう!?」
「よく分かってるじゃない!」
「だから今来ました!」
エルナは向かいの席に座り、書類を一枚差し出した。
私はそれを見ない。
「新しい依頼?」
「はい」
「報酬は?」
「いきなりそこですか!」
「依頼内容より大事でしょ!」
「大事ですが、普通は危険度も確認します!」
「危険度は報酬を聞いてから考える!」
「順番が逆です!」
そこへ、肉皿が到着した。
分厚い焼き肉が三枚。
香草を振った焼き芋。
豆のスープ。
丸パン二個。
さらに小皿の蜂蜜菓子。
私の表情が、ぱあっと明るくなる。
「生きててよかった!」
「あなた、さっきまで盗賊を燃やしてた人ですよね!?」
「盗賊を燃やしたから肉がうまい!」
「因果が物騒です!」
私は肉を切り、口いっぱいに頬張った。
「んむっ! んまっ! で、依頼は?」
エルナは深呼吸した。
「北の岩山に、ドラゴンが出ました」
私は咀嚼を止めた。
食堂の周囲も、一瞬だけ静かになる。
「……ドラゴン?」
「はい。赤銅竜です。まだ若い個体ですが、すでに羊が二十頭、倉庫が三つ、見張り小屋が一つ焼かれています」
「焼き仲間ね!」
「仲間意識を持たないでください!」
「若いドラゴンってことは、火を吐く?」
「吐きます」
「硬い?」
「硬いです」
「でかい?」
「でかいです」
「報酬は?」
「金貨二十枚。討伐成功で追加十枚。素材権は一部ギルド管理ですが、爪と鱗の一部は取得可能です」
私は肉を飲み込み、目を輝かせた。
「受ける!」
「即答!?」
「ドラゴン! 金貨三十枚! 鱗! 爪! 肉は食べられる!?」
「食べる気ですか!?」
「ドラゴンよ!? 焼いたら高級肉っぽいじゃない!」
「相手も火を吐きますからね!?」
「じゃあ向こうも料理に前向きってことね!」
「そういう意味ではありません!」
エルナは眼鏡を押さえた。
「ライラさん、これは単独推奨ではありません。本来はB級以上の複数パーティ案件です」
「ふーん」
「聞いてますか?」
「聞いてる聞いてる! つまり、他の冒険者と報酬を分けろってことでしょ?」
「違います! 生存率の話です!」
「報酬を分けると私の生存意欲が下がるわ!」
「そこは上げてください!」
隣の席にいた大柄な斧戦士が笑った。
「おいおい、嬢ちゃん! ドラゴン相手に一人で行く気か!?」
私は肉の骨をくわえたまま、じろっと睨んだ。
「嬢ちゃん?」
「あっ」
斧戦士の仲間が顔をしかめた。
「それ言うなって……」
私はゆっくり立ち上がった。
「聞こえなかったみたいだから、もう一回自己紹介してあげる」
右手に小さな火球。
左手に冷気の槍。
足元には風の魔法陣。
背後には土の杭。
食堂の空気が、ぴりっと固まった。
「私はライラ・グリンガム。十八歳。天才魔導師。ファイヤーボールで盗賊を焼き、フリーズランスで酒を冷やし、ウィンドカッターで前髪を整え、アースバインドで逃げる男の足を止める女よ!」
「最後だけ用途が怖い!」
「それを嬢ちゃん扱い?」
「わ、悪かった! 悪かったから魔法をしまえ!」
「まだヒールライトも使えるわよ」
「回復もできるのか!」
「焼いたあと治せる。つまり二回反省させられる」
「最低の使い方だな!?」
私は手のひらの魔法をぱんっと消した。
「いい? 私は小さくても火力は大きいの! 財布は軽くても夢は重いの! 胸より魔力を見ろ!」
「最後のは自分で言ったら駄目なやつでは!?」
「うるさい!」
小さなファイヤーボールが弾け、斧戦士の髭だけがちりっと焦げた。
「ひげええええ!?」
「安心しなさい! 焼き加減は絶妙よ!」
「俺の髭は肉じゃねえ!」
食堂がどっと笑いに包まれた。
エルナは額を押さえた。
「もう……本当に受けるんですか?」
「受けるわよ」
「危険です」
「知ってる」
「死ぬかもしれませんよ?」
「ドラゴン相手に油断するほどバカじゃないわ」
