5話 陽の光
千歳空港のラウンジで搭乗を待っていた。
朝日が横から上り、眩しい。
暴力団の彼が私に向かって歩いてくる。私が札幌を飛び立つことに気づいたのだと思う。
これまで本当にありがとう。
彼は、どんどん近づいてくる。近すぎるでしょう。
その時、お腹に激痛が走った。
下を見ると、彼が、私のお腹にナイフを刺している。
「僕は詩織さんを愛していたんです。気づいていたでしょう。名前を変えたのは別にどうでも良かったんです。でも、僕の愛した顔を変えるなんて。1回目はまだ耐えられました。詩織さんの面影が残っていたから。でも2回目は全く違う顔にしてしまった。もう、僕の愛した詩織さんはどこにもいない。さようなら。」
私は、血だらけになり床を這ってラウンジの外に出ようとした。
でも激痛が走り、ほとんど前に進めない。
周りでは悲鳴が上がっていた。
最後まで私は嫌われる人生だった。
いえ、嫌われていたのは新しい顔の私で、詩織は彼から愛されていたのかもね。
多くの人を殺してきてしまったことへの罰なのかしら。
でも、なぜか何の後悔もない。
そもそも、生きていることと死ぬこととどう違うんだろう。
もう動けない。私は仰向けになり、天井を見上げた。
ラウンジの窓から太陽の光が私の血だらけの体を照らす。
やっと、陽の光のもとで生きている。
でも、出血量が多いせいか、寒い。
これだけ陽の光を浴びてるのに。
私は生きたかったわけじゃない。でも、死にたかったわけでもない。
ただ、暗闇から抜け出したかっただけ。
でも、もがくたびに、どんどん暗闇に落ちていった。
ああ、目の前が暗くなってきた。
やっと陽の光を浴びたのに。
私を刺した彼からさようならという言葉が聞こえた。
明るい。ここはどこだろう。
「結城さん、聞こえますか? 目をさました。先生を呼んで。」
どうも、ベットに寝ているみたい。
私は、刺されたあと病院に運ばれて 結城 優美として治療されていた。
そして刺されてから1週間後、とりあえず退院する。
その後半年くらい通院したけど、元の体に戻れた。
暴力団の彼は、逮捕されたけど、何も喋らなかったらしい。
どうして関係もない女を刺したのか、何かの事件に関与しているのか。
いずれも分からないままに捜査は終了したの。
今日は休日で気晴らしに、長崎の水辺の森公園を散歩していた。
そんな時、私の時間は止まった。正樹が目の前を通り過ぎる。
いえ、正樹とそっくりな男。正樹は私が殺したのだから生きているはずがない。
それにしても、輝いていた頃の正樹にそっくり。
一緒に歩いているのが、奥様と娘さんだと思う。
こんなに似ている人がいるなんてびっくり。
私がただ見つめているのに、その人には私のことが見えないみたい。
ただ、娘さんに笑いかけ、奥様には、今夜の食事はどうしようかと話している。
奥様も笑顔に溢れ、3人はシャボン玉のような笑い声の膜に包まれていた。
私なんて入り込む余地なんてない。
久しぶりに孤独感に体が潰されそうになり、漆黒の闇に吸い込まれていく。
周りに多くの人が歩いているのに、いえ、だからこそ私だけの孤独の闇は広がっていった。
正樹とは別人。しかも、結婚している。
それを分かっているのに、後をつけ、家にまでついてきてしまった。
家は、相生町の住宅街にあった。
表札は、沢田と書いてある一軒家。
彼が家に入り、家の明かりが灯る。
温かい家族の笑い声が響く。
本当なら、私があんな幸せな家庭を持てたはずなのに。
どうして、私はいつも幸せになれないの?
