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初恋は、束縛の味②

作者: 桜海
掲載日:2026/04/11

たぶん①読んでなくても大丈夫……のはず。です。たぶん。


「ねえ、その子どうするの?」


 今日は、大学に入ってから始めたバイト先での歓迎会だった。

 成人したとはいえ、まだお酒の飲める年齢ではないわたしは、ずっとソフトドリンクだけだったけれど、周りの人たちはそんなことはなくどんどんアルコールが進んでいた。

 そんな中、二次会を断って帰ろうとしたところ、バイト先の先輩が送ると言ってきたのだ。

 夜も遅くて危ないから、と。だから、その好意に甘えてお願いをした。

 その先輩は、少しばかりお酒臭かった。顔も赤らんで足取りも少し覚束なかった。

 大丈夫かな、と思っていたら急に肩に腕を回され寄りかかられた。


 ――酔ってる……。


 そうは思うものの、送ってくれるという好意を無碍にはできない。

 わたしは上京したてで、まだこの街のこともよく理解していなかった。だから、駅までの近道はこっちだよーと酔っぱらいに言われても、そうなのかと疑いもしなかったのだけれど。

 だんだんと辺りが暗くなりネオンが妖しく揺れる様子に怖くなってきた頃、低く耳に心地のよいその声が空気を割いたのだ。

 肩を抱く男の生温かった体が引き剥がされ、夜の空気がスッと肌を清めていく。

 手首を大きな手のひらに掴まれ、その人の体の後ろに隠された。


「は? なんだよお前」


「なんにも知らない子を、こんな奥に連れて行くなんて、アンタこそなに考えてるの? これ同意? そうじゃないなら警察呼ぶよ」


「はあ!? ふざけんな! 同意に決まってんだろ!? 彼女がさぁ、俺と一緒にいることを望んだんだよ」


「ふぅん……ねぇ、ほんと? この先は歓楽街で、ここも、そこも、全部ラブホなんだけど……きみ、アイツとヤりたいの?」


 いきなり叫びだしたバイト先の先輩に、ビクリと体が震える。その様子を見ていたらしいこの目の前の人が、確かめるように聞いてきた。

 声音が一段、低くなって聞こえる。


(あ……この人……)


 恐る恐る目を向けて気づく。

 それは、つい先日、サークルの先輩に絡まれたときに助けてくれた人だった。

 柔らかな金色の髪に、少し鋭い焦げ茶の瞳。耳にいくつも付いたピアスが印象的な……あの、人。

 胸の奥でトクリとひとつ音が鳴った。

 促されるままに周囲を見回して、いくつも見える『HOTEL』や『INN』の文字に青褪めた。


「ねぇ……どうなの? 本当にアイツとセックスしたいなら、俺はここで帰るけど」


 彼の口から直接突き付けられる言葉に、顔が熱くなるのを感じる。それと同時にその直接的な言葉に血の気が引いていく思いをしながら、わたしは勢いよく頭を振った。もちろん、横に。


「そう」


 目の前で、金髪の彼がどこか嬉しそうに、口角を緩ませる。


「この子はアンタとシたくはないってさ。残念だったね? 警察呼ばれたくなかったら、さっさとどこか行きなよ。彼女は俺が責任持ってしっかり帰すから。……ああ、それとも。アンタ、俺に勝てるとか思ってる? 無理だろ。見た目も、スペックも、どう考えても俺のほうが上だし」


 ふ、と鼻で笑うようにしながら、金髪の彼がスマホを取り出した。

 綺麗な指先が、トトトとみっつの番号をタップする。

 数字で110。それを目の前の男に見せつける。


(そうだ……えっと、確か"くおん"先輩……)


 ――久遠(くおん)琉星(りゅうせい)先輩。

 大学の新歓コンパで絡まれていたところを助けてくれた人。

 ピアス穴がたくさんでガラが悪いけれど、とてつもなく綺麗な顔をした先輩。

 金色の髪のせいか、まるで王子様のようだと、あの日思った。

 その新歓コンパのあと、大学の同じ講義を取っていた子に、この目の前の先輩のことを聞いてみた。

 そうしたらとても熱く語ってくれたのだ。


『久遠先輩はねぇ、この大学でとても人気のある先輩なんだよ! あの見た目にあの声! いままでの歴代彼女も美人な子ばっかり! でも、長続きしないんだよねぇ……。二股とかはないみたいなんだけど。彼女が途切れることがないみたいな。まあ、でも!? あんな高スペックな男に遊ばれるなら本望かもー!』