私は皿に残った最後の肉をフォークで刺した。
「でもね、エルナ。若いドラゴンってことは、たぶん縄張りを探してる途中でしょ? 今のうちに追い払うか倒すかしないと、村が丸焼きになる」
「……はい」
「私は善人じゃないし、正義の旗を振る趣味もないわ。けど、焼いていいのは私の許可したものだけよ」
「その理屈、かなり横暴ですね!?」
「横暴で結構! あの辺の村には、前に焼きリンゴをくれた婆ちゃんがいるの! ドラゴンが焼く前に、私が焼く!」
「何をですか!?」
「ドラゴンを!」
私は最後の肉を口に放り込み、親指で自分を指した。
「報酬よし! 理由よし! 腹もよし! 行くわよ、竜退治!」
「今からですか!?」
「食べたら動く! 寝たら起きられない!」
「それはそれで問題です!」
「マルタおばちゃん! 蜂蜜菓子、包んで!」
「遠足かい!?」
「竜退治よ!」
「もっと悪いよ!」
私は蜂蜜菓子を袋に詰め、ギルドを飛び出した。
エルナの声が背中に飛ぶ。
「ライラさん! せめて作戦書を!」
「作戦ならある!」
「何ですか!?」
「燃やして! 凍らせて! 縛って! 爆ぜて! 勝つ!」
「作戦書に書けないやつですうううっ!」
ギルドの扉が、ばたんと閉まった。
北の岩山は、夕焼けのような赤土に覆われていた。
焦げた草。
黒くなった柵。
羊の焼けた匂い。
遠くには、煙を上げる倉庫の残骸が見える。
私は岩陰に身を潜め、目を細めた。
「うわ、派手にやってるわね……。私より燃やし方が雑!」
上空で、巨大な影が旋回した。
赤銅色の鱗。
翼を広げれば小屋ほどもある若いドラゴン。
首は太く、尾は長い。
口元からは熱気が漏れている。
ドラゴンは岩場へ降り立ち、ぐるる、と喉を鳴らした。
私は短剣を抜かず、魔導具を握る。
「相手は火属性。普通のファイヤーボールじゃ通りにくい。硬い鱗。翼あり。正面から殴ると口から丸焼き。腹は比較的柔らかい。目、喉、翼膜が狙い目」
私は足元に小さく魔法陣を描いた。
「まずは試す」
指先に氷の光が集まる。
「フリーズランス!」
氷の槍が一直線に飛んだ。
ドラゴンの翼膜に突き刺さる直前、熱気で白い蒸気を上げる。
槍は半分ほど溶けたが、翼膜を浅く裂いた。
「効くけど浅い! やっぱり火耐性だけじゃなく熱量も高いか!」
続けて私は片手を横に振った。
「ウィンドカッター!」
風の刃が煙を裂き、ドラゴンの視界を横から叩く。
鱗は切れない。
でも、目元をかすめた。
ドラゴンが苛立ったように首を振る。
「よし、目くらましにはなる!」
そこへ、背後の茂みががさっと揺れた。
「ひっ!」
小さな声。
私は振り返った。
羊飼いの少年が、真っ青な顔で岩陰に隠れていた。
「ちょっと! 何してんのよ!?」
「ご、ごめんなさい! 羊が……! 逃げた羊がこっちに……!」
「羊!? この状況で羊!?」
「父ちゃんに怒られる……!」
「ドラゴンに食われる方が先でしょうが!」
少年は涙目で震えた。
私は舌打ちした。
「最悪! これだから依頼書に『周辺住民避難済み』って書いてあるやつは信用ならないのよ!」
「お姉ちゃん、冒険者……?」
「お姉ちゃんじゃない! ライラ様!」
「ライラ様……助けて……!」
「様をつければいいってもんじゃ……!」
ドラゴンの首が、こちらを向いた。
熱を帯びた瞳が、岩陰を捉える。
私は少年の頭を押さえた。
「伏せて!」
「ひゃっ!?」
ドラゴンが息を吸う。
空気が震える。
赤い光が喉の奥で膨らむ。
「アクアクリスタルガード!」
私の前に、水の膜が立ち上がった。
ただの水壁じゃない。
水流の内側に薄い氷晶を重ねた、対熱用の防御魔法だ。
ドラゴンの吐いた火炎が、水と氷の盾にぶつかる。
じゅうううっ、と凄まじい音を立てて蒸気が爆ぜた。
熱は砕かれ、炎は流され、白い霧となって岩場に散っていく。
少年が叫んだ。
「水で火を止めた!?」