また、知らぬ間に目から大きな雫が流れ出る。
最近は、自分の気持ちをコントロールできていたはずなのに。
一緒に暮らしていた頃の正樹とそっくりの顔をみて心の波を抑えられない。
その家を観察していると、彼は毎日、朝仕事に出かけ、夜に帰ってくる。
リモート勤務ではなさそう。
奥様は、毎朝、娘さんを幼稚園に連れて行く。
その後、家事をして13時半ごろに迎えに行く規則正しい生活。
すぐにいいアイディアを思いついた。
あの奥様がいなくなれば、私はあの席に座ることができる。
簡単なこと。
奥様は、娘さんを迎えに行った後、必ず家の近くの公園に行き、娘さんを遊ばせる。
水辺の森公園とは違い、遊具も少ない小さな公園。
私は、14時から公園のベンチに座り、日向ぼっこをするふりをしていた。
すぐに奥様とは仲良くなり、娘さんとも公園で遊ぶ時間が増えていく。
このエリアには最近引っ越してきたようで、友達が欲しかったと言っていた。
私は、公園横のアパートに引っ越したので、この公園で会うことに疑問はなさそうだった。
「優美さんは、仕事とかはしていないの? いつも余裕があって羨ましいわ。」
「昔、職場でパワハラをされて心を病んでしまって、それからしばらく休んでるの。私を攻撃した上司から損害賠償が支払われて、今は、何もしなくても暮らせていけてる。まあ、休養中ということかしら。」
「それは大変だったわね。ひどい人って、どこにでも、いるものね。」
私のことを心配そうに見守る。
あなたは、そんな人格者じゃない。
ただ、いい人として見られ、いい気分になりたいだけでしょう。
そんな偽善、もうやめた方がいい。
「翠さんは、専業主婦なの?」
「そう。6年前に結婚して、今は5歳の娘がいて、それなりに大変なのよ。」
「とても幸せそう。羨ましいな。」
「優美さんも、お綺麗だし、もうすぐよ。彼とかいないの?」
「昔はいたけど、心病んだときに別れちゃった。」
「そうなのね。変なこと聞いちゃってごめんなさい。」
「もう昔のことだし。ところで、旦那さんは、どんな人。」
「誠実というと聞こえはいいけど、退屈な人かな。なにも隠せないというか、小心者で、つまらない人なのよ。」
何を贅沢なこと言っているの。
それが一番じゃない。
そんなに不満なら、私が彼をいただくわ。
翠は、どこにでもいる普通のお母さん。
彼の給料が低いのか、砂場で汚れてもいい姿にしているのか、質素ないで立ち。
母親として過ごし、もう女でいることを捨てているのかもしれない。
飾らないタイプみたいで、考えたことは全て口にしてしまう。
あなたの考えていることは、全て口から漏れているとアドバイスしたいくらい。
でも、相手に気を使わせないのは、翠の取り柄なのかもしれない。
「旦那さんは、どんな仕事をしているの?」
「晃一のこと? 焼酎の酒蔵の長男で、今は実家で見習い中。結構、そこの焼酎は流行っているらしい。」
実家はお金持ちということね。
「晃一は、私が高校生の時に大学生で、私の家庭教師をしたのがきっかけで付き合い始めたの。私が大学を出た年に妊娠していることがわかって、この子が産まれたって感じかな。」
「できちゃった婚なのね。それにしても、かわいいお嬢さん。」
「娘ができたことは嬉しかったけど、もっと遊びたかったかな。大学の同級生とか、未だに朝まで遊んで、給料は自分だけで使って自由気ままに楽しんでいるし。私は、育児であっという間に夜になっている。こんな人生でよかったのかな?」
私の人生に比べれば、十分に幸せだと思う。
そんなに不満なら、私がその席に座ってあげる。
私は、狐のような目で翠を見つめていたんだと思う。
翠は、まだ精神が不安定なのかなと、それ以上、深入りは避けているようだった。
次の日、翠が娘さんを幼稚園に送ったあと家にいることを確認する。
忙しい、忙しいといいながら掃除をしていた。
自分は働き者の良妻だと周りに自慢したいのだと思う。
厭らしい女。
私は、庭に忍び込み、キッチンに向かう。
お庭には雑草がいっぱいで、それを見るだけでも、ガサツな女だとわかる。
彼には相応しくない。
手に持っていたペットボトルのキャップを外す。
ガソリンの匂いが辺りを漂う。
その液体を、窓からキッチンに撒いた。
そして、火がついたマッチを部屋に投げ入れる。
あっという間に、キッチンは火の海となった。
ゆらゆらと揺れ動く炎は美しい。
赤、黄色、いろいろな色が家の中を彩る。
初めて見るけど、こんなに早く、火が家の中で広がることに驚く。
カーテンを伝い、天井も真っ黒になっていく。
壁の板は焼け、中の柱が現れる。
プラスティックが焼ける匂いがして、匂いに耐え切れず道路に出てきた。
キッチンの窓ガラスは割れ、炎は飛び出し、煙は2階にも広がる。
2階で洗濯物を干していた翠は、火事に気付き、火を消そうとキッチンに入った。
ただ、もう火の勢いを止めることはできない。
消火器を振り回して消火をしているけど、もう手遅れだった。
キッチンの天井は崩れ去り、翠の足に落ちていく。
翠は逃げようとしたけど、落ちた天井は重く動けないようだった。
足を抜こうともがく翠の服に火が移り、火だるまになっていく。
力尽きて仰向けになる瞬間、助けを求めるように、私の方をじっと見つめていた。
いえ、そんな気がしただけかもしれない。
あなたが今の生活に満足できないから、起きた事故。
あなたのせいなの。私のせいじゃない。
旦那さんも、あなたみたいなクズとじゃなくて、私と一緒の方が幸せに決まっている。
消防車が駆けつけ、水を撒き始めた。
救急隊も駆けつけたけど、家の中から、全身焼け爛れた翠を運び出していた。
皮膚は焼け爛れ、髪の毛もすでに抜け落ちていて、かろうじて人だとわかる。
消防隊は、あれだけ火傷すると、もう助からないと呟く。
もう翠も終り。私に旦那さんを渡しなさい。あとは、心置きなく、この世を去るだけ。
火も消され、消防隊は撤収し、警察官だけが、野次馬が入らないように見張っている。
翠、悔いても、もう遅い。
今ある幸せに気づけない、あなたが悪いんだから。
私は、何もなかったかのように、その場を立ち去った。




