10話 挫折
私は汗だくになり、息を乱して中学校時代の悪夢から目覚めた。
今は華やかな生活を送っていても、昔の孤独、恐怖に包まれた悪夢によくうなされる。
横に目を移すと、素敵な正樹が静かな寝息で横になっていた。
そう、もうあんな暗黒の生活は終わったの。
今は、誰にでも自慢できる正樹と一緒に暮らして幸せ。
これからは、私が幸せを味わう番なのだから、しっかりしないと。
私はベッドの中で正樹の顔を見つめながら愛されていることを実感していた。
こんな汚い私でも、愛で包まれて、清らかな女に変われる。
やっと、私にも幸せが訪れたのだから。
正樹は、それ以降も居続けて私の体を抱きしめ続けた。
そんな生活が続く中、正樹も私に心を許しつつあるのか、生い立ちを話し始めた。
それを聞いて、世の中から迫害されているのは私だけじゃないことを知る。
暗闇に生き続けているのは私だけじゃないということを。
「俺は、中学1年のときにサッカー部で1番の選手だったんだ。練習していると、グラウンドの外にいる多くの女子生徒の声援がすごかったな。」
「正樹、すごいじゃない。今でもかっこいいけど、そんな若いころからモテてたのね。」
「当然だろう。俺は、選ばれた人なんだから。」
「すごいわ。私、正樹とずっと一緒にいたい。」
「わかった。俺とずっと一緒にいさせてやるよ。」
正樹がいつになく自信に溢れ、澄んだ目で天井を見上げる。
でも、今、こんな生活をしているんだから、順調ではなかったのだと思う。
私は、そんな正樹になんと言ったらいいか分からない。ただ、正樹にすがるだけ。
「私は、正樹の奴隷になるわ。なんでも、言うこと聞くから。」
「そうか。じゃあ、お昼ご飯を作ってくれ。」
「わかりました。ご主人様。トーストとベーコンエッグでいいかしら。」
「おいしそうだな。よろしく。」
私は、起き上がり、キッチンでお昼ご飯の用意を始めた。
できたころに、正樹を呼ぶと、正樹は上半身裸でテーブルにやってくる。
かなり鍛えているようで、見てるだけで再度抱きしめてほしいと感じた。
「では、食べましょう。いただきます。それで、その後、どうなったの。」
「そうだな。そんな充実した日々は続かなかったんだ。1年の秋、自転車に乗って通学する途中の下り坂で、俺はスピードを出し過ぎ、カーブを曲がりきれずに、ガードレールを飛び越えて崖を落ちていった。医者から、複雑骨折で、サッカーは最低2年はできないと伝えられて、サッカー部は退部したよ。」
「それは大変だったわね。」
「ああ。悔しい思いで日々を過ごしていたんだが、学校では憐れむ目線で見られ、いじめも増えていった。」
正樹の目には、いつもの殺伐とした闇が戻り、憎しみを顕にする。
私の手をすごい力で握り、手の骨が折れてしまいそう。
でも、そんなことで正樹の気持ちが落ち着くのであれば、いくらでも我慢する。
「それはひどい。」
「そんな学校がきらいで、部屋に閉じこもる日々が増え、俺の暗闇の人生が始まったんだ。カーテンで光を遮った部屋では、唯一の光がスマホから照らされるって感じだったな。冬に向かう季節の中で、漆黒に包まれる部屋はそれ以上に凍りいていた。」
「でも、正樹ならなんとかしたんでしょう。」
正樹は、私のことを睨みつけた。
その目には、暗い闇が永遠に続いているのを感じる。
私は、何も言えなくなり、ただ、正樹の話しにうなづいていた。
「そのころには、友達なんて1人もいなかったんだ。これまで溢れていた声援はなくなり、静寂に包まれる。もうこの世の中に自分の存在はなくなったんだ。」
私には華々しい時期はなかったけど、暗闇は私のものと似ている。
それを感じ取って、正樹は私に声をかけてきたのかもしれない。
哀れでも慰めでもない、一緒に共感してくれる同志として。
「近くのコンビニに出かけることもあるだろう。でも、コンビニに行くと、周りがみんな俺のことを批判しているように感じたな。」
そんな気持ち、私にはよくわかる。