「水と氷よ! 細かい説明は有料!」
「お金取るの!?」
「命が助かった説明は高い!」
ドラゴンが吠えた。
岩場全体が震える。
私は少年の背中を叩いた。
「いい? あっちの岩まで走りなさい! 振り返るな! 転ぶな! 羊は諦めろ!」
「でも!」
「羊より命! 命があれば羊はまた飼える! 死んだら羊に笑われるわよ!」
「羊、笑うの!?」
「知らないわよ! 走れ!」
少年は半泣きで走り出した。
ドラゴンの視線がそちらへ動く。
私の眉が跳ねた。
「あんたの相手はこっちよ、トカゲ焼却炉!」
ドラゴンが怒りの唸りを上げた。
「ぐるるるる……!」
「言葉は通じないけど、悪口は通じたっぽいわね! 上等!」
私は両手を広げた。
指先に赤い魔法陣が五つ浮かぶ。
「フレアアロー!」
炎の矢が連続で放たれた。
一本目は目を狙い、ドラゴンが首を振って避ける。
二本目、三本目は翼膜へ。
四本目は爪。
五本目は鼻先。
ドラゴンは翼を広げ、炎の矢を弾く。
だが、すべて避けきれない。
翼膜に小さな焦げ穴が開いた。
「よし! 飛びにくくなった!」
私は岩場を駆ける。
小柄な身体が、石の隙間をすり抜ける。
ドラゴンの尾が横薙ぎに迫った。
「甘い!」
私は足元に風を集めた。
「ウィンドリフト!」
巻き上がる風が身体をふわりと押し上げる。
次の瞬間、さらに背中側から突風が弾けた。
爆ぜる風の勢いで、私はドラゴンの尾を飛び越えた。
空中でくるりと身をひねり、ドラゴンの背後へ着地する。
「こういう時、小さい身体は便利なのよ! 誰がちんちくりんだ!」
誰も言っていない。
でも、私は勝手に怒っていた。
ドラゴンが振り返り、爪を叩きつける。
私は横へ転がった。
マントの端が少し裂ける。
「……あ」
紫のマント。
金の縁取り。
お気に入りだった。
「……今、やった?」
ドラゴンは喉を鳴らした。
「ぐるる?」
「私のマント、やった?」
「ぐる……?」
私の周囲で、魔力が膨れ上がった。
赤い髪がふわりと持ち上がる。
空気が熱で揺らめく。
「許可なく人の装備を破くなあああああっ!!」
私は両手を掲げた。
頭上に巨大な火球が生まれる。
火球は赤から橙へ、橙から白へ、白から黄金へと色を変えながら、ぐるぐると圧縮されていく。
遠くの岩陰から少年が叫んだ。
「ライラ様あああ!? それ大丈夫なの!?」
「大丈夫なわけないでしょ! だから強いのよ!」
「怖いよおおお!」
「耳ふさいで口開けてなさい! 爆風で鼓膜がご機嫌斜めになるわよ!」
ドラゴンが本能的に後ずさった。
私は笑った。
「さすがに分かる? そうよ。これは痛いわよ」
魔法陣が幾重にも重なる。
炎が渦巻く。
「クリムゾン・バースト!」
火球が落ちた。
直撃の瞬間、世界が白く弾けた。
轟音。
爆風。
岩が砕け、煙が渦を巻き、赤い火の花が空へ散る。
ドラゴンの巨体が地面に叩きつけられた。
「ぐがあああああっ!?」
だが、若いとはいえドラゴンである。
倒れながらも、まだ動く。
鱗は砕け、翼は焼け、片目を閉じている。
それでも、喉の奥に炎が灯った。
私は額の汗を拭った。
「しぶとい! いいわね! 高く売れそうな生命力!」
ドラゴンが最後の炎を吐こうとする。
その視線の先には、岩陰から転び出た少年がいた。
足を滑らせたのだ。
「うわあああっ!」
「このバカ羊飼い!」
私は迷わず走った。
自分の方が安全な位置にいた。
ここで避ければ、ドラゴンにとどめを刺す隙も作れた。
報酬だけ考えるなら、少年を見捨てた方が楽だった。
でも。
「寝覚めが悪いのよ、そういうの!」
私は少年の前へ飛び込んだ。
両手を突き出す。
「アクアクリスタルガード!」
水の膜が再び広がる。
今度はさっきより厚い。
内側に氷晶の盾を重ね、外側には水流を渦巻かせる。
ドラゴンの火炎が防御壁に叩きつけられた。
じゅうううううっ!