 とかなんとか……。

 目の前では、バイト先の男が久遠先輩のスマホの画面を見てたじろいだ様子だった。

 ジリ、と足がアスファルトを擦る。若干青い顔をした男は、酔いも覚めたようだ。ヘラリと取り繕うように笑い、片手を上げる。


「じゃ、じゃあ……迎えも来たようだし、俺はこのへんで帰るよ。由依さんこの件、みんなには内緒にしててくれよな」


 それだけ言い捨てて踵を返すバイト先の男が、歓楽街の奥へと消えていく。

 その背が完全に見えなくなったのを確認してから、久遠先輩もまた元来た道へと戻っていく。

 当然、手首を掴まれたままのわたしも、後を追うことになった。


 ◆ ◆ ◆


 見慣れたいつもの道に戻り、駅に入って電車に乗る。

 降りる場所を聞かれ答えたら、頭上から大きな溜め息が降ってきた。

 それからは言葉もなく、ただ電車に揺られる。

 帰宅ラッシュではないが、利用者の多い路線は夜遅い時間でもまだ満員だ。特に酔客が多い。

 人が乗り込んでくるたびに、久遠先輩はわたしを体で遮って守ってくれた。

 きっとそんなところがモテるんだろうなぁ、などと考えてしまう。そしてそのたびにジクジクと痛むような胸に手を当てて、首を傾げた。


 最寄りの駅で電車を降りると、慣れた景色に体から力が抜けた。ずっと緊張していたらしい。


「家、どっち?」


「ええと……あっち、です」


 手を引かれたまま、家の方角に指を差せば、また大きな溜め息を吐かれる。

 首を傾げれば、久遠先輩にどこか恨めしげな目で見おろされた気がした。


「……わかった。ちょっとあそこの公園に寄って行くよ」


「え? あ……はい」


 家の近くにある公園はとても小さい。ブランコと鉄棒と、すべり台があるだけ。

 入口近くのベンチに、促されるまま腰を下ろす。久遠先輩は、わたしが座ったのを見て、すぐに自販機に向かって歩いていった。

 ガコンという音が二回、夜の静かな空気に溶けていく。


「ほら、お茶。なにがいいかわからなかったから、それで我慢して」


 差し出されたのは、小さなペットボトルだった。

 受け取るのに躊躇うことを、先輩の視線が許してくれなかった。だから、お礼を言って受け取れば、端正なその顔に淡い笑みが浮かぶ。


「で、きみはこの前も絡まれてたよね? あそこが有名なホテル街だって知らないの?」


「え、と……東京出てきたの最近で、まだこの辺よくわからなくて」


「ふーん。で、アイツはなに? 名前呼ばせるほど仲いいわけ? にしては、結構強引に連れてってたけど」


 口元に手を当てた先輩が、ベンチの空いているスペースに腰を下ろした。

 二人分の重みを受け取ったベンチが、僅かに軋んだ音を立てる。

 名前? と首を傾げてから、わたしはあっと小さく声を上げてしまう。


「ち、ちがいます! あの、さっきの人はただのバイト先の先輩で……わ、わたしの名前は由依(ゆい)(しずく)と言います! だから、さっきのも、わたしの名字を呼んだだけで、別に名前を呼んでいたわけじゃ……」


 どうしてこんなに焦っているんだろう。

 自分でもわからないほど、この目の前の王子様に誤解されているのが、なんだか嫌だった。

 嫌だと思ってしまったこと自体おかしいことなのに、弁解する言葉がどんどん溢れて止まらなくなってしまう。

 あわあわと手を振りながら喋るわたしを、久遠先輩はなにも言わずにジッと見ているだけだった。


「由依……雫。ゆいちゃん、ね。ねぇ、きみ、俺のこと知ってる?」


 ポツリと呟いた先輩が、まるで覗き込むようにして顔を寄せてくる。


(ち、近……っ)


 整った顔立ちに、脱色した髪がはらりと落ちる。わたしなんかよりもよっぽど綺麗な肌が、街灯に照らされて白く光って見える。

 あまりにも綺麗な人を見ると、人間は思考が止まるらしい。

 言葉を見失い、ただ目を見開いたままのわたしに、先輩が焦れたように催促してくる。


「あ、あ、あああの……同じ、講義の子が、お、教えて、くれまし、た……っ」


 なにを聞かれたのかも思い出せないまま、ただ言葉だけが唇から滑り落ちていく。


「だ、だから、わたしは、先輩のことを知らなくて……あ、でも、この前助けてもらって、知らないっていうのは失礼で、だから、あの、ええと……!」


「……ふ、くっ……ははっ」


 夜遅い閑静な公園。遠くには車の音が聞こえるけれど、ここはただ虫の声がだけが密やかに響いているだけ。

 そこに、先輩の抑えたような笑い声が混ざり合う。

 取り留めもなく喋り続けていたわたしは、思わずジッと先輩を見つめた。


(……きれい)

