2話 ジムの女
TVのニュースで女がトラックにはねられて死亡したとアナウンサーが話す。
女の写真が映ると、頬に殴られた跡がある正樹の顔色が曇った。
「どうかしたの? もしかしてこの女、知り合いなの?」
「いや、別に何もない。」
食事が終わり、正樹は、歯を磨きに洗面所に向かう。
そのときに、ぼそっと、金蔓が死んだと呟いている。
私が殺したなんて夢にも思っていない。
その時、テーブルにあった正樹のスマホが鳴る。
思わず、そのスマホを覗き込むと、琴音という名前が出ている。
あわてて、正樹がスマホを取り、ベランダに出て何かを話している。
この前、殺したのは琴音じゃなかったの?
そういえば、会社のホームページに掲載されていた名前が琴音ではなかった。
不思議には思ったけど、2人だけの呼び方なのかと思い違いしていた。
「ちょっと、出かけてくる。」
「どこに行くの?」
「おまえには関係ないだろう。それとも俺を縛りつけるのか?」
「いえ、そんなことないよ。なんか怪我しているみたいだし、何か危ないことしているんじゃないかって心配になって。」
「俺のことは放っといてくれ。」
「わかった。いってらっしゃい。」
玄関で靴を履き終わり、立ち上がった正樹に抱きつき、キスをする。
正樹は、面倒くさそうに、顔を横に向ける。
玄関のドアを勢いよく閉め、正樹は出ていった。
私は、あの事件の後、お店を仕切る暴力団に連絡したの。
クラブAIというホストクラブで働く正樹を出して欲しいと。
間違った番号にかけてしまったと驚くふりをして、慌てて電話を切る。
暴力団は、正樹を問い詰めて殴りつけ、当面謹慎処分にしたらしい。
そして、別の店で働いたら殺すと脅したとお店では噂になっていた。
しばらくは、私の部屋で大人しくしているしかないわね。
そう、正樹は私のことだけを見ていればいいの。
優秀な正樹でも、あんなゲスな女に騙されるんだから、男ってバカなのね。
いえ、正樹が優し過ぎるのよ。
ところで、あの女じゃないとすると、琴音って誰なのかしら。
私は、また正樹の周辺を調べることにした。
そうすると、正樹が通うジムの事務員の名前が琴音だということが分かる。
正樹が琴音と言っているのも目撃する。
前の女と違って、どこにでもいそうな取り柄のない女。
明るい声で、筋トレを応援し、終わるとタオルを手渡しをする。
スポーツブラとレギンス姿で、お腹を出し、いかにも男に媚びて仕事しているって感じ。
ジムで働くのに、そんなに肌けなくてもいいでしょう。本当に気持ちが悪い。
しかも、顔は田舎くさくて、ぽっちゃりとし、笑うと頬ははち切れそうになる。
金持ちのようには見えないから、正樹に金を貢いでいるのではないと思う。
さっき、正樹は私に見られないように、スマホを慌てて持ち出した。
どうして、正樹は嘘をつくのかしら。
やましいことがあるからに違いない。
もしかしたら、こんな女に興味があるの?
いつも贅沢な料理を食べていると、たまにはB級グルメも食べてみたいのかな?
いえ、琴音という女が正樹を騙しているに違いない。
正樹の素敵な姿に、分不相応な夢を見ているに違いない。
正樹の態度がぎこちなかったのは、琴音という女の策略にハマっているのだと思う。
あの女、したたかで、人を騙しそうな顔だもの。
また、優しい正樹ぐらいしか声をかけなさそうな貧相のない顔立ち。
モテないから、正樹が可哀想で声をかけたのだと思う。
それに飛びついてしまったのね。
その気持ちも分からないではないけど、人の男に手を出さないでよ。
それって犯罪だから。
私は、夜、ジムから帰る琴音の後をつける。
琴音は、繁華街を通り、駅のホームで電車を待っている。
私は、琴音の後をしっかりと付けていくと、琴音はいきなり振り返り、こっちに来る。
「さっきから、私の後ろを付けているみたいだけど、あんた誰? 見たことないけど、何か用なの? ボスの手下?」
「いえ、どういうことですか? 付けてなんていないですけど。ボスって、誰ですか?」
私は、バレたかと思い、額からヒア汗が流れ落ちる。
でも、ただの女ではないかもしれない。ボスというと、暴力団がらみかしら。
やけに、警戒心が強すぎる。
「ジムからずっと私を追いかけてきたでしょう。私が振り返ると、歩く方向を変えたりして。素人が尾行すると分かりやすい。本当に誰なの? 無事に帰れるなんて思わないで。」
「ただ、帰りの方面が同じだけですよ。駅員さん、この女が喧嘩を売ってきて怖いんですけど。助けてください。」
「何か、もめているの? あなた、相手の女性が怖がっているから、やめなさい。」
「私が悪いわけじゃなくて、この女が悪いのよ。」
私を腕を掴もうとする琴音は、駅員に制されて、不満そうに電車に乗り込む。
これ以上、大事になって警察とかが出てきたら、琴音の方も困るように見える。
私は、駅員にお礼をいい、1本後の電車に乗ると伝えた。
やっぱり、男には媚びていても、同性にはがさつな女。
私の大切な正樹を騙し、嘘までつかせている性悪な女。許せない。
翌朝、駅で待ち構えていると、電車から降りた琴音は私の顔をみて唾を吐く。
そして、ジムに入ると、笑顔で爽やかな挨拶をしている。裏表がありすぎる。
どうして、男はこんな性悪な女の本性が分からないのかしら。
人を騙し、生き血を吸って、のうのうと暮らすダニのような女。
