8話 ITベンチャー社長
月曜日の夕日が照らす新宿の街をぶらついていた。この時間の新宿は好き。
会社員や本とかを買おうとする人達がせかせかと歩く日中の新宿。
ネオンが灯り、夜の街で快楽を求め、怪しい人々が集まる夜の新宿。
夕日を境に、街の雰囲気はがらっと変わる。
このドス黒い魅惑に満ちた時間に向かって。
その時間に歌舞伎町を歩いていると、男とぶつかった。
「ごめんなさい。」
「いえ、こちらこそ、うっかりしていて。」
見上げると、上品なスーツに包まれたイケメン。
歌舞伎町には場違いで、気品が溢れ出ている。
急いでいるようで、謝ると急いで靖国通りに出てタクシーに乗り込む。
私は、いつになく彼が気になり、後をつけた。
最近は、アプリが普及し、道でタクシーを拾うのは難しい。
でも、なんとか乗り込み、さっきのイケメンが乗り込んだタクシーを追う。
彼は、有栖川公園に近い一戸建ての家の前で降りた。
人気がない家に鍵を使って入り、家の光が灯る。
おそらく、自分の家なのだと思う。
表札は佐伯とある。なんとなく社長かなと思い、佐伯、社長でネットを検索した。
あった。佐伯 智也。ITベンチャーの社長で、最近、急成長していると評判な人。
さわやかな写真で微笑む男は、間違いなくさっきぶつかった人。
メインバンクはイーグル銀行歌舞伎町支店とある。
だから、歌舞伎町でメインバンクの人に会っていたのかもしれない。
火曜日、水曜日はリモート勤務なのか家から出ない。
この3日間を見た限りでは、独身のように見える。
夕食の前になると、Uber Eats が夕食を運んでくる。
量からすると、やっぱり1人分だと思う。
親や、奥さん、子供の気配はなく、夕食時も1人で過ごしている音しかしない。
水曜日のお昼に、散歩という雰囲気で広尾駅の横にあるお店の食品売り場に来ていた。
フランスパンとチーズを買い込む。今夜はワインでおしゃれな時間を過ごすのかしら。
私も買い物客のように店内を歩いていると、彼と目が合う。
彼は、一瞬驚いたような表情をみせつつ、とびっきりの笑顔で私に微笑みかけた。
誰にでも、あんな笑顔を向けるのかしら。
いえ、彼も、私のことが気になっていたのだと思う。
清楚な白のワンピで、この広尾の街に来ていた。
ふわっと広がる短めの袖から細い腕が伸びる。
歩くたびにプリーツが揺れ、爽やかな風が流れる。
そんな私に彼は、目を離せなかったに違いない。
もしかしたら、彼は新宿で会っていることを覚えているのかもしれない。
私のことを気になって、わざとぶつかり、出会うきっかけを作ったのかもしれいない。
彼の家まで私が追いかけてきたことも知っているのかもしれない。
彼は買い物を終え、お店から出ていく。
私は、お店の女子トイレに入り、彼から抱かれるのを想像をして1人エッチをした。
止められない声を抑えながら。
生理が終わった直後は、エッチをしたい欲望を抑えられない。
私の頭は彼のことでいっぱいだった。
でも、週末に驚くことが分かる。
私と同年齢の女が、金曜日の夜に彼の家を食材をたくさん持って訪問する。
まるで自分の家のように遠慮なく、玄関を開けて家に入っていく。
週末に1週間分の料理を作り、冷蔵庫に保存しておくのかしら。
家に入る時に、濃厚なキスをしているのを見ると、妹とかではない。
土日はずっと家にいて、洗濯とか甲斐甲斐しく家事をしている。
月曜日の朝に、金曜日に着ていたスーツで出かける。
週末に着る物や、生活必需品は、家に置いてあるのだと思う。
一緒に暮らしている彼女がいた。
でも思い出してみると、玄関でキスをされた時に、彼は嬉しそうではなかった。
彼女の肩に手をおき、彼女を離したように見えた。
きっと、彼にとって彼女は迷惑な人で付きまとわれているに違いない。
その女のことも探偵を使って調べてみる。
1週間後、その探偵から調査結果の書類がポストに届く。
その女は大学のときのクラスメイトで、そのときに彼と付き合っていたらしい。
お互いに裕福な親に育てられ、大学時代に彼が今のITベンチャー企業を創業する。
彼女はWebデザイナーとして、一緒に企業運営に参画していた。
ただ、彼女が海外企業に引き抜かれ、海外に移住したのをきっかけに別れたらしい。
彼女が足を引っ張っていたのか、その後、彼のベンチャー企業は急成長する。
今では時代の寵児として高い評価を受け、上場した企業の価値も莫大なものになっている。