 

 まるで世界を切り取ってしまったかのよう。そんな錯覚を覚える。

 暗いなかでも先輩の金の髪はとても目立つ。風に吹かれるそれが、笑い声に合わせてサラサラ揺れる。


「っ、はぁ……ほんと、危なっかしいね」


「え?」


 ため息を吐いた先輩が、口元に手を当てながら立ち上がる。キシ……と錆びたベンチの脚がかすかな音を立てる。


「はい。じゃ、送っていくからちゃんと道案内して」


「へ……?」


 目の前に、手が差し出された。長くて、少しだけゴツゴツしていて、自分とは違う男の人の指。筋があって、筋肉の張りがわかる見た目よりも逞しい腕。半袖のシャツから覗くそれを辿って、視線が上に向く。

 口の端だけを上げるような笑みを浮かべた先輩が、早くしろと言いたげに手を揺らす。


「ほら、ゆーいちゃん?」


「え、あ……はい!」


 思わず、両手で先輩の手を握った。

 焦げ茶の瞳が僅かに見開かれ、先輩の動きが止まる。


(は、はわわわー! や、やっちゃった!)


 いくらなんでもそれはない。いくらなんでも。

 でもだって仕方ない。目を細めて笑う先輩が、とてつもなくかっこよかったのだから。


「あ、あの! ごめんなさい!」


「クッ、くくっ……ふっ、はははっ! あー、もう勘弁して。ほら、いいから行くよ」


 パッと離した手を、先輩が掴み直して包み込む。

 大きな手。完全にすっぽり覆われてしまう自分の小ささに、心臓がきゅうっと締め付けられる。


「ほら、ゆいちゃん。ボーッとしてないで、家はどっち?」


「え、あ……あっちです!」


「うん。指差しどーも。わからないからちゃんと連れてってね」


 手を引かれ、歩き出す。

 傍らの先輩は、まっすぐ前を向いているようで、時折顔を手のひらで覆って肩を震わせている。

 なんで笑ってるんだろう?

 首を傾げて見上げるたびに、先輩の目がわたしを見てゆっくりと細められる。

 表情はとても楽しそうだ。


「あ、こっちです」


 人気の少ない道を、ふたりで歩く。

 上京してから、こうして誰かと帰り道を歩くことなんてなかったから、とても新鮮な気分だ。それも、大学でとても人気のある先輩と。

 分かれ道で、先輩の手を引いた。

 特に会話もなく、ただ歩いているだけだった。

 ポツポツと立っている街灯に、虫でもぶつかったのかジジッという音がする。

 そこに、ふたり分の足音だけが響いている。


(……もうすぐ、家に着いちゃうなぁ)


 あとひとつ角を曲がれば、すぐに借りているアパートが見えてくる。

 なんとなく、着かなければいいのにと考えてしまい、慌てて頭を振った。


「あの、もうすぐそこです」


「わかった。部屋の前までちゃんと送り届けるから、安心しなよ」


「は、はい……っ!」


 やたら威勢のいい声が、飛び出した。夜の静寂を裂いたそれに、隣の塀の奥から「わん!」と合いの手が入る。


「……ふはっ! は、ハハッ……や、ちょっともう、本当に、なんなのきみ……は、腹いてぇ!」


「い、いまのは不可抗力ですー!」


 そしてまた、私の声に合わせて「わんわん!」と答えが返る。ここの犬は確か、見た目がもふもふな大型犬だったはず。一度だけ散歩に行くところに出くわしたことがある。


(なんでこんなタイミングでー!?)


 人懐こい犬だったけれど、少しだけ恨めしい気分になったのは仕方ないことだと思う。


 ◆ ◆ ◆

 

 最後の角を曲がれば、追随するようだった犬の鳴き声も遠くなる。

 見えてきたアパートの姿になぜか落胆しながらも、わたしは外付けの階段を上がっていく。


「ねぇ、本当にここに住んでるの?」


 犬の件からずっと笑い通しだった先輩の声が、ひと際低くなって届く。空気が少しだけ重くなったような気がして、わたしは首を傾げた。

 

「? はい、あ、ここの奥がわたしの部屋です」


 築三十年だか、四十年だかの二階建てのアパート。そこの二階のいちばん奥がわたしの城だ。

 上京するにあたって、父と母がマンションを用意すると意気込んでいたが、わたしは断った。学費まで出してもらうのだ。そこまで負担をかけるわけにはいかなかった。初期費用は出すと言われ、甘えたのもある。それなら、安く済むところにするしかない。