いつも批判され続けてきたから、今でも、誰かが話すと私が批判されているように感じる。
そして、うずくまり、頭をかかえて、許してとつぶやく自分に気づく。
「落ちこぼれ、できそこない、人間のクズ、事故で死んでしまえばよかったのにと言われている感じがしたんだ。そんな見えない声に威圧され、誰もいない夜だけしか出れなくなった。」
正樹も暗闇の中を一人で彷徨ってきたのね。
真っ暗で、お互いに見えないけど、手を握れば暖かさは伝わる。
私は、正樹が強く握りしめる手を握り返し、包み込んだ。
「それでも、夜道で昔のサッカー部のメンバーと会ったんだよ。サッカー部で、いつも、下手なやつは辞めればいいとけなしていたやつが、俺のこと、まだ生きていて、恥ずかしくないのかと言った。」
妄想なのかもしれない。
実際に声を聞いたわけじゃないかもしれない。
卑屈になっているときは、どんどん自分を追い込んでしまうものだから。
「俺は、屈辱に押しつぶされそうだったんだ。どうして、優秀な自分がこんな冷遇されているんだ。まわりはくだらないやつばかりで、楽しそうに、のうのうと生きている。地震でもおきて、すべて壊れてしまえばいい。」
「大変な人生を過ごしてきたのね。」
「ああ、分かってもらえるか。成績は落ちていき、両親と怒鳴り合う日も増えたんだ。時間とともに、普通に生活ができるまで骨折は回復したんだよ。でも、自暴自棄になって、なにもやる気になれない日が続いた。」
一度でも成功しているからこそ、闇に転じるとその深さは計り知れない。
今まで尊敬の念で見ていた友人が、次の瞬間から足で踏み躙り、バカにする。
いえ、人間とすら認めてもらえない。
正樹は、話すたびに、私の手が届かない暗闇の奥に沈み込んでいく。
話しの方向を変えようと思ったけど、無理だった。
「高校には入ったんでしょう。」
「ああ、なんとか入った高校は荒れていて、殴られ、カツアゲされる日々が続いた。こんな優秀な自分を誰もが見下しているとしか思えなかった。心の整理ができずに悩み続け、更に孤立していったんだ。そんななか、勝己さんという先輩が現れ、いじめから守ってくれた。勝己さんは、尊敬できるところは1つもなかったけど、他に頼れる人はいなかった。」
「私は中卒だから、高校に入っただけでもすごいよ。」
私に言えることは、そんなことだけだった。
正樹にとって、何も意味がないことは分かっていたけど。
「お前は中卒なんだな。まあ、お前もだいぶ稼いでるようだから、学校なんて関係ないって、社会に出てよくわかったよ。でも、その頃は、大学に入れず、将来は真っ暗だと悲観していたな。高校を卒業して、すぐに工務店でのアルバイト生活に入ったんだ。でも、その工務店がすぐに給与を支払わなくなって、生活は貧しかった。」
いつまでも正樹の苦悩は続く。
事故というちょっとした運命のいたずらが、人生を180度変えて、正樹を弄ぶ。
事故がなければ、正樹はプロのサッカー選手で人生を謳歌していたかもしれない。
「自分のことをいつも叱っている両親なんかに頼れない。そんな時、勝己さんが工務店を脅して、半年分の給与は支払われたんだよ。でも、それが原因か、その工務店からは追い出されてしまった。それで、俺は、勝己さんが入っている暴力団に入るしかなかった。その暴力団からボーイをやるようにとキャバクラに派遣されたんだ。でも、今は給料はいいし、おまえとも会えたし、会社に入るよりよかったと思っている。」
「それで、あのキャバクラにいるのね。じゃあ、私が正樹と出会えたのは勝己さんのおかげなのね。こんど勝己さんに合わせてよ。」
その時は、勝己さんが、あんなに暴力に塗れた、恐ろしい人だとは知らなかった。
でも、勝己さんは、正樹だけには優しかったのだと思う。
正樹は、勝己さんだけは慕っていたから。
「わかった。食べ終わったから、もう1回やるぞ。」
「私も、そう言おうと思っていた。もうこの体、抑えられない。抱いて。」
私は、この幸せな時間がいつまでも続くと思っていた。