水が蒸気になり、氷が割れ、熱が肌を刺す。
けれど炎は、私と少年には届かない。
「ぐ、ううううっ! くっそ、重い! 若いくせに息だけは一人前ね!」
「ライラ様あああ!」
「泣くな! 後で助け賃を請求しづらくなるでしょ!」
「請求するの!?」
「するわよ! 命を助けたんだから焼きリンゴ三年分!」
「三年分!?」
「まけて二年半!」
「今交渉すること!?」
「私が余裕ありそうに見えるでしょ!」
「見えないよおおお!」
私はにやっと笑った。
「正解!」
次の瞬間、アクアクリスタルガードが砕けた。
だが、その砕けた水と氷は消えない。
無数の氷片となり、ドラゴンの吐息の流れに逆らって飛んだ。
「フロストリバース!」
氷の破片がドラゴンの口元へ突き刺さる。
ドラゴンは怯んだ。
喉の火が乱れる。
私はその隙を逃さない。
「大口開けてるからよ!」
地面を蹴った。
短剣を抜く。
ただし斬るためではない。
短剣の黒宝石に魔力を込め、刃先へ炎を集中させる。
「イグニッションパイル!」
短剣から伸びた炎の杭が、ドラゴンの喉元へ突き刺さった。
ドラゴンの身体が大きく跳ねる。
「ぐ、が……!」
「これで終わり!」
私は空中で片手を掲げた。
小さな火球がひとつ。
それはクリムゾン・バーストよりずっと小さい。
だが、熱は濃かった。
真っ赤に圧縮された、拳ほどの炎。
「焦げすぎると素材価格が落ちるからね!」
私は片目をつむった。
「焼き加減、ミディアム!」
火球がドラゴンの喉奥へ飛び込んだ。
「インフェルノ・コア!」
内側から、どん、と鈍い爆発が響く。
ドラゴンは大きく目を見開き、ゆっくりと崩れ落ちた。
地面が揺れる。
煙が立つ。
赤銅竜は、ついに動かなくなった。
私はその場に着地し、肩で息をした。
「はあ……はあ……」
少年が震えながら近づいてくる。
「ライラ様……すごい……!」
私は振り返った。
顔には煤。
髪は少し乱れ。
マントは破れている。
それでも、得意げに笑った。
「当然でしょ? 私は天才魔導師ライラ・グリンガムよ!」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「感謝はいいから、焼きリンゴ二年半ね!」
「本当に請求するんだ!?」
「当たり前でしょ! 私は善意だけで動くほど安くないの!」
少年は少し考えた。
「でも、村のリンゴ、今年はドラゴンに焼かれて少ないかも……」
私はぴたりと止まった。
「……は?」
「倉庫も焼かれたし……」
「……」
「だから、二年半は難しいかも……」
私はドラゴンの死体を見た。
焼かれた倉庫を見た。
泣きそうな少年を見た。
そして、ものすごく嫌そうな顔をした。
「……分かったわよ」
「え?」
「今年は免除!」
「ほんと!?」
「ただし! 来年から三年分!」
「増えた!?」
「利子よ! 利子!」
「優しいのか怖いのか分からないよ!」
「怖くて優しい天才魔導師なのよ!」
私は胸を張った。
すると、少年の膝に血が滲んでいるのが見えた。
さっき転んだ時に切ったのだろう。
「ちょっと、足見せなさい」
「え?」
「いいから」
私はしゃがみ込み、少年の膝に手をかざした。
「ヒールライト」
淡い金色の光が灯り、擦り傷がゆっくり塞がっていく。
少年が目を丸くした。
「回復魔法も使えるの!?」
「天才って言ったでしょ」
「すごい……!」
「ただし骨折とか重い毒は専門外。そういうのは神官に行きなさい。私は焼く方が本職」
「焼く方が本職って言い方、怖い!」
「褒め言葉として受け取るわ!」