早く始末しないと。
その晩も、見つからないように慎重につけると、琴音はお茶の水のアパートに入っていく。
家に帰る時は、真っ暗な駿河台男坂を登っていた。
アパートは貧相で古く、とても優雅な生活には見えない。
洗濯機は廊下に置かれ、ジムで汗に塗れた服を洗い始める。
横の部屋から、女の声で静かにしてよと言われ、琴音はドアを蹴り上げる。
横の部屋は静まりかえるけど、本当に乱暴な女。
廊下で誰からか連絡があり、スマホでボスと言いながら大声で話す。
いいものが手に入ったけど、いくらなら買うかと話している。ドラッグのことかしら。
そんな環境なら、私以外の人に殺されることだってあり得る。
正樹が危ないことに巻き込まれるのも嫌だから、早くしないと。
琴音のアパートから駅に戻る途中、駿河台男坂でよろけそうになった。
そう、この坂なら偶然落ちることもある。上から突き落とせばいい。
あとは、その時に、目撃者がいないことかな。
周りを見渡しても、ここが見える家の窓はなさそう。
しかも、階段を照らす電灯は少なく、全体として薄暗い。
これなら、ここを通る人さえいなければ私の犯行だとは分からないはず。
私は、次の夜、踊り場で影に隠れ、琴音を待ち構えていた。
周りでは鈴虫がうるさいぐらいに鳴き、琴音の最後を演出している。
後ろを人が通る。危ない。顔を見られないようにしないと。
階段の下を見ると、琴音が現れる。何かいいことがあったのか、歌を口づさみ階段を登る。
ドラッグが高値で売れたのかもしれない。
琴音がその踊り場に出る直前に、ランニングをしているように駆け寄って、ぶつかった。
ぶつかるなんて予想もしていなかった琴音は、体が宙を浮き、頭から落ちていく。
他に誰もいない階段で、琴音は、助けてと私に手を伸ばしていた。
私を見る目は、驚きと願いを込めている。
ただ、私の顔を見たとたん、私に気づき、殺されるのだと悟った様子だった。
お互いに強い目線で見つめあっていた。
わずかな時間だったけど、永遠に感じられる。
やっぱり殺すつもりだったのかと口から声が漏れた気がした。人の男に手を出すのが悪い。
宙に浮いた琴音はスローモーションのように、1回転して頭から落ちていく。
階段の電灯を浴び、宙に舞う女の姿は美しかった。
何回も頭を階段の角にぶつけながら、階段を転がり、30段ぐらい落ちていく。
顔や体が階段の角にぶつかる度に、鈍い音が周りに響く。何度も何度も。
いくらジムで鍛えていても、バランスを失い、足場を作れない階段ではどうしようもない。
最初は頭から落ち、大車輪のようだったけど、すぐに横にゴロゴロと転がる。
下まで落ちた時には、口から勢いよく血を吐き、手足の骨は折れ曲がっていた。
足の骨も折れ、頭蓋骨も陥没しているように見えた。
女の顔は傷だらけで、目も鼻も、押しつぶされている。
おそらく、もう意識はなく、助かることもない。
手元にはドラッグで稼いだお金が入っているのかもしれない。
でも、そんなはした金につられて近寄るほど、私はバカではない。
階段の上から、その女を見届け、ランニングを続けるようにその場を去る。
この前は、トラックの運転手につかまって、警察に連絡するしかなかった。
でも、今度は、警察なんかに連絡はしない。
だって、偶然が重ねれば、私が疑われるでしょう。
また、この辺は暗く、監視カメラもなさそうだし。
でも、これで、本当に正樹は私のものになった。
もう、捨てるなんて思わないはず。
だって、私ぐらい正樹に尽くす女はいないから。
正樹のために、あざとい女達を私が排除してあげた。
感謝されてることがあっても、捨てられるなんてあり得ない。
正樹だってわかっているはず。
私以外に、正樹に最適な女はいないってこと。
もう、琴音みたいに、正樹の私への気持ちを邪魔する人はいないから。
これから、正樹を幸せにする。
なんでも、言うことを聞くから。
それが正樹の幸せでしょう。
でも、その2日後から、また正樹へのLINEの返事がない日が続く。
どうしたのかしら。もう1週間にもなる。
重い岩に潰されそうな気持ちでTVを見てると、とんでもないニュースが流れてくる。
正樹が警察に容疑者として連行されたというニュース。
私は、どんな服装だったか記憶にないほど慌てて家を出て、警察に駆けつけた。
警察に、正樹はそんなことはしないと泣きながら伝える。
「お嬢さん。彼が大切なのはわかるけど、取り調べは警察がするから。」
「正樹は、そんなことをするはずがない。」
「知らないの? 彼は、ホストで、お金を女から巻き上げていた悪い奴なんだよ。お嬢さんも騙されていたんじゃないか。あんなやつに近づかない方がいい。」
「ホストをやっているのは知っているわ。私は騙されていない。彼が犯人じゃないの。信じて。」
私は警官にしがみつき、泣き叫んだ。
髪を振り乱し、半狂乱になって。
3人の警官が来て、私を押さえつける事態にまで発展してしまった。
私がうなだれて帰るときに、警官たちは話していた。
よほど、彼に入れ込んでいたのだろうと。
あんな悪い奴に騙され、かわいそうな人だと。
そうじゃないの。悪いのは正樹を騙した琴音なの。
どうして、正樹を責めるの?
正樹は何も悪くないのに。
そして1週間後、正樹は証拠不十分として釈放される。