彼の血の滲む努力で、ここまで成長させてきた。そこに彼女の貢献は何一つない。
彼は、自分を捨てて海外に行ってしまった彼女に未練はないのだと思う。
でも、海外でうまくいかずに日本に帰ってきた彼女には彼しか頼る人はいなかった。
だから、彼のところに押しかけて、無理やり自分のものにしようと考えているに違いない。
彼は別れたいのに、付きまとわれているのね。
嫌な女。死んでしまえばいいのに。
彼は、平日は1人暮しをしていたから、外出した後は家には誰もいない。
私は、彼がカフェで席を外したときに、ふとテーブルに置き忘れた鍵を拝借する。
それを粘土で型を作り、鍵のコピーを作る。
私は彼の家に入り込んだ。
主人がいない家は、ひっそりとし、無機質な空気が漂う。
ただ、廊下も部屋もダークブラウンのフローリングで統一され、上品さが溢れていた。
家に入ると、小型の盗聴用コンセントをいくつも置く。
そして、サイドボードの上に、彼があの女と一緒に撮った写真を見つけた。
あの女から強制的に置かされているのね。本当に迷惑な女。
私は、スマホで写真を撮った。
私の家では、この女の部分を私に置き換えて私の家のテーブルに置く。
そう、彼と私の記念写真。
彼と私は昔から付き合っているから、写真がいくつもあるのは当然のこと。
それから、彼の家に入ることも増えた。
IT企業だからリモート勤務も多い。
でも、社長だからか、いろいろな会合に外出することも多かった。
彼の家から、歯ブラシを持ち出し、新しい同じ歯ブラシを置いておいた。
その歯ブラシは、今、同じコップに入れて私の部屋にある。
一緒に暮らしてるんだから当たり前よね。
ワイシャツや下着の銘柄を確認し、同じものを買って、彼の家にあるものと交換する。
彼が着ていたワイシャツや下着が私のクローゼットに増えていく。
今、彼が着ているワイシャツや下着は私が買ってあげたもの。
私は、彼の彼女なんだから当然のこと。
週末に、家であの女と食事している時の会話がイヤホンを通じて聞こえる。
彼は優しい。あんな嫌で迷惑な女にも、優しく声をかけている。
また、彼の話しは気品が有り、明晰さが漂う。
やっぱり、私と付き合っている彼は素晴らしい。
それに比べて、あの女がしゃべることは自分のことばかり。
アメリカでの生活は日本と違い活気があったとか、ソファーを買い換えようかとか。
懐かしがっているアメリカに戻ればいいじゃない。戻る自信もないくせに。
この週末の早朝、彼は、車であの女と出かけていく。
あの女がディズニーのカチューシャをつけてはしゃいでいる。
その姿からは、ディズニーランドに行くのだと思う。
お腹を見せるシャツに、パンツが見えそうなミニスカート。
彼に肌を露出し、気を惹こうなんて、分不相応というか気持ちが悪い。
あの女が、彼とまぐわい、大声をあげている姿が目に浮かび、吐きそうになる。
あなたの汚れた体で、彼のことを貶めないで欲しい。
2人が出かけた後、私は、彼の家のお風呂でシャワーを浴びた。
広い浴槽に、黒いシックな大理石の床。
昨晩のシャワーの水がまだ床や壁に残る。
昨晩使ったタオルも無造作に脱衣所に置かれていた。
お風呂掃除や洗濯もせずに出かけるなんて、だらしない女。
でも、その分、私がシャワーを浴びたことにも気づかないのは幸い。
高級な男性用シャンプーが目に入る。
やっぱり彼の趣味には気品がある。あの女にはもったいない。
私は、足に滴る血をシャワーで流した。
そういえば、彼と出会って1ヶ月が経つのね。
血のついたナプキンをトイレのゴミ箱に捨てておいた。
私の体からでるもので、この家が汚れることもあるでしょう。
でも、トイレのゴミ箱には、穢らわしい、あの女のナプキンも捨てられている。
この感じだと、生理が終わる直前という感じかしら。
いくら飾っても、下品さは隠せないのが分からないの。
あの女のナプキンはビニール袋に入れ、スーパーの女子トイレに捨てる。
お前がこの家で暮らす跡は消し去ってやる。
私は、シトラスの香りが残るタオルで体を包む。
この香りは男性のシャンプーのもので、あの女が使ったタオルではないはず。
彼が使ったタオルを抱きしめ、彼の残り香を吸い込んだ。
それにしても、彼の周りをつきまとう女ってどうなの。
彼だって、嫌がってるじゃない。そろそろ、自分の立場を理解しなさい。
彼の優しさにつけ込むのはもうやめて。