その時、遠くからギルドの討伐隊が駆けつけてきた。
先頭には、馬に乗ったエルナの姿があった。
「ライラさあああん!」
「あ、エルナ!」
「無事ですか!? まさか本当に一人でドラゴンを倒したんですか!?」
「倒したわよ!」
「作戦書もなしに!?」
「作戦ならあったって言ったでしょ!」
「燃やして凍らせて縛って爆ぜて勝つ、は作戦ではありません!」
「勝ったから作戦よ!」
エルナは倒れたドラゴンを見て、口を開けた。
討伐隊の冒険者たちも呆然としている。
「赤銅竜が……本当に……」
斧戦士が髭の焦げ跡を撫でながら言った。
「嬢ちゃ……いや、ライラ。お前、化け物だな」
私はにこりと笑った。
手のひらに、小さなファイヤーボールを浮かべる。
「今、何て?」
「ライラ様は偉大です!」
「よろしい!」
エルナはドラゴンの状態を確認し、書類を取り出した。
「討伐確認。村人救助あり。周辺被害拡大防止あり。これは追加報酬が出ますね」
「追加!?」
私の目が、星のように輝いた。
「いくら!? ねえ、いくら!? 金貨!? 銀貨!? 肉券!?」
「肉券はありません!」
「作りなさいよ、ギルド肉券!」
「なぜ私が制度を増やすんですか!?」
「私が幸せになるから!」
「理由が個人的すぎます!」
少年がくすくす笑った。
私はそれを見て、ふんっと鼻を鳴らす。
「何笑ってんのよ!」
「だって、ライラ様、怖いけど面白い!」
「怖いけど強い、に訂正しなさい!」
「怖いけど強くて面白い!」
「よし!」
「いいんですか、それで!?」
夕日が岩山を赤く染めていた。
倒れたドラゴンの鱗が、赤銅色に光る。
焼けた大地には焦げ跡が残り、砕けた岩からはまだ煙が上がっている。
私は破れたマントを見下ろした。
「……これ、修理代も請求できる?」
エルナは即答した。
「できません!」
「なんでよ!? 業務中の損害でしょ!?」
「単独突撃したのはライラさんです!」
「じゃあドラゴンの素材から天引き!」
「素材査定前に勝手に決めないでください!」
「私のマントを破った罰よ!」
「相手もう死んでます!」
「死んでも責任は取れる!」
「取れません!」
私は腕を組み、倒れたドラゴンを見下ろした。
「まあ、いいわ」
「珍しく引きましたね」
「鱗、爪、報酬、追加報酬。あと村から焼きリンゴ三年分」
「二年半では?」
「利子で三年」
「命の恩人が利子を取らないでください!」
私はにやりと笑った。
「私は善人じゃないの。天才魔導師なのよ」
エルナは呆れた顔をした。
「でも、見捨てなかったじゃないですか」
「聞こえない!」
「助けたじゃないですか!」
「聞こえないって言ってるでしょ!」
「照れてます?」
「クリムゾン・バースト食らう?」
「すみません!」
少年がまた笑った。
討伐隊も笑った。
私はそっぽを向き、破れた紫のマントを翻す。
その頬が少し赤いことに、誰も触れなかった。
触れたらたぶん燃えるからだ。
こうして、赤銅竜討伐依頼は完了した。
盗賊を燃やし、肉を食べ、依頼を受け、ドラゴンを倒し、焼きリンゴの長期契約まで取りつけた天才魔導師ライラ・グリンガム。
その日のギルド記録には、こう残された。
「赤銅竜、討伐完了。被害拡大なし。村人一名救助。討伐者、ライラ・グリンガム」
そして備考欄には、エルナの几帳面な字でこう書かれていた。
「爆発音が町まで聞こえたため、次回から作戦書の提出を強く推奨」
翌日。
私はその記録を読んで、ギルド中に響く声で叫んだ。
「だから勝ったんだから作戦でしょおおおおっ!?」