 それに、家賃と光熱費は自分で稼ぐと約束したのだから。

 そんな説明をしながら、鍵を開けるために先輩に手を離してもらう。

 扉を開けるまで、先輩は去らなかった。

 いや、扉を開けても、先輩はずっとその場に立ったままだった。


「……先輩?」


「きみは、危機感というものがないね。こんなセキュリティの甘いところに住んで。しかも男にすぐに絡まれる」


「そ、それは……!」 


 離されたはずの手をまた先輩に掴まれた。

 くい、と引っ張られれば、いとも簡単に先輩の胸へと頬がぶつかってしまう。


「純粋なのはいいことだけど……ほら、こうして簡単に俺に家の場所を教えてる。このまま俺が家に押し入ってきみをどうにかすると、思わなかったの?」


「……っ、ぁ!」


 背中を、先輩の手が撫でた。腰のあたりからするりと背骨をなぞって、首の後ろを押さえられる。

 その指先の熱さにゾクリとしたものが走り抜ける。意識しないまま声が小さく漏れる。


(へ、変な声、出た……!)


 なんだか妙な恥ずかしさを覚え、頬に熱が集まってくる。このまま、先輩の言うとおりどうにかされてしまうのかもしれない。


 ――でも、それも……。


 なんて考えてしまい、余計に顔が熱くなった。


(な、なに考えて……まさか……わたし――!?)


「ゆいちゃん……いいの? ほんとに俺なにかしちゃうかもよ?」


 先輩の低い声が耳のすぐ側で聞こえてハッとした。

 身動きをしようとしても、まったく離れることができない。手と、首を押さえられているだけなのに。

 視線だけで、先輩の顔を見上げた。

 焦げ茶のはずの瞳が、色を濃くして私を見下ろしている。目が合えばゆっくりと細められ、近づいてくる。


「……先輩は、そんなことしないと思います」


 ピタリと先輩の動きが止まった。

 

「なんで?」


「だって……先輩、二回も助けてくれたし」


「それ、きみを油断させるためだとか、このままきみを手に入れるためだとか思わないわけ?」


「お、思わないです! 本当にそのつもりなら、先輩だったらこんなこと言う前にどうにかするでしょ? それなのに、先輩は一歩もわたしの部屋に入ってきてない。だから……だから、先輩は、そんなことしないです!」


 首を押さえた手に、僅かに力を籠められたのがわかった。

 頭上から、大きな溜め息が落ちてくる。

 吐息が髪を揺らし、耳元をくすぐる。その熱さにふるっと肩が震えた。


「……ったく。そんなふうに言われたら、なにもできないじゃん」


 体が離された。部屋のなかに押し込められ、逆に先輩が一歩だけ下がる。

 手だけは、繋がれたまま。

 

「え……?」


「俺ね、きみの信頼を無くすのだけは、なんだか嫌みたいだ。……でも、覚悟してよね? ゆいちゃん」


 掴まれた手が持ち上げられる。ぼんやりと目で追ったその指先に、ちゅ、という音が当たる。ふわりと熱が灯る。


「気に入ったものは、絶対逃さないタイプだよ、俺は」

 

 唇を押し当てたままの先輩の唇が笑みの形を作るのを見た。


「おやすみ。ちゃんと鍵をかけて寝なよ、雫」


 最後にそれだけ残して、パタンと扉が閉まった。


「は、……え?」


 ペタンと床に座り込む。腰が抜けたみたいだった。

 解放された手を引き寄せて胸の前で握りしめた。

 ジンジンとした熱が指先を痺れさせている気がする。


「え、あ……な、なまえ……名前、呼ばれた……?」

 

(しずく)


 低く耳に心地よい声が、わたしの名前を呼んでいた。

 名字ではなく、名前を。

 他にも、先輩の言葉で気にしないといけないところはいくらでもあったような気がするけれど、その時のわたしには名前を呼ばれたということだけがとてつもない衝撃だった。

 

 それと――、


「き、キス……されたぁ……」


 胸が、痛い。

 びっくりするくらい、ドキドキしている。

 あんな、まさか……指にキスするなんて。

 それこそまさに"王子様"じゃないか。

 優しいのに、少し意地悪で、だけど話していると、とてもふわふわして。もっと一緒にいたいと思ってしまって。

 離れるのが淋しくて。


 ああ、こんなの――。

 両手で頬を覆った。


「ど、どうしよう……わたし、先輩のこと……」


 ――好きになっちゃった。



 由依(ゆい)(しずく)十九歳。

 大学で人気者な久遠(くおん)琉星(りゅうせい)先輩に、身の程知らずな恋をしました。

どうしても、このふたりをまた書きたくなって、書いてしまいました。

ちなみに①はふたりの初めての出会いと、いろいろあってくっついてそしてその後−−のお話で、ムーンライトノベルズにあります。

R18なので。

たぶん③を書くとしたら、ガッツリR18になるかと。

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